第 12話 長崎原爆

 8月9日、343空は大半の隊員が休養と訓練を兼ねて近くの山に登っていた。これは嶋田らの計画には幸いした。杉本と二人で整備兵を騙して紫電改を滑走路まで出した。杉本が洋子を連れて帰ったあの紫電改だ。あれから数多くの空戦を戦ったが、この機だけは何故か被弾一つしないので皆から大層重宝がられている。他の機体は、それぞれに何か所か不具合を持っている。しかし、この機体だけはすべてにおいてパーフェクトだった。

三人は寡黙だった。空は曇りだったが、青空も覗かせていた。


嶋田が、ポツンと、

「昨日訊いていたスマホとか云うの何や?」

「それだ、それそれ、俺も訊きたいぜ」

 杉本も訊いてきた。

「あれね、基本的には電話ね。でも、画像があって動画もあって、カメラもあるんよ。電報みたいなのもあって、カレンダーもメモ帳も、要するに何でも屋ね」

「へぇー、打ち出の小槌みたいやな。そんなのあるんかいな。玉手箱みたいに煙が出て、俺たちは爺になるのか。そうなりゃ堪らんわ、えらいこっちゃ」

嶋田はおどけたように目を広げた。

「煙も無いし、お爺さんにもならんし。でも、鴛淵隊長もスマホで私たちの事を理解できたようよ」

「理解?」

「鴛淵隊長の東芝の技術者の同級生から手紙がやってきたのよ」

 その手紙には、


【このスマホという製品は、小さな詰まっている電気回路で、この1945年では全く無理だ。70年から100年経ってじゃないと、此処までの云わば集積電気回路はできない。10階建てのビルがこのスマホ一つでやれる。このスマホは、未来からやって来たと云うこの女学生の言葉は真実だ。広島の新型爆弾も、長崎の新型爆弾も、真実だ。いずれこのスマホは修理するので、もう少し待っていてくれ。今治に東芝の新工場があって、今日まで起爆装置を作っていた。スマホの電気回路があったら新型爆弾の起爆装置は苦労しなくてもよかった。また、戦争が終わったら、そのうちに会おう】

 

 と書いていた。

「嘘つきじゃないことで嬉しかったと、でも、この手紙を読んだ次の週に鴛淵隊長が亡くなって」

 洋子はそう云うと、また目が潤んだ。

 嶋田は、

「しかし、何で海兵から東芝に?」

杉本は、

「海兵の特別優秀なのは、中退させて、入学金も授業料も軍持ちで理科大学に行かされるって聞いたことがある。多分その人もその中の一人じゃないかな」

 嶋田は、

「今治の空襲は、単なる囮だけではなかったんや。東芝の工場を破壊することも狙ったんだ。奴らは新型爆弾の起爆装置も作っていたのも知ってたんや。実際に、今治の空襲は東芝のあたりに爆弾の集中だったと聞いた。その天才が起爆装置は苦労しなくてもと言うことは、起爆装置は完成したんや。よっしゃ」

嶋田は、さらに何か言おうとした時、

『B29二機編隊が、大隅半島沖太平洋上20海里を豊後水道方面に北上中』

 スピーカーから音声が流れた。


「本物がやって来たな!」

嶋田は、走って出ると紫電改の機体に梯子はしごを駆け上った。

 2000馬力のエンジンが機体を震わせながら今か今かとフルスロットルを待っている。

「全計器動作確認ヨシ、左右前輪固定ヨシ、左右補助翼ヨシ、全方向舵確認ヨシ、尾輪固定ヨシ、全離陸前確認項目ヨシ、今日も快調や。水戸光子のブロマイドも貼ったし。東か。よっしゃ行くぞ!」

嶋田は右手を前に指す。

杉本は、操縦室の梯子はしごを外そうとした時、嶋田が大声で言った。

「あれは、俺が追いかけようとして敵機の反撃にあったんや。鴛淵隊長が反転して俺を助けたんや。俺が悪いんや」

 鴛淵隊長の戦死のことを言っているのだと分かったが、なにも聞こえないふりをして、

「武運を祈る」

 と言うと、杉本は敬礼で応えた。

 嶋田も敬礼で応える。プロペラの風が紫のマフラーになびく。

「体当たりなんてだめよ。生きて戻るのよ」

 エンジン音にかき消されないように洋子は操縦席の嶋田に向かって思い切り叫んだ。

 嶋田は洋子に向かって軽くうなづくと手を振った。

 2000馬力の爆音を響かせ、紫電改は東の空に消えた。


 杉本と嶋田の二人が立てた作戦は、まず敵よりも早く8000メートルの高度を取り、雲があれば、それに隠れ、できるだけ小さい半径で旋回すること。これは、亡き鴛淵大尉が言っていたことだ。ただ1機が小さい半径で旋回していれば、相手のレーダーには、只の「ノイズ」として映っているようだと言っていた。それをそのまま実行する。

 次に、敵が見えたら1000メートル以上の高度差を確保する。そして、敵機を下に後ろからタイミングを計って、逆落としに相手の頭部に垂直急降下し主翼の根本めがけて銃撃を加える。垂直急降下しながらの銃撃は弾のスピードが音速近くになる。B29は、前方のみではなく前後左右が銃座の範囲だが、真上だけが唯一の死角になっている。また、前方のみが防御が薄いので音速近くになるスピードの弾丸は容易に頭部装甲を破壊する。これはB29を何機か落したことのある亡き菅野大尉が語っていたことだ。

 そして、それでも落ちない場合は再度上昇し操縦席めがけて体当たりをする。昨日の深夜、二人で議論を尽くして立てた作戦だった。


 山口県沖姫島ひめじまの上空8000メートルを雲に隠れて旋回すること10分、豊後水道を北上中のB29二機編隊を目視もくしで確認した。高度7000メートルを巡航飛行している。気付かれてはいない。さらに旋回を続けること5分。どちらかの機に新型爆弾が搭載されているはずだ。嶋田は先頭の機に狙いを定めた。これは賭けだ。絶好のタイミングで逆落とし垂直急降下に入る。1000メートルの急降下に要する時間はわずか4秒~5秒に過ぎない。B29の機銃射手が気付いたとしても狙いを定める余裕はない。嶋田の目に映る先端のガラス張りの丸い操縦室がみるみる大きくなってゆく。

「しめた!今だ!」

 20ミリ機銃四門が火を吹く。弾丸は白い弾道を描いてB29の操縦室に吸い込まれた。

「よし!」

 紫電改は、ぎりぎりのタイミングで主翼の後ろをすり抜けた。そのまま降下しながら徐々に操縦桿そうじゅうかんを上げる。想像を絶する重力が全身に加わる。4000メートルを一気に降下する間、体中の血液が後頭部と背中に集まり凝縮しながら沸騰する。最終的なスピードは亜音速に近い時速800キロ近くになるのだ。大きく弧を描いて元の高度を取って巡航飛行に戻り第二次攻撃に備える。おもむろに振り返り主翼と尾翼の間から右下を見る。そこには火を吐きながら降下してゆくB29がいるはずだった。が、見えたのは平然と飛行を続けている大きな機体だった。

「この化け物め!」

 嶋田は叫んだ。

「よし!」

 嶋田は意を決した。もう体当たり攻撃しかない。

さらに急上昇、8000メートルで反転急降下、体当たり特攻の態勢に入る。再び逆落としの体勢で今度は操縦室を狙う。空の要塞の銀色の主翼が視界に広がってくる。

 次の瞬間、嶋田の目の前に洋子の顔が映った。そして、母親の顔が浮かんだ。

「母さん、母さん」

 嶋田は叫んだ。


 杉本と洋子は、東の空を見続けていた。だが、現れたのは嶋田の紫電改では無かった。B29の2機編隊だった。大村基地の上空を悠然ゆうぜんと通り過ぎ、海を隔てた長崎市内の空を旋回し、そして、小さな黒い塊を機体から離した。二人は、黒い塊が静かに落下してゆくのを呆然あぜんと見ていた。

「キャーーーーー、ギャーーーー、ギァー―――」

 突然、洋子が叫び始めた。頭に両手をあて全身を震わせながら気が狂ったように叫び続ける。地獄の底まで届くかのような叫び声が響き渡り、辺りを切り裂いた。


 8月13日の夕刻、杉本と洋子は食料調達とは言っても何も無しで帰っていた。道路脇を被爆者と思われる人々が大勢歩いていた。

「俺たちがどうあがいても歴史は変えることはできんようだな」

「残念ながらそのようね」 

トラックの荷台にはほとんど何もない。何処に行っても、「343は何をしてたんだ」と各所で罵声を浴びるだけだった。


 基地に入ると、一人の特攻隊員がやって来た。国分基地からの大村に配置していたのだ。

「明日の朝、出撃が決まったよ。広島、長崎のかたきを取ってやる。貴様とは奇妙な縁だったが、いよいよおさらばだ。先に行って待ってるからな」

 森武志もりたけしと言う名の慶応大学の学徒兵だった。娯楽室で将棋をしたのが縁で話をするようになった。互いに映画が好きで映画の話で盛り上がった。訊けば、映画会社に就職も決まっていたのだと言う。将来は自分で映画を撮ってみたかったという話もしていた。

「それじゃな」

 森は軽く敬礼をして去ろうとした。

 洋子が森の後を追いかけ何か言おうとしたその時、

「この野郎、今、洋子のケツ触っただろう」

と叫ぶと、杉本は振り返った森の顔面に鉄拳を入れた。

「何をするんだ」

 殴られた目尻を抑えて森が叫ぶ。

「この野郎」

 杉本はなおも打ち据えた。森も訳が分からず応戦したが、喧嘩慣れしている杉本の敵ではなかった。洋子が隊員達を呼んでできてやっと杉本を押さえつけた。森の顔面は腫れ上がり、左目は見えなくなっていた。杉本は兵舎の牢に入れられた。翌日の森の出撃は延期された。


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