第 11 話 広島原爆

「今日よね」

「ああ、今日だ」

 杉本と洋子は言葉を交わした。8月6日の早朝だった。二人とも一睡もできずにこの日の朝を迎えたのだ。二人で東の空を見る。オレンジ色に染まった雲の間から真っ赤な太陽が昇り始める。この数時間後、再び真っ赤な太陽が現れ、すべてを焼き尽くすことは誰も知らない。戦時下とは言え、普通の人々の普通の日々が始まろうとしていた。

「今日も買い出しだ。トラックに乗って待ってるからな」

「はーい」

 この二人も何時もの日常が始まっていた。ただ、このトラックに生鮮食料品を積んで夕方戻って来た時、基地は大騒ぎになっているだろう事だけは確信していた。

 基地を出て十数分走った所に峠がある。蝉時雨せみしぐれの中、朝日に光る有明海が遠くに見える。杉本はトラックを路肩ろかたに止めた。そして、フロントガラスの向こうを指さすと、

「この方角が広島だ」

 と言った。

 二人で何も言わず、じっとその方角を見続ける。やがて、杉本の腕時計が8時15分を指した。

「見えたか?」

「ああ見えたわ。一瞬だけど空がかすかに光ったわ」

「確かに光ったな」

 それ以上何も会話はなかった。トラックはまた走り始めた。


 久しぶりの大収穫だった。魚や野菜を満載したトラックが大村基地に帰って来た。だが、杉本と洋子には笑顔はない。今朝かすかに東の空に見た光が脳裏にこびりついて離れないのだ。

 基地の門を入ると、トラックを待ち構えていたかのように嶋田が駆け寄って来た。

「お前たちの言うてた事ほんまや。今朝、広島がやられた。全滅や。ごっつー強力な新型爆弾や。本田少尉が、川西の新鋭機の紫電改を受け取って、帰りの広島の上空で飛んでたんや。その時、新型爆弾が爆発したんや。爆風があって一海里ひとかいり近く吹き飛ばされたと云ってたわ。何とか態勢して見たら、広島の町は全部が瓦礫がれきになってたそうや」

 本田少尉は、戦死した菅野大尉の代わりに新機の紫電改を受け取りに行き、川西工場の帰りに広島の原爆に出会ったのだ。

「ただ、菅野大尉から、自分に、もしもの事があったら代わりに受け取る事、帰りに広島上空にB29があれば、絶対に撃墜せよとも言われたらしい。最初は5日に取り次ぐはずが6日なったそうや。菅野隊長、もしかしたら知ってたかもしれん。次は確か長崎とか言うてたな、何時いつや、何時いつや、いつやられるんや?」

 嶋田は興奮のあまり口から泡を飛ばしている。顔面も引きつっている。杉本のえりつかみ上げりながら何度も聞く。

 杉本は答えない。

何日なんにちや? 何時なんじや?」

 嶋田は杉本をまた揺さぶり始めた。

 杉本は、嶋田が何をしようとしているのか分かった。しかし、

「歴史を変えるようなことはやったらいかん」

 と言って反対した。

 だが、

「貴様は、何十万の人が犠牲になるのを分かっていながら何もせんでそれでいいのか。それで満足なのか。それで日本の男か。帝国軍人か。歴史を変えたらいかんなど誰が決めた。歴史はこの俺が変えてやる。見ておけ!」

 迫る嶋田の言葉には反論の言葉が見つからなかった。

どんなに止めても嶋田は出撃するだろう。それなら、せめて成功させてやりたい。嶋田の言う様に歴史を変えることもできるかもしれない。やってみなけりゃ分からないのだ。

 やがて、小さな声で嶋田に告げた。

「ハチキュウ(8月9日)、 ヒトヒトマルフタ(11時2分)」

「よし、分かった。俺一人でも長崎投下は阻止してやる。おのれ、鬼畜米英め。目に物見せてくれん」


 二人は長崎原爆投下阻止の作戦を秘かに練り始めた。だが、戦闘機の訓練しかしてないので、作戦立案の教育はしていない。途方に暮れた。

「時間がない。三日しかいない。おい、どうする?」

「………」

 丸一日、考えも何もできず、無駄にした。


明くる日も何もできずに居る時、洋子が畳んだ紙切れを二人に渡した。

「これ、よく分からないけど、何か大切なことじゃないかな。先日亡くなった菅野隊長の机の整理をした時、このメモが見つかって、中の畳んだ紙切れがこぼれ落ちたの」

そこにあったのは、広島と長崎へのルートだった。ルートには広島の菅野、長崎の鴛淵と名前があり、広島ルートには、新居浜・今治・尾道・福山に赤い丸が書いてある。

B29は、前日空襲した都市の偵察を必ずする。それは日本軍も分かっているはずだ。それを逆手にとって前日空襲した都市を囮に、偵察をするかのように2機か3機のB29で迎撃体制のない広島に向かったというのだ。確かに、前日の夜の今治空襲もおそらく囮だったはずだ。

「菅野隊長も、鴛淵隊長も、原子爆弾の事を分かってたんだ。でも、どうして分かったんだ?」

嶋田も杉本も声を上げた。

「多分、スマホだと思うよ」

洋子が云う。

「スマホ?」

嶋田も杉本も何か分からない。杉本は話を変えた。

「じぁ次の囮は、門司か八幡か福岡か小倉か、熊本も赤い丸がある。小倉と八幡は二重の赤丸だ。豊後水道から北九州に入り、8日に空襲した都市の上を偵察したふりをして、2機か3機で長崎に行くという事だ。東シナ海から熊本に入り長崎というルートもある。奴らの策略は手に取るように俺たちには分かっているぜ。同じ手は食わせないぜ」

今日が、囮の都市の空襲と確信した声で二人は言った。

「しかし、鴛淵隊長も菅野隊長も、やっぱり頭ええな」

嶋田が言ったその時、スピーカーから警報が鳴った。

『豊後水道をB29が30機、北九州に向けて北上中。繰り返す。豊後水道をB29を30機……』

「やって来たな。囮の空襲が。豊後水道からの方や」

嶋田は、声を上げると、紫電改に駆け上った。


敵機護衛のサンダーボルト70機と爆撃機B29の40機だった。朝の10時に大編隊が八幡の空に現れた。だが、それは第一陣だった。第二陣も同様な陣容でやって来る。八幡製鉄を目標にしていることは分かっているのだが、もはや鉄を生産することは殆どでできていない。日本には屑鉄もいない状態なのだ。そのことは敵も分かっている。ただ単に、街を破壊し、人々を殺戮するのが目標だ。そして、明日の原爆の囮だ。広島もそうだったし、明日の長崎も同じだ。

嶋田は、最後尾のB29を捉えた。急上昇する紫電改が反転する。背面からB29の操縦席に機銃四門の20ミリで、ありったけの弾丸を打ち込む。そして、火を噴いたB29が戦列から一機の離脱を確認した。


「B29の1機、やっつけてやったで」

嶋田は、杉本と洋子に云うと、はにかんだ様に口を少し開けた。

「B29か、初めてじゃないか。たいしたもんだぜ」

杉本は、我が事のように喜んだ。

「菅野隊長のB29の撃墜方法を、そのままやっただけだ。隊長のようにうまくできなかったが、操縦室が外れたのが主翼の元とエンジンに当たってな。怪我の功名って奴や。ほんでもな、多少自信が付いたかな。明日が本番や。少し眠るか。休ませておくからな」

そう言うと、さっさと宿舎に入って行った。


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