第 3 話 源田サーカス

  343海軍航空隊司令、源田実げんだみのるは悩んだ。この二人どうするか?

いずれにせよ、訳の分からないことを口にするこの変な二人を外に出しては343空の恥になるかもしれない。とにかく隊で保護・管理するしかない。それに、こんなことに悩んでいる暇もない。戦況は悪化の一途。呉軍港は3月19日の空襲で343空の健闘にもかかわらず相当の被害を被った。連日のように米機動部隊から発艦した機載艦が攻撃を仕掛けてくる。さらに、敵は、B29と呼ばれる最新鋭爆撃機を投入してきた。高度1万メートルを超えて飛行が可能なこの爆撃機を迎撃することは容易ではない。幾種類もある日本の戦闘機の中で迎撃が可能なのは、この海軍の紫電改と陸軍の屠龍とりゅうぐらいなのだ。ただ、屠龍はB29に護衛機が付いた場合は護衛機の餌食えじきになることは明らかなので安易に使用することはできない。今の段階で信頼に足る迎撃機は紫電改のみなのだ。軍上層部からの期待もひしひしと感じる。要するに、目の前の問題に精一杯で訳の分からない事に頭を使う余裕はないのだ。


「その女学生は炊事班すいじはんの手伝いでもやらせろ」

 源田司令はそう言うと机に向って何か書き始めた。海軍省に提出する紫電改の機体と燃料の補充要請の書類だ。この頃になると、機体の生産も燃料の生産も極端に落ちていた。3月19日の迎撃戦での戦果は43機の撃墜だったが、59機と報告していた。実際は、グラマンの耐久性能の高さからは、被弾して戦闘不能になったとしても、その半分は母艦までたどり着いたであろう。だが、この位の張ったりはましておかないと機体の補充などやってはくれない。他の部隊も戦果の大幅水増おおはばみずまししは当たり前のようにやっている。悪名高き大本営発表も、すでに最前線でされていた訳で、大本営ばかりの責任にすることはできない。  


「何で戦闘機乗りなんかになったのよ。撃ち落とされたら死んじゃうのよ」

 昼飯が終わり、杉本が芝生に座って一服しているところに洋子がやって来て訊いてきた。

「そりゃ、男と生れりゃ戦闘機乗りよ」

「答えになってないじゃない」

「まあ、きっかけは源田げんだサーカスだな」

「源田サーカス?」

「そうよ、源田司令がやってられた源田サーカスよ。子供の頃に親父に連れられて源田サーカスを見に行って俺は決めたんだ。これが俺の進む道だってな」

 そう言うと杉本は煙草を吸うと口を尖らせて吐き、煙の向こうの青空を見て微笑んだ。

「へぇー、あの源田司令って、サーカス団にいたの。びっくりした。面白おもしろーい。ピエロかなんかやってたの?」

「馬鹿、源田サーカスってのは曲技飛行きょくぎひこうのことだ。木下きのしたサーカスのサーカスじゃないぜ。飛行機に乗って宙返ちゅうがえりや錐揉きりもみみ飛行、一糸乱れぬ編隊飛行、失速して地面にぶつかる寸前に急上昇。もうハラハラドキドキだぜ」

「アクロバット飛行の事ね」

「そうよ。向こうじゃそう言うらしいな。要するに源田のオヤジにだまされたって訳よ。此処に居るのはほとんどだまされた口だ」

 杉本はそう言うと大きな声を立てて笑った。そして、

「戦闘機乗りになれたし、世界最高の紫電改に乗れたし、戦闘機乗りなら誰でも望む343空に入れたし、憧れの酒井少尉や杉田飛曹に直に教えてもらえるし、撃墜王、鴛淵大尉の元で働けるし、俺は子供の頃の夢は全部かなった。後は、250キロ爆弾抱えて正規空母エンタープライズに特攻、撃沈できたら、これ以上言うことはないぜ」

 杉本はそう言うと、短くなった煙草を一気に吸い込み芝に擦り付けて消した。

「最後の特攻ってのはどうかと思うけど、まだ21歳なんでしょ、子供の頃の夢がその歳で全部かなえられるって羨ましい。私なんか、子供の頃の夢なんて一つもかなえられそうにないし」

「生きてさえいりゃかなえられることもあるさ。気の毒なのが学徒兵の特攻よ。あいつらみんな夢持ってるんだ。俺みたいにえられた夢じゃない。これから叶える夢だ。特攻の直掩ちょくえんに付く時は特攻の戦果確かめるのが俺たちの任務なんだが、特攻機が当たると夢がひとつ砕けるんだな。いや、ひとつじゃない。敵さんたちの夢もたくさん砕けっちまうって訳かもな」

「そうね。夢が砕けちゃうのよね」

「洋子ちゃんの子供の頃の夢ってなんだ?」

「秘密、たいした夢じゃないの」

 洋子はそう言うと、四月の青空を春風に乗って流れゆく白い雲を見つめながらかすかに微笑んだ。


 数日後、343空の夕食が始まろうとしていた。

「もっと早く作ってあげたらよかったわ」

 洋子は鍋のクリームシチューを皿に取り分けながら杉本に言った。

「洋子ちゃんのクリームシチュー大評判だったしな。みんな、あんな旨いもん食ったことない。また食いたいって言ってたからな」

「梶山さん、帰ってこなかったんでしょう」

「ああ、未帰還だ」

「梶山さん、今朝けさ会った時、この前の洋子ちゃんのクリームシチュー旨かったよって言ってくれたのよ。ほんでね、戦争が終わったらあのシチュー毎日でも食いたいから嫁にしてやる、言うんよ」

「はっは、梶山らしい。そんで、どう答えたんだ」

「いやよって」

「ハッハ、見事にFエフラレタか。梶山の奴」 ※ 海軍用語 Fられる(振られる)

「こんなことになるんだったら嘘でもいいからなってあげるって言っとくんだったわ」

 洋子はそう言うと、主の居なくなったテーブルの上にクリームシチューが盛られた皿を置いた。一度に四席もの空席ができると、さすがに寂しさは隠しようもなかった。洋子の涙が一粒テーブルクロスの上に落ちた。


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