[5] 変質

 空気が和んだので本題に直接に切り込んでくことにする。土川先生に会う直前までは段取りを頭の中で考えていたのだけれどそんなものは必要なかった。

 相手は准教授だと多少構えてるところがあった。けど感覚的にわかった。この人は俺とあんまり変わらない。未知のものに常に挑戦していきたい、ただの冒険野郎だ。

「迷宮に入るのって危険ですか?」

 結局それが俺の一番聞きたいことだった。


 土川先生はざっくばらんに答えてくれた。

「山に入ってくのとあんまり変わらんよ。目的次第だな」

 きちんと準備した上で浅い階層より先に進まず、さっと戻ってくるなら危険はほとんどない。対して深い、ほとんど人の立ち入らない階層に入ってくつもりなら、どんなに綿密な計画をたてて挑んだとしても、かなりのリスクが厳然として残る。

 確かに登山と同じだ。情報を集めて装備を整えればそこらにある山は安全に登れる。その一方でどんなに一流の登山家でも命を危険にさらさずには登り切れない山というのも存在する。


「迷宮に潜る目的は、俺みたいな研究・調査の場合を除いて、大きく2つだ」

 土川先生は話をつづけた。

 1つは神具の入手、もう1つは魔物の狩猟だ。いずれも成功すればとてつもない金になる。

 神具は迷宮内にのみ存在する道具の通称である。現代科学では解析できない機能を持っており、非常に稀少な代物だ。日本で発見されたいくつかは政府によって厳重に封印されていて、土川先生も伝手を頼ってなんとか遠目に見ることだけ許されたという。

 魔物は迷宮に生息する生物で、今まで外界に存在していた生物よりはるかに強靭かつ凶悪だ。その肉体は神具よりは落ちるが貴重な品で、もっともよく見かける中型犬タイプの魔物でも地上に持ち出せれば、結構な儲けになるらしい。


 神具に魔物、確かにそうしたものを俺は目的にはしていない。いや興味がないわけではないが、これからの人生全てを賭けたとしても神具を手に入れるのは難しいだろうし、魔物を狩るのもまともに武器も扱ったことのない素人冒険家にはあまりに荷が重すぎた。

「浅い階層にとどまったとしても魔物に出くわす危険性はあるのでは?」

「それはもちろんある。あるが、できる限り早く相手の存在を察知し遭遇を避け、また遭遇してしまったとしても敵対せず逃げることだけ考えるなら、そこまで危なくはないよ」

「ちょっとした山に入れば熊に出くわすことだってありますしね。それとあんまり変わりませんか」

 話を聞けば聞くほどに行きたくなっている自分がいる。はっきり言ってしまえば入らなくとも本になるだけのおもしろい材料は集められそうな気がする。ライターという商売に徹するならば入る必要はない。

 ただまあそうした道理とは関係なしに、未知の領域に突っ込んでいきたいという、どうしようもない衝動が俺の中でふつふつとわきあがっていた。


「あとはまあ命そのものが危険にさらされるわけではないが、人体が変質する可能性があるのはリスクのひとつに数えられるだろうね」

 言いながら土川先生は頭の角をつるりとなでる。

 同じような角が自分の頭に生える想像をしてみた。目立って仕方がない。日常生活にもいくつか不便がありそうな気がする。致命的なものではないかもしれないが。

「そもそも変質ってなんなんですか」

 俺の質問にしばらく眉をひそめてから土川先生は答えた。

「それは俺にもよくわからん。専門じゃない」


 迷宮に関する研究は世界的に見てもそんなに進んでいるわけではない。アメリカの方で近頃、迷宮学部を作ろうかという話が上がってきつつあるぐらい。日本ではまだ学会のひとつもできてなくて、迷宮を研究してる人たちが集まって定期的に飲み会をする程度だという。

 その飲み仲間の1人で医療畑で変質について調べてる人の受け売りだが、と断ったうえで土川先生は教えてくれた。

 変質は確率的な事象であって必ず発生するものではない。例えば30時間迷宮に滞在したものが10人いた時、そのうち5人は軽度、3人は中等度の変質を発現するが、残り2人はまったく変質なしということがある。ある程度の閾値は存在するが、それ以下なら絶対に現れないとは言い切れない。

 その性質は放射線に似ている。迷宮物質が迷宮線を出していて、その曝露によって肉体が変質するという仮説は界隈では広く受け入れられてはいるが、現時点ではその迷宮線を観測することはできていない。


 またどのような変質が発現するかについてもその規則性は発見されていない。その人のもともとの肉体や滞在していた迷宮の性質が影響を与えているのではないかと検討が進められている最中だ。

 実利的な観点で言えば、変質には役に立つものと、役に立たないものとがある。力が強くなったり、感覚が鋭くなったりは役に立つ方、皮膚の色が変わったり、爪が異様に伸びたりは役に立たない方。

 ちなみに土川先生の場合、角の成長に伴って、殺意? のようなものをなんとなく感じ取れるようになったので、角自体は邪魔ではあるが一長一短といったところ。また役に立たないと思われる変質でも、迷宮への適応だと考えれるならそのうち何か使い道は見つかるかもしれないとのことだ。


「ああ、言い忘れてたけど自らを変質させる目的で迷宮に潜る人もいるらしいけど、個人的にはあんまりおすすめできないねえ」

 土川先生はそんなことをのんびりとつぶやく。

 自分からわざわざ変質を? なんでそんなことを? 世の中にはいろんな人がいるものだ。

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