[4] 大学

 応接室の扉をくぐってぬっと現れたのは筋骨隆々の大男だった。身長は2M近くあって横幅もがっしりしてて、そのあまりの体積に入ってきた瞬間、部屋が狭くなったと錯覚したほどだった。さすがにそれは言いすぎか。

 格好はいたって普通のグレーのスーツでそろえてて、けれどもその下ではちきれんばかりの肉がぐいぐいと主張する。雑踏にあってもどうやっても目立つ容姿で、けれどもそれよりなにより目を引いたのは、その頭にずんとそびえたつ1本の角だった。

 こちらがぎょっとして固まっている間に、大男はすたすたと距離を詰めてきて、そのでかい手を差し出しながら「どうも准教授の土川です」と名乗った。それが俺にはさらなる衝撃で余計に硬直してしまったが、それでもなんとか体を動かして握手しつつ自分も名乗り返すことができた。


 迷宮管理課で働いてる吉崎くんと飲んで次の日の朝、彼の紹介してくれたその迷宮に詳しい人に電話を掛けたところ、3日後の昼過ぎなら予定が空いてるから話が聞きたいならそっちから訪ねてきてくれと言われた。こっちもその日は時間があったのでよろしくお願いしますと返事しておいた。

 蔦縄線を迷宮前駅で降りて10分ほど歩けば県立大にたどり着く。電話で聞いたとおりに理学部の地球科学科を訪ねていったら、キーボードを叩いていたメガネの女性に「准教授ならもうじき帰ってきます」と応接室に通された。


 土川晴信。

 時間があったので彼については少し調べることができた。戸波県立大学理学部地球学科の准教授で、以前は山や川といった地形の生成について研究していて、それ関係の本も数冊出していた。けれども迷宮出現以降その研究対象はがらりとかわって、今では日本で迷宮について真面目に研究してる数少ない人物の1人として名前があげられるようになった。

 確か顔写真もネットで見たはずで線が細いタイプの男性で目の前にいる人物とはまったく違っていたような気がする。正直そのネットで見た肖像の印象は残っていなかった。こんなインパクト抜群の男だったらひと目見ただけでも絶対記憶に刻み込まれてたはずだ。本当に本人なんだろうか。


「いやあ数年前から迷宮に入るようになってから、みるみるうちに体形が変化していきましてね。意識して自分で鍛えていった部分もあるんですが、いくらかは迷宮による変質作用もあるかもしれません」

 とこちらの戸惑いを見透かしたように彼は豪快に笑った。言われてみれば記憶の中の人物とやんわりつながってるような気がしないでもない。

 変質――迷宮に深くかかわりすぎた者は身体に常識ではありえない変化が現れることがある。その変化の程度は迷宮との接触時間によって異なり、長いほど大きな変化がもたらされる。軽度であれば迷宮から離れることで元に戻ることもあるが、重度の変質は不可逆で迷宮外でも持続する。

 巨大な肉体だけではない。その額のてっぺんに黒々とそそり立つ、長さ10cmほどの円錐型をした角としか言いようのないそれも、変質によるものに違いなかった。


 この時俺は土川先生の空気に飲み込まれていた。

 完全に予想の外からの不意打ちだった。吉崎くんからの紹介というのと、大学で准教授をやっているという話、それからネットでざっくり調べた印象から、なんとなく彼と同じタイプの案外普通の人間が来ると思い込んでいたのだ。

 うながされるままソファに座って向かい合う。土川先生はぎょろりと大きな目玉でこちらを見つめてくる、まるで品定めするみたいに。俺はと言えばついうっかり視線が角にいきそうになるのを、どうにかこうにか我慢して、一旦落ち着こうとぬるくなったお茶に気分を集中させていた。


 湯呑を低いテーブルに置く。そのタイミングを見計らっていたのだろう、冷たく乾いた声が投げ込まれてきた。

「目的はなんだ」

 ぞんざいな口調。あきらかに警戒している。

 原因はなんだろうか? よくわからない。というか出会ったばかりだしこちらとしてはいい印象も悪い印象も与えてないはずである。あんまり見すぎるのも失礼かと思って角から視線は外している。前もって素性を調べられていた? 俺だって本は数冊出してるがそんな攻撃的な内容でもなかったと思う。


 考えてもよくわかんなかったので正直に全部ぶちまけることにした。

「迷宮ってなんかおもしろそうだと思ったからです。冒険が好きなんですよ。誰もよくわかっていない空間なんてすっごくわくわくするじゃないですか。機会があるなら俺自身も入ってみたいですね。あとはまああんまり一般の人が立ち入らない場所なんで、いい感じのネタになりそうだなっていうライターとしての直感です」

 啓蒙だのなんだの一瞬ちらりと思い浮かんだがガラでもないのでやめておいた。

 沈黙。土川先生は口を真一文字に閉ざしたまま、こちらに視線を固定している。落ち着かない。威圧感がすごい。体と同じ巨大な雰囲気に押しつぶされそうだ。

 どれだけの時間そうしていたのかわからない。ふっと緊張が解ける。土川先生はにっと顔全体で緩ませていた。それから一気にお茶を飲み干して

「なんだ俺らと同類じゃねえか」

 と笑った。


 後になって聞いたことだが土川先生はその頃、迷宮に興味なんてないのに話としては受ける、あるいは迷宮にのめり込みすぎて変質したおかしな准教授がいる、といった理由で取材に来る連中にうんざりしていたそうだ。吉崎くんの紹介だから一応会ってやるが、そうしたつまらんライター風情だったら、適当に追っ払ってやろうと考えていたという。

 適当に表面だけ取り繕ったような理由を並べ立てなくてよかったとつくづく思った。

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