第26話 心の傷

 私は絶句した。まさか、あの『月虹のアイリス』は実話だったのだ。生々しい被害を受ける描写もフィクションじゃなかったのだ。私は腸が捩れるようなショックが広がった。

「こんな不細工のおっさんが耽美主義を気取った小説を書いて、女性の君なら気持ち悪いと思うだろう。いちばんショックだったのは蒼が書いた小説として発表されたときは、磐崎柚葉は激賞していたのに、僕が書いたと暴露されたときは、『四十過ぎのおっさんがあんな甘っちょろい小説を書いて幻滅した。読んだ時間を返せ。キモイ』と彼女がTwitterで炎上した一報を知ったときだった。別に僕は耽美主義を成相として、『月虹のアイリス』をそんなつもりで書いたんじゃない。僕の溢れ出てくる心の闇を光にしたくて泣きながら書いたんだ」

 大御所作家の磐崎柚葉が『キモイ』という言葉を軽々しくTwitterで呟いたときは、正直驚きを隠せなかった。Twitterで人を救う、ボカロ歌い手のような人もいれば、彼女のように文章を専門に仕事にしているプロがその呟きで、相手がどう思うか、想像できない人もいるのだ。磐崎柚葉を私はファンだった。流麗な彼女の作品に惚れていた。それなのに彼女はあっさりと軽はずみで呟いた。

「何十年もかかったんだよ。トラウマを昇華するのに醜いと磐崎柚葉が言うような、醜悪な中年男になるまでずっと抱えてきたんだ」

 「磐崎柚葉に私は選評で酷評されました」

「あの酷評はちょっとひどすぎる」

 浩二さんは適格な優しさで私の心の傷を導いてくれた。私はそれ以来、磐崎柚葉の小説を全て処分した。怖かったから私はブックオフで売った。

 本当は炎で燃やしたいくらい、つらかったのに本を燃やすなんていう非道な振る舞いはできなかった。だから、ブックオフで売った。ブックオフでは平積みにされていた私の受賞作もあった。私は私の作品をゴミだと思った。

「出版パーティーのとき、私は自分の障害をカミングアウトしたんです。そして、選考委員の一人が『発達障害の人は小説を読む資格は最初からないんだよ』と怒鳴ったんです」

 私って愚かだった。

「文壇は発達障害の人を化け物のように言うんですね……。空気の読めない、化け物って。感性がない化け物って。文芸評論家からも同じようなことを言われました。死んだほうがいい命ってあるんですね。発達障害の私とか」

 私が媚びるように言った一言に浩二さんの眼が光った。

「違う!」

 浩二さんの優しい罵声が硝子ショップに響いた。

「死んでいい命なんてない。感性がない人もいない」

 私はそれを言って欲しかったのだ。本当に。

「もう、お開きしないと間に合わないよ」

 ミツルが硝子ショップの品物の栞を購入しながら言う。

「早く、東京へ。前へ向かないと」

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