第24話 思想犯
浩二さんの息が乱れている。
「どんなに無名の人の作品であっても、自分の面白いという感性に忠実な僕でいたいね」
私はまだ、張りぼての名誉心に神隠しに遭っている。
「浩二さんは強いですね」
私は吐息が乱れていないのに気付いた。
「私はまだ文学賞とか、名誉心とか、最年少作家とか、そんなちっぽけな看板にぶら下がっていますよ。最年少作家は更新できないって、どうでもいい、虚栄心にしがみ付いて、誰のために書いていたのか、本来の楽しみを忘れていたんです」
「5ちゃんねるに京アニ事件の犯人のことが話題になっていたんだけど」
浩二さんはまるで、かつての打ちひしがれた自分自身を雨宿りさせるように小さく言った。
「あの犯人は僕だと思ったよ。なかなか芽が出ない滑稽な僕だ。彼は僕だと思った。自己顕示が強い僕だと思った。その頃に蒼が『月虹のアイリス』で受賞して、虚栄心だけが大きくなるのをある意味、皮肉なことに阻んでくれた。自分の小説であって、自分の小説ではない。その事実の残酷さに。そのブレーキのおかげで僕は他者を見下さずに済んだ」
私はあの犯人の思想犯が他人事じゃなかった。まるで、罵倒され、下手糞な絶望に酔ったかつての私だった。私の中にも彼のような鬼は潜んでいるだろう。誰かに褒められてほしくて、受賞歴が欲しくて、蟻地獄のような見栄や承認欲求だけが穴の中についには落ちてしまった。
「もちろん、彼がやった罪はあまりにも重い。取り返しのつかない罪だ。同様にその嘘を文芸誌に発表した蒼は軽はずみとは言えぬほどの過ちを犯した」
私はどんなにひどい目にあっても、誰かの命を奪う過ちを起こせないだろう。どんなに世間の人が私を罵倒し、私から大事なものを奪っても、誰かの幸せをいくら妬んでも、その誰かの幸せを壊す苦行には耐えられない。
人の命の尊さを克明に描くのが文学であり、芸術ではないか。
「だから、5チャンネルの中で自分の才能のなさを嘆く名も無き僕のような人たちを僕は馬鹿にはしない」
どうなるのか、分からないのが人生じゃないか。
「私は結局、選ばれし者でもなく、社会のゴミだったんです」
だって、閉鎖病棟に入院したぼんくらだったんだからね。
「友里ちゃんはどうして、そう思うの?」
ミツルが激論の中に入り込んだ。
「誰だって心を病むことなんてあるじゃないか。ないやつなんていないよ」
自分の才能に馬鹿、とレッテルを張られた私。
「磐崎柚葉は、私のことを選評で『幸せいっぱいで生きてきた人の書く文章』と評して、私は幸せいっぱいじゃない、不幸いっぱいの人生を送る羽目になったけど」
「選評であっても人間性までも全否定する作家なんて駄目だよ」
ミツルは静かに怒っていた。
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