第23話 本当の感動

「プロになると僕は努力を怠るようになった。かつての僕のように辞書や歳時記を読み込むとか、名作を写経するとか。自分の才能に自惚れて、ホストやホステスにはまって大金を使い果たし、先生、先生、と呼ばれるのが当然だと勘違いして、弱者に対して『死を呪う命令形』なんて作中で簡単に言い切る、精神的に追い込まれた方もいた」

 浩二さんの熱弁。

「国語便覧に載るのが果たして、読者から支持されているのだろうか? 便覧に乗るだけが文学の最終目標ではあるまいよね。人間性を落としてまで、高慢になって、賞レースに翻弄されて、芥川賞最年少作家になって、あのナチスを美化して、それが文学だと言えるだろうか?」

 きっと、『盗人たち』の件が頭にあったのだろう。

「文豪はきっと、読者が作るものなんじゃないかな。賞レースや名誉で支持される存在じゃなくて、名も無き人たちが心から感銘を受けて、文豪は生まれるんだよ。宮沢賢治も生涯日の目を見なかったけど、賢治が死んだ後で、賢治が残した作品をお父さんが見出して、賢治は文豪になったんだ」

 賞レースから外れた私は、大御所作家の人たちが言う、駄作の愚か者だった。才能なんて木の葉のようで、すぐに枯れ果てて、腐葉土にさえ、なれない私のゴミ作品だった。一部の人から駄目出しを決定打にされ、誰に届けたいか、分からなくなったキリストも驚く、迷える子羊だった。

「今の文壇は最年少作家に拘り過ぎている」

 最年少作家だった私も妙な意味合いで同感だった。

「どんな年齢になってもどの年代なりの唯一無二の言葉があるのに、ある程度年を重ねたら有象無象の言葉だとぼやいている」

 最年少作家はただでさえ、ちやほやされる。あられないほどにその痛覚は染みていく。

「名画の世界だけどね」

 浩二さん、大丈夫かな、と思う。

「フェルメールの幻の名画として、ナチスを騙した贋作作家のメールヘンは六十四億円を騙した。写実的な才能に恵まれたにもかかわらず、時代の潮流に取り残されたメールヘンは食い扶持を得るため、名画の修復師となった。彼は才能を認めず、手のひらを返したように罵倒した美術界に復讐するため、フェルメールの贋作を売りさばくようになった」

 私は覚悟して、聞いた。

「何が言いたいと思う?」

 分かっている。名誉や文学賞という箔にぶら下がっているという、哀しい現実に。

「結局、メールヘンに騙された美術商や評論家たちは、フェルメールの作品に価値を見出したのではなく、フェルメールの名前だけを評価したんだ。名誉やステータスという看板を評価し、本当の感動を木端微塵に破壊したんだよ。本当に自分が感動したかではなくて、他者が選んだ評価表の一員に行列しただけだった」

 芥川賞最年少作家、という肩書に惑わされて、本物を見失ったかつての私のように人間は自分が感動したか、という基準に圧倒的な自信がないから、文学賞とか、ベストセラー作品かどうかとか、そんな型にはまった、他人が評価した美しさにしがみ付くんだろう。無名だろうが、自分が好きならば、それでいいのに、文学賞や評論家の絶賛に弱い私たち。

「本当の感動って何だろうね」

 

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