第20話 絶版
「甥っ子の蒼は東京の名門校に通うエリートだった。男子名門校に通っていた蒼がまさか、そんな猿真似をしたなんて、最初は俄かに信じられなかったけど、大御所作家から選評で『圧倒的な文才』とか、『三島由紀夫以来の筆力』とか、『圧巻な少年の憂愁』とか、『迫力あるサウタージ』とか、大絶賛の嵐に僕自身も酔いしれたんだ。このまま、彼の名のもとにお蔵入りした作品が脚光を浴びて、蒼の名前で評価されたら僕の苦労も報われると思ったんだ」
新倉蒼は男子名門校に今でも通っているのだ。十八歳になった現在もまた、高校生活を送っている。この盗作疑惑について明るみになると、その男子校を長期休学している、という、ネットニュースの風の便りで聞いた。
「蒼が入選したと知ったとき、僕はこのまま二人でゴーストライターをやって世間を欺いてやろうと思ったんだ。僕の才能を認めなかった世間を裏切ってやろうと思わない自分もいた。正直なところ、あまりにも展開が急激で隠すほうが必死だったんだ。ばれる心配は不自然になかった。本当は、蒼が書いた小説で僕はただの下僕だったんじゃないか、とも駆られた。それくらい、『月虹のアイリス』の作者はZ世代の蒼が相応しかった」
「私はギリギリZ世代じゃないですけど」
私の本音が口から出まかせに出没した。
「私より一歳下がZ世代なんですよ」
浩二さんは草臥れたように硝子のコップを拭いている。
「蒼さんはどうなんですか」
言ってはならない禁句が飛び交った。
「蒼は長期欠席している。課題は学校が特別に用意した。何とか卒業はできるみたいだ。ただ、大学側はどこも蒼を受け入れようとしないらしい。推薦入試は絶対に無理だし、どこの大学も蒼の入学を拒否している」
新倉蒼のあまりにものの変貌に私は唖然となった。
「芥川賞最年少作家が幻だったと判明したからね。嘘で塗り固めても後でばれるように世の中はなっているんだよ」
「私は感動したんですよ」
いつの間にか、私は鬱屈とした感涙に駆られている。
「月虹のアイリスの壮絶なまでの少年の悲哀と哀惜に私は胸倉を掴まれたなんですよ。本当に感動したんです。十四歳の少年が書いたから感動したんじゃなくて、浩二さんの小説に感動したんです。年齢なんて関係ないんです。百歳が書こうが、十歳が書こうが、私には浩二さんの『月虹のアイリス』に感銘を受けたんです。年齢なんて凌駕するほど、素晴らしかった」
私の薄汚い本音だった。作者相手にこうやって、本音をぶちまけるくらい、私は凡愚だったのだ。才能のない私は大御所作家の差別表現に食って掛かるくらい、怖いもの知らずで、負け犬の遠吠えで、大手出版社の電話にも抗議してしまうくらい、私は情けなかった。
月虹のアイリスが絶版になったとニュースで流れたとき、私は敬想社に一読者として、電話をかけて『どうか、絶版にしないでくれ』と哀訴した。しつこいくらい、懇願したけど、それ以上の『美少年だと思って買ったのに嘘つき』と言った類の内容の抗議に敬想社は首が折れ、『月虹のアイリス』はついに絶版になってしまった。
私は作者が変わっても、絶版になってほしくはなかった。それほどまでに私の人生の影響を変えた一流の本だったからだ。
「頼もしいな。僕が書いたと分かって離れた読者もたくさんいたのに君はそれほどまでに好きだったんだ」
浩二さんの眼は曇っていた。
「美少年が執筆した作品だと思って高い金を払って買ったのに嘘つき、と今でもうちの硝子ショップに電話がかかってくるよ。自業自得だけど、何度も続くとしんどいよね」
浩二さんは首を振りながら自分自身を諫めるように言う。
「私は美少年だからこの小説を読む、という読者のほうが間違っていると思います。小説に作者の内情なんてどうでもいいんです。小説はあくまでも作品の質で勝負なんですよ」
それは私の持論でもあった。
「作者の経歴は後付けなんです。夏目漱石も、太宰治も、川端康成も、三島由紀夫も。本人の人生の有無より、小説は内容なんです」
当たり障りのない評論をさも正しいかのように述べた私。偉そうに文豪の名前を並べた私。
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