神谷冬子 前編
神谷冬子は駅前のベンチに座った。膝の上にバックをのせると、ベンチに背をあずけてぼんやりと改札を見る。青い空と裏腹に冬子の心情は曇り気味。不意に溜息が漏れた。スーツ姿の女性がベンチで溜息をついている姿など珍しくもない。冬子の前を通り過ぎる人々は冬子へ目を向ける事すらしなかった。
ついさっきまで就職をかけた面接をしてもらっていた。時間にして三十分程度。手応えはない。面接官の雰囲気は決して好印象ではなかった。それだけを感じて面接を終える事になった。結果は不採用だろう。スマートフォンのメールボックスには似たようなメールが何件かある。
「上手く行かないな・・・。私が就職なんて無理だったのかな。」
呟いた声は風に流されて消えていった。普段の冬子はあまり凹まない。だけど、最近口から出てくる言葉は弱気な言葉ばかりだ。きっと不採用が続いいるからだろう。
神谷冬子は先月誕生日を向かえて26歳になったばかり。大学へ進学するために秋田から上京してきた。なんとなく行った大学でやりたい職業を探したのだが、何にも興味をもつ事なく四年間を終えてしまった。就活も皆がやっていたからなんとなくやった。その結果は内定無しで、これでは生活に困ると、在学中から続けていた飲食店バイトのシフトを増やして生活していた。言わばフリーターである。一流大学でもなかったのでバイト先の人達も特に驚く事はなかった。
フリーター生活もズルズルと四年になってしまった。出世が早い同級生は冬子の稼ぎの倍近く給料をもらっている。他にも、結婚して子供を産んだ友達だっている。世間話程度の話ではあるが、聞く度に思うのだ。もはや住む世界が変わってきたんだと。違う世界だと思いつつも、私はこのままで良いのかと気持ちが急いてしまう。
悩んだ末にようやく重い腰を上げて就職活動を始めた。
結果としては今のところの溜め息しか出ない。結果を受けて毎回凹まされておしまいだ。それでも、自分の悪い所を指摘してくれるのならば次に繋がるのだろうが、どの企業もそれほど優しくはない。通知は至ってシンプル。この度は希望に添えない、文面に差こそあれど皆同じような内容である。
冬子は力なく立ち上がって改札を通ってホームに上がった。電車の到着時刻までには時間がある。何気なしに周囲を見渡すと笑顔で会話をしている親子がいた。母と娘。一目で仲の良さがわかる。普段の冬子ならばきっと微笑ましい光景に頬を緩めるのだろう。以前は私もお母さんと仲良かったのに、五年が随分遠く感じられた。
大学を卒業してフリーターになった頃から、安定した仕事に付きなさい、公務員や大手の会社員の人探したら、母は話をする度に同じような事しか言わなくなってしまった。そんな耳の痛い話なんて何度も聞きたくない。だけど、心配してくれている事が分かっているので邪険にする訳にもいかない。冬子は次第に母と距離をとるようになった。今では年に二度か三度しか連絡をとらない。それも、メールだけ。電話なんてしない。
冬子は立ったまましばらく待った。すると、電車が参ります・・・ホームに聞き慣れたアナウンスが流れる。程なく走ってきた車両が規定の場所で停車した。冬子はドアの前を避けて車両に近寄る。ドアが開く。降車する人達。だがその数は少なかい。降車する人が途切れたのを見て冬子は車両へ入った。そもそも人の数が少なく、座席には空席が目立つ。両隣に誰もいない場所を選んで着席した。
何を見るわけでもなく、冬子は最寄り駅まで流れる空ををながめていた。だが、心ここにあらず。空ではない何かをながめていたんだと思う。空の色も、雲の形も覚えていない。
ボーッと座っていた冬子。最寄り駅の名がアナウンスされた事で我に返った。いつの間にか十数分も経過していたらしい。いつの間にかこの車両の中には冬子だけになっていた。電車が速度を落とす。すぐに窓から見える景色が駅のホームになる。車両のドアが開いた。冬子は憂鬱を抱えた重い足取りでホームへ下りた。
家までは改札を出て徒歩で十五分。歩ける距離だけど近くは無い。今日はその距離がやけに遠く感じる。
駅前商店街は今日も賑わっている。買い物をしている主婦や下校中の学生の姿。その中をスーツ姿の冬子は歩く。気分が憂鬱な冬子には商店街の賑わいが煩わしく感じた。商店街を抜けてすぐ冬子が立ち止まった。小さな看板が目についたのだ。その看板は飲食店のものだ。バイト終に通る時はいつも遅い時間で、こんな所に飲食店があったとは思っていなかった。外観から洋食店だと分かる。店前に並べられた看板にはカフェの文字とオススメ料理の記載があった。
そう言えば、朝食をとったきり何も口にしてない。
気分が凹んでいるせいで空腹感は無いけれど、何かしら食べたい気分ではある。本来ならばヤケ食いしたい。しかし、残念ながら冬子は食が細い。看板を見て悩む。食べるならば家に帰ってからでも良いのではないかと。コンビニやデリバリーが脳裏によぎる。だが、それを脳内で否定した。いつでも食べれる物を今選ぶ必要はない。それに、この凹んだ気分をどうにかしたい。少しでも美味しいものを食べればこの鬱陶しい気分も少しは晴れるかもしれない。
看板を見て足を止めた時から、冬子の美味しい物センサーがこの店が良いと示している。好みの味だった確率は五割程度だが、この店はハズレではないと美味しい物センサーが反応を示していた。
冬子は一つ息を吐いた。何故息をはいたのか?だって初めて入る店ってなんだか緊張するじゃない。
冬子は店のドアを開けた。
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