加藤洋次 前編
店のドアを開けると鈴の音が聞こえた。いらっしゃいませ、小柄な女性店員がすぐに対応してくれた。
「予約していた加藤です。」
予約名を告げると女性店員が予約帳を確認する。すぐに名前を見つけたらしく。
「ご予約の加藤様ですね、承っております。こちらへどうぞ。」
加藤洋次は女性店員に案内されてテーブル席に座った。そして、持っていたカバンを荷物カゴの中に入れた。
「こちらがメニューです。注文が決まりましたらお声がけ下さい。」
洋次は差し出されたメニューを受け取って感謝の言葉を伝えた。
本日の予約は二人。まだ来ていない相手は、知人の紹介で知り合った中澤麗美。ギャル風の派手な服装を好んで着ている彼女だが、話してみるとしっかり自分の考えを持った大人の女性で、明るく話しやすい雰囲気と屈託のない笑顔に洋次は惹かれた。
洋次は麗美に話したくて何度も連絡した。中澤麗美も洋次の事を気に入ってくれたらしく、何度も二人で会ってくれた。紹介されてから数ヶ月、二人の距離は近くなった。
そして今日、加藤洋次は中澤麗美に交際を申し込もうと考えている。
要件を終えた女性店員が立ち去ろうとしている。その女性店員を呼び止めた。
「お水をいただけますか。」
まだ姿を見ていない麗美にどんな言葉で気持ちを伝えればいいのか、そう考えるだけで喉が乾いた。気持ちがソワソワしている。緊張しているのだ。
「かしこまりました。」
女性店員はそれだけ告げて立ち去った。
隣の席ではカップルが食事をしている。女性がチキンソテーを口に運んだ。人の食事風景をジロジロ見るものではないと思っていたが、視界の端のに嬉しそうな女性の笑顔が見えた。
女性店員が水が入ったグラスをテーブルに置いた。そして、ニコリと笑って立ち去った。対応が早い、洋次は素直に関心した。水を喉に流し込む。冷たい物が喉を通る感覚が心地よい。
その時だった。ジャケットの胸ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。取り出して画面を見るとメッセージの受信があった。
「電車が遅延してるので遅れてます。ごめんなさい。」
それは中澤麗美からだった。彼女らしく絵文字が使われたメッセージ。洋次は返信する文字を入力した。
「気を付けて来て下さい。」
それからすぐにスマートフォンが震えた。画面に麗美からの追加メッセージが表記された。
「待たなくていいので先に飲んでいて下さい。」
二人で会う時は食事、飲みがメインだ。今日予約したこのビストロは麗美も来たことがある。洋次が飲みたい気分なんだと思っているに違いない。麗美の気遣いを感じた洋次はどうするか迷った。だけど、麗美の気遣いを無下にもしたくないと思ってメニューに手を伸ばした。
メニューに一通り目を通した。ある程度好みを絞り込んで店員に合図を送る。入店する時に対応してくれた女性店員が来てくれた。
「ご注文お決まりですか?」
「はい。えーと、スペイン風オムレツ、エビのアヒージョとバケット。それと、白ワインのグラスを。お願いします。」
女性店員は洋次の注文を復唱して、間違いがない事を確認してキッチンへ向かった。
すぐに白のグラスワインが運ばれて来た。
洋次は麗美に伝えるべき自分の気持ちを言葉にできていない。早く言葉を探さないと麗美が来てしまう。急く気持ちを落ち着けようと白ワインを飲んだ。
美味しいワインだ。果実味が強いけれど、故にスッキリしていて飲みやすい。この味が自分の好みなんだろう。ワインはブドウの品種や原産国でだいぶ味に差があるらしいから、後で店員に聞いてみよう。
ジャンルは分からないが、店内はゆったりした音楽が流れている。居心地のいい空間の演出なのだろう。眼の前に並べられたエビのアヒージョとバケット。そして、スペイン風オムレツ。エビのアヒージョのオイルがグツグツと熱さを演出し、ガーリックの香りが鼻を刺激した。美味しそうな香りと見た目。まだ食べていなくとも唾液が溢れ出す。
洋次はグツグツ煮えたぎるオイルの中にいるエビにフォークを刺した。弾力からそのエビがプリプリである事が分かる。口に運ぶと適度な塩気とガーリックオイルの風味が口の中に広がった。バケットにガーリックオイルを浸けて食べる。それもまた美味。
白ワインを一口。スッキリした味わいが口の中をリセットしてくれた。
次は丸形のスペイン風オムレツにフォークを伸ばす。まずは半分に割ってみる。中は半熟でトロトロ。何か具材が入っているけれど、見た目では判別できない。フォークで上手く取って口に運んだ。オムレツの中にホクホクの芋が入っている。芋の甘味がシンプルなオムレツに味の奥行きをプラスしている。これも素直に美味しい。
再びワインを飲んだ。二品共このグラスワインによく合う。そして、エビのアヒージョとスペイン風オムレツを普通に楽しんだ。
スペイン風オムレツを半分程食べた頃、麗美に伝えるべき言葉を考え始める。自分の思いを言葉にするのは非常に難しい。普段使わない頭を使っているせいか、非常に喉が乾いた。喉の乾きを感じる度に白ワインで喉を潤す。
別の事に気を取られているせいだろうか、数分前と違って味がしない。美味しい白ワインのはずだけど、喉を潤すだけならば水と変わらない。
考えてみたものの、隣の席で食事をしていたカップルがボロネーゼを食べ終えても告白の言葉は決まらなかった。洋次は頭の中に浮かんでくる言葉を何らかの理由をつけて否定し、除去し続けた。思考が迷走し始めている。
いつの間にかグラスの中にが空になっていた。洋次は女性店員を呼んで白ワインのグラスを追加した。
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