第11話

私の父は処女作で大きく取り上げられ、一躍有名になったらしい。

何故そんなに有名になったのかというと、若干17歳という若さだったからだ。

都内の進学校に通う、眉目秀麗の少年にマスコミは一気に話題性を求め沸き立った。話題性だけを元に、父の作品の中身にはあまり触れられることはなかった。

というのも、40過ぎの主婦のどろどろとした不倫を主題にしていた作品だったので、どうしてそんな主題の作品を一介の高校生が書いたのか、父の歩んできた人生に興味を持つにもわざと避けているような風潮だったそうだ。

と、当時、こっそり父のおっかけをしていた他校の生徒だった母が教えてくれた。

母はおっかけをしながらも、父の迷惑にならないように敢えて接触はしないようにしていたそうだ。父の基盤となる家族構成を知ろうと嗅ぎまわるマスコミが出てくるようならば、火の粉が掛らないよう、母が事前に根回しをして回避させていたらしい。どんな根回しをしたのか怖くて訊けないが、母は自信満々に自分の所業をまだ幼い私に滔々と聞かせた。

どんな関りがあったのか知らないが、最終的に父と母は結婚し、私が産まれた。

父は高校を卒業し、大学には進学せず専業作家となった。だけど、処女作ほどの売り上げも話題性もそこから出ることもなく、いつも和室の長机に向かいながらぼーっと窓からの景色か競馬新聞を眺めていた。

普段から母が三つくらいのパートを掛け持ちをして生活費を稼いでいた。父の処女作の印税の恩恵も数年しか持たなかった。そんな微動だにしない父の背中を見つめながら、幼少時の私はおもちゃで遊んだり絵を描いたりして過ごした。

父ばかりお迎えに行くと、嫌な噂が立つと、父は私が幼稚園や保育園へ通うことを渋った。だから、私はずっと動かない父と二人で過ごしていた。

たまに父はふらっと私の手を掴んで競馬場へ連れて行ってくれた。馬に興味はなかったが、父と電車に乗れるのも楽しかったし、競馬場で食べるポップコーンが凄く美味しかった。

普段はあまりしゃべらない父だが、競馬場で新聞を握りしめながら叫ぶ父の姿は異様にも思えた。大体、レースが終わると悔しそうに馬券をびりびりに破りてていたが、どこか憑き物が落ちたように父の顔は穏やかだった。


そんな時、父は一人であるところに出掛けるから家で待っているよう言った。

父の横で、母は何か苦しそうに俯いていた。

その日、母はパートが休みだったのか、私と一緒にいてくれた。母は朝から、お父さんの好物の肉じゃがとポトフを作りましょうと張り切っていた。

両方、じゃがいもだよ?と私が言うと、お父さんは野菜はじゃがいもくらいしか食べてくれないからと言った。

夕方頃、父が帰ってきた。私が玄関まで走っていくと、父の口元は切れて血が滲んでいた。目元も少し腫れている。

お父さん、怪我してるの?痛いの?

大丈夫、痛くないよ。これで、あいつらとは縁が切れた。

母はエプロンで手を拭きながら父の元へ走ってきた。

幸枝、安心しなさい。あいつらから手切れ金を貰ってきた。家の相続にも一切関与しないことと駒にも一切干渉しないことを約束させたから。

母は目元をぎゅっと力を入れ、そのまま父に抱き着いた。私も、同じことをすればいいのだと父の腰のあたりに抱き着いた。

父はいててと少し痛そうに声を上げながらも、優しそうに微笑んでいた。


父の家は代々医者の家系で、父は長男だった。

将来は、父が医者になることは必然だった。だけど、父は小さい頃から文学に傾倒し、将来は作家になりたいと思っていた。もちろん、そんな願いを両親、私からしたら祖父母が許してくれるはずもなく、医学部に通わなければ勘当だと言われ続けていた。

それならば、それならば文学賞を受賞して、世間に自分の存在を知らしめればいい。

文学は好きだった。だから、中学の時から書いて書いて書きまくって応募した。

いつからか、文学を愛する感情が、文学が両親から逃げるために武器にすり替わっていた。

17歳で有言実行を果たしたが、その事実を知り、愕然とした。

父の名前―――矢代澄夫の名が世間に知り渡り、もちろん医者の家系であることも露呈した。しかも、書き上げた内容が内容で、どんな教育を施されてきたのか訝しるマスコミも出てきた。祖父母は一切関与しないこと、沈黙を貫いた。そして、勘当して欲しい旨も告げた。最初は渋々了承していたが、父が結婚し、私が産まれると祖父母は私を欲しがるようになった。

父がほとんど売れていないことも知っていたし、母に生活すべてを頼っていることも知っていた。金銭援助をする代わりに、私を矢代家の跡取りとして教育するという条件を突き付けてきた。

父は抗い続けた。自分はその道から逃げたのに、娘にその枷を背負わせることなど出来ないと。私は覚えていなかったが、父が私を置いて少し出掛けた時、祖母が私をお菓子でつって連れていきかけたことがあったらしい。

それから、父も母もけして私を一人にしようとはしなかった。

私の知らぬ間に、父と祖父母の攻防戦が続いていたらしい。だけど、その干渉が一切なくなったと、父は話していた。

これで怯えることなく、三人で穏やかに過ごせるんだ。そう思った。

そう思った矢先に、父は酒に酔って川に落ちて死んだ。


父の信奉者である母は毎日号泣していた。母は父を愛していた。それは確かだったが、神を崇めるがごとく、光を仰ぐがごとく、敬虔な徒であった。

父の葬式は近くの公民館で行った。だけど、編集者が数人来ただけで、ほとんど弔問に訪れる人はいなかった。縁を切った祖父母らしき人たちも姿を見せなかった。

母は打ちひしがれて、喪主の椅子に座っていられなくなった。母は家に一足先に戻ってもらうことになり、私一人だけそこに座り続けた。

日も暮れて、空気が冷たくなる頃、ある男性が息を切らして会場に飛び込んできた。

髪を振り乱し、スーツやシャツもしわしわだった。

「矢代―――!」

両目に涙を溜めながら、その人は父の棺に飛びついた。

「すまなかった、気づかなくて、すまなかった―――」

横に座る私に気付いていないのか、その人は人目をはばからず泣き続けた。

ふと、顔を上げて、私の方へ目をやると驚いたようだった。

「君は……矢代の、娘さんか?」

「はい、矢代駒です」

そう答えると、その人は優しそうに微笑むと目を細めた。

「そうか、君が。矢代からの手紙で結婚して娘が産まれたと聞いていたが、店が忙してなかなか会いに行けなかった。いや、店が忙しすぎてというのは、言い訳にしかならないな。唯一無二の友人に、何年も理由をつけて会いに行かなかった私の過失だ」

「おじさんは、誰?」

「私か?私は、金剛孝文。矢代澄夫の中学時代からの友人だ。物言わぬ姿になってから会いに来るだなんて、今頃遅すぎると常世で怒っているに違いないな……」

自責に念にかられているのか、顔を歪めながら孝文さんは低い声でふふふと口にした。

「そういえば、奥さんの幸枝さんは?」

「母は、体調が優れないので、今は家で横になっています」

「そうか……今、挨拶に行くのは憚れるな。日を改めて、またこちらに来るようにしよう」

孝文さんはよいしょ、と声を掛けて立ち上がった。

「……駒ちゃん、コロッケやメンチカツとかは好きかな?」

大好物だ。ただ、揚げ物は時間も手間も掛かるので、ここ最近は食べられていなかった。

私は小さく頷くと、孝文さんは安心したように息を吐いた。

「良かった……おじさんはね、コロッケやメンチカツ、あとはポテトサラダとかを手作りしてお店で売っているんだ。今度、出来立てを持ってくるよ。幸枝さんと三人で一緒に食べよう」

孝文さんの言葉に、私は何度も頷いた。その仕草に孝文さんは安心したようににっこりと笑みを浮かべた。


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