第6話

イヤホンから流れる楽曲に友喜は、体を揺らしながら聴いている。

「【この空の果て】、いいじゃん。多聞にしちゃ、何か振り切ったような明るさのある曲調だな。最近なんかあった?」

「……別に、何もねぇよ」

父が死に、母がいなくなり、残された店の経営を弟たちに押し付けて、理不尽な別れを突き付けた元カノは幸せを見つけて結婚する。自分の周りが劇的な変化を遂げているのは事実だが、何も変化をしていない自分に見切りをつけるため書き上げた曲でもあった。

「だってさ、いつもはこの世の不条理を謳うものとか多かったじゃん。珠里ちゃんと付き合っている時は少し明るい曲も作っていたけど」

友喜はイヤホンをこちらに渡すと、スマホを操作し始めた。

「じゃあ比呂と波木先輩にも曲送っとくな。多聞は今夜はバイト?」

「ちょっと仮眠してからバイト。友喜は明日は出張?」

「そうそう、ちょっと千葉の方まで出張なんだよ。でもまぁ、帰りに美味しい海鮮丼でも食べてくるし。大変だけど、色々なもの食せるのが楽しみなんだよね」

友喜は医療機器メーカーの営業職に就いている。出張も多く、残業も多い職種なのに週末はバンドの集まりに顔を出してくれる。

バンド名はジークエンド。ドイツ語のエンドジーク〈究極の勝利〉から名付けた。俺はギターとボーカル担当、友喜はギター、比呂はベースで一つ上の波木先輩はドラムを担当している。俺と友喜は小学校からの友達で、比呂と波木先輩は高校で知り合った。

思えば、小学校入学当初から澤村友喜は馴れ馴れしく話しかけてきた。

「ねぇ、こんごうたもんって本名?凄いね、神様みたい」

いや、神様じゃなくて仏様な、とつっこみを入れたがったが、目を輝かせて話しかけてきた友喜に何も言えなかった。その時に俺はすでに惣菜屋の息子として生を受けたことを何よりの恥として認識していて、自分自身の未来を描けない境遇に打ちひしがれていた。自分の意見もまともに持てない兄に、何を考えているのわからない胡散臭い弟に挟まれて、何て俺は不幸なんだろうと勝手に悲劇のヒロイン、いや、ヒーローのまま鈍色の小学生時代の幕開けを享受するしかなかった。

俺は何の返事もしないまま、友喜とは別れた。まさか、そんな塩対応されるとは思わなかった友喜はしばらくそのまま教室の前に固まっていた。

友達になれるかもしれなかったのに、俺はそのきっかけを自ら放棄してしまった。

明日から、何て愛想のない同級生だろうと一年生の内から揶揄されて遠巻きにされていずれは仲間外れにされていくのだろうと、俺は大きなランドセルを背負いながら重い足取りで教室に向かった。

「あー来た来たこんごうくん!一緒にサッカーしようよ」

教室に入ると、昨日と同じように目を輝かせながら友喜が話しかけてきた。友喜の周りにはすでにたくさんの同級生が囲んでいた。友達作りの天才の友喜は、昨日のそっけない対応など意に介さないようだった。

「……うん、やりたい!」

その日から俺は友喜とよく一緒に過ごすようになった。クラスが違っても、放課後には友喜の家に行ったり、近くの公園で遊んだりしていた。

友喜は中学の時に俺が髪色を変えたり、指導室に呼ばれたりしてクラスメイトが遠巻きになろうとも対応は変わらなかった。一緒に音楽を聴いて映画を観てバカ騒ぎをして、今年24にもなろうとしているのにいつまでも傍にいてくれた。

「……そいや昭乃は元気?」

「昭乃?うん、元気だよ。でも忙しすぎてあまり家に帰ってこないな。たまに帰ってきてもずっと部屋で寝たりしてるから、互いに顔を合わせていないことの方が多いかも」

わはは、と笑いながら友喜は言った。

昭乃は友喜と同じ高校の同級生で二人は高校の時から付き合っている。昭乃はアニメや漫画が好きで、専門学校を経てアニメーターとして活躍している。ただ仕事がかなり忙しいようで会社に泊まり込むことも多く、数か月前に会った時はかなり頬がこけてげっそりとしていた。友喜が心配して同棲することになったらしいが、一緒に食卓を囲むことがほとんどないらしい。だけど、ひとつ屋根の下にいると感じるだけで友喜はとても幸せそうだ。

「友喜はさ、昭乃と結婚とか考えてねぇの?もう付き合って七年くらいじゃん?」

珠里の結婚の話を先日聞いたばかりで、女性は早く結婚して安定したいという欲が男性よりも強いものかと実感した。

だが、目の前の友喜はうーん、と腕組みをして考え込んでいた。

「現に一緒に暮らしてるし、二人とも仕事で忙しいし現状維持でもいいんじゃないかなぁと思うんだよね。あと、永すぎた春ってわけじゃないけど、今更籍を入れたところで何が変わるわけでもないし新鮮味もないし。女性は結婚すると色々と手続しなきゃいけないからかなり手間じゃん。今のところメリットを感じないんだよね」

小学生の頃から友喜は近所の子供たちにも人気だったし、本人も楽しそうだった。多分、結婚して子供が出来たらいい父親になるだろう。

比呂は市役所に勤務していて、波木先輩は実家の酒屋を継いで今や一児の父親だ。二人とも忙しいのに、宙ぶらりんのまま音楽を続けている俺に付き合ってくれているような気がして心苦しい。

だから、誰かが辞めたいと話してくれれば俺はジークエンドを続ける気はなく解散しようと思っている。いや、むしろ、誰かがこの辺でそろそろ現実を見ようぜと話してくれれば辞めるきっかけになるのに、とも思っている。


出勤10分前にコンビニの更衣室に入ると、見知った顔に遭遇した。

「……あれ、もしかして角谷さん?」

恐る恐る声を掛けると、相手はゆっくりとこちらを振り返った。前のように化粧気はなく、しわやたるみが更に年齢不詳にさせているくらいに老け込んでいた。

「多聞ちゃん?やだぁ久しぶりね。元気そうね」

「角谷さんこそ、お孫さんが産まれるから日勤に戻ったんじゃなかったでしたっけ?」

角谷さんは俺が高校の時からバイトしているこのコンビニのお局的な存在で、若くして配属されてきた店長よりも様々なところに目が届く仕事のできるパートさんだった。何でも旦那さんとは熟年離婚をし、娘と二人暮らしになったのを気に外に働きに出たらしかった。そして、娘が大学を卒業して就職したのを見届けるともっと給料の良い夜勤へとシフトを変えた。いずれは娘が結婚して孫を抱かせてもらうまではがっつり稼いで娘や孫のために使いたいと豪語していた。俺も一人暮らしなのを心配してか、よく出勤前にタッパに詰めたおかずをこっそりと貰っていた。普段食べない煮物などの和食が多く、とても有難かった。

数年後、念願叶って娘が結婚をし、孫が産まれるので日勤に変えると意気揚々と別れた。それから一年も経っていない内にこうして角谷さんと再会したというわけだ。

「……家から近いマンションを買ったみたいで、娘の旦那さんも商社勤務で育休なんか取れるわけもないし、私が色々手伝いに行くって言ったら娘も喜んでくれていたのよ。だけど何度か行くとすでに冷蔵庫に作り置きの料理がたくさん置いてあったり、部屋がきれいに整頓されていたりしてね。家事代行サービスを頼んだのかと思ったらそうでもなくて、旦那さんが私にあまり家に来て欲しくないみたいで義理のお母さんに来て貰っていたみたい。娘も申し訳なさそうにしてたけど、義理のお母さんの親切を無下に出来ないしね。だから前と同じように働くことにしたわ」

角谷さんはからからと笑いながら話していたが、その目には明らかに寂しげな光が宿っていた。

家族ために一生懸命に働いて家族のためにしようとしたことを拒まれることで、こんなにも憔悴してしまうものなのか。五十を過ぎての夜勤は並大抵のものではない。それに女性は家事育児ともろもろの仕事も付随してくる。それでも必死に働く角谷さんはとても幸せそうだった。

「多聞ちゃん、私は娘のために頑張ったことを後悔していない。結果はどうであれ、多聞ちゃんもああすれば良かったとか、過去の行いを後悔しないように生きなさいね」

さぁて働くか!と角谷さんは拳を振り上げながら店内へ向かった。

後悔、後悔しない人生を送れる人なんているんだろうかと心底思う。

嫌なものは嫌だと目を背けて生きてきた24年間は必ずしも周りの人からすれば褒められたものではないだろう。親不孝、兄弟不孝なんかと揶揄されるのがオチだ。

「それでも、すぐにはこの生き方を変えられるわけないしな……」

俺はふうと一息つくと、重い体に鞭を打ちながら店内へと向かう扉に手を掛けた。

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