第3話
「あー多聞ってそんな感じだよねー」
他人に自分のことを話すと、大体軽い調子でそんな答えが返ってくる。
俺は、へらっと笑いながら無言で煙草をふかす。
長男は不器用ながらも父に料理の腕を買われて跡取りとして安定し、三男は勉学に優れていることをひけらかすことなく選択肢の多い将来が安定し、何となくで生きてきた次男は仕事も人間関係も安定せず、いい年になっても先の分からない未来を何となく生きている。
ふと、目が覚めると昨日の服のまま布団に潜り込んでいたようで、ワイシャツに皺が寄っていた。もそもそと体を起こし、ワイシャツを脱いで、小型冷蔵庫を開けてミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。
ペットボトルを手に、窓を開けて外の空気を浴びた。二階建ての古びたアパートの一室から見下ろす世界は、昔自分が描いていた世界とはまるで違っていた。近所の野良猫同士が見合って威嚇している姿に、毎日同じ道をゆっくりとカート押しながら歩いているどこかの老人、隣の一軒家に住まう不登校の少年。
「おーい、恵太。またさぼりかよ?」
俺の声にびくっと体を震わせて、頭上を見上げる少年の目には怯えの光が宿っていた。
「さぼるなら、制服着ない方がいいんじゃねぇの?」
「―—―う、うるさい!」
恵太はそのままどこかに走って行ってしまった。金石恵太は塾を家族経営している金石家の次男坊で、俺と同じ、何物にもなれなかった中学生だ。いや、むしろ制服を着て毎日のように学校に行くように見せかけて近所の公園などをうろうろしているところは、俺よりもたちが悪いのかもしれない。
小学生の内は、楽しそうに友人たちと遊んでいるところを何度も見かけたことがあったが、中学生になってからは一人で帰ってくることが多く、友人たちと遊ぶこともなくなったようだった。
コンビニの夜勤終わりに、制服姿で公園のベンチに座っているところを何度も見かけたことがあるし、バンド仲間と打ち合わせした後に所在無さげにコンビニのイートインコーナーでぼんやりとしている姿も見かけたことがある。学校をサボりがちなことや、夜に家を抜け出していることを親は知らないはずはないだろう。承知の上で、どう対応したらいいのか分からずに放置しているのかもしれない。
俺は恵太のように親を困らせたりすることはなかった。別に、自慢することではないけれど、問題を起こすタイプではなかった。ただ、学校のルールは自分に合わないルールだったので、それは自分の思うがままにねじ曲げた。髪は染めたし、極力授業には出ていたが、あまりノートも取らなかったので成績は散々だった。
両親は、三者面談で今後の進路のことについて訊かれても「本人の意向に任せていますので」で終わり、偏差値が50にも満たない近所の県立高校を受験する日に、息子の進路を知るという徹底的に他人主義を貫く始末だった。
別に、自分は親から愛されていないんだ、と漫画でならここでぐれて不良グループとつるんだりするのかもしれない。単に、両親は「惣菜の金剛」の経営を守ることに手いっぱいで、一貫性のない行動をする息子の行動にまで意識が行き渡らなかったのだろうと今では思う。
親父は毎日遅くまでキッチンで何かを考えこんでいるようだったし、母はため息ばかりついて終始イライラしているようだった。まだ、祖父が生きている時に大人たちが話しているところをたまたま聞いたことがあった。親父は文学青年だったらしく、本当は大学の文学部に進んで研究をしたかったらしい。だが、祖父が長年の立ち仕事で腰を悪くし、願書を提出する前に親父の夢は頓挫した。祖母は父が小さい頃に病気で亡くなっていたらしく、祖父と親父とパートさんで店を営んでいたようだった。
そんな親父は兄貴に店を継いでほしいとは一言も口にしていない。兄貴は小さい頃から親父の料理する姿を目を輝かせて見ていたし、兄貴の夢が「惣菜の金剛」で働くことなんだろう。
広見はどう思っているかは知らないが、俺はやりたくないことはやりたくないし、親の夢を押し付けられて長年我慢して働いて、そのまま人生を終えるなんて考えるだけで吐き気がしてくる。
ふと時計を見ると、昼近くなっており、昨夜から何も腹に入れていないことに気が付いた。バイトの時間まで数時間あるので、今からシャワーを浴びて夕飯含めて飯を食いに行こうと思い立った。近くに安くて旨くてボリュームがある定食屋がある。家を出てこのアパートに越してきた時から通っている店だった。
「いらっしゃいませー!あら、たもっちゃん。帰ってきたの?」
「あーうん、昨夜帰ってきたわ。何かがっつりしたもん食べたいんだけど」
「あら、じゃあスタミナ定食食べてく?ご飯は大盛でいいのよね?」
「うん、頼むわ」
スタミナーおおもりーと定食屋のおばちゃんが厨房のおっちゃんに声をかけた。おっちゃんは寡黙であまり喋ることはないが、俺に気づくと、お疲れというようにこくっと頷いた。
カウンターの席が空いていたので座ると、カウンターの奥に見知った顔を見つけ息をのんだ。
「……珠里(じゅり)じゃねぇ?」
俺の声に、大口でとんかつを食べようとした顔がこちらを向いた。
太眉に長い黒髪を一つに結んで、黒ぶちの眼鏡をかけた女性が驚いた顔を見せている。
「多聞、くん?」
「うん、久しぶり。家、この辺だったっけ?」
珠里はそのまま大口でとんかつを放りこみ、むしゃむしゃと咀嚼し、飲み込んでからこちらに向き合った。
「2年ぶり、くらいだよね?家はちょっと離れているかな。久々に、このお店のご飯食べたくて来てみたの」
珠里は俺がバンドで慰問コンサートで訪れた介護施設で働いていた。俺の二つ上で、まだ施設に入ったばかりだったのかよく叱られて何度も頭を下げていた。だけど、じいちゃんばあちゃんたちからは大層な支持を受けていて、あちこちから珠里ちゃん珠里ちゃんと名前を呼ばれていた。
化粧気のない、地味女という印象だったが、今まで付き合ったことのタイプの女性で新鮮だなという理由で声を掛けた。珠里が休みの時や仕事終わりの時に一緒に映画に行ったり、ご飯を食べたりした。でも、俺も珠里も大して金がなかったせいか、珠里の家で珠里の作ってくれたご飯を二人で食べたりしていた。珠里はリクエストしたものは大抵作ってくれた。小さい頃から両親が共働きで、年の離れた妹と祖母の世話もしていたので、よく自分でご飯を作っていたらしい。
俺の実家が惣菜屋だと話すと、食べてみたいと話してはいたが、両親に紹介する間もなく別れた。純粋で、俺よりもなんぼか出来た人間の珠里に臆したというのが一番の理由だと思う。自分の思うままに生きていく、という同じ指標を辿っているはずなのに、珠里は眩しすぎた。
「珠里は、元気にしてる?まだあの施設で働いてんの?」
「うん、今年で3年目。多聞くんのバンドは?」
「まだ何とか細々と活動してるよ」
「良かった!また多聞くんの歌、聞きたいなぁって思ってたの」
珠里は笑顔でそう話した。あんたに飽きた、そんな酷い理由で別れを告げたのに、何でこんな笑顔で受け答えしてくれるんだろう。
「あ、あとね、私ね、今度結婚することになったの」
「……へぇ、良かったじゃん。年上?」
「うん、一つ上の、同じ施設に働いている人。多聞くんと違ってお腹とか大分でちゃったりしてるけど、とても優しい人なの」
「良かった。幸せになれよ。じゃあ結婚祝いに、今日は俺が奢るよ」
「え?悪いよ!」
「いいって、珠里の前途を祝して、俺からの気持ちってことで」
俺よりも、ちゃんとした仕事をして、珠里を敬ってくれる優しい男性と出会えて幸せいっぱいの元カノに、俺は精一杯祈りを込めてそう話した。
それと同時に、俺じゃあ幸せにしてやれないなという気持ちにもなった。
自分の気持ちに正直に生きていこうと決めた。親のようにならないよう、思うがままに生きていこうと。
なのに、どうしてこんなにも気持ちに不自由しているのか。
生活が不安定だからか、自分の生き方に自信が持てないからなのか、一瞬でも幸せにしてやりたいと思った女性が自分とは違う男性と人生を共にするからなのか、思い当たることが多すぎて分からなかった。
「たもっちゃん、スタミナ大盛だよ」
おばちゃんの声と同時に、目の前ににんにくの香ばしい香りが漂った。
俺は箸に手を伸ばした時、珠里が「でも、会えてよかった」と呟いたので手を止めた。
「結婚する前に、多聞くんに会えないかなぁって思って、ここに何度か通ってたの。会えて良かった。私、幸せになるねって伝えたかったの」
そうそう、珠里は律儀な女性でもあった。その律義さも、自分の不安定さを助長させるようで、苦しかったんだ。
「珠里の飯、めっちゃ美味しいからさ。ますます旦那になる男も太っちゃうんじゃねぇの?」
「うーん、それなんだよね。ダイエットメニューも色々考えてるんだけど―――」
ははっと声を上げながら、俺は不安な気持ちをかき消すようにご飯を口にかっこんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます