第2話

はっきり言って惣菜屋の多くはあまり儲かっているとはいえない現状だと思う。

黒字のお店でも、多くの街の惣菜屋の月収は10万円から20万円というところで、サラリーマン以上の収入を得ることは、かなり難しい。

もちろん、惣菜屋によってははるかに稼いでいるところもある。そういう流行る惣菜屋は複数店舗を運営したり、百貨店に出店できれば、と限られてくる。

「惣菜の金剛」はそういう大企業とは反対に零細企業に留まるわけで、生き残るために父は必死に努力をしていた。

惣菜の味を更に美味しくすること、仕入れを工夫すること、品ぞろえを増やすこと、定期的に新商品を作ること、など常に考えていた。

僕は、小さい頃からそんな父の横に立って一緒に料理をしていた。コロッケやメンチカツなどの揚げ物は危ないからと小学生の内は実際にやらせてもらえなかったけど、黄金色の油は魔法の水のようで、きつね色に揚がる変化に目を輝かせていたのを今でも覚えている。

茹でたジャガイモをつぶしてポテトサラダを作ったり、和食ではほうれん草と人参の白和えが人気で、人参嫌いな多聞はこれだけはよく食べていた。

幅広い客層を呼び込むために、父は洋食、和食、中華と毎日のようにメニューブックに新しいメニューを書き込んだ。父はにこにこと笑いながら日々楽しそうだった。母は油物を担当していたが、メニューが増えるたびに「コストが」と口にするようになり、ため息も増えた。

僕は惣菜を作る手伝いと、主に接客を担当していた。レインボー商店街の生産者への直接買い付けも父と行っていたので大体把握できている。

ただ、今までは三人態勢でやっていたことが、僕一人になってしまった。今まで三人でまわしてやっとだったのが僕一人。明らかに不可能だ。

コスト面だと、原材料費はもちろん、家賃、水道光熱費、ビニールやパックなどの用度品など考え、一日当たりの利益をどのくらい出したいのかも考えて営業していかなければならない。課題が山積みで頭がまわらない。

僕は父の出納帳を見つめ、先ほどからため息ばかりついていた。

ダメ元で、母が家を出て行った日に多聞に話を持ち掛けてみた。

「多聞!お願いだよ!この店を、手伝ってくれないか?」

「―—―はぁ?嫌に決まってるだろ。兄貴、俺が何でこの家を出たか覚えてる?家族経営で仲良しこよしでやってるこの店が心底胸糞悪かったからだよ」

「……何で、そんなこと言うんだよ。父さん母さんが頑張ってこのお店を続けてくれたから、俺たちはここまで育ったんだろう?」

僕の言葉に多聞は侮蔑の表情を向けた。

「大して稼げない維持費などなんだのコストのかかる店を、やりたくもないのに押し付けられて、その結果早死にしたんじゃねぇか。嫌なことを終生全うすることが美学だって、そう思ってる?」

多聞の言葉に、僕は何も言えずに立ち尽くしていた。

「親父の二の舞になりたくないから、母ちゃんは早々に見切り付けたんだろ。まぁ、懸命だよ。命短し、って奴だな。俺はこの店と一蓮托生するつもりはないから。好きなことをやって好きな女の胸の中で好きなように死ぬさ」

多聞は片手でひらひらと手を振りながら、颯爽と帰っていった。

多聞はこの街から電車で一駅先の街に住んでいるが、ほとんど顔を出さない。時給のいい夜勤のコンビニバイトや工事現場のバイトをし、あとは高校時代からの友人たちとバンドを組んで細々と活動をしているらしい。

好きなことをやって―――

僕の、好きなことは、父のこの店を守ること、そのはずだ。

でも、今は父も母もいない。

はっきり言って昔から僕は主体性のない奴と言われがちだった。習い事一つやるにも、クラブや委員会をやるにも、進路のことについても、すべて父や母の裁断任せだった。友人と呼べる人たちもほとんどいなかった。

でも、これからは自分で決めていくしかない。自分一人で切り開いていくしかない。

と、意気込んではみたものの、やはり自信がない。

弟の広見はいるが、僕や多聞と違って要領がよく、塾に通ったことがないが学年でトップクラスの成績を維持しているらしい。そんな有望な広見に店を手伝ってほしいと要求するのは、弟の未来を考えたら避けた方がいいんじゃないだろうか。

そうなると、コストの一つにもなるが、人件費、人を雇うことを考えるしかないのだろう。

人見知りが激しく、人付き合いが苦手な自分が、家族じゃない赤の他人と同じ敷地内で一日中働くと想像するだけで立ち眩みがしてくる。だけど、僕が金剛良知としていられる場所を守るためには、多少嫌なことでも受け入れて、店を切り盛りしていくしかないのだろう。


一人で悶々と考えて歩いていたら、いつのまにかミスミ青果店の前を通っていたらしい。

「りょーちん……あ、えーと良知さんこんにちは」

「玲ちゃん」

三角玲の前髪は、一目で気付くほど眉毛の大分上の方で切り揃えられていた。

「あ、これ?なんて父ちゃんに切られたらこんなんなっちゃって。まぁ、視界が広くなっていいんだけどね」

言った後で玲は直立不動になり、

「この度は、ご愁傷さまでした」

と頭を下げた。

「それ、広見にもやったの?」

「やろうとしたんだけど、『そういうのいらないからいいよ』って断られちゃった」

玲は良知、多聞、広見の幼馴染で同じレインボー商店街のミスミ青果店の一人娘で、昔からお世話になっている大事な仕入れ先の一つである。広見と同い年の彼女は、名前もさることながら身なりも口調も男の子と変わらず、よく間違えられるらしい。

「……メニューとか見直したり、在庫管理の調整とかもあるから、すぐには再開できないかもしれないけど、またミスミさんにはおいしい野菜をお願いするよ」

「広見に聞いたけど、おばさんもいなくなっちゃったって」

「うん……何か友達とやりたいことがあるみたいで、出て行っちゃった。最初は何て自分勝手なんだろう、って思ったけれど、母さんのこれからの人生は母さんのものだし、僕がお店に縛り付ける権利はないなぁと思ったんだよね」

「りょーちん!大人!」

玲はばしっと僕の背中を大きく叩いた。

その勢いにまたもや尻もちをつきそうになったが、ぐっとこらえた。

「お店のこと、広見に手伝わせればいいんだよ。あいつ、どうせ勉強しなくたって分かってるんだし。今まで、箱入り息子のように何もさせないのもどうかなーって思ってたんだよね。これを機会に、色々やらせればいいと思うな」

「……広見の負担にならないかな?」

「大丈夫。あいつ、むしろ仲間になろうよって誘ってくれるの待ってると思う。りょーちんが、自分を頼ってくれるの待っていると思う」

「……」

(良知くん、一緒に遊ぼう)

(良知くん、一緒にやろうよ)

僕は、まわりからそう言われるのをずっと待っていた。

自分から仲間になろうよ、とは言えなくてずっとずっと自分の殻の中で待ち続けていた。

広見は、何でも自分で決めてしまうし、自己完結できるタイプだと思っていた。

だけど、一緒に「惣菜の金剛」をやっていこうと話したら、手伝ってくれるだろうか。

「玲ちゃん、ありがとう。ちょっと話してみるよ」

玲はにかっと歯をむき出して豪快に笑った。



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