第4話

さくさくさく

俺は彫刻刀でひたすら木を彫っていた。

時折、スマホの動画に目を落としつつ、無心で数時間掘り続ける。

数年前、独学で仏像を彫り始めた。

近所に仏像・木彫彫刻教室があったので、学校終わりに覗かせてもらったのがきっかけだった。樹齢200年を超える檜を、ノミや木槌、彫刻刀、カッターなどを駆使して掘り進めていく地道な作業だった。

数時間は経過していただろうか。段々と仏像に姿を変えていく様が不思議で、俺はずっと座って眺めていた。

ランドセルを背負った少年が長い時間居座ることを許してくれた教室の安西先生には感謝してもしきれない。高校生になった今でも、掘り進める過程で分からないことがあれば訊きにいくこともあるが、親切に教えてくれる。

小学生だった俺は、当時授業で使っていた彫刻刀で見様見真似で作り始めた。常に忙しそうに働いていた両親には相談することが出来ず、当時近所に住んでいた伯父さんが大工の仕事をしていたのでノミや木槌の使い方を教えてもらった。

だが、やはり図工で使う彫刻刀には限界があった。

ネットで調べてみると、仏像彫刻には専用の彫刻刀があるらしく、大体総額で三万円くらいするらしい。

誕生日プレゼントは金剛家では基本的にないものとされていたので、ねだるきっかけも掴めず、厳しい現実に項垂れることしかできなかった。

久々にお店が休みの日に、父から「少し二人で出かけようか」と声を掛けてきた。

父の意図に気づけず、ただただ黙ったまま後をついていくと近所の仏像・木彫彫刻教室に着いた。

「え、え、何で……?」

父にも母にも兄さんたちにも玲にも話したことはなかった。玲はもしかしたら気付いていたかもしれないが、周りにぺらぺらと吹聴することはしないはずだ。

「仏像彫刻体験教室、予約してきたから存分にやりなさい」

父はそう言って建物に入っていった。

安西先生は何も言わずにっこりと笑って俺たちを迎え入れてくれた。

実際に専用の彫刻刀で仏像彫刻を行うと、独学で行うとでは手ごたえも進み具合も格段に違っていた。無我夢中で掘り続けていると、いつの間にか五時間近くが経過していた。

あわてて後ろを振り返ると、そこに微動だにせずに父が座ってこちらを見ていた。

父がどうして自分が教室に通っていたことを知ったのか分からないが、あの経験は今の自分が仏像彫刻を続けられている大きなきっかけになったと思う。

そして、父はその後彫刻刀をくれた。

「知り合いの彫刻家が余っているっていってくれたんだよ。こちらの方が立派な仏像が彫れるだろう」

そして、その彫刻刀を今でも使い続けている。

仏像に興味を持ったのは、自分の名前が四天王の一人である広目天だと知ったところからだと思う。

長男の良知兄さんの「良知」は、人間の心情の正しい働きという意味で陽明学という学問の根本的な指針らしい。次男の多聞兄さんも四天王の一人の多聞天からだと母から聞いた。

たまたま仏像が掲載されている本を図書館で見つけて、何でこんな人々を救う象徴を元に自分の名前が付けられたのか不思議に思った。父も母も祖父や祖母も敬虔な仏教徒でもなく、やることといえば墓参りや年始の初詣の時ぐらいだ。無宗教というわけではないが、「なんとなく」の仏教徒という印象が日本人には多いような気がする。

父が「なんとなく」の理論で仏の名前を息子に付けたのかは分からないが、俺はひとまずモデルとなった様々な仏像を身近で具現化させたいと思った。

掘り始めてみると、何だか気持ちがすっとした。

学校でもやもやしたことや、言葉に出来ない苛立ちなどを抱えたまま掘り続けると、その不可思議なものを仏像が吸い取ってくれているような気がした。

小学生の俺は、仏像を彫り続けることで「浄化」されていたのかもしれない。

良知兄さんは俺から見ても自己肯定感を自ら低く捉えて常に何かに怯えていたし、多聞兄さんは家族というより自分自身に常にイライラしているようだった。

俺は、そんな家族を家族として何かをしたいと思わなかった。

どこか第三者的な観点で傍観していたように思う。

傍観し続けた所為で、その危うい程の薄い膜で覆われていた家族は父という均衡をなくし、破裂し、霧散した。


母もいなくなり、多聞兄さんは自分の家に戻り、今は金剛家の経営が双肩に重圧として圧し掛かっている良知兄さんと傍観を決め込んでいる俺の二人が残されている。

でも、今更自分はこの家のために何をすればいいのか分からない。

兄さんたちのように現実と向き合うこともせず、目を背けて、仏像を彫ることによって自分を浄化しようとしている。

そんな不義理な息子が、どんな顔をして金剛家を建て直そうよと声を上げることが出来るのか。

こんこん

ドアのノックの音に、俺は急いで仏像と彫刻刀を机の下に隠した。

「ごめん、勉強で忙しい時に。ちょっと話があるんだ。入っていいかな?」

「うん、いいよ」

良知兄さんが照れ臭そうにドアの隙間から顔を出した。

「ちょっと今後の店の経営について考えていたことがあってさ。やっぱり、自分一人じゃお店をまわせないと思うんだよね。だから、パートさんを一人雇おうと思って」

「パートさん?以前、働いて貰ってた安岡さんに声を掛けるの?」

「安岡さんは旦那さんのお母さんの介護で大変みたいだから、張り紙とか作成して人を募ろうと思うんだよ」

「うん、分かった。簡単なポスターだったらパワーポイントとかで簡単に作れるから俺が作るよ」

「うん、ありがとう。パソコンとか苦手でさ。助かるよ」

それだけ会話が進むと、沈黙が訪れた。以前からあまり自分たちのことを話すようなことをしなかったのでそれ以上会話が弾むわけもなかった。

「―—―あのさ、広見!」

良知兄さんは拳をぎゅっと握りしめ、叫んだ。目や眉に力を入れているのかぷるぷると震えている。

「広見にも、店を手伝ってもらえないかな?来年は受験で大変なのは分かっているんだけど。パートさんもすぐに決まるか分からないし、お店もこれ以上閉めていたくないんだ。早く再開させて、父さんの味を地域の皆さんに食べてもらいたい」

語尾が上ずっていた。

良知兄さんは、このことをずっと言いたくて、意を決してドアを叩いてくれたのだと思った。俺は、ただ誰かが声を掛けてくれるのをずっと待っていただけだった。

「……俺、パートさんが決まるまで接客とかやるよ。経理とかも出来ると思う。あとは、あまり料理とかしてこなかった自分が戦力になるかどうか分からないけれど、兄さんが指示してくれればすぐに動けるようにするから」

「広見、ありがとう。一緒に頑張ろう!」

良知兄さんはぐっと俺の手を握った。緊張していたのか、兄さんの手は汗でぐっしょりと濡れていた。

俺はちらりと机の下をみやった。

そこには作りかけの仏像が置かれている。

今夜中に仏像を完成させて、すぐにパートさん募集のポスター作りに取り掛かろう。

しばらくは、彫刻刀を握る日々から離れるかもしれないが、「浄化」をしなくても自分を必要としてくれる空間や人がいるならば大丈夫かもしれない。

あまり先の不安は感じられない。何だかとてもわくわくしていた。




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