冒険者と森という場所

 人里離れた場所に住む人間は忌避されやすい。

 自然に対して、何の力も、知識もない大半の民からすると森や山、洞窟のような場所は、魔物や動物、毒のある植物、キノコにあふれている「異界」だ。異界は危険に満ちており、自然の脅威そのものだ。


 だからこそそこへ立ち入る者たちを冒険者と呼び、依頼が入る。

 狩人も害獣までであれば対抗できる為頼られる。ただこういった職業は拠点は人里であることが多い。


 生活圏が異界または異界の中にある者たちは生活に恵みをもたらしてくれたとしても「異界の住人」だ。会いに行くとすれば異界に立ち入ることになる。


 だからこそおとぎ話で森に住む者が化け物扱いされたり魔女と呼ばれたりするのは、異界に憧れを持たないようにするための教訓だとも言える。


 異界であると同時に神聖な場所であることもある。実際エルフは長寿なのも相まってか神聖視されがちだ。必ずしも邪悪な場所という認識であるわけではない。


 どちらにせよ言えるのはひとつ。

「異界に近づくな」ということだ。


 まぁ異界に飛び込む冒険者には関係ない話だ。

 異界の住民と認識されている木こりに、食料を届けたりするのも立派な仕事なわけである。


「……これで何匹目?」


 逃げていく狼を眺めながらレニーは肩に杖を担ぐ。

 森の中に入って十数分。何度か狼に襲われていた。

 害獣として討伐依頼が出ないうちは生態系を崩す要因になるので無闇に殺しはしていない。

 最低威力のマジックバレットで驚かせる程度だった。


「三、四匹のグループを四回。十五匹前後ってところかな。あたしってそんなにおいしそう?」


 狼が去っていった方向を見ながらラウラが顎を擦る。


「いや、普通に考えて背負ってる食料でしょ」

「レニー坊から見たら、あたしっておいしそうだったりする? 試しにちょっと食べてみるかい」

「話聞いてくれる?」


 緊張感のない質問にため息が出る。


「んー狼って人間あんまり襲わないはずなんだけどね、群れパック二つ分に襲われるなんて珍しい」


 ラウラの呟きに頷いて同意を示した。


 狼はパックと呼ばれる八匹程度の群れを形成する。無論、一般的に、の話で今追い返した狼が全て一つの群れである可能性はある。

 

 ただ、いずれにせよ群れで人間を襲うのは非効率だ。大型の草食動物や死骸を貪ったほうが圧倒的に効率が良いのだ。

 人間の可食部は少なく、栄養価は低い。食料だって襲うリスクに見合うだけの量とは限らない。人間の食べ物と狼の食べ物は一致しないからだ。 


 動物は知識や思考が明確にあるかわからないが、バカではない。むしろ賢い。


 ではなぜレニーたちが襲われているのか。


「どっかの縄張り争いで負けて食料に困ってんのかなー、まぁこの先にアシュイムいるから聞いてみるしかないね」

「木こりの名前かい」

「あり、言ってなかったっけ。そうそう木こりの名前」


 舌を出して頭に拳を当てるラウラ。とぼけたような表情がレニーの疲れを誘う。それでも迷いなく進むラウラについていく。

 やがて整地された場所にたどり着いた。中心に薪割り用の台と木造の家がある。ラウラは一度背負っている荷物を下ろした。扉を軽く叩き、大きく息を吸う。


「おーい、アシュイム! 食いもん持ってきてやったぞ!」


 鍵がゆっくり開けられ、けだるそうに扉が動く。口を開いたその先には、若い青年がいた。ラウラの顔を見て、少し嬉しそうに微笑む。


「……ラウラか。いつもありがとな」


 左腕が脱力しきっており、動きに合わせて揺れている。


「怪我かい?」


 レニーが尋ねると、アシュイムは怪訝そうな視線を向けてきた。


「あぁ。ちょっとヘマしちまってな」

「マジ? ちょっと怪我見るよ。中入れて中」

「ちょっ」


 ラウラが真剣な声音でアシュイムを押して家の中に消えていく。レニーは無言であとに続いた。

 家の中は必要最低限のものが揃えられているという感想しか抱けなかった。ラウラは椅子にアシュイムを座らせ、左腕の袖をめくる。そこから包帯をはがし始めた。


 傷口にぬりたくったのだろうか、きつい薬草のにおいが鼻腔を刺激した。

 木こりらしい、鍛えられた腕だった。三角筋から上腕二頭筋あたりにざっくり四本線の大きな傷が刻まれている。傷の周りが赤く腫れてもいた。


「医者に見せた?」


 心配そうに顔を覗き込む。アシュイムは顔を赤くしてそらした。


「……そんな金も場所もねえよ」

「レニー坊、いい感じのぬり薬とか持ってる?」

「あるよ」


 ポーションは応急処置でしかない。自然治癒を促す効果はどんなときでも役に立つには立つが、傷が長期間残る場合にはぬり薬の方が良い場合もある。


 レニーはマジックサックから咬傷こうしょう掻傷かききずに適したぬり薬を取り出した。やや大きめの瓶に入っている。それを、アシュイムとラウラが座っている目の前のテーブルに置いた。


「うげ、黄色い……大丈夫なのか」


 不快感を隠そうともせず、アシュイムが呟く。


信頼してる知り合いエレノーラの店で買ったものだから。平気さ」

「いや、あんたからしたらそーなのかもしれねえけどよ」

「店主が錬金術師でね。美容効果のあるポーションとか開発してるし、独学よりは頼りになるんじゃないかな」


 独学で処置しただろ、と暗に視線で問う。アシュイムが反論してこないあたり、合っているらしい。


「レニー坊。その美容効果のあるポーションって持ってる?」

「持ってない。外の食料どうするの」

「中に入れないとだね」

「先に食料入れてくれ。怪我も昨日今日の話じゃねえ。後回しでもあんま変わんねえさ」


 ラウラは戸惑いながらも頷いた。


「とりあえず荷物整理するわ」


 ラウラが外に出ていく。距離はさほどない。もし狼に襲われても、助けに行けるし、身軽になったラウラなら短剣でどうにかできる。


「あんたは」

「レニー・ユーアーン。ラウラの後輩かな」

「俺はアシュイム。木こりをやってる。よろしくな」


 差し出された右手を握る。

 そして左腕を見た。


「とりあえず、処置して包帯巻き直そうか」


 ラウラが先程座っていた椅子に座る。瓶を開け、中に入っているスプーンを使って適量を手の上にのせる。そしてスプーンを瓶の中に仕舞い、蓋を閉める。


 軟膏を傷と、その周辺の腫れているところにぬりたくった。

 マジックサックから包帯を取り出し、肩と上腕に巻き付ける。


「すまねえ」

「左腕は動かせる? 感覚は?」

「痛むが、問題ねえ」

「ならいいんだ。あまり動かして傷を悪化させてもいけない。無理しないように」


 包帯を縛り、マジックサックに残った包帯を戻す。


「おっ、レニー坊が処置してくれたの」


 中に入ってきたラウラが問いかけてきた。


「ま、暇だしね」

「ありがと。アシュイム、食料とか衣類いつものとこでいいよね」

「あぁ、すまねえな」


 あわただしく荷物を整理していくラウラ。積み上げられた荷物を正確に分けて依頼主の家に運んでいるので、レニーが下手に手を出そうものなら邪魔になる。適当に荷物を持っていこうとすれば、中身が台無しになる可能性もある。


 荷運びメインの仕事であれば自分も参加しなければならないが、今回はラウラの護衛がメインなので、任せていた。


 しばらくして、荷物を整理し終わったらしいラウラが戻ってきた。レニーは立ち上がって椅子をラウラに譲る。

 今いる部屋に椅子は二つしかなかった。テーブルも一人用だ。


「で、その傷。何にやられたんだい」


 ラウラがアシュイムに聞いた。

 アシュイムは自分の左腕を見ながら拳を握りしめる。


「やたらデカい熊だ」


 その唇は震えていた。


「熊、ね」


 ただデカイだけの熊ではアシュイムも感情をあらわにしないだろう。レニーは続きを待った。


「つい最近、この森を我が物顔で闊歩してやがんだ。縄張りが広いのか知らんが、前まで狼の縄張りだったところにまで来てやがった」


 狼がやたらレニーたちを襲ってきたのも、その熊の仕業だろうか。


「熊なら、と思って俺も追い出そうとしたんだ。したらあいつ、普通の熊より二倍くらいはでけえし、斧の刃も全然通らん」

「いや、熊相手は普通でも無謀でしょ」

「これでも腕っぷしもそこそこあるんだ」


 そういってアシュイムは右腕を曲げて見事な力こぶを見せつける。いや筋力の問題ではないのだが森で生きていて自信があるということはパールの冒険者くらいの強さはあるのだろう。


 通常の熊を駆除する場合はパール等級の仕事となる。


「普段なら無闇に刺激しないようにやり過ごすんだがな。あいつは目に余る」


 額に手を当てて、ため息を吐くアシュイム。


「やたら食欲があるのね」

「あぁ。食えるもんなら何でも食ってるみてぇだ」

「顔が小さく見えるくらい体がでかい、とか」

「見た感じ、肩がやたら広く感じたな。俺の三、四倍は体がでけえ。顔も、まぁ、俺の頭を丸のみできるくらいにはあったんじゃねえかな」


 レニーとラウラは顔を見合わせた。


「……リトルヘッドベアじゃない?」


 ラウラの言葉にレニーは同意する。


「リトルヘッドっぽいね」


 肩をすくめる。


「リトルヘッドだぁ?」

「あのね、トパーズ級の冒険者パーティーが対処するモンスターの名前。体が大型で、そんじょそこらの冒険者じゃ歯が立たないくらいの耐久力がある毛皮と、パワーを持ってるの。冒険者が武器を喰われたっていうくらい、見境ない食欲があったりする」

「そんな化け物どうすんだ」

「うーん、基本的に囮役が攻撃をしのいでる間に強烈な一撃をバチコーンと」


 ラウラが両手を叩いて音を鳴らす。


「仕事にならねえし、依頼出すしかないか」


 暗い顔でアシュイムが呟く。


「レニー坊行ける?」

「いける」

「おいおいトパーズじゃないと無理なんだろ? パールのラウラじゃ無理だろ」

「うん、だからレニー坊だけだね」

「だけど、ラウラの後輩だろ。ひとりで倒せるのかよ」


 ラウラは口の端を吊り上げ、レニーの肩に手を置く。


「フフフ、実に運がいいなアシュイムくん。ここにいるレニー坊はカットルビーなんだ。つまりトパーズの上ってわけ」

「……は?」


 信じられないといった顔でレニーを見る。


「そんな強いのが、こんな荷運びの依頼ついてきたってえのか」

「仕事だし。ラウラに誘われたし」

「そう! あたしが誘ったの。レニー坊を。あたしが育てたレニー坊を!」

「ハイハイすごいすごい」


 ラウラの自慢げな態度をレニーは流す。


「だけど依頼料高いんだろ?」

「普通はね。でも荷運びの途中に襲われたって報告すればいい。そしたら素材を換金するだけだね」

「つまり依頼しなくていいってこと」

「いいのか? 危険な相手なんだろ」


 アシュイムの疑問に、ラウラは沈黙してしまう。

 ゆっくりとレニーを見上げてきた。


「……いいの?」

「いや、なんでラウラまで心配になってるの。やるよ」


 素材はそこそこの値で売れるだろうし、怖がるほどの相手でもない。


「ただし」


 レニーが続けた言葉に、アシュイムがごくりと唾を飲み込む。

 拳を握りしめて、レニーに注目した。

 レニーは人差し指を立てて、こういった。


「いつでもできるよう、熊鍋の準備をしておくように」


 アシュイムもラウラも椅子から転げ落ちそうになった。

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