第8話 tired《前》
輪廻の道にはまだ人がいた。戦う気力のない人、人殺しの野次馬なんてする度胸がない人。一体どれだけの人がこの世界に招かれたのだろうか。
これまでは猛者たちが好き勝手に戦っていたが、その猛者たちはもあいない。いるのは殺戮者だけだ。
もう殺し合いを他人事にできない人々は、それでも生きたい、死にたくない、という思いで、各々、思い思いの武器を振るう。
だが、残念ながらその努力は虚しい。何せ殺戮者はどんな武器にも怯まない戦闘狂であり、ありとあらゆる武器の知識に精通した知恵者であるのだ。
誰かが震える手で、拳銃の引き金を引く。おそらく、銃なんて持ったことがないのだろう。離れていてもわかるほどに、拳銃を持つ手は震えていたし、当たる前からわかるほどに、その照準はぶれっぶれだった。
とはいえ、素人にしてはまあなかなかの腕前。半身で避けた弾丸は左肩のあった場所を通り抜けていく。そしてその向こうにいた人物の脳天を撃ち抜いた。
「ひゅうっお見事」
「呑気」
「いてっ」
師匠に頭を叩かれる。手の指をしっかり硬直させた手刀はまあ痛い。昔から些細なことも本気なんだよなあ……
師匠は自分の区域に向き直り、短刀を横薙ぎに投げる。
接近していた人々は血飛沫を上げ、おののくように短刀の持ち主を見上げる。
ぱしん、と師匠の手にブーメラン方式で返ってきた得物が戻る。どういう仕組みかはさっぱりわからないが、師匠の無双感が揺らぐことはない。
「こら弟子よ、サボってないでちゃんとやれ」
「別に、サボってませんよ」
師匠と戦ってからしばらくは、短刀を使って戦っていた。やはり、この武器が一番手馴染みがいい。
鎖鎌の少女や黒兎レベルの人物はいなかったため、武器の相性などを気にすることなく戦えている。
淡々と殺していく中で、師匠の言葉が蘇る。
「この世界に招かれるのはな、己の何に変えても守りたいものを守れなかった阿呆ばかりなんだ」
今この手で殺している[誰か]も守りたくても守れなかったものがあったのかもしれない。そんな後悔をずっと抱いたまま、その生に幕を下ろしたに違いない。
その人生の幕引きも唐突だったのだろう。自ら望んだように死ねる人間なんてそういない。
だから──自らの意志で死を選んだ自分には理解できないのだろう。その悔恨が、懺悔が、痛苦が。
ずっと、自分はそんな[天使]だったから。
天使が守るべきは主たる神より与えられし使命のみ。
「働き者だね」
微笑む親友の声が、ひりひりと痛みを焼き付ける。
働き者。
そう、言われたことを淡々とこなすだけで、何も考えずに生きてきた働き者。
これからもずっとそう。守りたくもない自分の命のために人を殺して、殺して、生きていく。──死んでいるけれど、世界に生き残る。
自分のことを自分で考えられない人間なんて、死んだように生きているのがお似合いだ。
そんな自虐的なことを考えながら、師匠の助太刀をする。といっても、師匠は一人でも危機に陥ることはないし、ほとんどやることはない。
ざっ、と少し乱雑でも、短刀を振るえば人なんて簡単に沈む。
「もう少し丁寧にやれ」
「殺しに雑も丁寧もあるんですか?」
「命を奪うんだ。少しは何かを思ってやれ」
「思うと言われても……」
わからない。何を思えばいい? 思ったところで、殺すという事実は変わらないのに。
そもそも赤の他人を思いやるような心があったら、人殺しなんてしないし、人を殺すことを職業になんてしない。働き者だね、と言われるほどまでに人をたくさんたくさん殺したりしない。
何かを思っていたら、淡々と仕事をこなせない。
「働き者だね」
死者のために思う──それは、[守りたい]という願いと同じくらい理解できないものだった。
意味なんてないだろうに。そう思ってしまうから。
「お前は本当に、憐れなやつだな」
師匠が呟く。
「憐れまないでくださいよ。わけがわからないのに惨めとか、救いがないです」
「──そうだな」
師匠は近頃、本当に頷くだけになった。以前なら言葉遊びを楽しむように反論を返してきたのに。
変わってしまった。
そう、師匠は本音を吐露してから、変わってしまった。鬼のような強さはそのままだが、生前は全くなかった表情の揺れがよくよく見られるようになった。
何があっても揺るがなかった師匠という存在が、不安定にぐらぐらと揺らいでいるのだ。
弟子だった自分を見て、悲しげに笑うのだ。
何故だろう。
師匠のそんな顔に苛立つ自分がいる。
やめてくださいよ。
そんな顔で見ないでください。
貴女は何を知っているんですか。何を知っているっていうんですか。
酷く、惨めだ──
「師匠」
「何だ?」
「手合わせ、お願いします」
唐突に頼むと、師匠は目を丸くした。
「お前の方から申し出るとは珍しい」
「気晴らしです」
「気晴らしに私を使うのか?」
「はい」
「おい」
「──聞きたいことがあるんです」
そう、いい加減、知りたい。いや、知らなければいけない。
もう、この世界で戦っている人間は指折り数えるほどしかいない。
だから、もうすぐ終わるのだ。
その前に、自分の真実を見つめなくては。
師匠は知っている。
そんな確信があった。
師匠は先に逝ったけれども、自分が死んだのはさして後ではなかったはず。
師匠は自殺の理由を知っている。だから、憐れむように見るのだ。
終わる前に、知らなくては。
もう一度、死ぬ前に。
「え、何? 二人が戦うの?」
側で会話を聞いていたレイがきょとんとする。
「師匠、今度は負けませんよ」
「ふっ、弟子に後れをとるほどまだまだ耄碌しちゃいないよ」
耄碌どころか若返ってる人がなんか言ってる。
「え、ちょっと、なんで今更?」
レイがしきりに首を傾げる。
今だからだよ。
その理由は告げない。告げたら、止められる気がする。死ぬつもりなの? と。──いや、これは傲りか。レイといるとどうもいけない。生前の幸せだった日々を──まだ、壊れていなかったあの頃を思い出してしまう。
戻りたいと思ってしまう。
揺らがないうちに、と短刀を握り、師匠と相対した。
「レイ、適当に合図を」
「え? ……うん、わかった」
両の三編みが戸惑いに揺れるが、レイは素直に頷いた。ぴりりと肌を焼くような緊張にあてられたのだろう。
短刀の刃に触れる。その冷たさが体の芯につん、と伝わってきた。頭が、心が冷えていく。
師匠は自然体で立っている。得物を構えていない。しかし、凄まじい威圧感を漂わせている。
例え、負け戦とわかっていても、今回はせめて──師匠に本気を出させる。
静かな決意を胸に、視界の片隅でレイが動くのを捉える。レイは一度深呼吸をすると、片手を下に下ろし、双方に目配せ。しっかり頷きを返すと、レイは手を勢いよく振り上げた。
「始め!」
叫ぶなり、レイは飛び退り、両者に道を開ける。間髪入れずに互いに間合いを詰めた。得物は同じ。間合い勝負はない。
まずはストレートに心臓めがけて刃を突き出す。それに対し、師匠は下ろされていた刃で切り上げる。その刃は傷つけることを目的としていない。よって皮膚に届くことはなく、薄く上着を掠めただけ。しかし、研ぎ澄まされた狙いのとおり、その切っ先はこちらの柄にぶつかる。
ガチンッ
柄と刃がぶつかり、音を立てる。下からの振り上げだから体重が乗せられない分軽いはずの師匠の刃は予想を裏切り、かなり重い。ぶつかった振動だけで手が少し痺れた。
けれども、そこで得物を取り落とすほどこちらもやわではない。体勢を崩され、たたらを踏んで後退したが、一歩で再び師匠に迫る。今度は肩に向かって突き出す。師匠は狙われた方の腕で振り払うように受け流す。それを予期していたため、素早く得物を持ち変え、逆手で脇に突き刺す。
ずさっ
「くっ」
師匠はすぐにこちらを突き飛ばして距離を取るが、刃は確かに脇腹を抉った。紅がぼたぼたと自分の刃と師匠の傷口から零れる。
致命傷ではないが、構わない。少しでも手傷を負わせれば、必ず隙ができる。
突き飛ばされたことで再び体勢が崩れたが、今度はあちらも同じ。むしろ、傷を負わせた分、こちらに分がある。
師匠に肉迫、首筋、肩、胸部を狙い、刃を振るう。師匠は紙一重でかわすが、表情にいつもの余裕は見られない。けれど、それでいい。余裕がない分冷たい瞳。──師匠が本気になった。
冷静に、冷徹に──虎視眈々とこちらの隙を窺っている。その目はぞくりとするほど冷たく、恐ろしい。
静かな殺気が放たれていることに気づいた。知らず、冷たい汗が背中を伝う。
人狼のような激しさはない。
けれど、殺気に耐性のない者が受けたら生き延びることを諦めてしまうような、冷たさをはらんだ視線だ。
元々自分は生き延びるつもりなどないからいいが。
だからだろうか。
師匠の視線に恐れを抱いているはずなのに、薄く笑みが浮かんだ。
「余裕だな」
師匠の低い声が耳元でした。まずい、という思いに背筋が凍る。本気の師匠が見たいと願ったのは自分だが、なるほど、師匠が今まで本気を出さなかった理由がわかった。決着があまりにも一瞬になるからだ。師匠が動いたタイミング、空気を切る音、気配、何一つ察知できなかった。そして師匠の得物は今まさに、胸に突き立てられようとしていた。
「駄目だ!!」
レイの叫びが聞こえる。でも、もう、間に合わない──
そのとき。
「うわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
知らない声。くぐもった低い声。男、と断定するには何か違和感のある叫びが近づいてきた。
「二人とも、避けて!」
焦りを含んだレイの声に、状況を理解できないながらも動こうと身を翻す。しかし、師匠が突き出した切っ先は咄嗟には止まらない。止めようにもそれはあまりに速い。
ずだだだだッ
轟音が迫ってくるのが聞こえた。
何かが突進してくるような音だ。人だろうか? 轟音の中にがちゃがちゃと金属のぶつかり合う音が聞こえる。
まるで、鎧を纏って走っているような──鎧?
「ここで一番強いのは鎧型の砕器かな」
レイのそんな言葉が蘇った。
「師匠ッ!!」
師匠を突き飛ばした。
まさか、という思いを裏付けるように現れた刺々しい鎧を纏った鎧の姿を視界の隅で捉え、避けられない、と諦感を抱いたところで意識が途切れた。
「ねぇ、そろそろ思い出してよ」
おぼろげな親友の姿が浮かび上がる。
ぼやけて容姿はほとんど判別できない。それなのに、親友とわかるのは、記憶の中で唯一はっきりとしている声が同じだからだ。
「思い出してよ。僕は君に会いたくて、ここにいるんだから」
「起こさないでよ。今はとても眠いんだ」
本当に、眠い。
体が泥のように重い。起き上がれない。
「はは、君は相変わらずねぼすけだな。……でも起きて」
親友は苦笑いを浮かべて言った。
「君だって、僕に会いに来てくれたんだろう? ──」
親友が、名前を呼んだ。
でも、聞こえない。よく聞こえないよ。
違う、違うよ。そこまで思いやりのある人間じゃないことは君が一番よく知っているだろう?
「ねぇ、──」
名を呼ぶと寂しげに親友の姿が滲んだ。
薄暗い世界に目を開けた。
「起きたか」
「よかった」
師匠とレイがこちらを覗き込んでいた。各々安堵の表情を浮かべ、呟く。
「師匠? レイ? ええと」
状況がわからない。どうやら自分は倒れていたようだが、どうして倒れていたのかはさっぱりわからない。
最後の記憶を手繰り寄せる。確か、何かものすごい音がして、変な叫び声、金属音──鎧。
「あれ? 鎧型の砕器使いにやられたんじゃ?」
「そこまでは理解しているんだね」
レイが言う。その言葉尻から察するに、意識の最後で見た棘鎧にやられたのは間違いない。
「で、なんで生きてるの?」
「助かったのに随分な言い様だな」
師匠が苦虫を噛み潰したような顔でじっとりとこちらを見る。
「あれは止めようがなかった。猪突猛進を具現化したようなやつでな。弾き飛ばされたお前を担いで逃げるのが精一杯だった」
おお、怖っ!! この師匠をもってしても逃げるしかできないとは。
そんな相手にやられて本当自分、よく生きているよな。
「もしかして、レイが?」
「ん、ああ、うん」
どうやらレイが師匠にやったような回復をかけてくれたらしい。一言礼を言おうと振り向いて、あれ、と思った。
灰色の髪色が更に色が抜けて、薄く、最早白と言ってもいいようなくらいになっていた。
「君、さ」
「うん?」
呼び掛けるとレイが首を傾げ、こめかみの三編みが揺れる。
「ああ、これ?」
両の三編みに注がれる視線に気づいて、レイが片方をつまんで見せた。
「これね、ちょっと職権乱用すると寿命縮められるから、白くなるの」
「寿命?」
ここは死者の世界だというのに、と思い訊き返すと、レイはくすりと笑った。
「僕は君たちと違って生者だからね。天使だけど」
はたはた、と背中の黒い翼をはためかせてレイは言う。
「翼は黒いままだね」
「それは罪の色だもの」
「罪?」
引っ掛かる言い方だ。
「神様と一緒にこの世界を創った罪」
「へ?」
突飛な発言にただただ驚くしかない。この世界を創った? レイが?
「どういうこと?」
「駄ぁ目」
レイは悪戯っぽく笑い、人差し指を口元に当てた。む、と口を尖らせると、それを見てレイは苦笑した。
「それはまた追々話すよ。今はそれよりもあの鎧くんをどうにかしないとね」
鎧、と聞いて身を固くする。
「もしかしなくても、君がこの世界最強と称する鎧型砕器使い?」
「うん」
師匠が匙を投げるくらいだ。最強といって差し支えはない。
「正直言って、師匠も手の施しようがない相手なんて、放っておきたいんだけど」
そうは問屋が卸さない。残念ながら。
「鎧はお前を弾き飛ばして、血塗れのお前を見た途端、踵を返してどこかに行った」
「あの子は臆病なだけなんですよ」
師匠の状況説明にレイが苦笑いで補足する。
「この殺し合いの世界が怖くて、逃げ回ってるだけなんだって。でも、結果としては一番参加してるんだけど」
まあ、つまり、輪廻の道で一番人殺してるってことだよね。身も蓋もないけど。
へえ、と軽く流す。今はさして重要な情報じゃない。
「それで、そいつは今どこに?」
「まだ近くにいるだろう」
「近くに? 姿は見えませんが」
きょろきょろと辺りを見回しても、誰の姿もない。あの棘鎧を見落としているとはとても思えないし、この世界には隠れられるような場所もない。
しかし、師匠はよく聞け、と言う。耳を指で指し示したので、耳を澄ませ、ということか。
息を潜めて、聴覚に集中する。すると、がちゃがちゃと聞き覚えのある音がした。
「確かに、いますね」
轟音のような足音がしないので、走ってはいないのだろうが……
いや、待てよ。
「今、走ってないんだったら、落ち着いているってこと?」
「そうかもね」
話を聞く限り、この相手の難点は問答無用で走り込んでくるところだ。つまり、交渉の余地がない。
しかし、先程のレイの言葉が正しいなら、殺し合いが怖いだけ。その恐怖がいくらか落ち着いている今なら、敵意を見せなければ、話ができるかもしれない。
「話し合うの? 珍しい」
「まあ、結構ずたぼろにされたからね。あまり疲れるようなことはしたくない」
レイが治療しなければならないほどの致命傷を受けたのだ。同じ轍は踏みたくない。
「何にせよ、交渉は君じゃないと意味がないだろうねぇ」
「そう?」
レイか師匠に振る気満々だったのだが。
「いや、言い出しっぺのくせにその意気は何?」
確かに、言い出したのは自分だが、実際に殺し合いに参加している者より関係のないレイの方がいいと思うし、交渉ごとは人生経験豊富な師匠の方が適任な気がする。
「あの子、武器見るだけでも怖いだろうし、僕は一回話したことあるけど、見た目大分変わってるし、警戒されちゃう」
「む」
確かに、自分の砕器は普段は鈍器にもならないただの棒で無力だし、面識で言ったらどっこいどっこいなのだろう。
仕方ない。
「じゃあ、行ってくるよ」
溜め息一つ、歩き出した。
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