第7話 move《後》
とさり。
そんな音がしても、何が起こっているかわからなかった。理解できなかった。
師匠が、倒れた。胸には先程師匠に弾かれた自分の砕器が突き刺さっている。
自分で取り上げた相手の武器にかかって倒れる──そんな初歩的なミスを犯すような師匠じゃないのは、わかりきっている。
そこから導き出される答えは一つ。けれど、到底考えられない。いや──認めたくない。
「師匠」
ゆっくり、師匠の傍らに膝をつき、声をかけた。それに反応して師匠の瞼が震え、うっすらと目を開ける。
「なんだ、弟子よ」
口元にはいつも通りの余裕の笑み。
「わざと、ですね?」
もう、断定していいとわかった。
「わざと、タイミングを図って、この短刀を受けた。そうですよね?」
「さすがだな。そのとおりだ」
肯定の意。
全て、計算し尽くされていた。短刀を受けるか弾くか、どのタイミング、どの角度で切りかかれば良いか、弟子の癖を把握し、トレースし、どのくらいの高さに弾き飛ばし、どのタイミングで落ちてくるかを推測、そこにいるのに不自然でないような立ち居振る舞いをして、刃を受け止める。常人にはできない離れ業だ。勢いだけの殺人者じゃない。殺し屋として培われた経験と技術が物を言う一連の流れ。さすがとしか言い様がない。
だが、やるせない。何故、
「何故、自殺紛いのことを!?」
激情を隠すこともできず言うと、師匠は苦笑いした。
「自殺者のお前が言うか」
「そんなのはどうでもいいんです。今ある記憶の中の師匠からは、自殺するなんて絶対にあり得ないとしか思えなかった。だからです」
弟子であった自分や親友に[生きるための術]として殺人技術を教えてくれた師匠。にこにこと人畜無害そうな老人の姿なのに、時々ぞくっとするほどの妖しい笑みを浮かべて、自分に放たれた刺客を年齢を感じさせないほど事も無げに始末していた。殺しても死なないだろう、と思うほどに師匠は生きるのが上手かったし、その戦闘能力の高さも、師匠の持つ生への貪欲さから来るものだった。そんな師匠が死のうとするなんて、その理由が想像もつかない。
「理由が知りたいのか?」
「はい」
「怒るなよ?」
「はい?」
首を傾げる。こちらが怒りを覚えるような理由なのか?
「昔、教えただろう? 全力で挑んでくる相手に手加減することなかれ、と」
「したら切腹でしたよね。よく覚えています」
「だからだよ」
「へ?」
師匠は自嘲気味に笑って、あっさり言った。
「お前に情が湧いてな、手を下せなかった。師は弟子の模範であるべきだろう? だからせめて、その誓いくらいは守ろうと思ったのだ」
「師匠?」
そう呼ぶことくらいしかできない。頭の中が混乱している。とりあえず、師匠が言っているのは
ずっと、手加減をしていた? ということ……?
弟子だから? 手心を加えられていた……?
「──しませんよ」
「ん?」
「許しませんよ、そんなこと!」
「だろうな。手加減されていたなど屈辱でしか──」
「違います」
きっぱりと放たれた否定に師匠がきょとんとする。そんな師匠の表情はかなりレアだったが、今はそれよりも沸々と沸き上がる怒りが勝った。
「ここで死んだら、勝ち逃げじゃないですか! そんなこと、絶対に許しません!!」
そうだ。
結局本気でもない師匠に一回も勝てないまま死なれるとか、手加減以上に屈辱的だ。せめて一回勝ちたい。いや、本気にさせたい。
本気じゃない師匠に勝ったって、そんな勝利は虚ろだ。そのまま死なれたら結局、師匠の思惑通りで、師匠が勝利のまま、終わる。そんな形で与えられた勝利を抱えて生き残るくらいならこっちから切腹してやりたいくらいだ。恥にも程があるだろう。
そんな思いを込め、師匠を睨み付ける。
「はは、ははははは!」
すると、師匠が噴き出した。つられてか、レイも笑っている。
何かおかしなことを言っただろうか?
「君ってやっぱり、ずれてる」
「全くだ。そこで怒るのか」
む……またずれていると言われた。
なんだか、怒りが削がれた気がする。
「とにもかくにも」
切り替えて倒れた師匠を起こす。
「師匠がこのまま死ぬなんて、許しませんから」
「そうは言うがな」
師匠は胸元に突き刺さる砕器を示す。
「これは致命傷だろう? もう助からんよ」
「それは」
反論の言葉を失う。──そう、死後の世界であるここでも[死]の仕組みは同じ。致命傷を負えば死ぬ。砂のようにばらばらと崩れて消える。
だめです。そんなこと、許しません。──いくらそんなことを言おうと、覆りようのない現実に、無力さを噛みしめるしかできない。
そのとき、
「それはさせません」
ふわりと隣にレイが舞い降りた。
そっと師匠に刺さった砕器と傷口にそれぞれ手を当てる。
傷口に当てた手が仄かに光り出し、砕器を引き抜くとあるはずの傷口はなく、血が溢れることはなかった。服に染みた紅色はさすがに残っていたが、刺した跡は何事もなかったかのように消えている。
「お前、傍観しているんじゃなかったのか?」
師匠が訝しげにレイを伺う。レイの表情からはいつもの無邪気さは消え、真剣さのみが漂っていた。
「貴女に今死なれては困ります」
「……ふふ」
「何かおかしいですか?」
「いいや」
師匠は支える手を振り払い、立ち上がる。
「わかったよ。生きてやろう。それが私の望みでもあるしな」
顔を上げると、優しげな師匠の眼差しと出会う。
「師匠の、望み?」
「ああ──」
師匠は人畜無害か邪悪かの極振りな笑みしか今まで見せてこなかった。それが、慈愛に満ちた……まるで母親を思わせるような穏やかな笑みを湛えている。
見た目の年齢と言い、この人は本当に師匠なのだろうか、と思う。まあ、そんな疑念は恐ろしい強さによって吹き飛ばされるのだが。
師匠も輪廻の道での戦いで、何か思うところがあったのだろうか。
そんな師匠の言の葉が、落ちた。
「私はお前たちと出会って、情を移した。移してしまった」
いけない、と思ったのにな、と師匠は呟く。
「人はいつか死ぬものだから、いちいち情なんて移していたら疲れるだけだ。そう、養父に教わった。殺し屋になるときに。養父は殺し屋としても一流だったから、その言葉はしっかりと胸に刻んでいた。忘れないように、忘れないように」
師匠はじっとこちらを見つめる。
「それが、お前に移ったんだろうな。お前は無情な[天使]となった」
つきん、と言葉が刺さる。[天使]──その渾名に痛みを覚える。
師匠は続ける。
「もう一人の弟子の渾名は覚えているか?」
「いいえ」
「働き者だね」
まだ親友のことはほとんど思い出せていない。顔も、姿かたちもおぼろげで、残っているのは言葉だけ。
「なら、言わないで置こう。
お前たち、私のたった二人の弟子は、私の分身のように育った。お前は、私のある種、養父への誓いのような[他人に情を持ってはいけない]という部分を、もう一人は私が初めて手を染めたあの日に失ったものを、持っていた」
だから、情を──守りたいという思いを、抱いてしまった、と。
師匠の黒髪がさらりと肩から落ちる。
「初めて、わかったよ。私を育てていた、養父の気持ちが。私の知るありとあらゆることを教えていくうちに、お前たちは私に似てきて、成長しているな、と嬉しい反面、怖かった。
こちら側に、来てほしくない──そう思った」
「どうか、お前は来ないでくれ、この道に……」
「言われたときには届かなかった言葉が、今になって、酷く響く。皮肉なものだな」
自嘲めいた笑みを溢し、師匠は言葉を紡ぐ。
「そう気づいたときにはもう手遅れだった。私がお前たちに教えたことのほとんどはこちら側──殺し屋として生きていくための知識だった。お前たちの存在は消えることのない私の罪で、業だ。だからせめて、それをお前たちには悟られないように生きた。
そうしたら、どうだろう。二人の弟子はどんどんこちら側の、深く深く、更なる深みへ、引き摺り込まれるように入っていく。もう止めようにも、どうしようもないところまでお前たちは歪んで、私はそれを眺めることしかできなくて。ならば、せめて、最後まで、見届けなくては、と。残り少ない命数を、お前たちを、お前たちの関係を見守ることに費やそうと決意した」
気づいているか? と師匠が問いかけてきた。
「この世界に招かれるものの共通点。この世界に招かれるのはな、己の何に変えても守りたいものを守れなかった阿呆ばかりなんだ」
はっとする。
レイも驚いていた。
規則性なんて、ないと思っていた。神の気まぐれに、法則なんて。
けれど、そのとおりだ。
鎖鎌の少女は弟を守りたいと願いながら、志半ばで殺された。
黒兎は守りたかった弟と離れ、その死に目にも会えず、人狼は兄を守ろうと人を殺したために兄と引き裂かれた。
師匠は──
「私は阿呆だよ。とんでもない阿呆だ。守りたかった二人の弟子を追い込んだのは、私だ。守りたいと気づいたときにはもう、全てが遅かった」
「師匠……」
何を言えばいいのだろう。
何かを守りたい──その思いがわからない自分に、一体どんな言葉が紡げるというのだろう?
名前を呼ぶことくらいしかできない。
「貴女が懺悔する必要はない」
レイが静かに言い放った。
「壊れたのは、貴女に問題があったからじゃありません。二人とも、最初から壊れていた」
「レイ?」
二人──今の流れでそれは自分と親友のことを示すのは間違いない。自分たちのことを知っているような口振りだ。
「だから、貴女が自分を責める必要なんて、ないんです」
「お前、な」
苦々しい表情で師匠は何か言い返そうとしていたが、言葉が出ないのか、開きかけた口を閉ざす。
「私の短刀を、拾ってくれ」
長い沈黙の後、師匠が言った。
「だめです」「いやです」
レイと綺麗にタイミングが合った。そのことにくすりと笑い、師匠が何故だ? と口にする。
「それで自殺されたら僕の努力が無駄になります」
「師匠の死を二度も看取りたくありません」
はは、と師匠が朗らかに笑う。
「私は幸せ者だなぁ」
師匠はそのままころん、と後方に倒れ、灰色の天を仰いで思い切り笑った。
師匠が声を上げて笑うなんて珍しい、と思い、顔を覗いて微笑みかける。
次の瞬間。
もっとあり得ないものを見てしまい、慌てて目を反らす。
師匠の頬を濡らす、二筋の光が、そこにあった。
「あと生き残っているのは、強者ばかりだね。銃士剣士の兄弟のとき、だいぶ減ったからね」
「確かにね」
辺りに、この世界の代名詞と言える殺し合いの地獄絵図はなかった。
白から灰へと変わった世界には血の跡こそ残るものの、人の姿は見られない。少しばかり残っていた人たちも先程切り伏せた。
「もうすぐ長かった殺し合いに決着がつくよ」
「そう」
あまり、感慨はない。
そもそも、自分は輪廻転生なんてしたくはない。ただ、誰もかれもが襲ってくるから、反射で抵抗しただけだ。
あとは──自分のエゴだ。
強い人の思いを断ってあげよう──なんて、傲慢もいいところだ。神にでもなったつもりか? 自分の愚かさに笑えてくる。
それでも、砕器を変え続けた。戦う意味なんて、ちっともわからないのに。
生きたいだなんて、ちっとも思わないのに。
師匠とは何度か手合わせをした。相変わらず鬼強い。これは輪廻の道の戦いでの一番の強敵かもしれない。だというのに殺されていないのだから、まだ師匠の本気を引き出せていないのだろう。悔しいけれど、師匠に本気を出させる、とは思っても、師匠を越えようとは思わないのだ。師匠が負けるところを見たくないのだ。自分は自分で厄介な性分をしている。どうしたものか。
師匠は何も話さなくなった。思いを吐露したからか、すっきりした顔をしている。レイを見るときの切なげな表情は変わらないままだけれど。
レイにあれから変化はない。なんだかんだで灰色に変化した髪について、指摘するタイミングを逸している。他にもレイには聞きたいことが色々あるのだが──聞いていいのだろうか。
自分でもよくわからない危機感のようなものを抱いているせいで、躊躇いが生じる。知ってはいけない気がする。
知ったら、もう──
いや、何を考えているんだ。
知ったらもう戻れない、なんて。
どこに戻りたいっていうんだ……?
わからなくても、世界は進んでいく。
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