第6話 move《前》
変化していた砕器が元の棒に戻る。
ふぅ、と思わず溜め息が漏れた。
疲れた。
久々に手強かった。そんな強敵を二人も相手にしたんだ。……我ながらよく生きているな。いや、元々死んでいるんだけど、まあ、よく殺されなかったものだ。
殺されてもよかったんじゃないの、とよぎる。生きる目的のない自分が、生きたいという意志を摘み取って、何になるのか。そうは思えど、殺されたくないな、というなんとなくで生き延びた。
不真面目かねえ。生きたいと思うのど同様に、殺されたくないっていうのも当たり前の感情といえばそうだけど。
「働き者だね」
ふと手の中のものを見る。──この砕器にも随分無理をさせた。まともな武器じゃないのに、武器としてよく耐えていてくれたものだ。そのせいか、ひび割れが見える。
まあ、あの人狼の重い剣戟を十回以上食らっているからな。丈夫だったり丈夫じゃなかったり、状態が不安定なものが壊れないはずもなく……わりと共に死線を潜り抜けてきたので少々愛着も感じるわけで。
「あー、レイ」
「なんだい?」
「砕器が傷ついたら直せる?」
レイはうーん、と少し悩んだ後、ぽん、と手を打って答えた。
「そういえば、生前が鍛冶屋だった人がいたねぇ。その人の砕器は確か金槌」
「うん、やめとく」
叩き割られそうだ。武器を潰した後はこちらの頭を潰しにかかるに違いない。無手で金槌とか怖すぎるから。金槌は鈍器中の鈍器だし、素人だって人を殺せる代物だ。それが鍛冶屋なんて金槌を年がら年中振っているプロが使ったら……想像するだけで恐ろしい。殺し屋でなくとも、手足のように使えるにちがいないのだ。
それに、撲死は痛い。絶対嫌だ。
言ったレイはこちらの焦った表情ににやにやと笑っている。こいつ、わざとだな。
「レイ、叩いていい?」
「いてっ、……訊くなら返事待とうよ」
かこん、と乾いた音がする。
無意識に砕器で叩いていたらしい。まあ、お互い様ということで。
「うぅ、結構痛いから。本当痛い」
頭を押さえるレイにさすがに悪いと思い、擦ろうと手を伸ばしたとき。
「──え?」
幻覚だろうか。
レイの黒髪から見る間に色が抜け、灰色に変わっていく。
目を擦ってみる。しかし、変わらず灰色だ。
「レイ」
「君……」
レイに声を掛けると同時にレイも呼び掛けてきた。レイは砕器を見ている。
その視線を追うと──
「あ」
砕器のひび割れ部分がどんどん広がっていた。思ったより重症だったのだろうか? ふと不安になる。
変化は続く。砕器の表面がぴりぴりと剥がれ落ちていく。ただの黒い塊だったそれに大きな変化が訪れる──と思いきや、表面の黒が剥がれて、少し薄い灰色の面が現れただけだった。ただの黒い塊がただの灰色の塊に変わっただけ。
正直、拍子抜けだ。
しかし、先に気づいたレイは弾んだ声で言う。
「すごい、すごいよ。君ってやっぱり特異だね! こんなの見たことない。やっぱり君が」
レイが振り向く。灰色になった両の三編みが揺れる。
「世界の歯車を回すんだ」
「歯車……?」
その表現が気になったが、笑顔で流されてしまう。
世界の歯車ってなんだ? 輪廻の道で殺し合いを続ける人々のことだろうか。殺し合いなんてさせておいて、歯車扱いとはひどいな。天使目線だとそうなるんだろうか。
「弟子よ」
その声にはっとする。師匠! すっかり忘れていた。
「師匠、ありが」
「伏せろ」
「え」
シュッ──ものすごい速度で、頬を何かが掠めていく。師匠の言葉が突然すぎて、反応が遅れた。頬が熱い。
瞬間、師匠の思惑を察し、慌ててレイを押した。レイは別段慌てた様子もなく、されるがままだ。
どうやら存在を忘れていたお怒りではないっぽいけど……
「師匠、何するんですか!」
「お前が遅いのが悪い。あと、何してくれている」
外れたではないか、と師匠は嘆息する。
──やはり、わざとだったのか。
「どうしてレイを殺そうとするんです?」
先程頬を掠めていったのは、師匠のナイフ。つけられた狙いは明らかにレイだった。
「愚問だな、弟子よ。──そいつを殺さねばならないからに決まっている」
「それが何故かと訊いているんです」
言い募ると、師匠は眉をしかめた。ついっ、とレイを睨み、お前、とだけ呟いた。
「言う必要がないと思ったからです」
レイは師匠にからりと微笑んで答えた。
意味はわからないが……
レイは隠し事をしている。それは確実だ。しかも、殺し合いの世界の中で、輪廻転生の切符を手に入れるよりも優先されるレベルの重大で良いか悪いかで言ったら悪い方の隠し事を。しかも重大な。
ただ、レイが殺されるのはなんか嫌だ。
決意を固め、躊躇いなく師匠とレイの間に立つ。
「理由もはっきりとしないまま、レイを殺そうとするなら、たとえ相手が師匠でも許しません」
本当は師匠と戦うなんて御免被りたいけれど、ただ一人の[敵ではない人物]を殺されたくはない。だから、決然と師匠を見据えた。
その決意を読み取ったはずの師匠は、何故か憐れむような視線を向けてきたが、それをすぐに打ち消し、そうか、と呟いて刃を収めた。
「弟子よ、お前のためにも歓談したいところだが、疲れた。敵も数はそういない。束の間の休息としないか?」
「はい」
師匠がその場に座り込みながら言うのに同意した。さすがに疲れた。負傷もしているし、猛者との連戦はこれ以上は勘弁だ。頭を整理したい。
そう思って、師匠の隣に腰を下ろした。
「時に弟子よ」
こちらが腰を落ち着けるなり、師匠が言った。少々声色が固い気がする。
「なんですか?」
師匠の声色に少し緊張しつつ返した。
「私は手加減はするなと教えたはずだが?」
あ、そのことか。師匠にはあれが手加減しているように見えたのか。
「したら切腹でしょう? 覚えてますよ」
「ならば何故?」
師匠の表情は険しい。誤魔化そうものなら頼まずとも介錯する気だ。
嫌なので、真面目に答えた。
「してませんよ。切腹嫌ですし。……ただ、強かっただけです」
弟を思う黒兎の紅い瞳。兄のために必死だった人狼の狂気。
強かった。あの二人は強かったのだ。手加減なんて、とんでもない。そんなことをしていたら、今ここにいないだろう。頭を撃ち抜かれるか、胴を真っ二つにされるか。死んでいたのは確実だ。決してこちらがずっと形勢的に有利だったわけじゃない。こっちは一人なのに向こうは組んでるし、その他大勢まで参戦しようとしていたし。その他大勢にまで構う余裕はない。自分の命を守るのでいっぱいいっぱいだった。少しでも気を抜いていたら、脱落者になっていたにちがいない。──そう確信できるほど、彼らは強かった。
何故かもわかっている。
「守りたいもののために戦う人が 強かっただけです」
それは、自分にはできなかったことだから。
自分にはない強さだったから──
言い訳めいた本音が心なし以前より翳った空間に、ぽつりと落ちた。
あの頃。
年齢不詳だけれど、白髪の老人だった師匠と、師匠の元で出会った親友と、三人で過ごしていた日々。
戦いを重ねる毎に戻ってきた記憶を一つ一つ振り返る。
師匠はさっきも言ったとおり、白髪で、一目で老人とわかる容姿をしていた。まあ、皺はそんなになかった気がするが、少なくとも、今目の前にいるような豊満な体を持つ妙齢の女性ではなかったことは確かだ。
師匠の詳しい経歴は知らないが、見た目は老いても戦闘のプロとしての腕前に衰えはなく、師事していた自分たちは何度も投げ飛ばされたり、竹刀で打たれたり、喉にナイフを突きつけられたりしていた。今思うとろくでもないな。
師匠には色々教えられた。世の中の厳しさ、理不尽、人を殺すということ……
「人を殺すにはそれ相応の覚悟が必要、という言葉はよく耳にするだろう? だが私にはよくわからん」
「わからんって、師匠」
「はは。要は、命を奪うという行為に何か感じろということなんだろう。
私の考えをお前たちに押し付けるつもりはない。だから、自分たちで自分なりに感じるんだ」
師匠はあのとき、何を思っていたんだろうか。
隣に座り、ふう、と息を吐く師匠を見やる。
「師匠は、」
「ん?」
口を開いて、何と訊こうか悩む。
師匠は、この世界について何かを知っている。もしかしたら、なくなってしまった記憶についても知っているかもしれない。
けれど、訊くべきなのだろうか。
わからない。
「師匠は、あいつと二人で看取ったんですよね」
わからないまま、そんなことを確認した。
「ああ、そうだったな」
「ご家族、呼ばなくてよかったんですか?」
師匠は死の間際、自らの弟子二人に看取られることを望んだ。二人だけでいい、と。
そういえば、師匠の家族の話は聞いたことがない。
「私は天涯孤独だよ」
師匠から、そんなあっさりとした声が返ってきた。
「休みがてら、話してやろうか。私がお前たちに出会うまで、どんな人生を歩んでいたか」
──少し、どころではなく、興味がある。
深く頷き、師匠の言葉に耳を傾けた。
「僕も聞いていいかな?」
レイがふわりと灰色に変わった地面に足をつけた。
師匠は切なげに目を細め、静かに頷いた。
紅い唇がそっと言葉を紡ぎ始めた。
「私はな、物心ついたときには、一人の男とともにいたのだ」
懐かしむような目で灰色にくすんだ中空を仰ぐ。
「その男は、私の実の親ではないと早々と明かした。幼い私は信じるしかなかった。実の親の意味もよくわかっていなかったが。
養父は私に様々なことを教えてくれた。自分の身は自分で守れ、と。女であろうと子供であろうと、己の身も守れぬような者は、すぐ世界に殺される、と。
真っ先に教えてくれたのは、人の殺し方だった。心臓を貫けば、脳天を撃ち抜けば、人は確実に死ぬ、と。人体の構造も教わったな。太い血管が流れている場所、どうやったら脳震盪が起こり、気絶させられるか。心臓や脳天以外の急所と呼ばれる場所。どこをどうしたら、失血死までいかなくともショック死させられるか。戦い方を教わった。あらゆる武器の使い方、知る限りの武器全てのな。──ちょうど、お前たちに教えたように」
懐かしむような眼差しを今度はこちらに向ける。なんとなく、師匠の見つめる中にレイの姿も入っているのが気になったが、師匠が次の言の葉を紡いだため、そちらに集中する。
「養父は、殺し屋だった。私がそれを知ったのは、齢が十を数えた頃。人を殺す養父を私はそこで初めて見た。──仕事だと言っていた」
仕事──なんとなく、自分の発言を重ねてしまう。
この殺し合いの景色も、仕事場の一部──殺すことが仕事だった自分。そうすればお金が得られたし、依頼者の伝手で優遇された。食うに困らない、雨風を凌げる場所にいられる。達成感はどうでもいい。世の中は結局金なので、手っ取り早く稼げる方法だったし、ついでに自分の身も守れる。生きることができる
結局生きたくなくなって死んだので、苦虫を噛み潰したような気分だ。
師匠の語りは続く。
「殺し屋稼業で稼いだ資金を私の養育費に回しているのはなんとなくわかった。私は当時、無力だったし、手伝うことはできなかった。だからせめて、養父の殺し屋の姿を目に焼き付けようと、仕事について回った。そうしないと何か、申し訳なくてな。
でも、それが養父の足枷になっているとは、気づいていなかった。──どういう意味か、わかるか?」
「養父さんの、弱点として、認識されてしまったんですね」
師匠は深々と首肯した。
「ある日な、養父を敵視していた同業者が、私を人質にしようと襲ってきたんだ。それを知って、養父は怒り狂ったよ。殺し屋のくせに温厚な養父があそこまで怒ったのは、後にも先にもあのときだけだ」
「養父さんが助けてくれたんですか」
口にした推測に師匠は首を横に振る。思わぬ否定に目を丸くする。レイも驚いたようで、え、と声を上げた。
師匠は自嘲まじりの苦笑を浮かべ、こう言った。
「そのとき、初めて人を殺した」
灰色の空間に師匠の言葉は静かに落ちた。
「養父が怒ったのは、そのことに対してだ。私が襲ってきた殺し屋を殺してしまったこと。負わせたくなかったのに、と──泣き叫んでいた」
師匠はこちらから目線を外し、再び灰色の中空へ戻した。
「私に殺しの術を教えてきたのに、おかしいだろう? 私は自分の身を守っただけだ。教えのとおり、自分の身を自分で守っただけ。何故養父が怒るのか──悲しむのか、わからなかった。
それからも、私は狙われた。養父は片時も私から離れないように、私が襲われたとき、人を殺してしまわぬように、ずっとついていた。殺し屋として優秀で、その名を轟かせていた養父は、同業者から妬まれていたらしい。いつも来るのは殺し屋ばかりだった。養父は必死に、同業者を殺していった」
辛そうな顔を今もよく覚えている、と師匠は呟くように付け加えた。
「何故そこまで必死になるのだろうと疑問に思ったものだ。私は一人でも身を守れるのに。──けれども、それは私の傲りだと、間もなくして思い知った。
あの強かった養父が、私を庇って同業者の凶刃に倒れた。私には何が起きたかしばらくわからなかった。呆けていた私に、養父は最期、こんな言葉を遺した」
すっ、と視線をこちらへ向け、言い放った。
「どうか、お前は、来ないでくれ。この道に……と」
「師匠、それは」
師匠が今、伝えたい言葉ですか?
「さあな」
師匠は疑問を言い切る前に答えた。
「私はそれから知ってのとおり、養父との約束を守らず、その道を歩んだわけだが。歩んでいるうちに、私自身も強くなった。ただし、私を狙う者は現れなかった」
師匠は鬼のように強かったという。[黒兎]や[人狼]のような渾名こそなかったが、それこそ泣く子も黙る凄腕の殺し屋だった。自分たちが師事していたときも恐ろしい強さで、師匠から一本も取れたことはない。返り討ちに遭うだけだった。
その強さに恐れをなし、師匠を狙うなんて無謀な真似をしようという人間など皆無になったに違いない。
「私は大した障害もなく、そこそこ楽しく過ごしていたよ。
そんな過ぎゆく日々の中で、私はお前たちに出会った」
とん、と師匠が立ち上がる。話はここまでだ、と口にこそ出さないが雰囲気が語っていた。
「さあ、弟子よ。つまらん話は忘れて、久々に手合わせといこうじゃないか」
「え」
思わず固まる。
「嫌ですよ」
「何故だ?」
「だって師匠、鬼のように強いんですもん」
勝った記憶がない。
「ははは、私は久方ぶりに弟子と再会したら是非とも手合わせ願おうと思っていたのだが。お前があれからどれだけ成長したか確認できるのが楽しみで楽しみで仕方がなかった」
「し、師匠……」
穏やかな口調に似合わぬ凄みが顔だけでなく、雰囲気にまで出ている。正直、怖くて戦いは御免被りたいけれど、断ったらどんな目に合うかわからない。こちらに選択の余地なんて残されていなかった。
忘れていた。この人はそういう人だった。
「わかりました。やりましょう。でも、武器、これでいいですか?」
表面が剥がれて黒から灰色に変わった棒状の砕器を示す。正直、師匠と戦うのに何で対応したらいいかなんて浮かばない。
そんなこちらの思いを汲み取ったのか、師匠はにっこり笑って
キィンッ
「し、師匠。さすがにいきなりは酷いですよ」
「ん? これでまともな武器になったからよかろう?」
そういう問題では、絶対ない。
師匠はにっこり微笑んで、得物で急所をついてきた。
咄嗟にそれを受け止めた砕器は師匠と同じ短刀に変わっていた。
武器が云々というこちらを気遣っての行動だったらしい。
「これで心おきなくやれるだろう?」
「そうですけど──そうなんですけどっ!」
笑顔で攻撃とか怖いですから!! しかも何の躊躇もなく鳩尾刺してくるとか、殺気気取らせないとか、反応できただけ奇跡ですからね!?
さすがといえばさすがだが、受けるこちらの身にもなってほしい。腕が鈍っていないどころか、自分の知る生前の師匠より強いかもしれない。そう感じる一撃。やだ泣きたい。
──敵が待ってくれないのは、当たり前だけれども。
「急かさなくてもやりますよ。レイ、下がってて」
「うん」
レイに目をやると、素直にじり、と退いていた。光の加減か、灰色に変わった髪が白っぽく見えるような……? しかし、ゆらゆら揺れる二房の三編みは薄くなってはいるものの、まだ残る黒みを帯びた光沢を放っていた。──気のせいか。
師匠はこちらをどこか切なげな表情で見つめ、待っていてくれた。
「お前はいつも……」
師匠が何やら呟いたが、よく聞こえなかった。
直後、師匠の表情が消え、緊張が走る──
がちんっ
首を狙った突きの一撃を刃の平面で弾く。鍔迫り合いをしてはいけない。相手には実力、経験、才能というアドバンテージがある。競り合おうものなら、宥めて、すかして、切り払う、短刀の専門家である師匠に分があるのは明白。
火蓋が切って落とされた。
咄嗟の選択で今回の得物は師匠と同じ短刀にしたけれど、問題はない。これが一番の得意武器だから。
しかし、師匠の得意武器も短刀。だから、師匠の砕器も短刀なわけだ。いくら自分の得意武器を手にしているとはいえ、相手は得意武器を持つ師匠。勝てる気がしない。
けれども、やるからには負けたくない。
とん、と地面を蹴り、師匠の元まで間合いを詰める。勢いのままに脳天めがけて刃を突き出す。
師匠は何事でもないかのようにひょい、と横に避け、突き出された手を掴むと、くるりと流麗な動きで背負い投げをきめる。
地面に叩きつけられ、思わず呻きが漏れる。素早く立ち上がり、師匠の様子を伺いつつ、自分の現状を把握する。
どうにか受け身は取れたが、投げられついでに捻られた手首が痛い。痛みに砕器を取り落としそうになるのをこらえ、握り直した。ぎゅ、と力を込めると鋭い痛みが走る。利き手なのに。──まあ、師匠はそれを知ってのことだろうが。
仕方ない、と溜め息一つ、逆の手に持ちかえる。師匠はその隙も逃さない。
手から手に武器を持ちかえるほんの一瞬、その一瞬を狙い、師匠がこちらへ突進、砕器めがけて自らの得物を突き出す。
普通はそんなぎりぎりの方法で相手の得物を取り上げようなんてしない。けれど師匠は規格外。
こちらの砕器の柄に師匠の切っ先が当たる。カンッ──そんな音を立てて砕器が弾かれ、手の中に収まるはずのそれは上へ。
まずい。
無手で戦えないことはないが、かなり苦手だ。それに対して師匠は無手でも強いし、愛用の短刀がある。さすがに無手で勝つのは厳しい。
しかし、武器を取ろうと動くのは悪手。師匠は短刀を投げて軌道を反らしにかかるだろう。
ならば、目には目を。
師匠に肉薄する。師匠はこの行動を予測していたのか、余裕のある動きで短刀を振るう。横薙ぎに振るわれたそれを見て、普通なら退くところを、躊躇いなく踏み込む。
ざしゅ
「──っ~~。やっぱり痛い」
「いや、当たり前だろ」
「君……」
呆れ声の師匠と、絶句するレイ。
その視線は師匠の短刀を受け止めた手に──刃が深々と突き刺さった手に注がれていた。
「当たり前と言われても、痛いものは痛いですよ」
言いつつ、刺さったそれをがしりと掴み、師匠の手から奪いとる。平然と抜いてからん、とできるだけ遠くに投げる。
「なかなか大胆なことをするな」
「これくらいしないと師匠には勝てませんよ」
「ほう、空手で勝つつもりか?」
「いえ、勝てる気は全く」
ずり、とレイがずっこける。師匠は声を上げて笑った。
「ははは! 本当、お前はそういうところ、変わってないな」
「ええと? もしかして、よくない意味で笑われてます?」
いいや、と師匠は笑みを収めて補足した。
「お前のそういうところ、好きだよ」
「けほっ」
予期せぬ台詞に変な咳が出てしまった。
「はい?」
大方、いつものようにからかって楽しんでいるのだろう、と顔を上げると、これまた予想外なまでに真面目な師匠の眼差しに出会う。
「……師匠、柄じゃないでしょ、それ」
「ああ。試してみたが、存外気恥ずかしいものだな、弟子よ」
「全然恥ずかしそうに見えませんけど?」
むしろこっちが恥ずかしい。
「そう睨むなよ。最初で最後の正直だ。素直に受け取れ」
「……え」
最初で最後?
妙に引っ掛かる言葉だ。それに、正直って──
そのとき。
すっかり頭の隅に追いやられていたものが降りかかってきた。灰色の中空から、きらりと一瞬、またたく煌めき。それはよく知る煌めきで──馴染み深すぎる輝きだった。
そう、灰色の天から一筋の流星のごとく降り注ぐ光刃。
師匠に弾き上げられた砕器。
無機質なその星は、真っ直ぐと師匠の元に落ちていく。
やけに、ゆっくりと。景色は流れて。けれど全く体は、動かなくて。師匠も、動かなくて。
そのまま、鈍く光る刃は師匠の胸に
突き刺さった。
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