第9話 tired《後》
かちゃかちゃ。
金属の擦れるような音を辿って、目標の人物を見つけ出す。
結構歩いた。レイと師匠は鎧型と遭遇した現場から動いていないらしいから、どんだけ走ったんだよ、お前、という話である。この世界は色が変わらないから、時間感覚も距離感覚もバグってしまうけれど、体は正直だ。足が疲労を訴え始めている。
ん、いや、世界の色は変わっている。少し薄暗い感じになった。黒に近い灰色、だろうか。そういえば、前から少しずつ、最初のような真っ白には見えなくなっていた。
いつからだろう? ──と考え始めたところで棘鎧が見えてきたので思考を変える。
かちゃかちゃ、かちゃかちゃ。近づくと、なかなかに五月蝿い。
そのことに眉をひそめたけれど、ふと気づいて、立ち止まる。
震えている?
よく目を凝らし、棘鎧を見ると、所々血のまとわりついたそれは小刻みに震えていた。いや、数多の血が錆び付いているし、何なら乾いていない血もある大型の鎧ががたがた震えてるなんてホラーでしかないのだが。鎧型の砕器使いを臆病、と称したレイの言葉を思い返す。なるほど。
「あの、そこの鎧さん」
思いきって、距離を開けたまま声をかける。鎧ががちゃん、と反応した。大袈裟な。
「な、に?」
鎧から聞こえたのは思ったよりも高い声。自分より二回りくらい大きな鎧だから、野太い声が返ってくると予想していたため、虚をつかれる。
「ええと、君と、話がしたいんだけど。いいかな?」
「え」
早くも食いつくか、と思ったが、相手もそう素人ではない。この世界だけで言えば大先輩だから、このように声をかけられた経験は数あまただったのだろう。すぐ身構える。
「そう言って、隠した武器で襲う気なんだ?」
武器を隠して忍び寄る。なかなか使い古された手だ。この世界にはそう手練れはいないようだから、当然と言えば当然の手だが。
やれやれ、と両手を上げる。その片方には灰色の棒。説明するまでもなく、独特なこちらの砕器である。言っておくが、これでは武器にもならない。
「残念だけど、こっちにあるのはこれだけ。これ、砕器なんだけど、このままでは鈍器にすりゃならん。困った代物だよ」
あっさり武器らしきものを出され、戸惑い始める鎧型。ずっと思っていたが、とてもその道の手練れの雰囲気はない。むしろ狩られる側の小動物に見える。
とりあえず、今は警戒心をいくらかでも解くことに専念だ。
「話がしたい。本当にそれだけ。この世界に残っている人間はあとわずかだ。自分は特段生き残りたかったわけじゃない。だから話だけ聞いて回っている奇特な人間さ」
自分を奇特というのはどうなんだろう、と内心で苦虫を噛みつつ、相手の出方を窺う。
かちゃり、と音がした。鎧型は若干肩の力を抜いたらしい。結構、かもしれないが。
多分、ここからは安心して話せるだろう。相手の警戒がだいぶ緩んでいる。タイマンでやって勝てる気もしないから、初めから危害を加えるつもりなど塵ほどもない。それでも念には念。砕器を鎧の方へ先に投げてから、ゆっくり歩み寄る。この動作で相手の警戒心はほぼ消え失せた。やはり、手練れではないようだ。
武器が一つとは限らないじゃないか、と突っ込んであげようかとも思ったけれど、せっかく解けた警戒心を植え付けることもないだろう。
両手を上げて、近づく。鎧型と向かい合って座った。
「それで、何が聞きたいの?」
鎧型から問いかけてきた。が、ちょっと待て。今、ものすごい違和感が脳裏をよぎったような。
「ええと、ね。君が、戦う理由を知りたい」
「私、が?」
違和感が抜けないまま、会話が進む。嘘は吐いていないが、違和感のためにむず痒い。
そしてそれは鎧型の次の一言で明らかになる。
「私は戦いたくなんてないわ。こんな世界に来たくて来たんじゃない!!」
「君……」
「何!?」
「……女の子、だったんだね」
鎧が大きいから、てっきり男だと思っていた。いや、ガタイのいい男でもこの鎧は持て余さない? 本当どうなってんの? 砕器って。
口調や小動物のような怯えっぷりは女の子そのものだった。というか、これで男だったら引く。
「そう、だよ? あれ、わかん──なかったよね。うん」
そう繰り返す鎧型の彼女からはもうすっかり警戒心が抜けていた。自分が全身鎧で姿形の原型がわからないレベルになっていることを忘れていたらしい。それじゃあもうただの歩く兵器だからな。悪即斬の勢いで攻撃されるか。みんなは生きたいんだもんね、うん。とこちらが納得しているうちに、彼女は顔をすっぽり隠している冑に手をかける。
「私を殺さない人なら、顔見て話した方がいい、よね?」
かしゃん、と小首を傾げる。いや、そんなこと聞かれても。というか顔晒すとかいきなり心開きすぎじゃありませんか? 元殺し屋の一端としてはせっかく顔を知られていないのにわざわざ晒すという行為に抵抗を感じる。それを率直に指摘しても彼女の警戒心が蘇るだけだろう、と黙っていることにしたが。
「私、素顔晒すの、久しぶりです。この砕器を受け取って以来」
その言葉に、何か違和感──嫌な予感がした。
もしかしたら。いや、まさか。そう思ったが、直後、そのまさかは現実となる。
「え? え? いや……いやぁっ!?」
がちゃがちゃ、がちゃがちゃ。彼女は冑を揺する。けれど、金属音が五月蝿いばかりで、それは取れようとしない。
「やあぁっ! なんっ、いやぁっ!」
がぢゃがぢゃがぢゃがぢゃがぢゃがぢゃ。
悲鳴を上げながら壊れそうなほど冑を揺する。半ば錯乱気味だ。
ぶくぶくと腹の底から沸くような気持ち悪さに包まれながら、彼女の手を取る。
「やめなって」
「いやっ!」
ばしんっ。鎧の豪腕に体ごと弾かれる。痛い。棘の部分は刺さらなかったけれど、痛い。──痛い?
何か、久しぶりに痛いような。いや、どうでも、いいか。
それより今にも暴れ出しそうなこの子を止めなくては。いや、どうしてこうなった。今回は断じて自分のせいではないぞ。
頭でぐるぐる考えながら、灰色の棒を拾い、握る。目の前の彼女を止めるのにいい策は殺すか、もしくは。
思考が脳内でまとまると、灰色の棒は形を変える。この場合、形が変わったというか、少し大きくなったというか──今回の武器は
問題は、こちらが武器を手にしたのを見、彼女の錯乱状態が悪化したことだ。
「嘘! 嘘だった! 嘘吐き! 殺さないって、殺さないって言った! あああっ!!」
うわあっはこっちなんだよな。突進してくる。これずぶずぶの素人だけど、突進することで攻撃になり、相手を轢き殺すことができるって理解しての行動でしょ? おっかな。回復してあるはずの体の各所の痛みが呼び起こされるが無視、メイスを構える。
叫びを上げながら棘鎧が突進、すんでのところで身を捻り、すれ違いざまにメイスを一振りした。
がっ
短い金属のぶつかり合う音の後、何ががしゃん、と落ちた。
とりあえず、自分が負傷していないことを確認、振り向く。
「あ、れ?」
そこには呆然と呟き、立ち尽くす栗色の髪の少女。ごつごつとした棘鎧があまりにも不似合いな小さな頭。後ろ姿なので顔はわからないが、声は想像以上に可愛らしい。
目を自分の足元に向けると、メイスですっ飛んだ冑が落ちていた。ぐしゃりと結構豪快にひしゃげている。多分修復不可能だ。彼女は平気そうだが、大丈夫だろうか。
一応冑を拾い、彼女の元へと向かう。ひょこっと顔を覗いてみると、ひゃっ、と声を上げて顔を手で覆い隠してしまう。──おい、ならなんでさっき冑外そうとしたの。
この様子だと、突然襲いかかってくるということもなさそうだ。
ま、座れば? と声をかけてみる。彼女は小さくこくりと頷いてその場に座った。変わらず、顔は覆ったままだ。
「いや、あの、冑、外したいみたいだったから、なんだけど……あの、違った?」
なかなか顔を見せてくれない彼女に恐る恐る訊ねるこれでこちらの勘違いだったら恥ずかしすぎる。
「ち、違います! いや、違いませんけど、違います」
どっちだ。
「あの、わた、私、生前からこんな性格で、早とちりで、言葉足らずで、人見知りで……だから、すみません。私の方が勘違いで、あなたは間違ってませんから。大丈夫、です」
早とちり、言葉足らず、人見知り。なるほど、行動、言動、砕器の形がこういう風に一致することもあるのか、と何故か感心してしまった自分がいる。どんな呑気だ。
「生前からの性格、ね。よく覚えてるんだ、生きてた頃のこと」
とりあえず、会話を繋げてみる。彼女は顔を覆ったまま、こくりと頷く。
「私は、普通の家庭で普通に育って、でもこの性格のせいで、あまり、友達、いなかった、です」
それに関してはコメントしづらいが。
「そそっかしくて、勘違いして、恥ずかしくなっては、その場から逃げてました。笑われるのが、怖くて」
「笑わないよ」
静かに穏やかに言った。顔を覆う手がぴくん、とぶれる。
「笑わ、ない、ですか?」
「笑わないよ。勘違いなんて誰にでもあるし。いちいち気にしてたら身が保たないよ」
すり、と彼女の片手がずれ、黒目が覗く。普通に手を外せばいいのに、と思ったけれど、急いてはことをし損じる。既に損じてばかりだから、これ以上は勘弁だ。
「働き者だね」
過去で笑う親友の顔を追い払い、目の前の彼女を見つめる。
彼女はゆっくり、手を下ろし、その顔を露にした。
現れたのはいたって普通の少女の顔だった。良くも悪くも特徴のない顔、と言ったらいいだろうか。
目は細くもなく、ぱっちりしているわけでもなく、鼻は高いわけでも低いわけでもなく、その下にちょこん、と当たり前だが口がある。髪は栗色のショートボブだ。鎧の大きさと顔のサイズが明らかに合わないことを除けば、普通としか表現のしようがない少女だ。
とても殺し合いの世界のトップを走る猛者には見えない。
生前は虫も殺していなさそうだ。
「うーんと、君は普通の家庭で普通に育ったんだよね?」
「はい、あなたは?」
「ええとね、家は覚えてない。生前は[天使]って呼ばれてた殺し屋で、自殺したらしいよ?」
「へぇ。って、え?」
さらりと告げた事実に目を剥く少女。どの辺りに衝撃を受けたのか気にはなるが、今はまず少女の身の上を聞いてみよう。
「君は、どうして死んじゃったの? 病気? 結構、かなり若いよね?」
死んだ年齢とここでの容姿が一致するのかは師匠の事例でさっぱりわからないが、目の前の少女は十代半ばに見える。
少女は直後、表情を凍らせた。恐怖にひきつれた顔で固まる。思い出したくないことを思い出させてしまっただろうか。
「話したくないなら、いいよ? 無理に聞こうとは思わないから」
「……強盗です」
絞り出すような声音が耳朶を打つ。少女は俯いて続けた。
「強盗が、来たんです。なんで、普通の一軒家のうちに強盗が入ったかなんて知りません。でも、強盗が、来て」
夜、物音で目を覚ました彼女が音のした部屋へと行くと、部屋を物色する男がいたという。
「私は、びっくりして、悲鳴を上げて。ちょっと大袈裟にも思えるくらい、声が出て。その人がこっちに来たから慌てて逃げて、お父さんがそこに来て、その人に後ろから飛びかかって、揉み合って──刺され、た」
少女の黒い瞳は暗く、冷たく、沈んでいく。その夜のことを思い出しているのだろう。
「警察に電話をかけていたお母さんも、すぐ殺された。私を庇って。私は悲鳴を上げて、逃げた。全速力で、逃げた。逃げるしか、できなかった。お父さんも、お母さんも、知らない人に殺されて、怖くて怖くて、私は、何もできない。それが怖くて、辛くて、痛く、て」
彼女は鎧の大きな手で、脇腹に触れる。顔はそのときの苦痛を思い出してか、歪んでいる。
「痛いって気づいたときには、刺されてた」
それで、死んだ、と彼女は色のない声で言った。平凡な彼女にとっては壮絶な最期だっただろう。
「そう。ご両親も、一緒に」
「いえ、両親はこっちにはいませんが」
「ええと?」
この世界には来ていないという意味らしい。それは何よりだ。
となると彼女だけこの世界に来てしまったのが謎だが。
「なんで君だけこんなとこに来ちゃったんだろうね?」
「それがわかるなら、私も苦労はしませんよ」
困り顔の少女はがちゃりと鎧の体を動かして姿勢を変える。体育座りだ。
いや、困っているのはどちらかというとこっちなのだが。
「この世界に招かれるのは、守りたいものを守れなかった阿呆ばかりなんだ」
ふと、師匠の言葉が蘇る。
この子は何を、守りたかったのだろうか。
考えて、考えて。
「君は、何かを守りたかったの?」
結局、ストレートに訊いてみることにした。
直球の質問に少女は少し肩を強ばらせ、視線をさまよわせた。
俯き、血を浴びてくすんだ鎧を見下ろす。
「私は、何も守れなかったんです」
消え入りそうなか細い声で少女は言った。
「お父さんも、お母さんも、自分の身すら、守れずにただ死んでしまった。大切な家族を、私のせいで死なせてしまった。私が気づかなければ、声を上げなければ、私だけで済んだかもしれないのに! お父さんとお母さんは、助かったかもしれないのに!!」
ぐ、と鎧の大きな手が握りしめられる。みしみしと金属が軋む音がした。きっと素手であったなら、少女の手は血塗れだっただろう。
「でも……ここに来ても結局、私にできるのは叫んで逃げることぐらい。──一体それで、何人の人を死なせてしまったんだろう?」
少女の顔に自虐的な笑みが閃く。
ただ、殺されたくなくて、逃げ続けた。殺されたくなくて人を殺す点はこちらと共通している。言ったところで、何の慰めにもならないだろうけれど。
ただ、自虐する辺り、彼女は人殺しに罪悪感を覚えるらしい。平凡に生きた人間らしい感情だ。自分は罪悪感なんて、母親の腹の中にでも忘れてきたんじゃないかっていうくらいさっぱりだ。
「この世界で、生き残りたい?」
ふと、訊いてみた。
この子は何故逃げるのだろう? それが不思議で仕方がない。もう一度死ぬのが怖いのなら、さっさと殺されてしまえば楽なのに。──それともこんな考え方になるのは、元が殺し屋だったからだろうか? こんな、物騒な考え方になるのは。
「理由なら、あります。生き残りたい、理由」
少女の返答に陥りかけた自虐思考を切り替える。
おっと、同じだと思ったら、どうも違うようだ。
「ここで生き残れば、輪廻転生を約束されると聞きました。だから、今度こそ、私は守れるように生きたい。こうやって死んでから後悔するような生き方をせずに生き抜きたいんです」
それでも私にできることは、逃げるくらいなんですけどね、と少女はほろ苦く笑った。
「あなたはどうなんです?」
笑みを収めると、少女が訊いてきた。
「どうって?」
「生き残りたい理由って、何ですか?」
つきん、と胸が痛んだ。
生き残りたい理由はなんですか。──それに答える言葉を自分は持ち合わせていない。
「働き者だね」
親友の言葉。
「働き者だね」
フラッシュバックする悲しげな微笑み。
「働き者だね」
嫌だよ。
嫌なんだよ。
嫌だったんだよ。
もうあんなことは嫌だったんだよ!! だから死んだんだ!!
──あんなこと?
あんなことって何だ?
今、何を思い出したんだ?
脳裏をよぎるのは親友の言葉ばかり。
働き者だね、と。友は繰り返し、繰り返し。
「わからない」
気がつけば、言葉を紡いでいた。こちらの返答に、少女が目を見開く。
「わからないよ。何故生きたいと思うの? 何故そう思えるの? 無理だよ……絶対、無理」
「え、だって、じゃあ、何故」
「何故ここまで生き延びたか? 成り行きだよ、成り行き。この砕器は特殊だから、自分の意志で好きに形を変えられるんだ。だからどんな相手が来ても、倒すことができた」
「そういうことじゃありません」
早口の捲し立てにも動じることなく、なげやりな回答に毅然と少女は返す。
「あなたにも守りたいと思えるものがあったんじゃないですか? それをもう一度守れたらと思うから、戦っているんじゃないですか?」
少女の問いが脳内で反響する。
守りたいと思えるものが──守れたらと思うから──戦っているんじゃ──
通りすぎていく言葉は、ちくりちくりと胸を刺していく。
守りたいもの? 守りたかったもの? 自分にそんなものがあっ……
「働き者だね」
儚げな、笑顔。
脳裏に浮かんだその笑顔に、苦笑いを返した。
「……もう、疲れたよ」
肩の力を抜いて、少女を見た。彼女はきょとんとしている。
「疲れたんだ。だから」
思い出したよ。
自分はとても、残酷な[天使]だった。
ゴッ
メイスに変化させたままだった砕器を、少女の頭に振り下ろした。
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