第3話 quiet《前》

 狙撃銃かー、隠れる場所のないこの世界ではあんまり良くないんじゃないかな。

 砕器を針にして投げる。武器から手を離しても、熟練の使い手には手応えというものがありまして。スコープから覗いていた目を真っ直ぐ貫いたのがわかった。

 砕器を拾うついでにちゃんと死んでいるか確認する。持てる砕器は一つだけとはいえ、生きている限り殺し合いには参加できるわけなので、ちゃんと死んでいてもらわないと困る。また狙われるのはごめんだ。

 ふむふむ。針が眼球から脳を貫通、こりゃ死んでない方が化け物だね。そんな化け物には勝てる気がしないから、放置放置。

 と、砕器を拾った瞬間に短刀に変化させる。振り向いてがちん、と鍔迫り合うのは刀だ。

 殺気の消し方は素人にしては上手いけど、武器と言われてイメージしたのが太刀だったんだろうな。刀の力を生かしきれていない。少し短刀をずらしてやると、すれ違うように後方にたたらを踏む。ついでに足を引っかけて転がす。

 うつ伏せになったところに刀に変えた砕器を振り下ろす。刀というのは古来、斬首刑に使われた武器だ。伸びきった筋、骨の継ぎ目、力の抜け具合……様々な要素を見極めて振れば、ほら。

 ごとり。

 生首が転がった。

 そこへ安息を与えることなくボウガンの矢が飛んでくる。

「もうやだぁ」

 かいん、かいん、と弾きながら、さすがに弱音を吐いた。

 狙われやすい。

 そう感じたのは、休む間もなく十人目の敵を屠ったときだった。ボウガンや弓矢の砕器は矢が自動補充されるらしい。が、弓矢はつがえる時間、ボウガンは装填のタイミングが必要だ。そこはどうしたって隙になる。というかボウガンの殺傷能力は低い。

 あんまり暴力とか振るったことなかったんだろうな。いい子だな。鎖鎌の子よりちっちゃいみたいなのに、変な神様に選ばれて、可哀想にね。

「ふえ」

 腕を切り落とし、がら空きになった心臓を突いた。苦しそうだったので、首を落としてあげた。

 ぼとり、と生首が地面で跳ねるのを見下ろしながら、頬についた血を拭う。

 鎖鎌の少女ほどの手応えがなくて拍子抜けしているが、あの少女と戦ってから、かなりの数の目が常にこちらを見ている。

 正直、落ち着かない。

 この世界での殺し合いにおいて、今のところ無双のような状態であるから、そこに疲労はあまり感じない。けれど、目、目、目。もうどちらを向いても誰かと必ず目が合うというこの状況は一体何なんだ? そんなに殺したいなら全員で一気にかかってきたらいいだろうに、どうして律儀に一対一を臨むかね。あれかな。みんな暴れ馬な鹿なのかな。

 視線のみでの攻撃に対する苛立ちを、襲ってきた者たちにぶつけて晴らす。そんな日々を繰り返していた。

 あー、でもあれか。協力プレイに興じたところで、それは所詮一時的なもの。輪廻の道の殺し合いは最後の一人になるまで終わらない。仮初めの仲間なんて作って、絆なんて感じたりしたら、殺しにくくなるだけだ。合理的な判断なんだね、きっと。

 人間のほとんどはお人好しで利己的だから、傷つけたくないし、傷つきたくない。なんともお綺麗ですこと。


「働き者だね」


 五月蝿いなあ。

 苦笑いを浮かべながら、刀を振って血を払う。血がばっと飛び散って、元の黒い棒に戻る。

「お見事~」

「やあやあ、高見の見物は楽しそうで何よりですなあ」

 上方に飛んで見ていた天使レイに皮肉を向ける。効いてる気はしない。レイはにこにことしていた。

 レイは何故だかずっと一緒にいる。本人曰く、[面白いから]だそうだ。


「ここは地獄絵図を描くばかりで変化に乏しいからねぇ。君みたいな異端の存在は見ているだけで面白いし、興味深い」

 ふわふわと浮かぶレイはそう言ってくすくすと笑い、こめかみから結われた三編みがその動きにつられて弾むように揺れる。遠足で浮かれる子供のような無邪気さがレイを彩る。

 レイという天使は[天使]という言葉が与える印象と違い、あまり神秘的な雰囲気はない。むしろ、ここで殺し合いを繰り広げるどの人間よりも人間らしい天使かもしれない。

 殺人に恐怖し、狂喜し、壊れていく人間と比べたら、レイは感情の宝庫だ。冗談半分の軽口を叩きながら笑うし、人々の生前かこに耳を傾けたときには神妙な面持ちになったり、苦虫を噛み潰したような渋面を浮かべることだってある。

 レイは感情が豊かだ。

 人を殺していく度に粟立つような悪寒と悦楽を同時に感じる自分などより、彼は遥かに人間らしい。


「それだけ人間に影響されてきたってことかな」

 レイは[人間らしい]という一言にそう答えた。

「僕とこの世界を作った神様が何を考えているのかは知らないけどね、ここは互いが互いに感化されやすい空間なんだ。魂が──心の塊同士がぶつかり合う場所だからね」

 心の塊、か。


「ここで戦うやつは脆く、そして強い」

 そう言ったのは、生きていた頃、師と仰いでいた人物。容姿はぼんやりとして思い出せないから彼とも彼女とも言えないが、その人はとんとん、と指で胸元を示した。

「心の塊ってのは、形がなくて、壊れるときは呆気ないが、人が持つ最強の武器だ。それを自在に振り回せるやつは、強いんだよ」


 手の中の黒い棒に目を落とす。

 この世界に来て与えられたたった一つの武器。思い浮かべたものに変容する武器。

 心一つで万の武器に変わる、黒い塊。

 鈍器だと最初、主張したのは、[振り回す]の意味を安直に捉えていたからだろう。

 砕器は人の心によって形を違える武器だから。──心の塊だと思ったんだ。

 いや、思い出したのはついさっきだから、後付けの理由だけども。


「人間って、面白いよ」

 レイの声に一人で耽り始めていた思考から脱け出す。

 無邪気な声が言葉を紡ぐ。

「君が殺したあの子、自分が死んだことを受け入れられなくて、この輪廻の道のルールも受け入れられなくて、何度も何度も殺されそうになっていたんだ」

 意外な事実を語り出す。あれほどの腕の少女が殺されかけたとは。

「その度に返り討ちにしていたんだけどね。──咄嗟に殺せてしまう自分にも、あの子は苦しんでいたよ。

 でもある日、ある人物を殺してから、彼女は吹っ切れたように殺し合いに参加するようになった」

「誰?」

「誰だと思う?」

 楽しげに訊き返されたが、全くわからない。

 流れで言えば、知り合いでもいたの? くらいしか浮かばない。

「知り合いも知り合いさ。……彼女の父親」

「え」

 思わず絶句する。


 そうか、少女は父親を──自分を殺した人物を、今度は自分で殺したのか。

 恨みつらみを抱いている様子は、全くなかったが。むしろ、彼女は父親の存在に感謝していたようだが。

「ああ、だから」

 自分の手で、と。

 本当は最初からあったその願いを確固たるものにしたのだ。

 この世界に父親が来ていたということは、彼女が守りたかった弟の側には今、誰もいない。父にも任せられないのなら、やはり自分が戻るしかない。そう考えるだろう。

「そう。願いを一つ、見据えたあの子は強かった。君に会って、負けるまで、彼女は負けなかったよ」

 強い子、だったんだ──


「そんな強者を倒したから、今君が狙われているんだろうね」

「う」

 レイの一言で殺し合いの現実に引き戻される。

 多方向から飛んでくる短刀を長く細身の棍棒に変化した砕器で叩き落とす。

「ああ、いやだ」

「言う割、楽しそうだよね」

 だって、笑ってる。

 続いたレイの一言に苦笑するしかない。

 ここに来た当初、大して記憶がなかったから、自分は生前、悪事を働いていなかったはずだ、なんて思っていたけれど。


 充分に罪深い人間だよ。

 この殺し合いを、楽しんでいるんだ。


「楽しんだもん勝ちさ」


 そんな、記憶の破片の師匠の言葉を言い訳にして。


「そういえば」

 そう言って顔を向けると、ん? とレイはどこか愛らしく小首を傾げた。

「この世界で他に強い人っているの? 前、鎧型の砕器の人が一番強いって言ってたけど、他には?」

 その質問にうーん、とレイは唸り、ゆっくりと口を開いた。

「強さで五本指に入るのは、鎧の怖がり屋と、こないだの鎖鎌の女の子と、銃士と剣士の兄弟と、無口な方天牙戟使い。次点が天寿を全うして死んだのほほんとした元殺し屋」

 なかなか個性豊かな面々だ。っていうか、こないだの子、滅茶苦茶コンプレックスの塊だった割に上位五人に入るの? こわ。

「最後のは短刀使い──切る、刺す、投げる。どれをとってもそこらのモブくんとは格が違う。でも五本指に入らないのは性格が災いしているんだね。輪廻云々より、戦うことを楽しんでいる人だから」

 戦うことを楽しむ短刀使い──何か、記憶に引っ掛かる気がする。


「楽しんだもん勝ちさ」


 まさか──まさかね。

 思い至ったそのとき、後ろからぴりぴりとした殺気を感じた。


 パァンッ……


 殺気に気づくのが遅すぎた。

 音の直後、肩に衝撃が走る。痛いという感覚はなかったが、衝撃があった部分からじわじわと熱が広がる。

 紅いものが腕を伝い、黒い棒状の砕器を伝って地面に落ちる。ぴちゃん、ぴちゃん……と雫が弾けた。

「噂をすれば、かな?」

 砕器を逆の手に持ちかえながら、レイに問う。レイは見慣れているだろうに、傷口を見て動揺しつつ、こくりと頷いた。

「五本指に入る砕器使い。銃士と剣士の兄弟のお兄さん、だよ」

 レイが手で指し示した先には、黒髪で短髪の、しかし前髪だけは目が隠れるほど長い痩身の青年が立っていた。煤けた銀色の銃口はぶれることなく、こちらに向けられている。

「自己紹介、してくれる?」

 我ながら呑気な、と思いつつ、そんな問いかけを投げてみる。

「ほとんどそいつが言ったとおり。俺は銃士。弟が剣士」

 淡白な返事が返ってきた。

「どうして、この世界にいる人は名前を名乗ろうとしないんだろうね。このあいだのあの子も名乗らなかったし、他は訊いても答えてくれないし」

「そういうくらいなら、お前、名乗れよ」

 少しむっとした声に肩を竦めてみせた。

「残念。記憶喪失でさ。少しずつ思い出してはいるんだけど、名前はまだ思い出せないんだよね」

 少々おどけて答えたが、これは事実だ。

「ふぅん。ま、いいけど」

「というわけで、そっちの名前は?」

「名乗るかよ」

「うわ、酷い。この流れで名乗ってくれないなんて」

 相手の唇が引き結ばれる。それから、どこか悲しげに歪められた。


 ちりっ、と脳裏を焼き付けるような痛みとともに、親友の顔が過る。

 いつも、悲しそうな表情ばかりしていた親友。


「未練を残すのが嫌、とか?」

 そんな問いを名乗らない青年に投げ掛けた。

 青年の肩がびくりと反応する。

「未練、だと?」

「よく言わない? 名前なんて聞いたら、殺す相手に情が移って、殺せなくなる──っていう困った話」

 にっこり微笑んで言うと、青年は戸惑いの表情を浮かべた後、くすり、と笑みをこぼした。

「困るかどうかはよくわからないけど、そうだな。そうかもしれない」


 バァン!!


 先刻より近くで放たれたその銃声は耳を焼いた。

 うわんうわんと耳鳴りがする。──避けたけれど。

 いや、違うか。弾いたのだ。刀に変化させた砕器で。

「なっ!?」

 相手は絶句。ついでにいえば、隣で見ていたレイも同様だ。

「ふぅ。なんとかできた」

 とりあえず、一息吐こう。周りの視線に色々な感情が込められている気がするが、あまり深くは考えないことにする。

 二回も銃弾に当たりたくはない。そう思っての判断だったんだけど……まあ、普通はやらないのは確かだ。だったら避ける。

 でも、避けたらレイがいる。レイに当たったら嫌だ。レイは天使という立場上、死なないのかもしれないけれど、それでも傷ついてほしくない。今のところ唯一の[敵ではない人物]だから。だから、ちょっと身をよじって、刀を立てて、銃弾を切った。一発だったからね。連発されてたら危なかったよ。

「レイ、怪我はない?」

「ないけど、君が言う?」

 レイは苦笑いして答える。苦笑いで返すしかない。確かに、肩からどくどくと血を流しながら言う台詞ではなかった。

 死んでもアドレナリンって出るのかな? それとも死人だから痛覚も死んでいるのかな? とにかく全然痛くないんだよな。まあ、肉体の構造や仕組みは人間のときのままだから、血を流し続けたらワンチャン失血死あるかもだけど。

「そっちが大丈夫ならいいんだ」

「でも、手当てくら」

「いいんだ」

 レイの台詞を食い気味に繰り返す。

「すぐ終わらせればいいだけだから」

 そう言い置いて、青年に向き直る。

 そう。失血死ってったって、すぐ死ぬわけじゃない。血が出てからしばらくはアドレナリンが分泌されて痛覚が鈍る。痛覚が鈍るのは戦闘の緊張感からだ。失血死に至るまでは多少時間がかかる。子どもだったら、血液の三分の二なんてすぐ失うかもしれないけど、子どもの体じゃないし。太い血管の近くを撃たれたから出血が派手に見えるだけで貫通はしてないし、心配することはない。自分の血より返り血の方が多いだけだ。

 それにこれは輪廻をかけた戦い、高尚な言い方をするならば決闘だ。決闘には他者の介入があってはならない。だからレイを下がらせた。殺し合いに関係がないのなら、戦場にいるべきではない。

 レイの気配が遠退くのを知覚し、すっ、と音もなく一歩踏み込む。一足とびでその懐に迫り、長刀を横薙ぎに一閃。

 カッ、キィン

 鋼と鋼のぶつかり合う硬い音が空間を切り裂いた。

 耳をつんざくような鋭さを持ちながら、どこか心地よい音色。

 見ると、目の前には茶髪の少年。彼の持つ刀がこちらの刀と鍔競り合っていた。

 刃の向こうにぎらつく瞳には狂気が宿っており、さながら獲物を狙う狼のようだ。

「兄貴を狙うやつは、この俺が切り捨ててやる……!」

 憎悪を纏わせたその少年は、力任せにこちらの刃を振り払った。

「面白くなってきたじゃん……!」

 心臓が震える。悦びに。怖れに。

 もしかしなくても、最強兄弟が揃っていた。


 ギンッ


 弾かれ、後ろに飛ばされる。殺気立った目線が容赦なく突き刺さる。たぶん自分も同じくらいの熱を返していた。

 剣士の弟は存在感が獣そのもの。両手で握って振るうはずの刀を片手で軽々と振り回す。刀って細身に見えるけど、鉄を幾重にも折り重ねて打たれているから見た目よりずっと重い。重さがないと人を斬れないから。

 飛ばされる前に相手の足を軽く蹴っておいたから弾き飛ばされた程度で済んでいるけれど、適切な対処をしていなかったら、今の一閃で内臓がまろびでたかもしれない。自分の命にひたりと冷たい刃が宛がわれるこの感覚はたまらない。こんな状況、生きるか死ぬかの瀬戸際でなければ「もっかいやって!」と要望しそうなほどのスリル。

 ふと、頬に熱が伝うのを感じた。触れると、ぬらりとしたものが手につく。

「いつの間に?」

 すっぱりと切り傷が一筋できていた。一閃だけかと思っていたけれど……

 おいおい、まさかまさか、蹴られて勢い削がれたのに気づいてもう一閃していたのかよ。化け物だなぁ。刀の射程外に吹き飛ばされていたからこの程度の切り傷で済んだ。

「ふん。今度は首が飛ぶのを覚悟しておけ」

 ぞっとする。飛ぶのが遅れていたら、その通り首が吹っ飛んでいただろう。剣圧だけでここまで切るとか天晴れだね。

 兄とは対照的に前髪を後ろに流して留めているため、少年のやたらとぎらついた目はその威力が相殺されることなく突き刺さる。

 若干狂気が宿っている気がするのは、気のせいだろうか。その目を見ていると、同類のような気がして、あまりいい気はしない。

「覚悟するのはそっち。まあ、飛ぶのは君のじゃないけど」

 とりあえず、目には目を、ということで、そう返した。

 すると、対峙している弟の方の殺気と怒気がぶわりと沸き立つ。おお、怖い。

「兄貴は殺らせないっつってんだろうがっ!!」

 弟が感情の勢いのままに突進してくる。それをかわすのは簡単だった。ひょい、と避けると弟は勢い余ってすぐには止まれず、数メートル離れたところでようやく踏みとどまる。

 しかし、それは遅い。

 こちらは半身をかえしてかわした後、音もなく跳躍し、兄の方へと降り立った。刃をその首筋へ走らせる。

 ──同時に、こちらの額に、照準がつけられた。

 ぴたり、と互いの動きはそこで止まる。

「ねえ」

 長い黒髪の向こうから、青年が問いかけてくる。

「なんで斬らないの?」

 声は落ち着いているが、苛立ちが感じられる一言だ。

「相手の力量も読めずにいるのに、下手に手加減なんてするなって?」

 苦笑まじりでそう返すと、ゆらっと弟ほどではないが、怒気が立ち上る。でも気の立ち方がそっくり。さすが兄弟。

「喧嘩売ってる?」

「うん」

 我ながら緊張感ないなぁ、と思いつつ続ける。

「だって、その方が殺りやすいでしょう? お互い」

「まあ……ね」

 正論で返され、苦虫でも噛み潰したかのように口をへの字に曲げる。

「ねえ」

 相手に喧嘩を買う気があることがわかったので、動くことにした。

 そう決めたらもう心はるんるんだ。

 だって、鎖鎌の少女と殺り合ってから、骨のある刺客がいなかった。それと同等か、上かもしれない実力者と何の弊害もなく殺し合いができるなんて、最高じゃないか。

 ここは輪廻の道。転生への切符を勝ち取るために殺し合いが許されている。だからいくら殺したって、罪に問われない。

 ちゃき、と刀を構え直す。

「その前髪、邪魔じゃない?」

「別に」

 ぶっきらぼうな返答。

「そう。……まあ、そっちが気にならなくても、こっちが気になっちゃうんだよね」


 シュッ


 風を切る音。

「兄貴!」

 弟の悲鳴。

「うん、これでいくらかさっぱりしたんじゃない?」

 にっこり兄に微笑む。

 その長かった前髪はばっさりと切り落とされ、はらはらと舞いながら落ちていく。額には掠り傷一つない。そりゃね、別に視界を奪いたいわけじゃないもん。これくらいの微調整はできないと。

 戦いにおいて視界を奪うことは戦略の一つである。特に銃士など、目で狙いを定める相手の視覚を奪うことは勝利への大きな一手だ。

 では何故視覚を奪わなかったのか。それはこの銃士の全力が見たいから。もうここまで来たら否定のしようのない戦闘狂が自分の中で嗤っているのがわかった。楽しんだ者勝ちだし。

 咄嗟のことで思わず瞑っていたらしい目。ずっと前髪の奥に隠れていたそれが露になる。

 一閃した刃が浅く入ったらしく、額にすっ、と紅い筋が浮かぶ。おや、まだまだ甘かったか、と軽く反省。けれど血が垂れて視覚を奪うというほどではない。

「てっめぇっ!!」

 弟の殺気が膨れ上がる。元からただ事ではない殺気なのに、どうして膨れ上がらせることができるのか、ぜひ教えてもらいたい。髪の毛が逆立ち、目の血走る様はさながら野生の猛獣だ。子どもがいたら一発で泣くだろうね。

 それはさておき。

 白い世界に晒された二つの瞳が開かれる。

 その双眸は、紅かった。


「黒兎」


 ぽつりと、勝手に口が動いた。

「何故その名を!?」

 その呟きに弟が驚く。呼ばれた当の本人は平静を保っているが、その瞳で何故、と問いかけている。


 黒兎。

 黒髪赤目の異貌の殺し屋。凄腕の銃士で、ライフルでの長距離射撃のみならず、拳銃での近・中距離戦闘もこなせる銃のスペシャリスト。

 赤目が白兎のようだが、黒髪だから白ではない、などという屁理屈からその呼び名がついたという。


「なんでだろうね。自分は普通の人間だと思ったのに。──思いたかったのに。きっと、その筋の道にいたんだ」

 殺し屋の情報、武器の知識、戦いの心得。仄暗い世界に生きていなければ知り得ないもの。

 自分はそれなりに普通の人間だったと、思いたかった。──事実を忘れて。

 夢を、見たかったのかもしれない。自分が人殺しなんてしない、夢を。

「いいんだ。こっちのことは、今はどうだって。それより、確認したいことがある」

「何?」

「兄貴、聞いてやる必要なんか」

「黙っていろ」

 反論しかけた弟を紅い双眸が貫く。血よりも赤くてらてらと煌めく紅い瞳。人間を喰って育った業がそうさせるかのような静かな妖しさとぎらつきは、威勢のいい獣も二の足を踏むほどの威厳だ。弟は紡ぎかけた言葉を飲み込み、口を閉ざした。

 それを確認すると、紅い双眸はこちらに向き直り、再度問う。

「何が知りたい?」

 紅い瞳のせいだろうか。無意識かどうかはわからないが、威圧感があるため、自然と緊張する。先程までの緩い雰囲気を保つ余裕など微塵もない。これが目力というやつか。

 深く息を吸う。

 そして、その呼気に問いを乗せ、放った。


「過去を、知りたい。君たちの──そして、自分の」


「ちょっと待って」

 後ろにいたレイが声を上げた。

「君の過去? それを、この人たちが知ってるの?」

「うん」

 きっぱりと頷く。それを裏付けるように、訊かれた当の本人は全く動揺していない。──いや、弟の方はレイと同じく、目を白黒させているが。

「この質問で動揺してないってことは、君はもう、気づいてるんだよね、多分。こっちは記憶がないから何とも言えないけど」

「記憶がないって……ならなんで、黒兎って名前は覚えているんだ? その様子だと、弟の呼び名も覚えてるだろ」

「ええと……人狼、だっけ?」

 弟がぎょっとする。当たりだったのだろう。

 人狼。これほど彼に似合う二つ名もない。彼の身に宿る獣の名は狼だろう。気高く、美しく、鋭く強い牙を持つ、人の形をした餓狼。

「なんでそこまでわかっていて聞こうとするの?」

「いや、名前と刀使いってことしか知らないから」

 知識としての記憶しかないのだ。それに、黒兎の方は自分の正体に心当たりがあるようだ。一方的に知られているのも何か気持ち悪い。

「いいよ。話す。だから、剣を下ろして、二人とも」

 黒兎はゆっくりと銃を下ろし、目で促した。ゆっくりと剣を退く。弟の人狼も、渋々といった様子で剣を下ろした。ひゅっ、と一振りすると黒い鞘に収まった状態へ変わる。どういう仕組みか気になるが、まずは話を進めよう。

 黒兎は武器が収められたのを確認すると、言葉を紡いだ。


「この赤目、珍しいだろう?」

 額から流れ出る紅いものを拭いながら、黒兎はふっと微笑んだ。

「うちは両親が宗教家でね。赤目は宗教的に良くなかったんだ。[悪魔の色だ]ってね。叫んで、僕に恐れおののいていた二人はなかなか滑稽だったよね」

 にっこりと弟に同意を求める黒兎。当の弟は険しい表情だ。あまりいい思い出ではないらしい。まあ、殺しの道に入るやつの身の上なんて、ろくなものじゃないはずだ。

「悪魔だ! ってなったら──悪魔狩りになるわけだよ。人間って短絡的だよね。大の大人が寄ってたかって、子供に向かって[悪魔だ、悪魔だ]って喚いてさ、よってたかって殺そうとするんだ」

 黒兎はレイを見る。つられて同じ方を見ると、苦々しい表情があった。黒兎を見る視線には僅かながら憐れみが含まれているようにも見える。

「大変ですよね、異端って」

「……そうだね」

 切なげに顔を歪めてレイが答える。

 黒兎は目を閉じ、俯き加減で続けた。

「味方は、いなかった。両親と関わりのある人はみんな宗教絡みの人ばかりだったから。殺されないために、ずっと逃げ回って、家にも帰れずにいた。──弟が、救ってくれるまでは」

 黒兎の優しい声色に反して、びくん、と人狼の肩が震える。その瞳には先程までのような狂気も殺意もなく、どこか怯えているような色があった。自分と同じ臭いを感じていたから、そんな感情もあったんだな、と思いつつ、視界の片隅でその姿を捉えていた。

 黒兎の言葉に耳を傾ける。

「ある日、帰ってこない僕を誘き出すために、あの人たちは弟を人質にとった。学校に通っていたとはいえ、まだ年端もいかない弟を。

 なんだっけ。そう[貴様の弟を身代わりとして神の贄に捧げられたくなかったら、自らの罪を漱ぎに来ると良い。ただし、神がお許しになられるのは、次の明朝までとの仰せである]だ。難しい言い回しをできれば大人って名乗れるもんなんだなって思ったよ。

 許せなかった。どっちが悪魔だ。血の繋がりを、まだ残されたたった一つの、信じられるかもしれない絆を、子供の僕が捨てられるわけ、ないだろ。──それをわかっていて、大人たちはそうしたんだ。[悪魔]の命を狩るために。

 僕はもう、本当の悪魔になってもいい、そう覚悟を決めて、家に向かった」

「兄貴っ、やめてくれ!」

 弟が叫ぶ。しかし兄はその叫びを無視し、続けた。

「押し入れの奥に仕舞われていたはずの刀を持った、血塗れの弟の姿だった」



 人狼が刀を振り上げ、飛びかかってくる。いつの間にかその刃を収めていたはずの鞘は消え失せ、ぎらりと光る鈍色の刃が牙を剥く。

 咄嗟に応戦しようと身構えるが、刃がぶつかり合う音が響くことはなかった。

 顔を向ければ、意外な闖入者が、人狼を羽交い締めにしていた。

 長く艶やかな黒髪をたなびかせた女性。女性らしい体つきがぴったりしたライダースーツによって際立っている。しかしながら、よく鍛え上げられているようで、人狼がいくら足掻いても、その腕から逃れることはかなわない。

「面白そうな話をしているじゃないか。邪魔なんて野暮な真似してないで私も混ぜてくれよ。なあ、人狼?」

 容姿に全く覚えはないが、その声色と雰囲気には心当たりがあった。

「短刀使いっ!!」

 人狼が悲鳴のように上げた叫びで疑念は確信に変わる。確信を抱くと、複雑な気持ちになるものだ。会いたかったような、会いたくなかったような。

 意を決して、その闖入者に呼び掛けた。

「師匠」

「やあ、我が弟子よ。久方ぶりだな」


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