第2話 serve

 ここに集められた人々は様々だ。

 生きていた頃、罪を犯し、病に侵され、獄中死を遂げた者、強盗に襲われ、殺された者、不慮の事故で死んだ者、天寿を全うした者等々。ここに導かれる者は無差別に選ばれるのだ。生前犯した罪が重いとか、不遇の人生を送ったとか、そんなことはない。不遇な人生を送った人もいるし、人殺しで捕まったやつもいる。輪廻の道に送られてくる者に規則性などない。自殺して来たやつもここにいるし。

 敢えて共通点を挙げるのなら、[神様の気まぐれ]だ。

 そんな理由で死んでから殺し合いをしなくてはならないとは、なんて傍迷惑な話だろう。気まぐれで選ばれた身にもなってほしい。殺し合いもそうだけど、死ぬ感覚を二度も味わうのって何気にひどくないか。自分は苦しんで死んだかよく覚えていないけど、死ぬのなんて一回で充分だ。

 実際に神様がいるのかどうかから疑問があるが、それは一旦さておこう。

「それで、輪廻転生できるのは、何人なの?」

「ん~? 一人だよ」

 ふよふよ浮かんで説明していたレイが至極あっさり続ける。

 それは蠱毒では、と思った。毒虫を壺に入れて生存競争させ、生き残った毒虫を呪術とかに使うやつ。

「一人だけ?」

「うん、一人。だからみんな必死なの」

「必死、必死……うん」

 これだけ人数がいて、輪廻転生の切符が掴めるのはたった一人だけ。一人だけ生き残った強い毒虫が転生の権利を得る。とち狂っている。

 辺りを見た。

 刺し殺し、撃ち殺し、殴り殺し──真っ白な光景を染め上げる紅、紅、紅。吐きそうなほどの血の臭い。窓もないし、風も吹かないから換気もくそもない。

 ふぅ。溜め息が出る。何度見ても、あまり気持ちのいい光景ではない。

 まるで、地獄絵図。

「ふふふ、君にはここがどう見える?」

 レイが意地の悪い質問を差し向けてくる。

 この殺し合いの光景が見えなかった当初、この空間を[天国]と表現したことを揶揄しているのだ。

 この光景を[地獄]以外の言葉で表現しようがないのを知った上でこんな質問をするのだ。

 全く、意地の悪い天使がいたもんだ。

 けれども、そのまま[地獄]と答えるのも癪なので、別の言葉を探した。

「──仕事場」

 ふと、そんな言葉が口をついて出た。

「え?」

「え?」

 レイ共々、自分の言葉にきょとんとしてしまう。というか、言った自分がびっくりしている。

 仕事場──仕事場?

 何故そんなことを思いついてしまったんだろう?

「何、君は生前、戦争でもやってたの? それとも殺し屋とか?」

「わか、らない」

 記憶がないんだ。ないはずなんだ。


「働き者だね」

 そう言って、悲しげに微笑む紅く染まった親友──


「覚えて、ない。生きていた、頃のこと、なんて」

 なんだ。なんなんだ。

 脳裏を過るこの映像は。

 親友なんて知らない。誰? 顔がよく見えない。こんなのっぺらぼう知らないよ。この血、まさか自分がやったんじゃないよね。それになんだよ、「働き者だね」って……

 もっと言うことあるだろ。

 頭がひりひりと痛い。火傷を冷やさず、風に晒していたときみたいに。

「大丈夫?」

 レイの声が、降り注ぐ。背の低いレイの声が浮いているとはいえ、上の方から感じられた。いつの間にやら、頭を抱えてしゃがみ込んでいたらしい。頭が痛い。なんで死んだのに頭痛なんか抱えなくちゃならんのだ。馬鹿らしい。

「大丈夫。記憶障害の悪影響だろうから」

「なら、いいけど」

 適当に答える。レイは不安げだ。相当心配しているらしい。死人に何を心配しているんだか、と思いつつ、でも気持ちは嬉しかったので、ありがとう、と言っておいた。

「しかし、やっぱり君は特異な魂だね。普通は生前の記憶を持ったまま来るんだけど」

 レイが呟く。ああ、でも、と独り言のように続けた。

「過去に縛られていないから、砕器が変化するのかな」

 砕器。

 握りしめた手の中の黒い棒を見る。様々な武器に変化する棒。ここに集う死者たちの魂を殺すための棒。

 先の槍使いとの戦いで、鞭と短刀に変化した。砕器とは通常、一定の形を保っているものらしい。その証拠に他の死者たちの武器の形は変化しない。西洋の両刃の剣が多いな。武器っていうと、やっぱりそういうイメージ? 武器なんて色々あるし、どれも長所と短所を併せ持つから、安易に一つと定めない方がいいと思うんだけど。


「働き者だね」


 それに……

「この形で鈍器じゃないのはやっぱり納得いかないなぁ」

「え、そこ?」

 レイから不安の表情が消え、呆れのような笑みを浮かべる。

「君って、変わってるっていうかさ、ズレてるよね」

「そうかな」

 苦笑いした。上手く話を逸らせた、とほっとする自分と、頭の中で谺する[働き者だね]という親友の声に複雑な心境になる。

 なんなんだ、この声。誰かわからないけど、一回親友って呼んじゃったから親友以外の名前をつけられない。


「働き者だね」


 勘弁してくれよ。

「まあ、君自身、わからないことだらけだろうけどね。ここでのことでわからないことがあれば訊いてよ。できる限り答えるから」

 意地の悪かった先程の質問から一変、レイは親切なことを言う。

「レイは、」

「ん?」

 紡ぎかけて、何と続けようか迷う。

 ふと、槍の砕器使いとの戦いを思い出した。そのことを問うことにする。

「レイは、殺し合いとは無関係なの? 槍使いと戦ったとき、狙われてなかった?」

 そう、あの槍使い、最初に攻撃しようとしたのは同類の自分じゃなくて、自称天使のレイだった。巻き込まれたからそのままスルーしそうになっていたけれど。

 レイは特異だ特異だと人のことを言うけれど、レイだって特異な存在ではないのか。見る限り、背中に羽根が生えてるのはレイだけだ。

 だが、レイはひょいと肩を竦める。

「何を言うんだい? 僕なんか殺したって、一文の得にもなりはしないよ。僕は殺し合い自体には無関係だから」

「そう。ならいい」

 満面の笑みで答えるレイにそれ以上追及はしなかった。

 引っ掛かりを感じたなんて、言う必要はない。いや──言う暇がなかった。


 いつでもどこでも、敵は待ってはくれない。


 ひゅん、と音を立てて何かが飛んでくる。背中に感じたぴりぴりとした殺気で身を屈めたため、それが当たることはない。槍のときと同じく、レイも一緒に伏せさせた。

 ちら、と飛んできた物体を探す。見上げると頭上にはじゃらじゃらと鎖があり、びゅん、と横薙ぎに振るわれる。

 鎖の更に先には、分銅。へえ、なかなか珍しい武器だ。

 もしかして、と鎖が飛んできた方向を見やる。

 柄の短い鎌、その刃の反対側から伸びる鎖を握る黒いチャイナ服の少女。袖無し、スリットから剥き出しの白い肌が服とかなりのコントラストを成していて艶やかだが、それより目を奪われたのは、手にしている武器。

「鎖鎌」

「よく知ってるね。君って本当、記憶喪失?」

 レイが軽口を叩くが、あまり重要ではないので、無視しておく。

 このやりとりの間に、分銅は少女の手元にしゅるしゅると戻る。

「避けるとはなかなかね」

 少女が言う。年齢は十五、六歳くらいかと予想していたが、想像以上に幼い声。そのせいで発言に背伸びしようとしている感が出ていて、場違いに微笑ましい気持ちになる。

「何か、失礼なこと考えてない?」

「ん? 別に」

 思考を読まれている気がする。こちらの緊張感がないのが悪いのかもしれないけれど。少女はぴりぴりとしていたが、特殊な武器にも拘らず、操る音は静かだ。少女の足音も静か。これは、慣れてるな。

 ということだから、いい加減真面目に身構えよう。いや、真面目だったつもりだが、どうも思考が横道に反れがちだ。

 身構える、といっても、黒い棒の砕器は黒い棒のままだけど。構えないよりはましだ。

「見たことない砕器。警棒の類?」

「類なんて難しい言葉知ってるね。ううん、これは叩いたりする武器じゃないんだ。そもそもこの状態じゃ、武器かどうかも怪しいし」

「馬鹿にしてるの!?」

 がっ。少女が鎖をうねらせ、分銅を地面に叩きつける。外見年齢にそぐわぬ凄みを醸し出していて怖い。いやでもここの床だかなんだかよくわからない真っ白いの、今の一撃で壊れないんだ。すごい。

 鎖鎌とは、柄の短い鎌と分銅が鎖で繋がれた武器だ。武器としてはあまり有名じゃないし、扱いも難しい。それを見事に操る少女。幼気に見えても甘く見てはならない。

 それに、分銅はそれなりの重さのはずだし、鉄の鎖だって決して軽くはないはずだ。少女だから小柄に見えるだけで、普通の同い年の女の子から見たら、上背もあり、膂力もあるのだろう。

 脳の冷静な部分がそう分析する中、続ける。

「いやいや。でもやっぱり納得いかないなぁ。ね、そう思わない? 棒状で刃もなくて仕掛けもないなら普通鈍器だよね」

「……は?」

 む、この子も反応がいまいちだ。レイがほらね、と視線を送ってくる。解せないが、認めるしかない。鈍器云々は問題じゃない。


「どうでもいいけど。あたしが殺すんだか、らっ!」

 言いながら、少女は鎖を振るう。分銅が真っ直ぐこちらへ飛んでくる。飛び上がって避ける。レイも浮き上がり、距離を取った。少女はレイは眼中にないようで、しかし睨み付けてくる目がかなり怖い。

 さて、鎖鎌相手にほぼ無手はさすがに厳しい。いや、それは鎖鎌に限ったことじゃないが、とにかく、武器を考えないと。どうやらこの黒い棒の砕器はイメージしたものに変わるらしいから。

「こっちの武器はともかく、そっちもなかなか珍しい武器使うんだね」

 時間を稼ぐため、知識を絞り出す。

「鎖鎌。本で流し読みした程度の知識だけど、聞いたことある」

 鎖鎌。柄の短い鎌に鎖で分銅が繋がれた武器。鎌の部分で斬りつけるもよし、分銅で殴るもよしの結構便利な武器。しかも分銅を振るう際は通常の相手より何歩か遠い間合いから攻撃できる。戦いにおいて間合いのアドバンテージは大きい。ただ、遠距離攻撃なら、間合いを詰めてしまえばこっちのもんだが、鎖鎌はそうはいかない。鎌の凶刃が待ち構えているのだ。

 近・中距離の両方に対応できる武器として、鎖鎌はかなり優秀だ。ただし、やはり扱いづらいというネックがある。使いこなせれば、かなり強い武器ではあるが。

「ふぅん、この武器を知っているんだ。一体何者?」

「さあ? 自分でもよくわからないから困ってるんだよ」

「何それ」

 鎖鎌うんちくたれといてなんだが、自分でもどうして知っているのかわからない。

「生前の知識はあるけど、記憶がないの。こっちのことはおいといて、そっちのことも教えてくれない? なんか知られてばっかでフェアじゃない」

「そんな筋合いないわ。あんたは死ぬんだもの」

 負けん気の強い子だ。正直好きなタイプな子だね。張り合いがあるから。

 でも残念。

「死ぬのはそっち」

 もう、思いついてしまった。

「話す気がないならいいよ。一連の会話は時間稼ぎだし。もう、必要ないから」

 言い放つと同時、手の中の黒い棒が姿を変えた。


 じゃらり。

 鎖が現れ、手にほどよい重みが感じられた。少しずしりとするが、ことん、と分銅が地面に落ちる音に懐かしさとともに感覚が戻ってくる。

「なっ……!?」

 現れた武器に少女は絶句する。それもそうだろう。扱いづらいとか言った直後に自信満々に出す武器じゃない、鎖鎌は。

「あんたはっ、人をどこまで馬鹿にすれば気が済むの!?」

「別に、馬鹿になんかしてないよ。使ったことあるし」

「はあ?」

 訓練で、一通りの武器は使わせられたんだよね。

 というか、使ったことがなければ、初見で避けるなんて無理な話だ。相手が手練れなら、尚更。

 そんな一言を付け加えるが、鎖鎌の専門家がそれで納得するはずもなく、それだけで人を切れそうな視線を向けてくる。そんじょそこらの大人より怖い。

「訓練って、何の訓練かもよく覚えてないんだけど。ねえ、怖い顔してないでさ、もっと話さない? 来たばっかりでここのこともよくわかんないし」

「ふざけんな。さっさと死ねばいいのよ」

 問答無用といった感じで少女は鎖鎌を振るう。ぶんぶんと振り回される分銅を避けつつ、少女に接近する。分銅での中距離攻撃から、鎌での近距離攻撃に切り替えるにはどうしてもタイムラグが生じる。そのラグを逃さず突けば、鎖鎌使いは倒せる。

 最も、そう簡単に隙を突かせるほど、相手は甘くないが。

 きん──

 金属同士のぶつかる音。少女が鎌の柄を引き、鎖を反対方向に引っ張った。おかげでこちらの鎌は受け止められる。鎌の刃と鎖が競り合っていた。

 判断が速い。切り替えにラグが現れるのは使い手が一番承知していることだが、わかっていても対処に移れる者は少ない。だから鎖鎌は扱いにくいと言われるのだ。それをこの殺し合いの世界で武器にしている。少なくとも人ば武器と言われたら、剣や槍の方が鎖鎌より早く思い浮かぶ。鞭よりもマイナーだろう、鎖鎌は。

 それでもこの少女が砕器を鎖鎌にしているのは、それだけ扱い慣れている身に馴染んだ武器だからだ。ぎちぎちと競り合いながら、少女は下半身を捻る。

 あ、やば、と思って飛び退いた。飛び退いた後を少女が下半身を捻ることで勢いをつけた分銅が薙いでいく。全身を使うというのは戦いにおいて必要不可欠だ。自分の体ごと武器を扱えなくなったやつから死んでいく。さすがに肝が冷えた。

 さて、こちらも見事な業のお礼をしないとね、と鎌の方を投げる。少女の首に届くか、と思ったが、少女はぎりぎりを見極めて屈んだ。うーん、勘が鋭い。

 少女が後ろに飛び退いて避けただけなら、鎖を首に巻きつけて締め上げることができたのだけれど。それくらい、鎖鎌の扱いに慣れていれば思いつくか。それにしても、反射神経と地面にへばりつく柔軟性は凄まじいものだ。

 地面にへばりついたまま、少女はくるりと回転する。なんだなんだ、と思いながらも、頭の警鐘に従って、足の位置に分銅を落とした。がちん、と音が鳴り、勢いで自分も後方に飛び退ることになる。

 分銅を蹴って足を獲ろうとしたのか。頭の回転と戦闘センスがすごいな。それを実行できる身体能力も。大人顔負けといっていいだろう。

 こちらが分銅を挟み込んで弾くのも想定していたのか、少女は体勢を崩さずに鎖を引き、鎌を構えて突進してくる。こちらが鎌と分銅、どちらで対応するか決めあぐねている隙を見計らっての攻撃。容赦ない。口笛吹きたくなる。

 がきんっ

「っ、うざいのよ! あんたみたいなやつ、嫌い!!」

「ふぅん。そりゃ光栄」

 殺し合うのに好かれてもね、と心の中で付け足す。

 しかし、この言葉で少女の気を収めるなんてできるわけもなく、少女が飛び退きながら放った分銅が襲いかかる。

 ぎちぎちと競り合っていた鎌同士が離れる。油断ならないと思ってわりと全力で競り合っていたため、体が前に傾ぐ。そんな好機を見逃すはずもなく、態勢を立て直す暇を与えず飛んできた分銅がずごっ、といいながら、頭に直撃する。痛い。分銅って普通に重いからね。痛いんだよ。

 まあ、ただでは起きないが。

 がしっ。

「へっ!?」

 少女が思わず声を裏返させる。

 当たった分銅が遠ざからないうちに自分の鎌で鎖を絡めとったのだ。少女は引いても引いても戻らない分銅にくぅ、と唸る。

 こちらは大して力を入れていないから結構気が楽だ。てこの原理みたいなものだ。

 これまで分銅での中距離攻撃を主体としたヒットアンドアウェイ方式を多用していたため、もしかしたら、純粋な腕力はあまりないのかもしれないと思っていたけれど、そのとおりだったようだ。いやまあこれまでの動きでも充分腕力はあるけれど、やっぱり女の子というか。基礎値が比較的低いのを技能で補っているようだった。

 さて、相手の把握はこれくらいにして、次は自分だ。まずはずきずき痛む頭をどうにかしたい、と空いた手で分銅の当たった後頭部を探ると、ぬらりとした感触がまとわりついた。

 なんとなく想像はついたが、一応手を見てみる。──歪な形の緋色に手が染まっていた。

 なんだか、痛いのに現実感がないな。今の自分が既に死人だからだろうか。それとも、砕器という武器か何かがそういう仕様なのだろうか。

 ぐい、と鎌を握る手が引っ張られたことで、思考の波から浮き上がった。

 ちょっと気を抜いてしまったらしい。少女が決死の表情で自分の得物を取り戻そうと足掻いている。

 鎌を握る手に改めて力を込める。込めたつもりだが、普段の半分も入れられていない気がする。出血のせいかな。妙なところでリアリティがあるなぁ、この世界は。

 何はともあれ、あまり長引かせるのは良くないことがわかった。今度はこちらが鎌に絡んだ鎖を引く。躊躇いなく、思い切り。大人気ない本気に少女はあっさり引き摺られ、転んで、膝小僧が痛々しく擦りむける。

 自分の頭の傷より、擦りむけた膝小僧の方がよほど痛そうだ。擦りむけたでは生ぬるい。表層の皮膚がべり、と剥がれている。見ているだけで痛い。やったのは自分だけれども。

「うぅ……」

 だらだらと流れる血。生ぬるく足を包む血の温度は気持ち悪いだろう。少女が涙目で呻く。

 少女に歩み寄った。

「痛いなら、泣いていいんだよ?」

 目の前まで来た少女を見、言う。少女はきっ、とこちらを睨み付けると、乱雑に鎌を振った。同じ鎖で繋がった鎌なんて、止めるまでもなかったけれど。

「あんたも、あたしを子供扱いして! 馬鹿にするのがそんなに楽しい? 人でなし!!」

 人でなしは否定できないな。死んでいるし。しかも自死だし。

 しかし、子供扱い? 馬鹿にする? ──心当たりがない。むしろ立派な一人の武人と思って、丁重におもてなししたつもりだが。

「別に、思ったことを言っただけだし、手加減とかはしてないよ? したら切腹だし」

「切腹?」

「あ、いや、それはこっちの話ね」


「全身全霊を以て挑んでくる相手に加減することなかれ。これを違うならば、腹を切る覚悟でやれ。そのときは介錯してやる」


 どうでもいい物騒な記憶が蘇ったなぁ。渋い表情になる。できれば思い出したくなかった御言葉だ。

 それはさておき。

「こっちはそんなつもりないけど、そっちにそう見えたんなら、謝るよ。でも、教えてほしい。どうしてそう思うのかを」

「なんで、あんた、なんか、にっ!」

 殺意を隠そうともしない眼光が向けられる。うん、こわい子だ。

「ほら、見栄張らない」

 がっ

「かはっ」

 少女は堪らず咳き込む。そりゃ、背中を鎌の柄で小突いたのだから、当たり前だ。世の鎌ならいざ知らず、これは鎖鎌だ。鎖が出ている突器部分は痛いどころの話じゃない。

「げほっ、ごほっ、かはっ……ぐ、くっ──うああああああああああっ!!」

 咳が収まると、その余波のまま、少女は泣き出した。

 からん、と意外と軽い音を立てて、少女の手から鎌が落ちる。

 泣き叫ぶ少女の背中をさすろうとしたけれど、ふと手についた緋色が目に止まり、躊躇う。そんな様子を見て、戦いを傍観していたレイが代わりに背中をさする。

 少女が泣き止むのを待つ間、辺りを見回していた。

 殺し合いは続いている。ただ、こちらを気にする者はいない。誰もが、己の獲物を追うばかりで、辺りの地獄絵図などまるで眼中にない。

 だから、泣き叫ぶ少女の空間は不可侵だった。

 地獄中の幸い、とでも思っておくことにしよう。


 しばらくして、落ち着いたらしい少女がぽつりと一言。

「話すわ」

 そう呟いた。


「あたしは、金持ちの家の使用人だった。うちは使用人の一家だったから、あたしも、親も、ずっと使用人やってた。

 使用人は何でもやらなきゃいけなかった。掃除、洗濯、料理などの雑用はもちろん、主人のスケジュール管理や、簡単な事務仕事もやった。

 そんな数ある仕事の中には[主人の護衛]というのもあった」

 少女は手を離れた自分の鎖鎌を見やる。

「最初はね、純粋にただの護衛だった。でも、主人は敵の多い人だったから、すぐ、その役目は[護衛]という名の暗殺業になった」

 暗殺──なかなか物騒な世界にいたものだ。金持ちの世界だからさもありなんなのかね。

 それにしたって若いが。

「失礼だけど、年、いくつ?」

「死んだのは十四。殺しを始めたのは八つのときから」

 その幼さで、人殺し。なるほど、性格にきついところがあるのも納得がいく。

「あたし、殺しは嫌だった。だって、他と比べられる。お前は鎌の使い方がなってないって、口うるさく言ってくるんだもの。でも、主人だったあの子は。だからずっと、あの子のために殺し続けた」

「あの子?」

 先入観があるのかもしれないが、この少女が主人を表現するには幼くしすぎではないだろうか。

「あたしの主人は、あたしより年下よ」

 疑問を察したのか、すぐに答えてくれた。

 そして続ける。

「あたしの弟なんだ」


 咄嗟に、一緒に話を聞いていたレイを見る。レイはこちらを見て、苦笑いをした。これはまた波乱万丈な、と唇が動く。もしかしたら、レイはこの手の話に慣れているのかもしれない。この世界の様々な魂の生前かこを知っているようだから。

「弟っていってもね、異母兄弟なの。血の繋がりは半分だけ。父親は一緒。その金持ちの家の家主。あたしたち一家のご主人。腹が立つほど笑える話よ。あたしはその事実を祖母から聞いたわ。母親は何も言わなかった。使用人である父親の方もね。最も、父親は知らなかったかもしれないけど」

 きゅ、と唇を一度引き結び、続けた。

「それを聞いて、あたしは、主人であるあの子にどう接したらいいか、わからなくなった。兄弟だなんて、どうすればいいのよ? それをあたしに聞かせて、どうしろっていうの?

 教えてくれた祖母は[だから守ってやれ]と言ったわ。兄弟だから、守ってやれって。

 聞いても聞かなくてもやることは一緒。何言ってるんだろうって思った。でも」

 遠くを見るような目を悲しげにひそめさせて、少女は語る。

「念押しされた理由は、すぐにわかった。──あの子、ひとりぼっちなのよ。父親も、母親も、あの子にちっとも見向きやしない。あたしの母親も、かまう訳なんかなかった。自分と違う女から生まれた同じ男の子供なんて、見たくもない──そう思っているように、あたしには見えた。

 使用人の父親は、ご主人に付きっきりだし、祖母は年を取って、体の自由が利かないから。

 ──あたししか、いなかったの。あの子がすがれる人は、あたししか。あたしが、ただひとり、あの子の味方になれたの。だから、守ろうって、決めた」

 既に手を離れている鎖鎌を少女は見やった。それは懐かしむような、悔やむような目だった。

 少し羨ましい。懐かしむことができるような過去をまだ思い出せていない身としては。悔やむような生ではなかったはずの自殺者としては、少女の瑞々しい表情変化が羨ましかった。幼い頃から人殺しをさせられるようなろくでもない環境にいたのに、義弟を素直に守ろうと自分を鍛えられるその清い心が。

 心技体というように、強い心を持つからこそ、高い技能と強い体を持てたはずだ。決着はあっさりに見えたかもしれないが、こっちだってぎりぎりですれすれの応酬だった。

「それで、君はかなりの使い手のようなのに、どうして死んじゃったの?」

 仄かな疑問を口にする。

 少女はゆらりとこちらを見上げた。

「殺し屋と、戦ったの。同じ、鎖鎌使いの男」

「珍しい武器だと思ったのに、結構使い手がいるもんなんだね」

 レイがそんな呟きをこぼすと、少女は苦笑いした。

「父親だったの」

「え……」

 レイが絶句する。

「使用人の父親。あたしに鎖鎌の使い方を教えてくれた師匠だからね。師匠には敵わなかった」

 知ってたよ、と力なく呟く。

「知ってた。あたしが実の子じゃないって。お父さん知ってたんだ。あたしに鎌を振り下ろすとき、泣きながら教えてくれた」

 少女の頬につっ、と透明な筋をつけるものがあった。

「あたし、最期にひとつだけ、わがまま言ったんだ。

 お父さんに殺されるんなら、いい。代わりに、あの子を守ってね……って」

 でも。

「でも、だめだね。覚悟を決めて死んだのに、この世界で、輪廻について聞かされて、あたし、やっぱり……やっぱり自分で守りたいって……! だから戦うの。あの子の元に帰りたいから!!」


「そう」

 酷く乾いた声が出た。

「やっぱり、わからない」

 口元が微かに緩む。自分の抱いている感情を示す言葉が見つからない。けれど、複雑な笑みを浮かべたまま、更に言った。


「わからない。生きていて、楽しかった?」


 冷たく、水面に波紋が広がるように、声が落ちた。

 自殺したからだろうか。こんな言葉が出るのは。

「あんたは、楽しくなかったみたいね」

 少女の声に若干険が滲む。険というか、嫌悪感だろうか。初対面から比べれば、だいぶ朗らかではあったが。

「そうだね。そうだったかもしれない」

 自殺をして、死んだ。妙にはっきりと覚えているこの事実。理由は覚えていないけれど、それなりの絶望をして、選んだはずだ。

「楽しくは、なかったかも」


「働き者だね」


 ちらつく顔、その記憶は胸を焼くような痛みを与えるだけで。

「きっと、生き返っても、楽しくなんかないよ」

 だからといって、この世界で幸せになれるとは、到底思えないけれど。

 でも──


「だから君を殺すんだ」


 得物を持たぬ無抵抗の少女に、大きく鎌を振り下ろした。




 ざしゅ──




「会いたかったな……」

 切り裂かれた少女は、紅く紅く染まりながら倒れ伏す。

「あの子にもう一度、会いたかった。守りたかった。死ぬんじゃなかった。あたしが守りたかったの。それがあ──……せ、だ──から」

 少女の声は徐々に掠れ、聞き取りにくくなっていく。それとともに、倒れ伏す体が紅に溶けて──白に溶けていく。

 真っ黒な彼女の髪も、服も、全て、真っ白なこの世界に消えていく。

 人のようで人でない。そう、ここは輪廻の道。魂が争う場所。

 死者たちが集う場所。

 繰り広げられているのは地獄絵図だけれども、ここは、天国なんだよ、きっと。

 だって、




 君は笑って逝った。




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