RE

九JACK

第1話 start

 目を開けると、そこは真っ白な世界だった。白すぎて自分が今立っているのか、逆さまなのか、はたまた寝転がっているのか、全く判別がつかない。……ん? でもそれは目覚めたばかりで、まだ寝惚けているからかもしれない。寝惚けているのを自覚しているというのも妙な話だが。

 わ、よく見たら自分に影がない。よく間違い探しなんかで影がないとか、意味がわかると怖い話とかで影がないことが描かれるが、実際になってみると、案外違和感がないものだな。

 お遊び感覚で手をぐーぱーぐーぱーしてみる。あはは、面白い。手相が消えている。

 とにもかくにも、ここが真っ白なことだけは確かだ。なんだか、眩しいな。くらくらする。寝起きの影響でかい。しかし、寝起きだの寝惚けだのと言っているけれど、それだっておかしな話だ。

 なにしろ、こんなことを言っている本人、死んでいるんだから。

 死んだことを自覚しているというのもまた、この奇怪な現状に拍車をかけている。でも、目が覚めて、現実感のない真っ白な光景を見せられてごらんなさい。自分は死んだのかもしれないなんて、頭の隅に掠めるくらいするでしょう? え、しない? ──結果には個人差があるようだ。

 そんな余汰話はさておき。

 死んだとはっきり言えるのには、別の理由がある。

 答えは単純明快。

 自分で死んだからだ。

 人間が持てる命、守れる命、切り捨てられる命には限りがある。自分の命をどこに置くかで、人間の人生というのは変わってくるのだろう。自分は切り捨てる命のところに自分の命をベットした。それだけだ。

 自殺なんて得られるものがない? はは、綺麗事。でも仰る通り。自分が死んだところで、得られるのは自分が死んだという事実だけで、その事実は自分の人生が完結したことを示し、それ以上の何ももたらさない。けれど、それでよかった。生きていたって得るものがなかったから死んだはずだ。


「──いが────って──うくら、なら──」


 ちりっ

「っ──」

 何かが頭を過ったけれど、剥き出しの配線コードに触ったような鋭い痛みが遮る。

 困ったなぁ、自分で死んだこと以外、何も覚えていない。覚えていないというか、思い出せない。忘却は精神の防衛本能とも言うから、一概に悪いことでもないだろう。まあ、こんな訳のわからない状況でとりとめのない思考をしているくらいだ。生前は怠惰ではあったかもしれないけれど、さして悪事も働かなかった、はず。平々凡々まではいかないまでも、死を選んだことにそう深い訳はなく、ただその後の人生と自分の命を天秤にかけて、その後の人生を捨てることにしただけだ。そう信じることにした。


 多分、ここは天国だ。地獄に堕ちるほど悪いことをした記憶もないし(いや、そもそも自分で死んだこと以外覚えていないし)、今のところ、地獄らしい苦難災難は見当たらない。

 それに、真っ白い地獄なんてあったら笑ってしまう。真っ白で、何もない、地獄。そんなの地獄じゃない。地獄はどちらかというと、真っ黒でどろどろしていて、おどろおどろしいイメージだ。こんな、紙みたいなまっさらな場所とはとても思えない。勝手なイメージかもしれないけれど、なんとなく覚えている生きていた頃の知識では、そんな印象が強い。

 記憶喪失ではあるが、知識までなくなったわけではないようだ。これは人でもいたらコミュニケーションを取れる程度には大丈夫なんじゃないか。とりあえず探索しようか。

 [ここは天国だ]なんて結論づけたのだけれど。

「しっかし、誰もいないなぁ。天国なら、天使が一人くらいいてもおかしくないと思うんだけど」

 誰もいない白いだけの空間で、そんな独り言を言ってみる。天使とか、我ながら痛いな、と思いつつ、誰が聞いているわけでもないのだからいいか、と自己完結した。

 そのとき。


「ぷっ……くく」


 あり得ない、と思っていた第三者の声。しかも笑っている。

 さっきの独り言にウケたのか? 確かに、そこそこ痛々しくて、面白いといえば面白い発言だったかもしれないが。

「だ、誰?」

 完全に油断していた。あり得ない。恥ずかしいやらなんやらで、そんな問いしか出てこなかった。すると、答えはすぐに返ってきた。

「ごめんごめん。驚かせちゃったね。あまりにも面白いことを言うもんだからさ」

 答えたのは笑い声と同じ。無邪気さを残す少年の声だ。

 しかし、どこから声が聞こえるのかわからない。少年の姿どころか、人っこ一人見つけられない。それでもきょろきょろと辺りを見回し続ける。

 すると、とんとん、と肩を叩く手があった。

「ねぇ、僕はこっち」

 その声がやたら近くでしたことに飛び上がりそうになりながら、後ろに振り向く。

 むにゅ。

「あははー! 引っ掛かったー!!」

 白くて細い人差し指が頬に刺さった。──なんて古典的な。

「子どもか!」

 あまりにも古典的な手に引っ掛かった自分に悔しさを抱きつつ、少年を観察する。いや、そこまで意識はしていなかったが、真っ白な中で突如現れた色だ。つい食い入るように見てしまう。

 少年は黒炭のような真っ黒の髪に同じ色の目を持っている。

 黒髪は左右それぞれ、こめかみの部分だけ三編みに結われていて、さらさらと流れる他の肩口までの黒髪より、動いたときの揺れが大きい。うきうきとした輝きを放つ大きな瞳も相まって、なんだかとても楽しげだ。

 背丈は頭一つ分くらい低い。今の目線自体は同じ高さにあるが、それは少年が少し浮いているからだ。

 右も左も上も下もわからなかったけれど、少年の足元には影ができていた。だからこれは、浮いているのだ。……え、影?

 深緑色のローブを纏う少年の背には──黒い翼。


「きみは一体──」

 そう訊ねると、少年は恭しく一礼し、名乗った。


「僕はレイ。君が言うところの、天使ですよ」


 少年──レイの言葉にきょとんとするしかない。

「て、天使っ?」

「そう」

 まじか。

 いやいやいやいや、冗談きつい。

 確かに、天使の一人くらいいても、なんて言ったけれど、そんなことを本気で思うほど精神年齢は低くないつもりだ。

「ふふふ、君は本当に面白いね」

 レイはまた笑う。ちょっと馬鹿にされているような気がする。

「ああ、笑ってごめんよ。だって、君ってば面白いことを言うんだもの」

「面白い?」

 いや、先の独り言に関しては否定できないが。

「どの辺が?」

「ここを[天国]なんて言った辺り」

「へ?」

 なんだか、レイの着目点は違うようだ。──まるで、ここが天国じゃないみたいな言い様。

「ここは天国じゃないの?」

「うーん、[死んだ人が来るところ]って意味では確かに天国だよ」

 じゃあ、間違っていないんじゃないか。

 責めるような視線を送ると、レイは肩を竦めた。

「君は来たばかりだから、[目]は塞がれているのかもしれないけどね。この臭いの異様さに気づかない?」

 臭い?

 鼻をひくひくとしてみるが、よくわからない。首を捻るばかりだ。

「ふーん。ま、いいや。わかんないなら、見せてもいいよね。それが主の意図するところなのかもしれないし」

 何か腑に落ちないような表情のレイが不意にぱちん、と指を鳴らす。出かけた問いを口にすることができないまま、次の瞬間

「うわ……」

 思わず、そんな声が零れた。

 目の前が真っ白な世界から様相を変える。夢から覚めたときのように色づいた景色。背景や地面は白のままなのだけれど、たくさんの人がいた。見えなかった自分は幸せだったのかもしれない。

 たくさんの人が、殺し合っていた。

 ある者は切り刻み、ある者は殴り倒し、ある者は刺し貫く。

 それぞれの武器を手に、殺し、殺されていた。


「ここはね、輪廻の道って言うんだ。輪廻転生って知ってる?」

「ええと、死んだ命が別のものとしてまた生き返るとか、そんな感じ?」

 宗教は得意じゃないんだが、一説によると、魂は死後清められ、記憶も人格もまっさらになり、新たな生命として生まれ変わる。その生まれ変わりの巡りを輪廻と言い、生まれ変わることを転生という。輪廻と転生は切っても切れない関係だから、その輪廻から外れずに魂が巡り、転生を続けることを輪廻転生というのだったか。

「うん。わかってるなら話は早い」

 うろ覚えの知識で言ったのだが、本当にいいのだろうか。──そんな疑問が過るものの、今は現状把握を優先したいので、ひとまず脇に避け、レイの次の言葉を待つ。

「ここは輪廻転生のための場所なんだ。輪廻の道を辿って行けば、やがて元の世界に辿り着いて、めでたく転生できるって寸法」

「じゃあ、なんで殺し合っているのさ」

 肝心なところをなかなか言わないレイの様子にむっとしながら言うと、レイはまた笑う。人が苛々するのを見て笑うとか、趣味の悪い天使だ。

 というか、嗅覚も正常に機能し始めたらしい。血液が酸化した酸っぱい臭いが充満している。顔をしかめたくなるほどに。ああ、夢の中にずっといたかったな。

「まあまあ、そんなに怒んないで。ちゃんと説明するから。──輪廻の道で転生できるのは、ごく一握りの者だけなんだ」

「はい?」

 うろ覚えだが、知識として、[輪廻転生]は誰にでも訪れるんだった気がするけれど。

「普通に、それこそ、君の言った[天国]とやらに行けば、誰でもなんだけどね。残念ながらここは違うんだ。神様の悪戯? ま、そんな感じでここに辿り着いちゃった魂は、殺し合って、その一握りの中に入らなくちゃいけない」

 神様の悪戯で済ませていいものなのだろうか。

「殺し合う?」

 自分でそう感じておいて言うのもなんだが、おかしい。

 だって、みんなもう死んでいる。それなのに、殺す? どうやって? そもそも死ぬのか?

「あ、気づいた? そう、殺し合うんだよ。ここにいるのはみんな魂だから。魂を殺し合うの。あれ、みんなが持っている武器ね、[砕器さいき]って言って、魂も傷つけられる優れものなの。砕器を使って殺された魂は、もう器を再生できない。魂がなくなれば、輪廻を渡ることはできないからね。そうそう、僕は君に君の砕器を届けに来たんだ」

 そう言ってレイはまたぱちんと指を鳴らす。すると今度はレイの手の中に黒い棒状のものが現れた。長さは大体十五センチくらい、幅はそんなになく、持ちやすそうな円筒状。これが[砕器]だろうか。武器の体を成していない気がするけれど。かろうじて鈍器に使えるだろうか、と期待したけれど、残念ながらレイの持ち方的にそれほど重量はなさそうだ。いや、残念ながらってなんだ。人なんて殺したくないが?

 少し不安に感じていると、レイはそれを見ておや、と声を上げる。

「砕器は使い手の前に出せば、その使い手が望んだ姿になるはずなんだけど」

「……なんで変わんないの?」

「それは僕が訊きたい」

 とりあえず、ほら、とレイが砕器を差し出す。溜め息を吐きながら受け取る。受け取っても見た目は変わらない。異常事態らしく、レイは首を捻っていた。

 鈍器だろうかと思ったが、結構軽いのでそれはないだろう。当然刃物でもない。仕込み杖のような暗殺チックな仕掛けもないようだ。

「ちなみに、他の砕器にはどんなものが?」

 残念仕様の自分の砕器から現実逃避するため、話題を変えた。

「うーん、オーソドックスなのは、剣とか、鈍器とか。槍とか銃器とかの人もいるな。少ないけど、籠手の人も。でも、ここで一番強いのは、鎧型の砕器かな」

 レイもそんな心中を察してか、結構長めに説明してくれた。

 ところが、引っ掛かる単語があった。

「鎧?」

 武器ではなく? 鎧って防具だよね。

「うん、鎧。とげとげしててね、その人の特徴はとにかく走るってことなんだけど、もう、走る凶器なんだよ」

 なんとなくわかった。殺傷能力のある突起物が無数についた鎧。走るだけでか弱い魂を屠っていく姿が明瞭に浮かぶ。空恐ろしい世界だ。

「まあ、あの子だけだけどね。鎧型の砕器なんて。この世界にいれば、そのうち会うんじゃない?」

「あはは」

 会いたくない。

 乾いた笑いを返したところで、背中にぞわりと悪寒が走った。


「危な」

 い、というのは声にならなかった。それより先にレイの手を引き寄せ、地面に伏せる。

 びゅん、とやたら大きい音を立てて頭上を何かが突き抜ける。

 ──後ろ。

「──はっ!」

「っ!?」

 レイを放してしゃがみ込んだまま後ろに足を伸ばしてくるりと回転する。

 後ろから迫っていた相手は飛び上がって避けようとするが、槍の砕器を突き出した不自然な姿勢からでは無理があったようだ。

 どてっ──鈍い音を立てて、相手が倒れる。からん、と槍の砕器がその手から落ちた。

「ふぅ、危なかった。レイ、大丈夫?」

「うん。……君、すごいね」

「どこが?」

「自覚してないところも含め、今の一連、全て」

 そんなにすごかったかな。ただ、背後からの殺気に気づいて、避けて、足かけしただけなんだけど。

 そう言うと、レイは再度笑った。今度の笑みは純粋な嫌みのない微笑みだ。

「やっぱり君って面白い」

 言っていることは同じだが。

 少し和やかな雰囲気になっているうちに、相手の槍使いは立ち上がったようだ。

「殺、す」

 ゆらり、と立ち上がった彼のぼさぼさに伸び散らかったくすんだ草色の髪が揺れる。ぎらり、と髪と同色の瞳がこちらを睨み付けた。

 その手には既に得物が戻っている。

 まずいな。こちらは黒い棒状の砕器一つでほぼ無手の状態に戦力になるかどうかわからないレイがいる。レイは天使だから殺し合いには関係ない気がするが、相手はそうは思っていない。先程の攻撃が何よりの証だ。

 この際自分が自殺者というのはさておこう。こんな何もわからない状態で、どこの誰かも知れないモブさんに殺されたくない。死にたくないということは即ち、殺し合いが基本の世界において、殺し合うということだ。

 こういうとき、人って目を細めるらしいけど、自分は目を見開いた。見開いたところで見えているものが変わるわけではないが、視野は広がる。視野が広がると何が良いか。視覚から得られる情報量が増える。

 相手の槍は、短槍。柄が長く、穂先が短いタイプで、標的の間合いの外から突きの攻撃をするのが主体だ。

 長い得物には長い得物を、と言いたいところだが、長い得物なんて使った記憶はないし、使い慣れていない武器を使い、その武器に精通した相手に挑むのはあまりに命知らずだ。といっても、自分の使い慣れた武器なんて、覚えていないのだが。

 長い得物を使える自信はあまりない。だからといって、あのぎらぎらした殺気に近づくのはごめんだ。それなら──

「なっ」

「君、それ……」

 前者は対峙している相手、後者はレイ。

「へ?」

 二人の反応に間抜けな声を上げて、視線が集中している砕器を握った手を見た。

「あ、れ?」

 先程まで黒い棒状だったそれはうねうねと波打つ長い鞭に変容していた。

 驚いたのは、それが[槍相手]と考えて、咄嗟に浮かんだ武器だったから。

「ちょっとレイ、形変わったよ!」

 よくわからない現象だが、興奮ぎみに喜んでおくことにしよう。

 これで、戦える。

 ぴしぃんっ

 鞭で地面を試し打ちする。悪くない音だ。いや、決してサディストなわけじゃない。使いこなせそうだという意味だ。

「さて、と。レイ、ちょっと下がっててね」

「うん」

 ふわりと浮き上がったレイがそろそろと遠のくのを感じながら、鞭をもう一度地面に打つ。先程より弱く。数回、そうして感覚を確かめる。

 相手は様子を窺うように眉をしかめて見つめている。

 そろそろいいだろう。

 鞭で強く地面を打つ。

 びしぃんっ

 鋭い音を立てて地面を波打つ鞭に相手が身構える。同時に鞭を少し引く。激しく波打った鞭はしゅるしゅると槍の穂先側にある相手の手を叩き、槍に迫り、巻きつき、絡めとる。相手は痛みに握っていた手を放してしまう。その隙を逃さず、鞭は容赦なくその手から槍を奪い取る。

 からん

 鞭から離れた槍が後方に転がる。それを気にも留めず、相手に迫る。

 中・遠距離が得意な鞭を持ちながら、近接戦をしようとは、我ながら馬鹿な真似をする。いくら相手に得物がないとはいえ、無謀だ。

 しかし、自然と、不思議なくらい自然と、どうすればいいかわかっていた。

 このまま突撃して仕留めるなら、短刀がいい。


 ずさっ


 手応えが、伝わってきた。

 肉体に、得物が突き刺さる手応え。

 殺した、手応え──


 よくよく考えると、肉体のない魂だから、手応えがあるのはおかしい。いや、使った武器が魂を殺すための砕器だったからなのだろうか。

 そんなどうでもいいことを考える余裕があった自分にびっくりだ。

 静かに、仰向けに倒れた相手を見下ろす。

 その傍らに膝をつき、短刀となった自分の砕器をその胸から引き抜いた。

 ずしゃり

 生々しい音を立て、紅い液体が流れ出す。

 心臓を一突き。どうやら魂らしいこの輪廻の道にいる人たちが人間の形をしているのは無意味なことではなかった。人体と構造がほぼ同じなんだろう。よかった、神様とやらが悪戯でもふもふ動物や虫とかよくわからんもんに姿を変えさせてなくて。

 槍使いは死んでいた。


「鎧型以来の、特異な砕器使いだね、君は」

 後ろにいたレイがふわりとこちらに寄ってくる。

「まさか砕器の形を変容させるなんて。どうやったんだい?」

「さあ? よくわかんない」

 引き抜いた砕器は、元の黒い棒に戻っている。全くもって訳のわからない武器だ。

「まあ、いいや」

 レイは疑問が解消しなかったにも拘らず、清々しい笑みを浮かべ、手を差し伸べた。


「ようこそ、死者の舞踏会へ」


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