第26話 男と女 ②

"今さらお前が男でも女でも、俺はどっちでもいい。性別云々関係なく、お前のことは戦友だと思っている"



"お前が危なっかしい奴だということだけは、もう百も承知だ。だから男だろうが女だろうが、俺は今後もお前に節介を続ける"




この人はいつも、私の渇いた心を潤してくれる。




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── と、思っているのだが。

先程から東郷は一言も話さず、強面の顔をさらに十倍……いや、五十倍ほど強張らせ、金狐宮の渡り廊下をずんずんと歩き進めている。……私を腕に抱きながら。



「あの、東郷さん。私、もう体力も戻ってますし普通に歩けるんですが……」


「駄目だ。妖狐との交戦が始まるまではここから出るな」


「…………」




「ここ」というのは、今度ばかりは東郷の腕中で間違いないらしい。



「それと、その左手首の傷は一体いつのものだ?」


「え? ……ああ、えっと。これは仮面舞踏会会場で紅着物に……」


「ほう? 剣傷に見えるが?」


「……紅着物と派手にやり合ってる時に、ウッカリ自分の短剣が当たってしまって」


「なるほど?」


「ええっと、で、でも、すぐに血も止まりましたし三日ほどすれば傷も薄くなると思います」


「…………」


 


東郷が文句を言いたげなじとりとした目で睨めてきたので、私は明後日の方角を見つつ右手でやんわりと傷跡を隠した。



『やれやれ、もどかしい奴らじゃ』




両手のひらを上に向け呆れたようにそう言葉を放ってくるのは、この剣傷の恩恵?を受けたあの紅着物。



「もどかしいって何が? というかお前、神獣に戻ったんだってね」




紅着物は私の血を吸収したおかげで体内の妖気が燃やされ、元の神使いに戻ることが出来たようだと先程東郷から聞かされた。



「私は普通に、お前をこの世から消し去ってやろうと思って血をぶっかけたんだけど」




私は紅着物を一瞥する。



「神獣に戻ったとしても、お前が人間たちを殺して食べたっていう事実は何も変わらない。もし今後もう一度人間界で生きていく気なら、二度と陰花の人たちを襲うな。次はない」




そう言い放つと、紅着物はぐっと唇を噛み締めていた。十中八九、この男の弟は妖狐に殺されているし、彼ら狛犬兄弟が奴に騙されて人を喰らう妖になったことも理解した。同情する余地がないこともないが、抑制はしっかりとさせてもらう。



『……我はもう妖ではない。陰花はおろか人間の血肉さえ喰えぬ。此度この若造をここへ連れて来たのは、神獣としての罪滅ぼしと妖狐への遺恨を晴らすためじゃ』




紅着物はそう言うと、館の一番最奥に位置する、とある部屋の前で立ち止まった。私はふんと鼻を鳴らした後、紅着物から視線を外し正面を向く。



『ここじゃ』




豪華絢爛な金狐楼には似つかわしくない、いかにもお化けのたぐいが住んでいそうな、薄汚れた灰色の石扉が目に入ってくる。



「……ふうん、なるほどね、妖気がだだ漏れだ。あの男の霊力は随分と破壊されてるみたいだね」




石扉には真っ黒い、まるで暗雲のような妖気が纏わり付いていた。



「東郷さん、今度こそ下ります」


「……ああ」




東郷がゆっくりと、私の身体を地へと下ろしてくれた。そこで。



「……は? おいっ!」




私は金色の、紙のような薄生地のスカートをここぞとばかりにビリビリと膝上で引き裂いた。



「一体何をしているんだ?!」



「? 長いスカートだと動きにくいので」


「……花梨崎弟。今後は自傷に加えてそのような行為も禁止だ。男の前で肌をさらすんじゃあない」


「肌を晒すって……たかが膝下ですよ?」




そう言って片足を持ち上げようとした所、「やめろ! はしたない!」と、ピシャリと怒られてしまった。東郷はだんだん兄に似てきた気がする。



『ふむ、若造よ。耳がわれの衣のごとく赤……』

「貴様は黙っていろ」


『女兄弟相手に、普通は赤面などせん……』

「五月蝿い! いいから黙ってろ!!」




紅着物が先程から何か言っているが、東郷が阿吽の呼吸の如く会話を被せてくるので全く聞き取れない。



「花梨崎弟、お前が気合いを入れて戦闘体制に入ったことは十分に伝わった。だが、お前は自身の身を守ることだけに集中しろ。化け狐の相手は俺たちだ」


「え……?」




だが、彼のこの言葉だけはちゃんと理解出来た。



「お前は大したことないと言うが、そんな訳がないだろう。女子おなごが不本意に髪を切られ、好いてもいない男に肌を触れられるなど愉快なはずはない。お前はもっと、心の感情に素直になれ。俺が全部受け止めてやる。不快なものは全部、俺が取り払ってやる」




東郷はそう言って、私のザンバラになった左側の髪を耳へとかけてくる。



「東郷さん、あの……」


「兎にも角にも。あの恥知らずどもは金輪際、花梨崎弟には触れさせん。紅着物、行くぞ!」




東郷は足裏で石扉を蹴り飛ばすと、呆気に取られている私をよそに、勢いよく部屋の中へと飛び込んで行ってしまった。



『我は我があるじ弟者おとじゃの仇を討つため。じゃがあの若造は』




今度は私たちの後方にいた紅着物が前へと出、開いた扉へと手をかける。



『カゲロウ。其方そちの身と心を庇護するために、三大悪妖が一人、妖狐を殴り込みに行くようじゃ』




紅着物は、『あの若造は其方そちが絡むと途端に気性が荒ぶりよる』とも言いながら、東郷と同じく部屋へと入って行く。



(……家僕の、世間の外れ者の私のことを、東郷さんは守ろうとしてくれてるってこと……?)




東郷に触れられた左耳が、何故だが炎を灯したように熱く感じられる。



(妖狐の時は気持ち悪くて吐きそうだったのに。……あの人に触れられるのは、全然嫌じゃない)




私はぐっと唇をかんだ。



(何か、変だ私。東郷さんの言葉一つ一つをこんなにも嬉しく感じてしまうなんて。


カゲロウのことも、本当は女だってことも、あの人に受け入れてもらえたことで、こんなにも泣きそうになってるだなんて)




心地良かったり、でも同時に心がぎゅっと苦しくなったり。



(これって一体、どういう感情なんだろう……)




だが、私はすぐさま左右に首をぶんぶん降り、両頬をパンパンと手のひらで打ち込む。



(でも今は、この不思議な気持ちが何なのかを考えるより目前の任務が優先だ。妖狐の被害をこれ以上出さないためにも、奴をここで食い止めないと)




東郷と紅着物に続いて私も部屋の中へと足を踏み入れる。



「気を付けろ、花梨崎弟」


『こやつは今、妖気が全て解放されている状態じゃ』




東郷と紅着物の姿と共に私の視界へとすぐさま飛び込んできたのは、金髪金眼の美男ではなかった。






【来たか……我が愛しき伴侶よ】




しわがれた声と全身に火傷のような跡を負った、九つの尾を持つ巨大な妖獣がそこに在った。


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