第25話 男と女 ①

「花梨崎弟! しっかりしろ……!」




東郷は血相を変えて千理に駆け寄り、うつ伏せになっていた彼の身体を抱き起こす。



「目を覚ませ! おい! 花梨崎おと……」




だが、東郷は千理の姿を見て言葉を詰まらせた。長い髪は片側がザンバラに刈り取られてはいたが、身体に付いている血は千里のものではなく、全て返り血のようだった。



"彼" の剥き出しの上半身からは、それが正確に見て取れた。



「…………は?」




東郷は千理の "裸体" を見て一瞬身動きが取れなくなったが、すぐに視線を逸らして自身の上着を脱ぎ、それを彼の身体へとかけた。



(……俺は今、何を見た?)




顳顬からはだらだらと嫌な汗が流れ始めている。



(……待て。こいつは花梨崎家の次男坊で、悠真の親友だ。聖華学習院にも男子生徒として通っている)




だが。さすがに裸体を見て男女の区別が付かないほどに目がくぐもっている訳でもない。



(待て、待て待て待て! これは一体どういうことだ? 花梨崎弟は実は男じゃなかったっていうのか? 俺はこいつの正体を根本の根本から見抜けていなかったと、そういうことなのか……?!)




東郷は汗のにじむ額を、これでもかというほど力一杯抑え込む。



(……何故、今の今まで気付けないでいたんだ。妖退治屋・カゲロウの真の正体とは、俺より七つも年下の、こんなか細い女子おなごだったというのか?)




身体を数十秒間固まらせた後、東郷は千理を抱えてゆっくりと立ち上がった。



(花梨崎姉兄が大袈裟なほどに懸念するはずだ。年若い妹が夜中に一人、単独で妖鬼と死闘を繰り返してるんだ。心配しないはずないだろう。……花梨崎兄が傷を作るなと言ったのも、こいつが女子だからか)




東郷は千理に、自身の身体を粗末に扱うな、もっと大事にしろという意味で傷を作るなと言った。だが理一朗はそれに加えて、女子が身体に傷を作ることを躊躇ためらっていたのだろう。



(こいつが軽いのも病弱なせいじゃない。男とは身体の作りが違うのだから当然じゃないか)




東郷は深い、深い息を吐き出した。視線を下げると、美しく化粧を施された千理のかんばせが目に入ってくる。



(俺は本当に大馬鹿者だ。花梨崎弟の本質なんて、本当は何一つ知り得ていなかったんだ。女が男として生きていくことに葛藤がなかったはずがない。しかも、男として生きているのに女としての辱めを受けたことも、さぞ屈辱的だっただろう)




裸体を晒され、髪を切られるなど。



「……う、ん。……あれ、東郷さん?」


「!」




東郷の全身には、妖魔時の己以上に青筋が所狭しと浮き出てしまっていたのだが、千理が意識を取り戻したため、それを引っ込めざるを得なかった。



「……花梨崎弟、気が付いたか? 具合はどうだ?」


「どうもこうも……まあ、全身の血脈を体内で荒ぶらせたせいか、頭は若干ぼうっとしてますけど」


「っ、それだけか?! 妖狐と派手に交戦し合ったのだろう?!」


「……東郷さん、何か怒ってます? それと、もしかして私の身体、見ました?」




千理が恐る恐るといった具合に、少し罰が悪そうに問いかけてきた。東郷は目を閉じ、今度は少し小さく息をつく。



「……見た」


「……そうですか。すみません、お粗末なモノを」


「っおい!」




そしてくわっと、再び目を見開く。



「あはは、冗談です。でも、そっか……性別までバレちゃいましたか」


「……お前は何故、男として生きている」


「妖狩りを行うには、その方が便利なんです。夜に街中へ、情報収集に出向くこともありますから。女子の一人歩きは何かと目立ちますし」


「…………」


「……すみません。今の今まで隠してて」


「花梨崎弟が話せなかったのは義父のめいに背くとか、大方そんなところだろう。お前が悪いわけじゃあない。むしろ謝罪すべきなのは俺の方だ。……お前をこんな目に合わせて、本当にすまん」




千理を支える腕に力がこもる。怒りの矛先は妖狐なのか花梨崎家なのか。


それとも、彼女をこのような目に合わせてしまった己自身にか。



千理が東郷のことをじっと見つめてくる。もし今、己が彼女から責め立てられたとしてもそれを甘んじて受ける覚悟は出来ている。



「東郷さん」




千理の片手が伸びて来た。彼女はそこらの華族令嬢とは違い、戦闘訓練を受けた、言わば刺客令嬢。頬への打撃、つねり、あるいは額への弾き指は、普通の女子のそれより百倍、いや千倍は強いだろう。東郷は覚悟を決め、目を閉じた。



「……はあ、東郷さん。人を暴力 モノみたいに思うのはやめて下さい」




だが、ため息と共に東郷の頬へと見舞われたのは、彼女の手のひらの温もり。



「私が東郷さんを殴るとでも?」


「……俺のせいで捕らわれ、辱めを受けたのは事実だ」


「これは東郷さんのせいじゃありません。それに、上半身をひん剥かれて髪の毛を切られるくらいどうってことないです。もちろん、今回も未遂に終わらせてますしね」


「おい、俺は真面目に……!」


「分かってます。でも、これでもあなたを混乱させてしまったんじゃないかって、私だって申し訳なく思ってるんです。男にも……女にもなりきれない半端者なのは本当ですし」




千理が乾いた笑みをもらしたため、東郷はぐっと眉を寄せた。



「……性差なんて大したものじゃないと言ったのは花梨崎弟自身だ。今さらお前が男でも女でも、俺はどっちでもいい。性別云々関係なく、お前のことは戦友だと思っている。ただ」




東郷は腕に、さらに力を入れる。



「お前が危なっかしい奴だということだけは、もう百も承知だ。だから男だろうが女だろうが、俺は今後もお前に節介を続ける」




その上「面倒くさい年上だと思うなら大いに思え」と付け加えると、千理はきょとんとした表情で東郷を見やってきた。



厄介な男だと思われようが、鬱陶しい奴だと思われようが、別に構わない。……また目を離した隙に千理を危険にさらすくらいなら、それで後悔の念にさいなまれるくらいなら、いっそ喜んで嫌われ男になってやる。



「……ぶ。あはは……!」




だが、耳に入って来たのは己を罵倒する言葉ではなく、彼女の大いなる笑い声。



「おいっ! 俺はさっきからずっと真剣に話をしているんだぞ!」


「ふふ、はい。………」


「……何でゲラゲラ笑った後に、今度は黙り込むんだ」




そう言うと、千理は東郷の首に両手を回し、身体を少し起き上がらせてきた。そして肩に自身の額を預けてくる。



「俺は何かまずいことでも言ったのか?」


「ある意味、そうですね」


「……俺は未熟者だな。戦友の心内が、まだまだ全然読み解けん」




そう言うと、千理が再び声を上げて笑い出した。



……千理が、心から安心出来るり所になってやりたいと思っている。だが今の未熟者の己では、彼女の心内を晴らせているのかがまだ分からない。



「さて、東郷さん。実は私、正確には妖狐とまだ交戦してないんです」




すると、悶々としていた東郷に千理がそんな言葉をかけてきた。



「交戦していない? なら、その返り血は一体何だ?」


「ええっとですね。全身の血脈に気を巡らせまくったところ、私の身体に触れていた妖狐が血を吐いて弾き飛ばされまして」


「……触れていた?」


「まあ、はい。おそらく、あの男を異質物だと見なした陽土の気がそうさせたんじゃないかと。つくづく、私の血肉って妖たちには合わないんだなって思いました。あ、何度も言いますが、あっちの方面は未遂ですよ?」


「……なるほど」




かかえていた千理の身体を、東郷はきつく抱き込んだ。



「東郷さん? あの、ちょっと苦しいんですけど……」


「絶対にお前をここから出さん」


「えっ?! 助けに来てくれたんじゃないんですか?」




顔に疑問符を貼り付けている千理を片手で抱き直した後、東郷はさっさとこの趣味の悪い部屋を後にしようと扉に向かって歩き出した。扉の外側には妖狐の元手下、紅着物が控えている。



『若造よ、われが先程に言うた意味が分かったかのう?』


「……ああ。この感情は弟にではなく、女の兄弟に向けるそれということか」


『……全然分かっておらぬな』




何故だか紅着物が呆れたため息をついていたが、今はそれを問う余裕などない。



(妖狐……人を喰らう化け狐め。もう二度と花梨崎弟には近付けさせんぞ。妖鬼討伐部隊の副官として、俺がケリを付ける)




東郷は千理を抱えていない方の手を懐へと乱暴に突っ込むと、そこから一粒、またくだんの "黒い処方薬" を取り出し、それを口へと放り込んだ。





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【カゲロウの体内霊力がこれほどに強いものだとは……予想を遥かに超えておったわ】





金狐宮内の薄暗くじめりとしたとある一室に、かんばせが焼けただれ身体中の至るところに裂傷を負った妖狐の "喜声" が響く。クチャクチャと、まるで動物の血骨を喰らっているかのような不気味な咀嚼音と共に。



【しかし、何故ただの人間があのような強い霊力を体内に宿しておる? 何故、その種が "かの憎き男" のものと酷似しておるのじゃ?】




人足を咥えた妖狐の脳内をぎるのは、雪の如く真白い白髪に血色の眼を持った、とある者の姿だった。

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