第23話 妖狐 ①

(ここが妖狐の根城、"金狐楼きんころう" か)




私が連れられたのは、隣国・中華大帝国を思わせるような建築様式の館。古びてはいるが手入れも行き届いており、まさに豪華絢爛な楼といった感じ。



(あの落とし穴の中にこんな楼閣まであったなんて)




私は改めて、妖界あやかしかいにおける三大悪妖の地位を再確認した。こちらの妖狐、続いて天狗、鬼とはまさに、妖の王たちと言うべき立場にいるのだろう。



(妖鬼が陰花の血肉を狙うのは、より多くの霊力が欲しいからだ。霊力が高ければ高いほど、妖界の上級層に近付ける。権力を欲するのは人間界も妖界も変わらないな)




私はふんと鼻を鳴らした。



(三大悪妖を消せば、確かに妖界に衝撃を走らせることは出来ると思う。人間の中には妖鬼に対抗出来得るだけの霊力を持つ者たちがいるんだって、抑制にもなるはず。……でも)




今を統べる三大悪妖を始末したところで、次代が成り変わるだけだ。歴史というものはそうやって繰り返されている。……ならば。



(妖の王らを従事させる "妖帝"《ようてい》" に、人間の誰かがなればいい。一番の適任者は皇帝陛下なんだけど、大日本国統治との兼任は大変だろうしな。


陛下に信頼されて妖の扱いに慣れてて、奴らの上に立てるような人が誰かいればいいんだけど)




腹前で拘束された両手へと視線を落としつつそんなことを考えていると。



「カゲロウよ、また考え事か? 其方そちは今、わらわに囚われの身だというに余裕じゃのう」




金狐楼の、いかにも王の間といった部屋の最奥で座する妖狐に、このように声をかけられた。



其方そちは血肉を喰われることが怖くはないのか?」


「……嫌がったところで逃してはくれないでしょ? なら暴れて余計な体力は使いたくない」


「ふ、ほんに肝の座った娘よ。五月蝿く泣き喚い《わめ》いて命乞いをするばかりの人間らとはやはり違う。……喰うて無くならせてしまうのがほんに惜しくなる」




「じゃあ食べないでよ」と思うのだが。唇をベロリと舐め回しながらそんなことを言われても、実に説得力にかける。



(まあ、こっちだって簡単に喰われてやるつもりなんてないけどね。……でも今は紅着物や生徒らとやり合って体力がかなり消耗してる上、双剣エモノだって取り上げられてる。何とか妖狐の寝首をかく方法を他に考えないと)




私はぐっと両拳を握りしめる。



「喰うにしろ抱くにしろ、どちらにせよその前に其方そちの身体を清めねばならぬな。さすがのわらわ其方そちをそのままに吸収しては身体がちるからのう」




妖狐が玉座から立ち上がり、ゆっくりとした足取りでこちらへと降りてくる。私は目を見開いたまま、"彼女" から目が逸らせなくなってしまった。



(……喰うにしろ、"抱く" にしろ……?)




妖狐は私の目前まで来ると、その白い手で私のあごすくいながら耳元へと唇を寄せてくる。



「ふふ、カゲロウよ。顔が蒼白じゃが大丈夫か? 其方そちは今の今まで、妾が "女" だと、そう思うておったのか?」




そう囁いた妖狐の声は低い、低い男のそれへと変化していた。



……性別を偽っていたのは、まさか私だけではなかったというのか?





------




「東郷! 東郷、しっかりするんだ……!」




聞き知った同僚の声が何度も何度も耳奥に響いてきたため、東郷はゆっくりと重い瞼を上げていく。



(……ここは、どこだ)




視界に映ったのは、きらびやな天井画ではなく、真っ白い漆喰の壁。しかし鼻に付くのはツンとした薬剤の匂いたち。



(……なるほど、病院か。なら俺は今、病床の上か?)




全身の筋肉が硬直しているのか、上手く身体が動かせない。酷い頭痛にもさいなまれている上、口の中も何故だか鉄の味がする。



(気分は最悪だ……)




だが。



「東郷、目が覚めたのなら教えてくれ。学習院の仮面舞踏会で、一体何があったんだ」




同僚の言葉で完全に覚醒した。そして。



「悠真君たちにも事情を聞いたよ。君は彼らを家に帰した後、千理君と会場内で行動を共にしていたと聞いたけど、あの子は今どこにいるんだ」




その一言を聞き、半身を勢いよく起こす。



「……っ」




さらなる強頭痛に襲われるが、構っていられない。



「目黒、花梨崎弟はどこだ!」


「それは今、私が君に聞いていることだよ。気絶していた生徒らの中に、あの子の姿だけなかったんだ。その代わり……」




目黒の視線を追うと、病室の一角で両腕を部下たちに拘束されている、あの紅着物を着た男の姿が在った。



「っ紅着物! 貴様、あいつをどこへやった……!」




東郷はベッドを飛び降り、裸足のまま紅着物の元まで駆け寄ると、彼の胸ぐらを掴んでそう叫んだ。



「答えろ悪妖め!」


「東郷、落ち着くんだ! 君たちは外へ。東郷副官が目覚めたことを医師せんせいに伝えに行ってくれるかい?」




東郷を抑えた目黒がそう指示を出すと、二人の部下たちは慌て転げるようにして病室から出て行った。



「……目黒も出てくれ。こいつには問いたいことが山ほどあるんだ」


「駄目だ。今の君を一人には出来ない。東郷が苦戦を強いられたくらいなのだから、恐らくこの者は上級妖魔なんだろう?」




目黒はそう言って、東郷の肩を掴んでくる。



「君が会場内で倒れていた時、身体中の至る所に獣の爪跡のような深い傷があった。それはこの男が付けたものなのかい?」


「……違う。俺が交戦していたのは梔子色の着物を着ていた男だ。身体を石に変化へんげさせる妖術を使って刀撃を止めた際、自身の指を噛み切って、それを俺の口内へと突っ込んできた。……その後の記憶が全くないということは、俺はそいつの血を飲んで妖魔にされていたんだろう」




東郷は両手を広げ、血色の通った己の手を見やる。



「だが今の俺は人間に戻っている。……恐らくは、」


「千理君が君を助けてくれたんだろうね」


「……お前は知っていたのか? あいつが陽土だということを」


「ああ、以前に理一朗君から聞いてる」


「……そうか」




東郷が小さく息をつくと、目黒が再び言葉を紡いでいく。



「会場にいた生徒たちだけど、全て正確に急所を突かれていた。……しかばね百鬼夜行ならぬ、華族子女百人行列が二つ、左右対称に出来上がっていたよ。でも、刀剣じゃなく手刀てがたなを使ったんだろうね。生徒らは気絶していただけで、誰一人として死んでいなかったから」




目黒がほんの少し目を伏せる。



「生徒らを気絶させたのは、千理君で間違いないかな?」


「…………」


「東郷、私も妖鬼討伐部隊の副官なんだ。もう薄々気付いているよ」


「……恐らくは妖に操られた生徒らがあいつを襲ってきたんだろう。……花梨崎弟は、二刀剣法使いだ」


「その様子だと東郷はすでに知っていたみたいだね、彼の正体のことを」


「……目黒、他の警察隊員には、」


「分かってる。絶対に口外しないよ」


「……助かる。目黒、俺は今から花梨崎弟を探しに行く」


「でも、東郷。どこに千理君がいるのか目星でも付いているのかい?」


「それは……」




われが案内してやろうか』




その時、二人の会話に紅着物の男が言葉を挟んできた。



「お前が? はっ、馬鹿を抜かすのも大概にしろ。また俺たちを罠にめるつもりか?」


『そんな面倒なことをするものか。……あの化け狐め、我ら兄弟をはばかっただけでなく、我が主のことまで消滅させていたとは……。断固として許しがたし。元・神使いとして、必ずやあの化け狐を地獄へと送り返してやる』




紅着物はその後も、自身の過去の話や妖狐が弟に成り代わっていたことなどを東郷たちに話してきた。



『退治屋の血を浴びてしもうたため、今、我の体内霊力は極端に減っておるが、其方そちらを妖狐の根城まで連れ行くだけの体力はまだある。さて、どうする? このままでは、あの者は喰われるか犯されるかとどちらかじゃぞ』




紅着物のその言葉を聞き、東郷は再び彼の胸ぐらを掴みかかった。



「貴様、今何と言った」


『霊力を体内に取り込む方法とは何も喰らうだけではない。交わりとて有効じゃ。退治屋は類稀なる見目麗しい姿を持っている故、その可能性は無きにしもあらず』




東郷の額に、今にも破裂しそうなほどの太い血管が幾筋も浮かび上がってくる。



「どこまで恥知らずな狐なんだ……!」




東郷は病室の卓上に置かれていた自身の隊服と大刀を片手で乱暴に握り取る。



「紅着物、今すぐにその妖狐の根城とやらに案内しろ! それと目黒!」


「こっちのことは任せておいて。署にいる部隊員たちを招集して、すぐに君の跡を追うよ」


「助かる。おそらく、現場はあの雑木林中奥にある大穴の中だ。中に入った後、妖狐の元までには何か目印を残す」


「分かった、気を付けて。……くれぐれも千理君のことを頼んだよ、東郷」


「ああ」




東郷は目黒の言葉に頷くと、もう片方の手で紅着物の後ろ襟を勢いよく掴み上げ病室を出た。



(傷を作るな、妖狐の元へ行くな、おとなを頼れと自分で言っておきながらなんてザマだ。本当に情けない)




脳裏にぎるのは、千理の乾いた笑み顔。どこか世間を客観的に見ていて、この公平ではない世界を白眼視しているような。



(花梨崎弟、お前は世間の外れ者なんかじゃあない。姉兄のために、学友のために、……戦友のために、自ら前線に立つ度胸も温情も持ち合わせているやつなんだ)




だから絶対に助け出す。連れ戻して、二度とこのような目に合わせはしない。


己は千理が皮肉な笑みを向ける存在ではなく、安心して泣ける場所になってやりたいのだ。




------




『陰花の血はまるで甘い花蜜のような味わい。対する陽土の血は、全身を炎で焼き尽くすような地獄の苦しみをもたらす。


……だがそれは、三大悪妖にとっては快楽となり得ることもしかり。



はて、あの娘は無事でいられるかのう?』

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