第22話 神使い ②

陰花の血はまるで甘い花蜜のような味わい。


では、対する陽土の血は?




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『何という忌々しい血じゃ……! われの五感全てを焼き尽くし、苦しみもがかせよるとは。其方そちの血はまるで地獄そのもののようじゃ。おのれ、謀ったなカゲロウ……!』




正解は、妖鬼にとってはこの世のものとは思えないほどに不快なシロモノだということ。ひどい言われようだが、それを知るとこれを使わない手はないと思えるほどの図太さはある。



「ほら。お前たち妖が大好きな人間の血だよ。どんどん浴びな。脳が溶ければ少しは頭もスッキリするんじゃない? ちょっとは良心てのを思い出しなよ。腐っても神使いなんでしょ?」


『……っこの極悪非道、め、が……!!』




私の左手首からは今もなお血飛沫が噴き出している。で、顔色一つ変えずにそれを紅着物へと浴びさせているためか、奴はまるでゴミムシを見るような目つきをこちらへと向けてくる。



『カゲロウよ! 調子に乗るの、も大概に、して、おけ……!』




身体の溶解、再生を繰り返す紅着物がふらりと立ち上がり、体勢を立て直してくる。そして今度はあらゆる角度から攻撃を仕掛けてきた。



(うーん、さすがは妖狐直属家臣。この男たちはしかばね百鬼夜行が早々に作れちゃう低級妖魔みたいに、やっぱり簡単には倒せない。……でもまあ、皮膚はすぐに再生しても身体の中はそうでもないんじゃない? 全身の筋肉が硬直してるからか動きも鈍いし、呂律も上手く回ってないし)




紅着物の石拳や石蹴りを、私も負けじとかわしていく。



(勝算は十分にあるはず。この男が神使いの誇りを今も忘れていなければ、の話だけど)




私はここで、一か八かのかけに出ることにした。


私が双剣を手離し素手での組み手に変えると、紅着物はあっという間に私を地面へと押さえ付けてきた。私は頭上で、奴の片手によって両手首を拘束される。



『憎きカゲロウめ、お前など八つ裂きにしてやる! 大人しく神への貢物となるのじゃ!』


「どうぞ。神様が陽土を喜んでくれたらいいんだけど」


『九尾狐様は我のように脆くなどないわ! 陽土の血肉であっても、きっとすぐに取り込まれる』


「あれ? お前の主って三大悪妖だったっけ? れっきとした狐神様じゃなかった?」


『……それは過去の話じゃ!』


「ふうん。狛犬って、主が消滅したらすぐに別の奴のところへ尻尾を振りに行くんだ? とんだ胡麻すり者たちなんだね」


『なっ?! 其方そちに我ら兄弟の何が分かる……! 氏子どもが一斉に信仰をやめたせいで元主もとあるじは霊力を失い、消滅せざるを得なかった。やしろは廃れ、もはや我らもただの石像と化しかけた際に、偶然にも九尾狐様が現れ、我らをお救い下さったのじゃ。我ら兄弟はあのお方に恩がある!』




紅着物のもう片方の手が、私の首元を押さえ付けてくる。私は少し咳き込みながらも言葉を紡いだ。



「なるほど。お参りをする人たちがいなくなると、確かに神社なんてのはすぐに廃れる。地元に根付いてるような小さな神社ならなおさらだね」


『……あるじは氏神として氏子どもを悪妖から守護していたというに。その恩を忘れ、突如として参拝に来なくなった!』


『なるほどなるほど。でもね、一つ言わせて。地元民に信仰心がなくなって来なくなったって言うなら仕方ないけど、そうじゃないなら怒りの矛先は人間こっち側じゃないと思うよ」


『……どういうことじゃ』


「ある日頃を境にパッタリ人間たちが来なくなったんだよね? 信仰心が薄らいでっていう流れなら徐々に参拝客が減っていきそうだけど、そうじゃなかったんでしょ?」


『カゲロウよ、何が言いたい』




私の首元に添えられた紅着物の手に、どんどん力が込められてくる。



「はっきり言おうか? 要するにとある凶日、お前たちの元主を信仰する人間たちが何故だか全員、丸ごといなくなっちゃったってことだよ。ここまで言えば、お前にもその理由わけに察しが付くんじゃない?」


『……まさか。妖鬼どもが村ごと滅ぼしたというのか?』


「その可能性は十分にある。きっとこの大日本国全土で、そういう場所はたくさんあると思うよ」




そう言った後、私はほんの少しだけ瞼を下げた。



幼少期の記憶を鮮明に覚えているわけではない。七つの時に死に別れた母親の顔ですら、今となってはもう思い出せないでいる。


……ただ、妖鬼らが村の人たちや母親を皆殺しにしている地獄絵図のような光景だけは、それこそまるで一枚絵のように、時折脳裏に映し出されるのだ。



「神のやしろを守護する狛犬といえば、本来なら神獣のはず。妖狐が本当に神なら何故、お前たちは妖魔になってるの? 真っ黒い妖気を纏って、どうして罪のない人間たちを襲う?」


『だ、黙れ……!』


「お前たちの元主が神力を失って消滅する前に、お前たちに人間を殺して食べて霊力を奪うよう命令でもした?」


『黙れ! 我が主がそんな愚行を許される訳がない……! 誰よりも氏子を愛し、守り抜いてきたお方なのじゃ!!』


「あはは! また矛盾してる」


『……っ黙れ黙れ!』


「ふふ。でもまあ、そういうことなんだよ。氏子たちを殺して信仰心をお前たちの元主に向けないように仕向ける。当然神社は廃れるでしょ? で、祭られていた神がいなくなった所で神使いのお前たちを甘い言葉で誘惑し、妖魔に変化へんげさせたっていうのが正解なんじゃないの?」




そう言って紅着物を仰ぎ見たところ、奴の顔色はどんどん蒼白になっていく。……が、私の呼吸もそろそろ限界である。



「これで分かった? お前たちの元主・真の狐神は、現主げんあるじの妖狐に消されたんだよ。お前たちは元主の敵に、ずっとその尻尾を振り続けてたんだ」


『だ、黙れ黙れ黙れ……う、ぐ……?!』




紅着物が私の首をさらに締め上げたため、一瞬危うく白目を剥きそうになったが、何故だか突然に奴は私から手を離し、自身の首元を掻きむしり始めた。




『おいおい兄者よ、カゲロウは其方そちの獲物ではないじゃろうて』





紅着物の後方から、奴とよく似た別の者の声が聞こえてくる。


私はケホケホと未だ咳き込みつつも何とか半身を起こし、さらに視線を上げた。



「……何で、お前がこっちにいるんだ」




視界に映っていたのは、後方から紅着物の首を掴み、持ち上げている梔子着物の姿。



『兄者が九尾狐様の獲物を勝手に殺そうとしておったからのう。我が止めに来た』


「……お前の方は前職に全く未練がなさそうだね。兄さんと違って」


『兄は愚かじゃからのう。……実の弟が "入れ替わっている" ことに未だ気付きもせぬ』


「……何だって?」




嫌な予感がする。私は何とかその場に立ち上がり、辺りを見渡した。だが。



「お前、東郷さんはどうした」


『おやおや。妖に負けた人間がどうなるのかは、お前も知っておるじゃろう?』


「……あの人に、何をしたんだ」


『それは自身の目で確かめてみよ』




梔子着物がそう言葉を発した瞬間 背後に何者かの気配を感じたため、私は双剣を素早く拾い上げ右側へ五歩ほど飛んだ。……そこで顔を上げた際、私は思わず喉から息を漏らしてしまう。



「……は。東郷さん」


『グ……グ……』




私を襲おうとしていた者は、顔中に青い筋を浮かび上がらせ鋭い歯牙を剥き出しにしている東郷だった。しかも、彼の左頬には梔子着物と同じ月のタトゥーが浮き出ていた。



『 "こやつ" の能力を男に移したのじゃ。天道てんどうと同じく身体を石化させよる上、男自身の武術もあるからのう。双剣と刀の交戦とやらも、また一興』




紅着物が口から泡を吹き意識を失ったところで、梔子着物は彼から手を離した。私はそんな梔子着物を眉をひそめ、見つめた。


つい先程まで、この兄弟の髪は茶味がかった黒髪こくはつだったが、何故だか "弟" の方は金色こんじきに変化している。それに気付いた私は、小さく息をついた。



「はあ……すっかり騙されたな。気配を消すのが上手いのは "奴" 直属の妖だからだと思ってた。目に見える真っ黒い妖気も、まさかカモフラージュに使われてたなんて思いもしなかったよ。


でも、そうだったそうだった。…… "三大悪妖" はかくれんぼが大得意っていう噂のこと、すっかり頭から抜け落ちてた」




梔子着物が東郷の方へとゆっくり移動していく様を見やりながら、私は双剣を胸前に構え直した。



「やるねぇ狛犬。いや、犬じゃなくて化けるのが得意な化け狐、て言った方がいい?」




私は目を細めながらそう言葉にした。すると、梔子着物が地に着くほどの長い金糸髪きんしがみを持つ、見目美しい女へと変化していく。



「 "妖狐" 。主のめいによりお前の命を貰うよ」


「ふふ。その可愛らしい口元からは陽土の血やら辛辣な言葉やら、次々と飛び出してくることよのう。わらわはこんなにも其方そちのことを大事に想うておるのに」




だがしかし。噂の御母堂は東郷の喉に鋭い爪を突き立てながら私を見やり、薄ら笑んでいた。




……ふむ。奴を始末するのは、今すぐには少し難しいかもしれない。


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