第20話 花香り・血香り ②
『やれやれ、
いつの間にか私たちのすぐ近くへと迫って来ていた妖魔は、
「ほっといて。というか、お前はさっきの紅着物の男じゃないよね……って、とと!」
蹴りを腕でガードされてしまったため、私は奴のそれをバネにして再び足を引き戻す。が、東郷に片手首を掴まれたままだったので私の身体がぐらりと仰向けに傾いた。
「……すまん! 妖魔が迫っていたことに気が付かなかった!」
しかし、再び東郷が抱き止めてくれたおかげで地へと尻餅を付かずに済んだ。
「私も "視覚" で気付いたくらいです。こいつらは三大悪妖の一人、妖狐の手下らしいので、妖気を消すのが上手いんですよ」
「……気配すら感じなかったのはそのためか。厄介な奴らだ」
東郷は私を抱いたまま、梔子着物の男から数メートル距離を取る。すると。
『いやはや、見せつけてくれるのう』
と、二階にいた紅着物の男も一階へと飛び降りてきた。
『だが人間の男よ、
『カゲロウよ。
二人の男たちの言葉を聞き、私はふむ、と顎に手をやる。
なるほど。聖華学習院を戦闘の舞台に選んだのは、私がここの一員だから。逃げ場のないこのホールに学習院の生徒らを閉じ込めたのは、人質にするつもりだったから。
(まあ、何というか面倒なことをしてくれるものだな。……はぁ)
私は本日で一番大きなため息をつく。今日の仮面舞踏会にはややこしい妖が参加するはずだから始末するようにと主が言っていたけれど、本当に面倒くさい奴らだった。
(私の殺害が目的なら私だけを狙えばいいのに。
目線を少しばかり上げ、未だ私のことを抱きかかえている東郷を見やった。
(今日は東郷さんだっているんだよ。ただでさえ厄介な不良小僧だって認識されてるのに、ますます疫病神みたいに思われる。……今度こそ、この人に嫌われるじゃないか)
私は口元にグッと力を入れ、東郷の腕中から身体を抜き出そうとした。無論、奴らの条件を
「いつ、花梨崎弟が妖のものになった」
低く地を這うような東郷の声が頭上から降ってきたため、私は一瞬ビクリとなり動きを止めてしまった。
「よくもまあ、こんなにも人の良心に付け込むやり方を悪びれもなく選べるものだ。悪辣過ぎて反吐が出る」
『……おいおい、口の聞き方に気を付けよ。我らが何の化身か気が付かぬのか?』
「は、化身だと?」
『左様。我らはお狐様の第一配下、
「……今はもう大正だぞ? 人間を生贄に欲しがる "愚神" がいた時代など、一千年以上前に終わっているだろうが!」
東郷の怒声が耳奥に響き渡る。私の身体は硬直し、完全に身動きが取れなくなってしまった。……だが、身体が動かないのは前回と同様の理由。
「人を喰いたがる妖狐が賢神だと? 馬鹿をぬかすのも大概にしろ!」
東郷が腕に血管が浮き出るほどに力を入れ、私を抱き込んでいるため、である。
『ほほう……我が主が愚神、とな』
「ああ、何度だって言ってやるぞ。お前たちもお前たちの主も愚者だ。花梨崎弟は
東郷が発言をする度に、私の身体は彼の方へと押し込められていく。だが同時に、眼はこれでもかというくらいに見開いていくのだ。
(……そんなことも、初めて言われた)
私の命は姉兄のもの。妾筋の子供が花梨崎家の一員として招き入れられたのも、未だ生かされているのも、陽土の気を持つ者だから。
そのように言われ続けて十一年間生きてきたし、自分でも当然そのように思っていた。
……だから、私の命は私のもの、人生も私だけのものだと言われたら戸惑う他ない。
(前にもこんなことあったな。私のことを忍耐強くて見所がある奴だ、なんて言ってくれたっけ。……それに、可愛げがあるとも言われた。この人はどうして、いつも私の心を惑わしてくるんだろう)
おかげで腕中から這い出る機会を何度も失ってしまったではないか。……でも、姉兄の知り合いらが人質に取られている以上、舞踏会会場をこのままにしておくわけにもいかない。
「……東郷さん。私みたいな外れ者のことを気にかけて下さってありがとうございます。でもどれを優先すべきか、世間が何を、誰を求めているのかは私もよく分かっているつもりで……」
「
東郷の目がさらに、般若のごとく恐ろしいものになってしまった。
(ここからって……東郷さんの腕の中からってこと? ……あ、いや違うか。この会場から出て行くなってことだよね。私がこの兄弟?と一緒に妖狐の所に行こうとしてるのが分かっちゃったのかな)
東郷を見やりながら、私はほんの少しだけ、口角を上げてしまった。もちろん眉は下がっていたと思うのだが。
(別に死にに行くつもりじゃないんだけどな。この人は本当に、お節介が好きだなぁ)
味わったことのないくすぐったい感情が、お腹の底からふつふつと沸いてくる。この気持ちを世間一般では何と呼ぶのだろうか?
『……何度も何度も見せつけてくるのう。じゃが、こちらとて退治屋を諦めるわけにはいかんのでな』
『一先ずはこの人質らに働いてもらうとしようかの』
紅・梔子双方の狛犬妖魔がそう言うと、二階にいた生徒たちが一斉に一階の方へと押し寄せてくる。だが。
『……考えたものじゃのう。この巨大な装飾照明があるために、あの者たちは場内を思うように動けず右往左往しておる』
『男らはともかく、女どもは身体の倍ほど幅のあるドレスを着用している故、うまく身動きが取れぬ、とな』
そう。これが先程、咄嗟に思い付いたシャンデリア戦法。一階には今、巨大な装飾照明とその破片が辺り一面に散らばっている状態である。
生徒らは自身を妖魔だと思い込んでいるだけで、実際にソレになったわけではない。だから動きに妖魔独特の俊敏さや異様な飛躍力もなし。よって、シャンデリアを飛び越えたり踏み荒らしたり出来ないのだ。
「これを期待してたんだよ」
私は今度こそ、まるで狭室脱獄マジックを披露するかのように東郷の腕中からスルリと抜け出した。
「っおい!」
「安心して下さい。今はまだ奴らの言葉には従いませんから。私と人質を引き換えにっていう方法は、最終手段まで取っておきます」
私は東郷に向かってにっこりと笑みを見せた。そしてその後は、両手に握っている双剣の先を紅着物、梔子着物へとそれぞれに真っ直ぐ向ける。
「生徒らの相手は後、まずは妖魔たちから。"神獣“ と交戦するなんて初めてだからちょっと楽しみです。東郷さん、どっちか一人お任せしてもいいですか?」
刀を抜き、私の横に立ち並んだ東郷へとそう問いかけると、彼が呆れたようにまた息をついた。
「お前は戦闘狂なのか?」
「いやいや、とんでもない。勉強熱心なだけです。何事にも経験が必要なので」
「全く。出来る限り怪我をするな。傷を作るなよ」
「……東郷さん。何だかうちの兄と口癖が似てきましたね」
「だが兄弟でもない、同志でもない。俺たちの関係を言葉にするなら、"戦友" といったところだろうな」
「……なるほど。いいですね、"戦友"」
私は今度こそ、眉を上げて口元に弧を描いた。
「花梨崎弟、俺は梔子男を仕留めに行く」
「了解です。じゃあ私は紅着物とやり合ってきますね」
「分かった、行くぞ!」
「はい、後ほど!」
阿吽の呼吸のごとく言葉を交わし合った後、私たちはそれぞれに地を蹴り、その場を駆け出して行った。
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