第19話 花香り・血香り ①

シャララララ!!




まるでいくつもの風鈴の音が合わさったような、でも、思わずに耳を塞ぎたくなるような、そんな耳奥にキーンと響く高音を奏でながら巨大シャンデリアが二階天井から一階ホールへと落ちていく。



(っもう一度、えいっ……!)




垂直に落下していくシャンデリアから何とか飛び離れた所……




「〜〜っお前と言う奴はまたっ……! 今度は柱に体当たりでもするつもりか?! 万一俺が受け止めていなければ確実に死んでいたぞ!」




予想通り、"妖魔になった東郷" がちゃんと、私のことを抱きとどめてくれた。



「うっ……東郷さんの口から生えてる手が、私の首を絞めてくるんですけど」


「"幻覚" だ! 花梨崎弟も気付いただろう!」


「ええ、まあ」




ケホケホと咳をしながらそう言うと、私を抱えた妖魔東郷がロココ調柱の後ろに素早く移動した。



「お前もこの布で早く鼻と口を覆え!」




彼は私を地へと座らせた後、自身の白いアスコットタイを外す。そしてそれを私の鼻口へと当てながら後頭部できつく結んでくれた。


するとやっと、ずっと鼻に付いていた、あの金木犀の香りが消える。



「どうだ?」


「……妖魔東郷さんが元の東郷さんに戻りました」


「お前の視覚が、だ」




東郷がはああ、と盛大な息を吐き出す。



「でも東郷さん、よくこのカオスな光景が幻覚だって気付きましたね。私、あいつに "会場には妖になった人間はいない" って聞かされるまで全然分かってませんでした」


「俺も似たようなものだ。花梨崎弟が二階に上がった後、鼻に付いた香水の匂いを消すために小瓶を開けてお前の血を嗅いだんだ。そうしたら周りの景色が元に戻った」


「……血を、嗅いだ?」




自分で渡しておいて何だが、思わず青ざめそうになる。



「く、臭くなかったですか……?」


「? 普通の血の匂いだ。というか前にも嗅いだことあるだろう。……お前が柴狐に、背中を盛大にやられた時に」


「……そ、そうでしたね」




黒いハンカチで鼻口を覆っている東郷の眼が据わり出す。が、私にとっては「臭くなかった」とお伝えいただけたことの方が重要だった。


……良かった、東郷には嫌がられなくて。



「幻覚理由は、あの金木犀のような香りのせいか」


「そうだと思います」




試しに二階を見上げてみた所、そこにいたのは元の煌びやかなドレスや洗練されたタキシードに身を包んだ学習院の生徒たちだった。……だが。



「彼らの表情は曇ってますね」


「だろうな。あいつらは完全に妖魔の催眠法にかかっている。おそらくは自身を妖だと思い込み、人間を襲うよう指示されてるのだろうが……」


「だろうが?」




東郷は自身のタキシードのポケットを指差す。



「花梨崎弟は陽土、俺はお前の血を持っているせいか、嫌悪感は示されるが近距離には寄って来ない」


「…………」




私は少しばかり東郷から距離を取る。



「……おい。もう一度言うが、俺はお前自身の匂いも血の匂いも何とも思わんぞ? 今だって遠回しにお前の体臭を否定したわけじゃあない」


「……すみません、ちゃんと分かってます」


「ならそんな赤面する必要なんてないだろうが。……全く」




「えっ、赤面?」と思った時には既に、東郷が私の手首を掴んでいた。彼は腕を引きほんの少しだけ、私を再び自身の方へと近付かせる。



「むしろ、お前からはいつも花のような匂いがする。金木犀のようなきつい花香りではなく、何と言うか野花のような心地良い香りというか…………いや。こんなことを言えば、俺がいつもお前の体臭を嗅ぎ付けている変質者みたいに聞こえるな」




東郷は私の手首を掴んでいる方とは逆の手で、自身の頭をガシガシと掻き出した。



「つまり俺が言いたいのは、花梨崎弟は何事も気に病みすぎ、責任を感じすぎだということだ」




東郷はそう言うと、タキシードのポケットからくだんの小瓶を取り出した。



「この血はどうやって採取した? 注射器を血管に刺したのか?」


「あ、いえ……腕を少し剣で切り付けて」


「……だろうと思った」




東郷の手に力がこもってくる。彼に握られた箇所が、少し痛い。



「自分で裂傷を作るのはこれ限りにしろ。無闇矢鱈に身体を傷付けるな」




彼が私の手のひらに小瓶を乗せ、それを握らせた。



「何もかも一人でやろうとするな。全部の責任を背負しょい込むのもやめろ。少しは大人を頼れ。……親や親族にそれが出来ないのなら、俺がその役目を買ってやる」




私は思わず目を瞬いてしまった。大人に命令されることはあれど、頼れと言われたことは初めてだった。



「……東郷さん。もし私がまだ高等部生、ないしは弟の友人だからとか、そんなことを気にして下さってるのなら心配無用です」




だから、正直戸惑ってしまうのが事実。



「姉と兄は私のことをまだまだ子供扱いしますが、義父や親族からは、私が初仕事を成した時に成人したという風に見られてますし」




なので、それを誤魔化すよう東郷に笑ってみせた所、彼からはさらに睨められてしまった。……もしかして、また何かまずいことを言ってしまった?



「その初仕事とやらはいつのことだ」


「え? ええっと、確か十歳だったかと」


「…………」




東郷の顔がまるで秋田町のナマハゲのごとく、みるみる恐ろしい形相になっていく。彼は元々からどちらかと言えば強面な方だし、背丈も体格も私とは大分と差があるため、かなり迫力がある。



(八年前から既に不良だったのか、とか思われてそう)




私はついつい、東郷から視線をずらして彼の後方へと目を泳がせた。



「花梨崎弟……俺は今、すこぶる腹を立てている」


「分かってます、すみません。……でもお説教は後にして下さい」




東郷の顔がさらに強張り出した所で私は片腕を伸ばし、彼の頭をこちらへと思い切り引き寄せた。



「?! 突然何だ……!」


「東郷さんの頭から血が吹き出したらまずいと思いまして」


「は?!」




私は東郷の頭を胸に抱いたまま、身体をくるりと回転させた。





『……ほう、気付いておったのか』





そして、彼の背側へと忍び寄ってきていた "とある人物" に、思い切り蹴りを入れた。



真っ黒い気を纏いながらニヤリと笑むその者は、梔子色くちなしいろの着物を身に付けた、紅着物の妖魔と瓜二つの男だった。

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