第16話 華の影には魔物が潜む ②

「東郷、今日は早帰り日かい?」




警察署内のロッカールームにて、東郷は隣に並び立った同僚にそう声をかけられた。



「ああ。目黒もか?」


「うん。これから理衣子さんと食事に行くんだ。入籍一か月記念日でね」


「なるほど。上手くいっているようで何よりだ」


「東郷も何か予定が?」


「……父に、少し野暮用を頼まれていてな」


「野暮用?」


「弟を見張れと仰せ付かっている。悠真が学校主催の仮面舞踏会に参加するとか何とかで」


「仮面舞踏会? 学習院でそんなものが開催されるのかい?」


「らしいな。しかも舞踏会とは名ばかり、実際は婚活パーティーだそうだ」


「ええっ、まだ高等部生なのに婚活?」


「……色事に詳しい友人が常に側にいるせいか、弟は自分も早く婚約者、もとい恋人を作りたくて仕方がないようだ」


「……ええっと。その友人って、もしかして千理君のことかい?」




目黒の言葉を肯定するように、東郷は大きく息を付く。そして手の平を広げ、両顳顬を揉み始める。



「お前の義弟もパーティーに参加するはずだぞ。……花梨崎弟は女だけじゃなく男にも色目を使われる上、やっかみも人一倍受けやすい」


「なるほど。君は悠真君だけじゃなく、千理君のことも心配しているんだね?」


「前例があるからな。それに、あいつは無自覚の自己犠牲観念を持ち合わせている故、また厄介事に巻き込まれないとも言い切れん」



「……ふふ」




すると突然、何故だか目黒がくすくすと笑み出した。



「何がおかしいんだ?」




東郷は彼の様子を見やり、少し怪訝けげんそうな顔になる。



「いや? ついこの間までは千理君のことをあまりよく思っていなかったようなのに、東郷はここ数か月で随分と変わったなと思って」


「……以前は花梨崎弟の素顔をよく知らなかったからな」


「じゃあ今は彼の人となりを知って、その印象が随分と変わったということかい?」


「まあ、そうだ」


「ふふ、そうか」




目黒が東郷に、満足気な顔を向けてきた。



「千理君は良い子だよ? 優しいし、家族思いだし」


「…………家族、な」




だが彼の言葉を聞いた途端、東郷は口元に力を込めた



(あいつ自身を見ていなかったことは反省するが、品格を疑うと言ったことは撤回しない)




花梨崎家の、現当主の人格についてを。



(年端も行かぬ甥子おいごに妖狩りをさせるなど、人徳ある者の行いじゃあない。しかもその理由が、自身の実子を守るためだと?)




両の拳にも、力がこもる。



(あいつはそれを当然のごとく受け入れているが、俺は納得がいかん!)




弟の友人であるせいか、千理を何とかあの家の呪縛からのがしてやれる方法すべはないかと思ってしまう。



「千理君にもきっと、いつか良縁が訪れると思うな」




すると婚活パーティー話の延長か、目黒がそんなことを言い出した。



「あ、彼は次男坊だから貰われていく方かな?」


「貰われる、だと? 嫁にか?! 誰にだ!」


「えっ? よ、嫁?」


「……違うな。花梨崎弟は男だから婿にか」


「そ、そうだね……って、東郷。顔がいつものさらに十倍は怖いよ。どうしたんだい?」


「……いや」




千理が結婚などすれば、彼の正体が『カゲロウ』だということも相手に気付かれてしまうかもしれない。しかも万一陽土だとバレれば、それこそ酷い扱いを受ける可能性も。



「……駄目だな。あいつはやれん」


「は?」


「すまん目黒。俺はもう行く」




東郷はバタバタと支度を済ませ、ロッカールームを出た。そして署の外に待たせておいた馬車に乗り込み、聖華学習院に急ぎ向かうよう御者へと伝える。


東郷は懐からいつもの処方薬を取り出し、それを一粒飲み込んだ。そして再び、馬車の中でため息をつく。全く、毎度毎度胃が痛くてかなわない。



(はあ……花梨崎弟に出逢ってからというもの、どうしてか俺はあいつに振り回されっぱなしだな)




実弟のようでもない。警察隊員の部下らとも、また違う。



(相性が良いわけでも、志が全くの同じというわけでもないんだがな。俺たちの共通点は、人害を及ぼす妖鬼を排除する仕事にいているということくらいだ)




東郷は視線を馬車の外へと向ける。



(……いや、違うか。もう一つ、重なるものがあったな。


"母親が妖鬼に殺された" という事実も、俺たちは同じか)




今でも時折思い出す。十年前の、あの無惨で非常な、まるで地獄絵図のような光景を。



(俺が十四、悠真は七歳だった。悠真も花梨崎弟も、たったの七歳で母親を失ったんだ)




自身ら兄弟を守りながら死んでいった優しい母。そして母の亡骸を抱きしめながら、子の前で初めて涙を見せた厳格な父。



己が恋人を作らないのも見合い話を断るのも、今は仕事に集中したいからだ。妖鬼らによる犠牲者を、これ以上増やしたくない。



(男たる者、結婚とは相手の人生に責任を持ち、それを背負うことだと教えてやらねばなるまい。お前たちはまだ高等部生 ゆえ、その覚悟がないなら無闇矢鱈に相手を誘うなとも)




……そう思っていたのに。会場に着いた途端、東郷の額にはビキリと青筋が走った。




「せ、せん……っ」


「大丈夫だよ悠真。私の後ろにいて」




東郷が目にしたものとは、何故だか女物のドレスを着用している弟と、その彼の前に立つ、とある半仮面の男の姿。


……だが。この華奢な仮面男は、



「お兄さんたちって、男もイケたりする? 良かったら……私なんてどうかな?」




見知らぬイカつい男の胸に手を添え、もう片方の手で、また別のイカつい男の顎を撫で上げていたのだった。



「この子のドレス中を暴くよりも、何倍も良い思いをさせてあげるから、ね?」





仮面をかざした花のごとき美少年が毒蜜のような甘い囁きを放った途端、東郷は会場を突っ切るようにして走り出した。


もちろん、鬼の形相で。

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