第13話 陽炎 ①

(幕間)




「おやまあ、子狐たちは全滅してしもうたか。失恋男の血肉が何より好物なあやつらのため、折角にわらわが人の姿に化けて街へと繰り出し、各当者らを誘い込んでやっていたというにのう。


死ではなく、生への執着が強い者とは誠に厄介なものよ」



東郷一行らの背中を見据えながらそう言葉を紡ぐのは、金色こんじきぐしを持つ一人の美女。



「特にあの双剣使いのは大層洗練されていたのう。殺傷能力が人力のそれを遥かに超えておったわ。……あやつの正体は間違いなくカゲロウじゃろうて」




地中の荒野に、生温かくも血生臭い一風が吹き抜けて行く。



「欲しいのう。カゲロウの "類稀なる霊力" が。あやつの霊力を手にすることが出来れば、"かの男" を地獄に送り返すことが出来るやもしれぬ」




舞い上がった砂埃に紛れるようにして、美女はその身を九つの尾を持つ "妖狐" へと変化させた。



「カゲロウの血肉は必ず、この妖狐が貰い受ける。決してお前たち人間などには渡さぬ。あの "処子" を手にするのはわらわじゃ……!」




妖狐はそう言葉を発すると、その艶めかしい唇を赤い舌でべろりと舐め上げた。




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洞窟を抜けた先に見えたのは、あの原生林のような雑木林。千理の言葉通りに進んだ東郷一行は、無事に地上へとたどり着くことが出来たのだった。




「千理!!」




こちらへと真っ先に駆け付けて来るのは、千理の兄である理一朗。おそらくはまた、目黒が呼び寄せたのだろう。



「千理! おい千理……!」


「花梨崎兄、心配ない。お前の弟は眠っているだけだ。背中の傷は深いが幸い急所も外れている」


「……弟を貰います。世話をかけました」


「いや、こいつは喉もやられている。このまま総合病院へ運んだ方がいい。その前にここで簡単に応急処置をしよう」




東郷がそう言うと、よく出来た彼の部下たちが地面に清潔な布を広げた。東郷は自身にもたれ掛からせるようにして、そこに千理を座らせる。だが。



「?! 東郷さん! あんた何をしようとしてる?!」


「? こいつの服を脱がせて傷口を消毒するつもりだが?」


「! 結構です! 雑木林の外に馬車を待機させてますし、その中に我が家の主治医もいますので!」




理一朗が慌てて羽織を脱ぎ、それを千理の背にかけてくる。そして東郷から奪うようにして弟を抱き上げた。



「……おいおい、過保護も大概にしておけ。花梨崎弟は男だぞ?」


「男だろうが、人前で服をひん剥かれるのは花梨崎の人間にとって恥辱です。それに、貴方の部下が弟相手に変な気を起こさないとも言い切れませんし」




理一朗がギロリとした目つきで周りを見渡すと、ドキリとした様子の者たちが何人かいた。



「……確かにね。千理は色白で細っこいし、顔もすっごく綺麗だから、パッと見は男に見えないしね」


「まあな。実際女だけじゃなく、男にも言い寄られてるの見たことあるし」


「自身に好意を寄せる者たちには、彼は分け隔てなく優しいからな。よくもてるのも頷ける」




理一朗や悠真たちの言葉を聞いた東郷が、ジロリと部下らを睨め付けた。もちろん、睨まれた部下はとても罰が悪そうにしている。



「……理一朗君、ごめんね。なら、千理君のことは君に任せてもいいかな? 私たちは現場をもう少し検証しておくよ。また夜に、東郷と二人で花梨崎邸に寄せてもらっても?」




呆れた様子で部下たちを見やっていた目黒も、東郷と理一朗の元へとやって来た。



「……大丈夫です。ありがとうございます、目黒さん」




理一朗は目黒に頭を下げた後、再び東郷へと向き直ってくる。



「東郷さん、弟が本当に世話をかけました。悠真君、新之助君、孝太朗君。君たちも、いつもありがとうな」




理一朗がそう言うと、悠真たちも慌ててお辞儀をしていた。



雑木林を下って行く千理と理一朗を見やりながら、東郷が目黒へと声をかける。



「花梨崎弟は少し身体を鍛えた方がいいな。剣筋は良さそうだが、いかんせん体重が軽すぎる。病弱というのもあながち嘘ではないのかもしれん」


「……そうだね。夜に見舞いに行こう。ところで悠真君たちも血まみれだけど、皆も怪我をしているのかい?」



「あ、いっ、いえ! 僕たちは……!」




目黒からそう問われた悠真、新之助、孝太朗が、三人で顔を見合わせている。



「僕たちはほんの少し、切り傷がある程度です。千理を助けるつもりで穴に飛び込んだのに、逆にあの子の足手纏いになっちゃった……」


「その、実は柴狐さんが妖魔に操られてたんです。姿は狐っぽかったし爪も刃物みたいに尖ってた。しかも悠真のことを襲おうとして、それで……」


「それを千理が庇いました。彼の背中の傷はその時のものです。……私と新之助は呆気に取られ微動だに出来なかったのに。彼は本当に、男の中の男です」




一度落ち着いたはずの悠真がまた涙を浮かべ始める。新之助と孝太朗は、そんな彼の肩を優しく叩いていた。



少年たちの様子に目を細めていた目黒が、東郷へと言葉を紡いでくる。



「東郷。千理君はやっぱり優しい子だよ。女性に対しても、友人に対してもね。そう思わないかい?」



「……そうかもしれんな」




東郷の瞳には今もなお、理一朗に抱かれた千里が映し出されていた。



悠真たちの着物に付着している大量の血液は十中八九、千理のものだ。己が陽土であること、そして妖魔がその血を嫌うことを知っていたため、自身の血を悠真たちへと付けたのだろう。おそらくは三人を気絶させたのも、彼。



(三人に血を塗りたくったのは、妖魔をあいつらに近付けさせないためだろうな)




そして、あの地中に転がっていた軽く百体を超える女狐たちの死体。悠真たちは半分ほど、と言っていたがおそらくは七割以上。


七十数体の身体に付いていたのが刀傷ではなく、剣で抉られた跡だった。



(花梨崎弟は刀ではなく、短剣を二本使用していたな。なら、その七十数体はあいつが一人で倒したことになる。悠真たちが気を失っている間に一気に片付けたのか。


……気絶させたのは、その戦闘姿を見せないためか)




妖鬼との交戦に慣れている。返り血の目立たない黒装束姿。極め付けは、双剣使い。



(東京町に出現する、しかばね百鬼夜行。妖らに付けられているのは毎回剣傷だ。しかも死体はいつも左右対称に横たわっている)




東郷は手の平で顔を覆うようにして顳顬を押さえ込んだ。



「……花梨崎弟。やはり、俺は言いたいことが山ほどある」




だが、東郷の脳内に浮かび上がっているのは、いつもの小憎たらしい少年の方ではない。



(高等部生が夜な夜な外を出歩くのはやめろ。陽土の血を惜しげなく使うのもやめろ。



……お前が『カゲロウ』となった経緯は何だ。一体何のために、誰のためにその血を流すんだ)




心内こころうちを占めていたのは、身体に裂傷を負いながらも必死で友人らを守ろうとしていた、強くも美しい、あの妖専門の退治屋。





「はあ……。後日、お前のこともじっくりと聞かせてもらうぞ。覚悟しておけよ」




東郷は、本日一番の盛大なため息を吐き出した。


 


------




「…………花梨崎、千理」




東郷と目黒が並び立つ後ろでは、柴狐も千理へと鋭い眼光を向けている。



「この "借り" は必ず返してやるからな」





柴狐が舌先で触れたのは、千理の血液が残る己の乾いた唇だった。

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