第7話 予測不可能 ①

「今日からここが君の家だ。旧名を捨て、"花梨崎 千理" として新しい人生を歩みなさい」



( かりさき せんり……?)




七歳になったばかりの私は聞き慣れない名前に違和感を感じつつも、何とかこの状況を把握しようと目線を上げ下げする。


まずは自分の服をまじまじと見やった。洋装なんて初めてだった。……でも。



(これって、男の子用?)




そんな疑問を抱きながらも、次は顔を仰いだ。目前に立っているのは、私のことを「千理」と呼んだ男性と、私よりも幾つか年上の男女の子供たち。



「この二人は君の従姉兄いとこに当たる。姉が理衣子、弟が理一朗だ。君には将来、この二人の "護衛" を務めて欲しいと思っている」



(ごえい……? ごえいって何?)




村でのんびりと育った私にとっては聞き慣れない言葉だった。



「君には類い稀なる特別な霊力が宿っている。その霊力を使って二人のことを妖鬼たちから守ってやって欲しいんだ」




(ああ、分かった。ごえいっていうのは、このお姉ちゃんとお兄ちゃんを守る人のことを言うんやな。……えと、どうやって守るん?)




私は刀を握ったことはおろか、取っ組み合いの喧嘩すらしたことがなかった。いつも行っていたのは、おままごとか花冠作りである。



男性は腰を落とし、両手で私の肩を掴んだ。



「この花梨崎の未来は守れるのは、"陽土の気" を持つ千理だけだ。


……君のお母さんは私の異母妹いもうとに当たる人だった。だからもしこの運命を受け入れてくれるのなら、この先は伯父である私が君の面倒を見たいと思っている」




(……えと。何やよう分からへんけど、"生きていくため" には、私がこのお姉ちゃんとお兄ちゃんのごえいにならなあかんってことやんな? それで、守り方?戦い方?は、このおっちゃんがこれから教えてくれはるってことよな?)




そんなことをぼんやりと考えていると、理衣子と理一朗と呼ばれた子供たちが、ゆっくりと私に近付いて来た。



「初めまして、千理。今日からわたくしがあなたのお姉さんよ」


「仕方がないから、お前の兄になってやる。……よろしくな、千理」




理衣子は朗らかに微笑んで、理一朗は少々ぶっきらぼうに、そのように言った。



「……うん、よろしく。えと……姉さん、兄さん」






これが、花梨崎家の人たちとの出会い。わずか齢七歳で、"家人が変わる経験" をしてしまうだなんて。



いやはや、人生とは本当に、何が起きるか分からないものだ。




------





「千理……!」




目黒邸に戻った私の元へ真っ先に駆け付けて来たのは、真っ青な表情を浮かべた姉の理衣子だった。



「千理、何処へ行っていたの……! 怪我は? 見せてちょうだい!」




姉はバッグからハンカチを取り出すと、それをそっと私の口元へと当ててくれる。唇が切れていたことなどすっかり忘れていた。



「大丈夫だよ姉さん。別に大したことじゃない」


「そんなはずないでしょう……!」




姉は今にも泣き出しそうだ。



「千理君」


「……目黒さん。すみません、騒がせてしまって」


「君が謝る必要なんてないよ。そんなことより傷は?」


「目黒さんまで。今の今まで忘れていたくらいなので全然平気です」


「……そうか。さっき、理一朗君にも連絡したから、そろそろ彼が君たちを迎えに来ると思う」


「えっ?」




……うーん。これは馬車に乗っている間中が説教タイムになってしまいそうだ。 




「花梨崎弟」


「…………どうも、東郷さん」




兄からの説教をどう切り抜けようか考える間もなく、これまた説教好きな厄介人が私の元にやって来てしまった。



「お前とあの柴狐とかいう男が目黒邸を出てから一時間ほどが経っているが、どこで何をしていた」


「はあ。ちょっとこれ以上の暴力沙汰はまずいと思ったので外に出てました」


「奴はどうした? 帰ったのか?」


「いえ、ここから五キロほど離れた雑木林の中にまだいます」


「は……?」


「彼、落とし穴にはまってしまって。申し訳ないんですけど、助けに行ってやってくれませんか?」




恐らくは気を失っているだろうが。


あの雑木林に人肉を食らう妖鬼は住んでいなさそうだが、低級の低級霊辺りはうじゃうじゃいる。人を驚かせることに生きがいを感じているような、一つ足だったり三つ目だったりする者が。



「……お前が落としたんじゃあないだろうな?」


「人聞きの悪いことを。柴狐さんが勝手に、一人で、たまたまあった落とし穴に落っこちたんですよ」




手は出していない、手は。……誘導はしたが。


東郷をチラリと見やると、彼は眉間に皺を寄せつつ顳顬を抑え込んでいた。これはまたグチグチと小言を言われそうである。



「分かった。では俺が迎えに行くから奴の居場所を教えろ。花梨崎弟も災難だったな」




……だが。彼の口から発せられた言葉は、意外にも私をねぎらうものだった。



「……殴られたの、自業自得だって言わないんですか?」


「あいつが勝手にお前に食ってかかったんだろう。理衣子嬢の友人たちがそう証言している。それに」




東郷が私の口元をじっと見つめてくる。



「拳を敢えてけなかったのは、彼女たちを守るためだろう? お前がけてしまえば、間違いなく他の誰かに当たっていたからな」




私は目をぱちくりと瞬いた。



(……気付いてたのか)




まさかの分析に驚いた。というか、今回も無条件に私の方を悪者扱いされると思っていた。



(東郷さんは堅物で口煩くて、私の愚行が花梨崎家の品格を下げるとか言ってくるような嫌味な人。……けど)




けれど、本当にただのお節介人というだけで、別に私のことを嫌っているわけではないということだろうか? 何だか少し、拍子抜けする。


 


「千理さんっ、大丈夫ですの?!」


「本当にありがとう、千里さん……! 誰が何と言おうと、やっぱりあなたは優しくて紳士な、素敵すぎる殿方よ!」




その時、私たちの後方で東郷の言葉を聞いていたであろうご令嬢たちが、もう黙っていられない、口を挟みたくて仕方がないとばかりに、私の側へとやって来る。



「柴狐様ったら、なんて酷い方なのかしら……! 理衣子様への想いが叶わないからといって、それを千理さんに当たるなんて」


「あんな男、千理さんや目黒様の足元にも及ばないわ! 懸想の仕方が異常なのよ。理衣子さんに自分の髪の毛を入れた御守りをプレゼントしようとしたり、変な液体入りのチョコレエトを渡してきたり!」




……そして彼女たちの言葉を聞いた途端に、私の東郷への思惑が、一気に柴狐への憤怒に変わってしまったのだった。


奴め。やはり何発か殴っておけば良かった。百歩譲って落とし穴にしたのに。



「全く。そんな救いようのない男を迎えに行かねばならんとは、面倒なことこの上ないな」


「よし、私が行こう」


「目黒は駄目だ。今のお前が行けば、奴は間違いなく死体になる」




そう言いつつ東郷が私の顔近くに耳を寄せてきた。一瞬何事かと思って少々のけってしまったが、すぐに柴狐の居所をこっそり教えろという意味だと気付く。


なので私は、目黒に聞かれないよう落とし穴の場所を東郷に耳打ちした。



柴狐には腹が立つ。この上なく腹立たしい狐だが、いかんせん人間ゆえ始末出来ないのだ。……ついでに言えば、姉の婚約者殿をお尋ね者にもさせられない。





東郷たちとそうこうしていた時、目黒邸の扉がギギ、と音を立てて開いた。中へと入って来たのは、息を切れ切れとさせた兄、理一朗だった。



「千理っ!!」


「に、兄さん。もう着いたの?」


「お前って奴は、何でそう毎度毎度騒ぎを起こすんだ!」


「ご、ごめん」


「落ち着きなさい、理一朗。千理は怪我をしているのよ」


「……それも目黒さんに聞いた」




今度は兄が私の顎に手を添えて顔を仰がせ、傷を確認してくる。



「傷を作るなといつも言っているだろう」


「少し唇が切れただけだよ」


「跡が残ったらどうする。今から医者に行くぞ」


「えっ? こんなのすぐに治るって」


「駄目だ! ほら早く来い!」




兄は目黒たちにペコリと頭を下げた後、右手で姉の肩を抱き、左手で私の腕を掴むとズンズンと目黒邸の中庭を突っ切って行く。



後ろを振り返ると、腕組みを始めた東郷と何やら神妙な面持ちになっている目黒がこちらへと視線を向けていたので、私は少し会釈しておいた。




「花梨崎の姉兄は末弟に過保護過ぎるな。だから奴が調子に乗るんだ。目黒もそう思わないか?」


「そうだね。千理君は……男の子なのにね」




 

兄の足取りが早過ぎて、既に館から随分と離れてしまっていたため、東郷と目黒が交わしている会話は到底聞き取れなかった。


……まあ、おそらくは姉と兄が甘いから私が付け上がるんだうんたらを、東郷が目黒に愚痴っているのだろう。




「……大丈夫だったか、千理」


「わたくしのせいで……本当にごめんなさい」


「……待って待って。姉さんのせいじゃないのは明らかだし、兄さんも心配しすぎ。大丈夫、私は何ともないよ」




でもまあ、姉兄が過保護なのは本当。私のことなんて気にしなくて良いのに。あんなヒョロ男の拳なんて、全然大したことではないのだから。



(それにしても、柴狐父は花梨崎家の情報を一体何処から手に入れたんだろう? 私たちの過去のことなんて、この東京町の人間は誰も知らないはずなのに)




右腕を兄に掴まれているため、私は左手をふむ、と顎下に当てた。



(ちょっと調べる必要があるな)




そんなことを思っているうちに、私たちは中庭の門を抜けた。そこには、兄と共にやって来たらしい馬車引きの家僕が待機していた。




(…… 家僕か。柴狐さんの言葉が思ったより効いてるみたいだ)




しかし馬車へ乗り込むと、予想通り兄からの説教オンパレードタイムになってしまったので、すぐに奴のことを考える暇などなくなってしまった。



翌朝に、柴狐の姿が雑木林の何処を探しても見つからなかった、と東郷から聞かされるまでは。

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