第3話 嫌敵手《ライバル》の男 ①

(やっぱり山中は街と違って暗すぎる。夜目は利くほうだけどそれでも進みづらい。……よし)




私は軽く助走を付けた後、近くにあった高木の幹を蹴り上げて、一気に樹上へと駆け上がった。警察隊員らがいる場所からは大分と遠ざかっていたので、もう姿を見られるという心配もない。



(妖魔の根城探しは終わったんだし、帰りはこっちを通る方が良さそう。今夜は月も雲隠れしてないし)




私は慣れた足取りで木々の上を移動して行く。



(早く家に帰らないと、明日……いや、もう今日か。今日も学校を休まないといけなくなる)




と、本日の予定を心配していたりした。少々ムスっとしながら。



(…… 東郷 総真。相変わらず嫌味な男だ)




あの男の顔を思い浮かべるだけで、眉間に深く深く皺を寄せてしまう。



私が何故、これほどまでに彼を毛嫌いするのか。それは時間を本日、いや昨日午後の座学の時まで巻き戻す必要がある。




------





「妖鬼らが街に姿を現すのは夜、取り分け深夜が多い。まあ、ほとんどの者が就寝している時間だろうとは思うが、絶対に家から出ないようにしてくれ」


「妖魔や鬼は人間の血肉が大好物だと言われているからね」





登校時に悠真が言っていた通り、午後の授業は大日本国警察隊による座学となった。この時私は、大教室の一番後ろの一番隅の席に座りながら、彼らの話をぼんやりと聞いていた。



「ねえねえちょっと……! 東郷先輩も目黒先輩も素敵すぎない?!」


「眉目秀麗、魁塁之士かいるいのしとは、まさにお二人のことね」


「その上先輩方は、警察隊の中でもエリート中のエリートしか入れないっていう噂の、あの妖鬼討伐部隊にいらっしゃるし!」


「お二人は小等部から大学部までずっと、勉学でもスポーツにおいても首席を争ってきた幼馴染でもあるんですって」


「でも、目黒先輩は既に理衣子様と婚約していらっしゃるし……」


「狙うならまだ婚約者のいない東郷先輩かしら?」


「東郷先輩は無理よ〜っ。彼を落とせた女性は今まで皆無だって聞いたわ。どんな美女でも冷たくあしらわれて即終了だって噂よ」




私は周りに座っている女の子たちのヒソヒソ話にも耳を傾ける。彼女たちはお堅い座学なんかより講師陣に夢中のようだ。



(うんうん、目黒さんは狙わないでね。悠真のお兄さんは別にいいけど)




そんなことを思いつつ教壇を眺めていたところ、



「まあ、妖鬼を実際に見たことがなければ危機感など芽生えもしないだろう。それも当然のことだ」




と、東郷が急に眉をひそめ出す。学生たちが講義を真剣に聞いていないことに気が付いたのだろうか。

 


「だが、妖鬼と出逢ってからでは遅すぎる故、今こうやって座学を開いているんだ」




東郷の声色が一段と低くなった。すると彼の隣に立つ目黒もまた、学生たちに向けさらに真剣な表情で言葉を放つ。



「東郷副官の言う通り。妖鬼の被害に遭わないためにはまず、"人の持つ内なる力" についてを知らなければね」




目黒はチョークを持ち、黒板に書き付けていく。彼が書いた言葉は、"霊力" 。



「どんな人間でも、身体の中には霊力というものが宿っているんだ。例えば、虫の知らせなんかはそれによって得られる能力の一つ。そのおかげで危機を回避出来たとか、そんな不思議な経験を持つ人もこの中にはいるんじゃないかな? あとは自然治癒力とかもそうだね。霊力が多ければ多いほど、免疫力も高くなる」




目黒がそう話した後、今度は東郷が黒板に文字を書き付けていく。



「霊力は主に三の種類に分けられる。今からはそのことについて説明する」




東郷が黒板に書き足した言葉を、私は目で追っていった。



「 "陰陽の気。すなわち、陰花いんかの気と 陽土ようどの気" 。


お前たちにとっては馴染みのない言葉だと思うが、昨今における妖鬼らの暗躍を思うと、知っておいて損はないだろう」


「"陰花の気" と "陽土の気" 。この二つを合わせた総称を "陰陽の気" と呼ぶんだ。警察隊の調べによると、妖鬼は陰花の気をまとう人たちを優先的に襲う傾向にある」


「対して、陽土の気を持つ者はほとんど被害に遭わないという統計が出ている。だがこれらの特別霊力、 陰陽の気を持って生まれてくる人間はまれ中の稀だ。ほとんどの者は、そのどちらでもない普通の気を纏っている」




目黒と東郷の言葉に、大教室の中は一気に騒がしくなった。



「陰花? 陽土? そんなの初めて聞いた」

「特別な霊力だって!」

「てことは、もし俺が陰花なら妖魔らに狙われやすくなっちゃうのか?」

「やだ! 私、絶対陽土がいい!」

「でも、どうやったら自分が陰花か陽土かなんて分かるんだろう?」




騒ぎ立てている学生たちに向け、目黒が二、三回、パンパンと手を叩いて呼びかける。



「みんな聞いて。陰陽の気を持っているかどうかを見極めるには、まずは自分の血で半紙に文字を書く。そしてそれを妖魔の目撃情報がある山中の樹木に貼り付ける、っていう方法を取るのが一般的かな。三日経ってもそれが綺麗に残っていれば陽土。もしズタズタに引き裂かれていたら、陰花か普通の気を持つ可能性が高いっていう振り分けだね。少量の血液でこれなんだから、人体だとそれはそれは悲惨なことになる」




だが彼がこのように言うと、今度は教室が一気に静かになった。



(目黒さん、見た目は優男なのに結構はっきりと物を言う人なんだよね。まあ、姉さんのことはすごく大切にしてくれてるけど)




大好きな姉を思い浮かべつつ目黒を見ていると、



「陰陽の気を持つ者は非常に少ない。我が国の総人口のうち、0.5パーセントにも満たないと言われている。しかも陽土の確率はさらに低く、陰花の三分の一ほどになるそうだ。つまり、どういう意味か分かるか?」




今度は彼の隣に立つ東郷が、学生たちにそう言葉を投げた。私は彼にもチラリと視線を送る。



「要するに、ここにいるほぼ全員が妖鬼に狙われる対象ということだ。我々警察隊が見てきた "人肉食後" の現場はまさに地獄絵図だぞ。お前たちも絵巻物の登場人物になりたくないのなら、夜に家を抜け出したりしないことだ」




すると、東郷は何故だか教室に座る特定の学生数名をめ出した。



「きっと今 にらまれてるのは、警察隊が相談を受けた人たちの子供なんだよ!」




右隣に座る悠真が、私に小声でそう耳打ちしてくる。



……なるほど。夜中に家を抜け出して遊んでいる、あるいは異性と逢い引きしている我が子のことを、彼らの親が東郷たちに相談したのだろう。何とかやめさせる方法はないものかと。



「でもさ、陰陽の気って何だかカッコイイよね! 特別な力なんだって。超能力とか使えちゃうのかな?」




悠真が少し興奮気味にそう話すので、私は小さく息をついた。




"陰陽の気" 。

これはたまの人間が持つ特別な霊力。だが、これを使って空を飛んだり攻撃魔法を編み出したり……なんて、そんな非現実的かつ夢のある話ではない。



つまり、一文で現してしまえばこうだ。



"妖鬼の感性によると、陰花の気を持つ人間の血肉は大変美味だが、反する陽土の血肉はすこぶる不味い"




まれ中の稀、か。確かに、この教室の中では陰花の気を纏っている人は見当たらない)




超能力は使えないが、陰陽の気を持つ者は、他人のまとってる "気" を見ることが出来る。



(姉さんと兄さんの身体からは、いつも薄桃色のモヤが出てるんだよね)




オーラみたいな感じ、と言えば伝わるだろうか? ちなみに兄によると、私の纏う気は限りなく黒に近いどす黒い灰色、とのことである。



(うーん、色に関しても正反対)




……実は私たち。花梨崎三姉弟は何の因果か、三人ともが陰陽の気を持ってこの世に生を受けてしまっていたりする。ちなみに桃色の気を纏っている方が、陰花の気を持つ人たちである。



(陽土は妖鬼たちに嫌われてる。……もしかして私って、彼らにとってはかなりクサイ存在とか?)




思わず手甲を鼻下へと移動させクンクンと嗅いでしまった。が、人間の鼻では陽土が臭いかどうかなんて、やはり分からない。



「千理? 何してるの?」


「あ、えと。ちょっと鼻の下が痒かっただけ」


「ふうん?」




またこそこそと悠真と話していると、



「座学は以上だ。くれぐれも今日俺たちが話したことを心に留めておいてくれ。


遊びも恋愛も大いに結構だがほどほどに。学生の本業は勉学とスポーツだ」




何故だか東郷が、今度は私たちの方へと視線を投げ付けてきた。



「……やっばい」


「悠真、どうしたの?」


「この前さ、みんなで千理に女の子の口説き方を伝授してもらったでしょ? そんでもってそれを実践したりしたでしょ? そのことをうっかり兄上に話したら、かなり呆れられちゃって」


「……お兄さん、堅物なんでしょ? 何で話したんだよ」


「いやあ、初めて女の子とデート出来ることになって、ちょっと浮かれちゃっててさ


「…………」




悠真に向けていた目線を東郷へと戻した。すると案の定、彼の強い眼光は私へと向けられていたのだった。



(……有能な警察隊員に目を付けられてしまった刺客アサシンな気分。うーん、言い得て妙)




この時はまだ、そんな冗談じみたことを思えていたのだ。



後に彼が、私に "あんな言葉" を浴びせなければ。

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