第3話 想い

「お帰りなさいませ、未桜みおお嬢様」

「あー、ただいま……」

 学校を出て、小恋音ここねとおしゃべりしながら家に帰ると、大勢の使用人アンドロイドに出迎えられた。


 AIが支配するこの世界に疑問を抱く私の家は、皮肉なことに、最先端のシステムを開発する大手企業。

 元々は、世界最後の漫画家と呼ばれ、偉大な功績を残した曾祖母に対抗するため、AI技術と脳科学を研究していた祖父が、脳に直接微弱電流を送って接続する「ラルム」と言うウェアラブル端末を造り出したことがきっかけだ。


 ちなみに、ラルムとはフランス語で「涙」の意味らしい。

 祖父曰く「俺の汗と涙とハナミズの結晶だ」とか、泥臭いことを言って名付けたらしいけれど、確かに形は涙のようなドロップ型だ。


 そして当時ラルムは、人間とAIの世界を広げる発明、なんて言われたらしいけれど、実際のところ、どうなんだろう?

 確かに、ラルムが収集した、人間の脳の情報をAIに反映させることで、AIの感受性や学習能力は飛躍的に向上し、おかげで人間から個性を奪ったわけだけど、人間の方はラルムのせいで、より機械みたいになってしまったんじゃないかと私は感じている。


 まぁ、脳を媒介ばいかいとしたラルムは、確かに便利なんだけどね。

 メッセージの送信や音声通信も、頭で考えただけで送信・通信が可能だし、受信も届いた途端、脳が認識。視界の先に画面が現れたような感覚で届いた内容だって即座に見れちゃうから、一昔前まで必須とされていたケータイのように、わざわざ自分で通知を確かめる煩わしさはない。

 でもそれはつまり、人間そのものが送受信のための媒体になったみたいで、私はあんまり好きになれないんだ。

(……なんて言ったら、お爺ちゃんにもお父さんにも怒られるから言わないけど)



「お帰り、未桜。遅かったわね」

「ただいま。小恋音の部活を待ってたんだ~」

 玄関先で靴を脱ぎ、鞄を肩に掛けたままリビングに行くと、母がソファに座ってゆったりとお茶を飲んでいた。

 私は祖父と両親と二人の兄を持つ六人家族なんだけど、家にいるのはいつも母だけ。

 男連中はけんきゅーだの、かいはつだのと言って、隣接する研究所か、都心に立つ本社ビルにいることが多いから、顔を合わせない日だって珍しくはない。

 ま、特にする会話もないから、別にいいんだけどね。

「お父さんや兄ぃたちは? また向こうに泊まり?」

 そう思いながらも、私はテンプレ的に聞いてみた。

 すると母は困った顔で、

「う~ん? 構築したシステムのメンテナンスがどう~とか言ってお昼過ぎに出ていったきり、連絡もないのよね~。一人くらい私を気にかけてくれてもいいのに。薄情な子たちだわ~」

「そうなんだ。じゃあもうご飯にしようよ。お腹空いたもん」


 母を誘い、私たちは広いダイニングで二人だけの夕食をとった。

 兄たちが学生のころは、もう少し賑やかで、一緒にご飯を食べていたっけ。

 でも、ここ一年ほどは、がらんとしたダイニングで母と話して、それで終わり。

 母と話すのは楽しいけれど、家族ってこれで成り立っているのかなー。


 ……なんて、もしかしたら私は、今、世界のすべてを否定したいお年頃なのかも知れないけれど、どうしてもこの世界の歪みみたいなものが、気持ち悪いんだ。



 その夜。

 結局帰って来なかった男連中はさておき、私は、久しぶりに曾祖母の部屋を訪れることにした。

 心が落ち着かなくなると、いつもここに来て、曾祖母のことを思い出す。ここには、人の手で作られたものがたくさんあって、なんとなく落ち着くんだ。


「はぁ~、懐かしいなぁ……」

 曾祖母の部屋は、屋敷の裏を進んで、木々に隠れるようにして建つ離れにある。

 古風な平屋造りのこの離れが、曾祖母のアトリエであり、今は曾祖母の作品の保管庫にもなっていた。

曾祖母ひぃばあちゃんの絵、やっぱり私、かわいくて好きだな……」

 そう言って、私は無数にある本棚にしまわれた漫画を一冊、手に取った。

 曾祖母ひぃばあちゃんは、史実を基にしたヨーロッパの御伽噺を原案に漫画を描くのが好きな人だった。

 今手にしているのは、十八世紀のはじめに書かれ、その後二百年以上もヨーロッパでベストセラーとなった伝説的な恋愛御伽噺。超ロマンチックな恋物語で、未だに根強いファンがたくさんいるって話だ。

 正直、こんな甘い恋が現実だったなんて信じられないけれど、どきどきして楽しくて、つい夢中になってしまう。


 だけど、今日に限っては、曾祖母の絵にばかり目がいって、内容はあまり入って来なかった。

 その絵を見て思い出すのは、曾祖母の少し寂しげな眼差し……。


 曾祖母ひぃばあちゃんはいつも、個性のない世界がやってくると嘆いていた。

 子供だったあの頃は、漠然と話を聞いていただけだったけれど、今ではその意味が、よく分かる。

 この世界はさ、便利になりすぎたんだ。

 過去の人たちはずっと、利便性と引き換えに「未来」を売り続けてきた……今を生きていると、すごく、そう思う。



 ――ねぇ、遠い過去の誰かさん。

 便利な世の中って、そんなにいいものですか?


 今この世界は、生まれたときからずっとAIの支配下にあって、進学も就職もAIが用意した選択肢からしか選ぶことができません。

 確かに、知りたいことは即座に学べるし、与えられた選択肢から未来を予想するのは簡単です。

 徹底的な効率化と情報処理によって、人が煩うことはないし、過去の人たちから見れば便利な世界でしょう。


 でもね、私は今この世界で生きて行くことが苦しい。

 個性がいらなくなった人間は、何を楽しいと思って生きて行けば良いのでしょう。

 誰がやっても同じなら、「私」はいらないよね。


 歴史の本を開くと、時々思うんだ。

 この世界の文化水準は、江戸時代ころのままだったらよかったのにって。

 もちろん、格差とか衛生環境とか、その時代によって問題はたくさんあると思うけれど、少なくとも人の心は今よりずっと、温かいものだったのではないでしょうか。

 物を大切に、人との繋がりを大切に、そんな素敵な世界を私は生きてみたかった。


 今はネットワークのおかげで世界の裏側の人とだって瞬時に繋がれる一方、顔の見えない相手を攻撃して、楽しんでいる人たちが大勢います。

 電子規制法がどれだけ強化されても、たぶんこの世界から電子機器がなくならない限り、辛い世界は終わらない。


 ねぇ、遠い過去の誰かさん。

 自分や周りのために利便性を追求して、新しい技術を開発していくことは大切です。

 でもね、行き過ぎた進化はこうして人間をダメにしてしまう。


 たぶん、私がおばあちゃんになるころには、個性だけじゃなくて心もなくなって、人間はこの世界から姿を消してしまうんじゃないかな。


 だけど私は、個性も心もない人間になんて、なりたくないよ。

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