身元確認
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──身元確認
メクレンブルク宰相は正式に帝都にロックダウン命令を下した。
帝都から外部に出ることは基本的に禁止され、動員された帝国陸軍の部隊が国家憲兵隊の指揮下で封鎖を実施。帝都は陸の孤島となった。
帝国議会では一連のリスター・マーラー病の感染拡大がテロであるというリークがどこからかなされ、野党がメクレンブルク内閣の対応は手緩いと批判を繰り広げている。
「大成功だぜ。マジでな。どいつもこいつも大混乱。陽動は大成功だ!」
そんなロックダウン下にある帝都の高級ホテルで歓声を上げているのは、以前帝都中央拘置所を屍食鬼で襲撃した傭兵──サイラス・ウェイトリーだ。
高級ホテルのロイヤルスイートでミニバーからウィスキーをグラスに注ぎ、高級葉巻を吹かしながらサイラス・ウェイトリーは椅子で足を組んで笑っている。
「しかしながら、魔獣猟兵どもが簡単に手を引きやがったのにはむかつくな。おかげで死体の調達は一苦労だ。だろ、先生?」
「ああ。もう私の権限ではどうにもならないぞ」
サイラス・ウェイトリーがそう言って見るのは、ベージュ色のスリーピースのスーツを纏ったやや肥満気味の初老男性だ。
「ダメだ。死体はちゃんと集めてもらう。まだ攻撃を続けにゃならん。この後にデカいイベントが控えてるんだ。楽しい、楽しいイベントのために時間を稼がんとな」
「もういいだろう。既にかなりのリスクを抱えている。それに私はテロリストではないし、テロのために死霊術を学んだわけではない。私は純粋に魔道工学の発展のために死霊術を研究したかっただけだ」
初老の男がサイラス・ウェイトリーに返す。
「テロリストじゃない? 何言ってるんだ、あんた。あんたの提供した細菌をばら撒いて何万人も殺したってのに、それで自分はテロリストじゃないだって? 寝ぼけるのもいい加減にしておけよ」
「偽神学会はテロ組織ではない。相互援助組織だ。我々はテロを目的として偽神学会に所属しているわけではない」
サイラス・ウェイトリーがうんざりしたように言い初老の男がそう主張する。
「俺は傭兵として麻薬カルテルの連中のために仕事をしたこともある。で、法を犯している連中が、その犯罪を取り締まろうとする連中を邪魔させないために殺すような場合、それを何と呼ぶか知ってるか?」
サイラス・ウェイトリーが葉巻を吹かして初老の男を見る。
「まさにテロリストって言うんだよ。俺たちは死霊術って犯罪を犯し、それを取り締まる連中をぶち殺してる。死霊術の研究という大義のために民間人も殺した。これがテロリストじゃなくて何だってんだ、おい?」
「私はそんなつもりは……」
「そうだな。偽神学会はテロリストだとは主張してない。少なくとも学会長閣下はな。だが、俺たちがやってることはテロリストそのものだ。いい加減諦めろよ」
「いいや。ダメだ。これ以上死体は提供しない。お前の作戦に関わるのは終わりだ」
「それで国家憲兵隊相手に司法取引でも持ち掛けるつもりか? 遅すぎるぜ。何もかもな。あんたの作った細菌で何万人死んだと思ってるんだ? それだけ殺して無罪放免になるなんてどんな弁護士を付けても無理だ」
初老の男が首を横に振るのにサイラス・ウェイトリーがウィスキーのグラスを揺らしながらそう語る。
「そして、あんたが国家憲兵隊に俺たちを売ろうってんなら、覚悟してもらうぞ。あの哀れなレオ・アームストロングがどうなったか知ってるだろう。俺たちは共犯だ。裏切者には容赦はしない」
「偽神学会はそのような組織ではないはずだろう」
「あんたが期待しているのは学会長閣下の慈悲か? あの人は優しすぎる。誰にでも。その上、とんでもない美人と来た。いい女だ。惚れちまうぜ」
初老の男の指摘にサイラス・ウェイトリーが冗談を言うような口調で告げる。
「だがな、アザゼルは違う。あの女は学会長閣下が持っていないものを補っている。冷酷さ、残酷さ、計算高さ。レオ・アームストロングを処分しろと言ったのもアザゼルだし、今回のテロもアザゼルの指示だ」
「私はちゃんと協力した。失敗もしてない。ただ、これ以上は協力できないと言ってるんだ。帝都に偽神学会が有する資産はもう少ないはずだぞ。私を失っていいのか? アザゼルが計算高いのならリスクも分かるはずだ」
脅迫するようなサイラス・ウェイトリーの言葉に初老の男がそう反論した。
「本当にそう思うか? これから何が起きるか分からないんだろう?」
「……魔獣猟兵とまで手を結び、帝都でこんなテロをやり、最後は何をする?」
「何だと思う? 世界を滅茶苦茶にしたい魔獣猟兵と神々に喧嘩を売ってる偽神学会。それが求めるものは何だろうなあ?」
にやにやと笑いながらサイラス・ウェイトリーが尋ねる。
「……なんてことだ」
「これからもよろしく頼むぜ、ヘンリー・ノックス所長?」
初老の男性が呻き、サイラス・ウェイトリーが葉巻を咥えた。
そして、ヘンリー・ノックス魔道学博士にしてカール4世・フィリップ・テオドール魔道研究所所長は、サイラス・ウェイトリーの様子を忌々し気に睨んだ。
──ここで場面が変わる──。
「ここは……」
アレステアが目を覚ますと白い蛍光灯の光が目に入った。
体が酷く痛むのを感じながら周囲を見渡す。
まず点滴が目に入った。点滴スタンドに吊るされた点滴液が入ったプラスチックの袋からルートが伸びアレステアの左腕の針まで薬液が落ちている。
白くて清潔なシーツがアレステアの体にかけられており、さらにそのシーツの中からチューブが伸びていた。それが尿道カテーテルだと分かるとアレステアは急に恥ずかしくなってきた。
「あら。意識が戻られましたか?」
そこで女性の看護師がやってきてアレステアを見て驚いていた。
「名前は言えますか? 誕生日は?」
「アレステア・ブラックドッグです。誕生日は8月15日」
「すぐに担当医をお呼びしますね」
看護師はそう言ったがいつまで経っても医者は来ない。
周りからは唸るような声や心電図を計測する機器の音がする。アレステアはただぼんやりとベッドに横になって医者が来るのを待った。
「アレステアさん。担当医のアレックス・サリバンです。どういう経緯でここに運ばれたか覚えていますか?」
そして、ようやく男性医師がやってきてアレステアに尋ねて来た。
「えっと。ああ。自爆テロで……」
「ええ。あなたがゲヘナ様の加護を受けていなければ死んでいたでしょう。まあ、それでも重傷でしたが。そして、ほとんどの傷が回復しても意識が戻らなかったので経過を観察していました」
「そうでしたか。あの、シャーロット・スチュアートさんかレオナルド・サルマルティーニさんと連絡は取れませんか? どうしても伝えたいことがあるんです」
「おふたりとも交代で様子を見に来ておられましたよ。今もどちらかおられるはずです。お呼びしましょう。お待ちください」
医者はそう言うとアレステアのベッドから去った。
アレステアは何とか上体を起こそうとするも、痛みがする。それでも痛みに耐えて何とか起き上がった。
「アレステア少年。大丈夫?」
「シャーロットお姉さん。大丈夫です」
そして、シャーロットが姿を見せる。
「もう心配したんだよ? いくら死なないと言っても酷い状態だったし……。その上、傷が回復しても全く意識が戻らないって医者に言われて、ゲヘナ様は精神が死んだかもとか言うしさ」
「すみません……」
「皇帝陛下も心配してたよ。宮内省からも様子を見に人が来てた」
アレステアが申し訳なさそうに言うのにシャーロットが肩をすくめる。
「でも、あの時は必要だったんです。情報が手に入りましたよ。あの自爆テロに利用された屍食鬼の身元です。アンナ・アルジェントさんという女性の方で家族もいます」
「オーケー。すぐに調べてもらうよ。けど、君は暫く休むように。後、あんまり無茶しないでね。お姉さんは心配だよ」
「本当にすみません」
シャーロットが注意するのにアレステアはうなだれた。
それから看護師が何度か採血や点滴の交換にやってきたが、医者はもう来なかった。見える範囲には時計もなく、病室には窓もないので時間も分からない。
「アレステアさん。点滴を確認しますね」
そして、また看護師がやって来た。
「あの、もう起きれると思うので立ってトイレにいけるんですけど……」
「ああ。カテーテルですね。じゃあ、外しましょう。トイレに行かれる際には伝えてください。一応様子を見ないといけませんから」
「はい」
ようやくアレステアには恥ずかしかった尿道カテーテルが外された。
それから食事が運ばれてくることで時間が分かるようになり、ずっと続いていた点滴も終わりになり、ようやくまた医者がアレステアのベッドに来た。
「アレステアさん。退院が決まりました。おめでとうございます。退院の手続きはレオナルド・サルマルティーニさんが済ませられましたので、このまま退院できますよ」
「お世話になりました」
「それから着替えの方も持ってこられていましたので着替えられてください」
医者はそうとだけで言って忙しいのかさっさといなくなってしまう。
アレステアは入院着から看護師が運んできた紙袋に入った衣服に着替え、看護師に案内されて病室を出ると病院のロビーに出た。
「アレステア君。迎えに来ましたよ」
「レオナルドさん。身元の確認はできましたか?」
「ええ。そのことは司令部で。一応軍事機密に該当しますので」
レオナルドにそう言われてアレステアは病院を出ると軍用四輪駆動車で近衛騎兵師団駐屯地へと戻った。ロックダウンの影響もあって帝都はゴーストタウンになったかのように静まり返っている。
レオナルドが運転する軍用四輪駆動車が近衛騎兵師団駐屯地に入る。ゲートは武装した近衛騎兵師団の兵士によって警備され、軍用犬も配備されていた。
「フリードリヒ・ヴィルヘルム通りの自爆テロの影響でここも警戒態勢にあります。もうどこが攻撃されてもおかしくないと軍上層部は考えているようです」
「大変なことになってしまいましたね……」
警備の兵士たちに許可をもらったアレステアたちは近衛騎兵師団駐屯地の駐車場に軍用四輪駆動車を停車させ、葬送旅団司令部となっている会議室に向かった。
「お? 退院してきたね、アレステア少年!」
「ご心配おかけしました、シャーロットお姉さん」
シャーロットは相変わらず軍の施設だろうがお構いなしにウィスキーを呷っている。
「アレステア。お前は確かに不死だ。だが、その精神は未だ人間のそれである。あまり無茶をするな。肉体が無事であろうと精神が死ぬこともあるのだぞ」
「はい、ゲヘナ様」
ゲヘナの化身はいつも通り人形のように佇んでいた。
「では、アレステア君が身を挺して手に入れた情報について説明しましょう」
全員が会議室に集まったのを確認してレオナルドが語り始めた。
「屍食鬼とされた被害者アンナ・アルジェントさんの身元は確認できました。彼女の家族とも話しています。それによればアンナ・アルジェントさんは急性白血病で亡くなっていました。リスター・マーラー病ではない」
「つまり、彼女はこれまでの犠牲者と違って生きたまま攫われて、病気に感染させられてから屍食鬼にされたわけではなんですね」
「ええ。そして、彼女は病院で死亡後に帝都教区聖堂墓所ではなく、病院付属の医療墓所に安置されていました。病院は神聖契約教会系の病院だったので、そうなったそうです。そして、その後に屍食鬼にされた」
「医療墓所から攫われた。犯人を特定出来そうですか?」
「国家憲兵隊のラムゼイ大佐が率いるテロ・暴動対策室が捜査を始めました。現在、医療墓所の死者の搬送や関係者の出入りに関する記録の調査を行っています。そして、我々にも国家憲兵隊の捜査に協力を求められています」
「では、早速!」
「ええ。国家憲兵隊帝都本部へ」
アレステアが意気込みレオナルドが頷く。
そして、アレステアたちは早速ラムゼイ大佐と合流するために国家憲兵隊帝都本部へと向かった。ゴーストタウンとなり、さらには国家憲兵隊の武装した兵士たちがテロに警戒する帝都の街並みを抜けて。
「止まれ! 身分証を提示するように!」
国家憲兵隊帝都本部もテロに備え、警備がアレステアたちを止める。
「葬送旅団のアレステア・ブラックドッグです。これを」
「確認しました。どうぞ」
警備の通されてアレステアたちは国家憲兵隊帝都本部庁舎に入った。
受け付けで手続きを済ませると国家憲兵隊の女性隊員に案内され、ラムゼイ大佐のテロ・暴動対策室が捜査本部を設置している会議室に通される。
「ようこそ、アレステア卿」
「よろしくお願いします、ラムゼイ大佐さん」
アレステアたちが会議室に入るとラムゼイ大佐を含めた国家憲兵隊テロ・暴動対策室の将兵に迎えられた。
「さて、諸君。アレステア卿が身を挺して入手した情報によって捜査は大きく前進した。医療墓所の記録を調査した結果、不審な人物の出入りが確認された。一連の事件に関わっているものと思われる」
ラムゼイ大佐がそう説明を始める。
「浮上した容疑者は聖エイル病院勤務の外科医であるジェイコブ・バーク。勤務時間外に墓所に出入りしている。そして、安置されている死者のリストを何度も確認していることが分かった」
ジェイコブ・バークの身分証用の顔写真が会議室の黒板に貼られる。
「これより容疑者を拘束し、聴取を行う。この容疑者がテロの実行犯である可能性も否定できないためそれなりの準備を行って強襲する。以上だ」
そして、作戦が開始された。
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