疫病による恐慌

……………………


 ──疫病による恐慌



「近衛騎兵師団も出動したんですね……」


「まあ、人手が足りないみたいだからねー」


 アレステアたちは近衛騎兵師団の駐屯地内にある葬送旅団の司令部にて、今後の方針を話し合うために集まっていた。


 当の近衛騎兵師団は災害出動していた。帝都におけるリスター・マーラー病の感染拡大による医療切迫のため、帝都郊外に野戦病院を設け、運用することが目的だ。


「死霊術師についての情報は未だにないですね。ホフマン物流を国家憲兵隊が調査しましたが、案の定偽名と偽の住所で登録されていました」


「屍食鬼にされた人を攫った場面を目撃した人はいないのですか?」


「目撃者に名乗り出るように呼びかけていますが、今のところ有益な情報はありません。それに人々を攫っていたのはどうも死霊術師ではなく、魔獣猟兵のようですから、恐らく目撃者がいても死霊術師には繋がらないかと」


「そうですか……」


 レオナルドが説明するのにアレステアがうなだれる。


 糸はまた途切れてしまった。


「ですが、ひとつ進展がありますよ。魔獣猟兵は撤退しました。ですので、死霊術師がさらに疫病を拡大しようと言うならば、死霊術師自身が動く必要があります」


「だね。つまりは死霊術師のやりそうなことに注意すればいいってわけ。死霊術師の大好きな墓所荒らしが起きるはずだよ」


 そう、魔獣猟兵は帝都から撤退した。そのことは国家憲兵隊が調査して判明している。これで屍食鬼の素材を調達していた魔獣猟兵はいなくなり、死霊術師本人が動かざるを得なくなった。


「確実に追い詰めてはいるわけですね。このままならばいずれは」


「ええ。必ず死霊術師を捕え、裁きを受けさせられるでしょう」


 アレステアたちは一歩ずつ前進している。


 そのとき、突然近衛騎兵師団駐屯地が騒がしくなった。慌ただしい足音が響き、命令を叫ぶ声がいくつも聞こえる。


「ん? 何かな?」


「何でしょうか? 見てきます」


 アレステアが葬送旅団司令部から出て慌ただしくなった駐屯地で顔見知りの兵士を探す。近衛騎兵師団の戦闘服姿の将兵が駐屯地内で何かとても急いでいた。


「あの! 何かあったのですか?」


 アレステアが見知った顔の下士官を見つけて尋ねる。


「帝都で暴動が起きたんです。放火による火災も起きているということで。対応は国家憲兵隊が行うとのことですが、我々にも待機命令が出ました」


「暴動ですか? 帝都のどこで?」


「フリードリヒ・ヴィルヘルム通りです」


「分かりました」


 下士官から話を聞いたアレステアが再び葬送旅団司令部に戻る。


「どうだった、アレステア少年? 何か問題発生中って感じかい?」


「ええ。帝都で暴動だそうです。国家憲兵隊が対応していると聞きました」


「暴動か。ある意味時間の問題だったね、それは」


 アレステアが告げるとシャーロットがスキットルからウィスキーを流し込んでやる気なさげに肩をすくめた。


「疫病への恐怖が民衆に恐慌を引き起こすのは昔からです。目に見えない恐ろしい怪物が身の回りに潜んでいることに人は恐怖してしまう。そして、恐怖は暴力を引き起こす。それも集団による暴力を」


「それに加えて経済的な問題もね。感染による経済活動の縮小は経営者と雇用されている人間に打撃を与えている。皆が感染を恐れてレストランや酒場に行かなくなったから、飲食店は従業員を解雇しなければいけなくなってる」


 暴動に至る経緯はある程度分かっていた。こうなることは予想できたのだ。


「僕たちはどうしますか? 国家憲兵隊の人たちと協力している今、僕たちも行動するべきなのではないでしょうか?」


「でもさ、アレステア少年。暴動の鎮圧は難しいよ? 成人男性が暴れるのを相手を殺さずに取り押さえるってのは訓練が必要だ。君の“月華”も使えない」


「そうですよね……。でも、現場は一応見ておくべきではないでしょうか? 死霊術師が暴動を狙って感染を拡大させる可能性もあります」


「君は頑張り屋さんだね。なら、ちょっと行ってきますか!」


 シャーロットがスキットルに蓋をし、壁に立てかけていた“グレンデル”を握る。


「対応は国家憲兵隊が行っているでしょうから、彼らの邪魔にならない範囲で活動しましょう。今、組織間の無用の軋轢は産むべきはありません」


「はい。邪魔しないようにしましょう」


 レオナルドが告げ、アレステアが頷く。


 それからアレステアたちは葬送旅団に配備された軍用四輪駆動車に乗り込んだ。帝国陸軍の標準的な軍用四輪駆動車で小口径ライフル弾及び拳銃弾程度ならば弾ける装甲が備えられている。


「場所はフリードリヒ・ヴィルヘルム通りです」


「商店が多く並ぶ場所ですね。暴動になれば被害は大きいですが、政治中枢である中心街や人の多い住宅街ではないだけよかった考えるべきでしょうか」


 レオナルドが運転し、シャーロットがルーフのハッチから顔を出し、周囲を見張っている。この手の警戒しながらの車両の装甲についてレオナルドとシャーロットは軍で訓練を受けていた。


「レニー。国家憲兵隊の車両が見えた。パトカーが数台、車列を作って進んでる」


「こちらも向かっていることを無線で連絡します」


 シャーロットが報告し、レオナルドが無線機を握る。


「こちら葬送旅団。フリードリヒ・ヴィルヘルム通りに向かっている国家憲兵隊のユニットに報告。こちらも暴動現場に向かっている」


『こちら国家憲兵隊ユニット、ドーラ・ツー・ワン。こちらでは葬送旅団に出動要請はまだ出ていないと把握しているが?』


「現場の判断で出動しました。助力になればと。またこの混乱に乗じて死霊術師が動く可能性があります」


『了解。本部HQに通達しておく。先導するので続いてくれ』


「了解」


 暴動が起きているフリードリヒ・ヴィルヘルム通りに向けて進む国家憲兵隊のパトカーに続いてアレステアたちの軍用四輪駆動車が続く。


 そして、現場に到着した。


「道路が燃えてる……。車が燃やされてる……」


「暴徒は火炎瓶持ってるね。悪い状況だ。あれはお手軽な殺傷手段であることに加えて、ライオットシールドを装備している国家憲兵隊の機動隊の脅威にもなっちゃう」


 軍用四輪駆動車から降りてアレステアとシャーロットが暴動が起きているフリードリヒ・ヴィルヘルム通りを眺める。


 国家憲兵隊のライオットシールドを装備した機動隊が通りに展開し、その後方には放水車が待機している。さらにその後方には魔道式自動小銃で武装した部隊が最悪の事態に備えていた。


「葬送旅団の方々か? 私はこの場の指揮官であるギャスパー・シャール国家憲兵隊少佐だ。国家憲兵隊帝都本部機動隊第3大隊を中心とした部隊を指揮している」


「アレステア・ブラックドッグです。お力になれればと来ました」


「聞いています。ですが、今は待ってもらいたい。暴徒は興奮している。下手に刺激すると死者が出る可能性もあるのです」


「はい。そちらのお邪魔はしません」


 国家憲兵隊の機動隊が装備する黒い防弾ベストとヘルメットを装備したシャール少佐がアレステアに言うのにアレステアは素直に頷いた。


「少佐殿。暴徒の数が増えています。通りの完全な封鎖を急ぐ必要があります」


「分かっている。今、帝都本部に応援を要請した。しかし、先の事件で機動隊第1大隊は大損害を出してる。対応できる部隊は少ないぞ」


 部下が報告するのにシャール少佐が渋い表情を浮かべて返す。


 国家憲兵隊帝都本部機動隊第1大隊はセラフィーネ率いる魔獣猟兵によって死傷者を多数出してしまい、未だ活動可能な状況にない。


 その間にも暴徒は投石で機動隊を攻撃したり、焦点に火炎瓶を投げ込んだりと大暴れだ。機動隊は制圧に備えてライオットシールドで投石から身を守りつつ、前方で暴れる暴徒を睨みつけていた。


「この店は感染者を出した! 消毒しろ!」


「焼け! 焼いてしまえ!」


 暴徒たちはレストランや雑貨店などが並ぶフリードリヒ・ヴィルヘルム通りの通りの建物に次々と火炎瓶を投げ込み、怒り狂っていた。


「まるで中世だよ、これ。昔も疫病が流行った時は疑わしい人間を炎で焼いたんだ」


「人は変わらないのでしょう」


 シャーロットが呆れたようにそう言い、レオナルドが暴徒たちを機動隊の後ろから見て呟くように言った。


 だが、そこでアレステアがびくりと震えた


「今のは……嫌な感じが……」


「気づいたか、アレステア。屍食鬼がいるぞ」


「やはり」


 ゲヘナの化身が告げ、アレステアが暴徒たちをしっかりと観察する。


「あれだ!」


 暴徒の中にオーバーコートを纏い、マスクを付けた人物がいた。暴動に参加しているようで何もしておらず、ただ暴徒たちが大勢いる場所に向かっている。


「皆さん! その人から離れて! 危険です──」


 アレステアがそう叫んだ途端、その不審者が爆発を引き起こした。


「うわあっ! だ、誰か助けて!」


「クソ! 何が起きたんだ!?」


 暴徒たちが爆発によって死傷し悲鳴を上げる。


「おい。何が起きた? 今のは何だ?」


「シャール少佐さん! 屍食鬼です! さっきの爆発は屍食鬼の自爆です!」


「なんてことだ。暴動の真っただ中で自爆テロだと!」


 暴徒たちが混乱しているのは当然として国家憲兵隊までも混乱していた。


「逃げろ! 逃げろ!」


「退け! 俺は逃げるんだ!」


 暴徒たちは恐怖に襲われて逃げ惑う。機動隊が隊列を組んでいる方向にも走ってきた。機動隊はどうすべきか決断できていない。


「まだ屍食鬼がいる……!」


 アレステアは混乱の中で第2の攻撃を行おうとしている屍食鬼を見つけた。


「退いてください! いかなくちゃいけないです!」


「君! 危険だぞ! 下がっていろ!」


 機動隊員が制止するのを振り切ってアレステアが前に出た。


 混乱と恐怖で逃げ惑う暴徒たちを抜け、アレステアはやはりオーバーコートを纏った屍食鬼の前に立った。屍食鬼のオーバーコートが外れると爆弾を付けた自爆ベストを装備しているのが目に入る。


「アレステア少年! そこから下がって! 危ないよ! あたしが狙撃で仕留めるから下がって! 早く!」


 シャーロットは既に“グレンデル”の銃口を屍食鬼に向けている。


「銃火器部隊、前に出ろ! 射撃準備!」


 さらに国家憲兵隊も魔道式自動小銃を装備した部隊が前に出た。


「聞こえますか? 僕はアレステア・ブラックドッグ。ゲヘナ様に仕える身です」


 アレステアはいつ爆発するか分からない自爆ベストを身に着けている屍食鬼に話しかける。屍食鬼は女性で死者そのものの虚ろな目をしている。


『苦しい……。助けて……』


「大丈夫です。落ち着いてください。僕があなたを助けてみせます。だから、あなたの名前を教えてください。ご家族に知らせなければなりませんから。あなたの名前は?」


 死霊術による苦痛から呻くように屍食鬼になった女性が告げ、アレステアがあくまで優しく微笑んで尋ね続ける。


本部HQ! こちらパウル・ゼロ・ワン! フリードリヒ・ヴィルヘルム通りに爆破物処理班を派遣してくれ! 爆弾テロが発生した! 現在も進行中!」


「お願いだから下がって、アレステア少年! 君が下がらないと撃てないよ!」


 シャール少佐とシャーロットがそれぞれ叫ぶ。


『私の名前は……アンナ・アルジェント……。帝都の保育園で保育士を……』


「アンナ・アルジェントさんですね。ご家族はいますか?」


『夫と子供がいる……。ああ。ダメ……逃げて……』


 次の瞬間、屍食鬼の自爆ベストに装着された軍用爆薬が炸裂。


 周囲に爆風と爆薬に埋め込まれた釘などの金属が撒き散らされた。


「なんてことだ! 医療班!」


「待ってください。まだ屍食鬼がいる可能性があります。慎重に」


「しかし、あの爆発をアレステア卿が……」


「彼ならば大丈夫です」


 シャール少佐が慌てるがレオナルドがそう諭した。


「アレステア少年……。君はちょっと自分を犠牲にし過ぎてるよ……」


 シャーロットはやるせなさそうに呟き、そして“グレンデル”の銃口を下ろした。


……………………

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