栄誉と異端

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 ──栄誉と異端



 アレステアたちはホフマン物流の倉庫での戦闘を終えて、近衛騎兵師団駐屯地へと戻った。防護服を脱ぎ、消毒液を浴びてから部屋に戻る。


「次の行動は何をするんでしょうか?」


「残念ながら死霊術師に続く糸は途切れてしまいました。ここからは国家憲兵隊による地道な捜査が必要になるでしょう。我々は今は待機です」


 アレステアが葬送旅団司令部となっている会議室で尋ねるのにレオナルドが答えた。


「魔獣猟兵が関わっているとはねえ。彼らが大規模に行動するのって何十年ぶりじゃない? 少なくともあたしが生まれる前の話だよ」


「最後の彼らが起こした事件は85年前ですね。魔獣猟兵の指導者のひとりにして真祖吸血鬼ソフィア・ベッテルハイムが引き起こした鉄血蜂起」


「うわあ。滅茶苦茶昔じゃん。今まで何してたんだろ」


 レオナルドが説明するとシャーロットが首を傾げる。


「……偽神学会について調べろってセラフィーネさんは言ってましたね。聞いたことありますか?」


「いいや。聞いたこともないよ。これまで捕まえた死霊術師からもそんな組織の名前は出てない。国家憲兵隊も把握してないってことは、神聖契約教会も把握してないね」


「謎の組織ですか。けど、アームストロング司祭長は誰かのために死者を攫っていた。そう考えると死霊術師の秘密結社と考えるのが自然ですよね」


「死霊術師がどうやって生まれるか、だね。多くの死霊術師が死霊術を獲得するのは禁書にされているはずの魔導書を闇市場で手に入れることによる。死霊術に関する魔導書は多くあり、道を外れた魔術師が書き記して来た」


 アレステアの推測にシャーロットが説明する。


「死霊術の公式な研究は今では行われていないよ。どの大学でも研究機関でも。なのに、どういうわけか死霊術は継承され続け、そして進化している」


「つまり、誰かが死霊術について研究し、その成果を共有し、そして議論を行って進化させている。学問というものはひとりの天才によってのみ進むものではありません。天才にも同じ研究者との議論は必要です」


 シャーロットとレオナルドはそう言葉を交わした。


「だとすると、これは根が深そうですね……」


 アレステアは事の大きさにため息をついた。


 そこで突然、会議室の扉が開いた。


「アレステア! 我が友!」


「皇帝陛下!?」


 現れたのはハインリヒだ。


「聞いたぞ。あのカーマーゼンの魔女たるセラフィーネ・フォン・イステル・アイブリンガーを退けたのだろう? 凄いではないか!」


「一応ですね。けど、向こうは手加減してましたから。あの人に本気を出されたら勝てなかったと思います」


 ハインリヒが興奮して言うのにアレステアが恥ずかしそうに返す。


「それでも偉業だぞ。あの旧神戦争最強の魔女と戦って一太刀浴びせたとは。まさに英雄だな。お前が我が友であることが誇らしい」


「ですが、依然として疫病を広げている死霊術師の正体は掴めていません。手がかりもなくなってしまいました。被害は拡大しているのではないですか?」


「はあ。そうだな。今、帝国宰相であるメクレンブルク宰相が非常事態対策本部を設置して関係部署とともに感染者の治療と感染拡大の阻止を試みているが、それが成功したという報告は受けていない」


「じゃあ、急がなければなりませんね。このままでは多くの人が死んでしまいます」


「うむ。解決を急がねばな」


 アレステアが言うのにハインリヒが頷く。


「ところで皇帝陛下は魔獣猟兵についてご存知なのですか?」


「ああ。知っている。教わったからな。旧神戦争が残した負の遺産だ。人狼、吸血鬼、魔女、そしてドラゴン。旧神戦争で神々が争った結果として生まれた戦士たち」


 ハインリヒが語り始める。


「我が友。どうして帝国が今のような多くの民族を擁する多民族の大国となったかは分かるか?」


「えっと。確か寛容帝コンラートによる政策でしたよね」


「そうだ。だが、それを実現したのは世界協定の存在が大きい。全ての民族の平等と固有の文化の尊重。そして、排他的民族主義の否定。それが世界協定で決められ、全ての国で守られることになった」


 世界協定は締結した国々が守るべき人権や倫理を定めている。


「それがなされたのは神聖契約教会の役割もある。神聖契約教会は全ての神々について分け隔てなく祭儀を行うことを決め、信仰による文化の違いを克服した。だから、夢のような世界協定が締結されたのだ」


 この世界ミッドランには神々が実在し、そして神々同士の協定が世界の理を構成している。そして、神聖契約教会がそれら全ての神々を祭っている。それ故に信仰の違いによる対立というのはほぼない。


「だが、魔獣猟兵はそのような仕組みに応じようとはしなかった。神々のために、自らの信じる神のために血を流し、戦ってきた彼らは己の信じる神こそをもっとも偉大な神だと思っている」


「それは神聖契約教会の教義とは反しますね」


「ああ。だから、神聖契約教会と彼らは敵対し、加えて神聖契約教会が力を貸した世界協定においても取り扱いが決められていない。そのせいで帝国において彼らには基本的な権利すらないのが現状だ」


「基本的な権利がない……?」


「もし、彼らを殺し、奪おうと帝国においては何の罪にも問われない。基本的な権利がないとはそういうことだ」


「それは……」


 ハインリヒの言葉にアレステアが唖然とした。


「もちろん、人間より遥かに強力な彼らを殺すなど難しい。だが、集団となれば話は違う。我々は既に悲劇を経験している。鉄血蜂起だ。知っているか?」


「いえ。学校では教わりませんでした」


「だろうな。帝国の汚点だ」


 ハインリヒがそう言って深くため息を吐く。


「鉄血蜂起のきっかけとなったのはロトフルス伯爵領での事件だ。ロトフルス伯爵領の村で吸血鬼の男が村の女性と恋に落ちた。男は吸血鬼だと明かさなかったが、村のものがその正体を知り、混乱に陥った」


 吸血鬼はその正体を鏡に映らないということや太陽の光を嫌うということで発覚してしまうことがある。


「知らせを受けた当時のロトフルス伯爵が軍を率いて村に向かい、その吸血鬼を激戦の末に捕えた。そしてロトフルス伯爵は吸血鬼の男を神々の教えに反するとして処刑した。首を刎ね、心臓に杭を打ち、焼き、灰を川に流した」


「それは許される行いだったのですか?」


「説明した通りだ。処刑を合法とする法はなかったが、処刑を非合法とする法も帝国にはない。故に当時の皇帝もロトフルス伯爵を罪に問えなかった」


 基本的な権利がないと言うのはそういうことだとハインリヒ。


「しかし、それで終わったわけではない。吸血鬼の男に血を与えた直系の真祖吸血鬼であるソフィア・ベッテルハイムが眷属を率いて武装蜂起した。それが鉄血蜂起だ。ロトフルス伯爵領に侵攻した彼女らはロトフルス伯爵を捕え、斬首した」


「帝国はどうしたのですか?」


「無論、伯爵を殺さたことを認めるわけにはいかず、軍を出して鎮圧を試みた。しかし、相手は真祖吸血鬼率いる軍勢だ。帝国軍は大損害を出した。あまりの被害に当時の皇帝は衝撃を受けたという」


 鉄血蜂起において帝国軍は未曽有の大損害を出した。司令官であった帝国陸軍大将ですら戦死したというのだから、その戦いの壮絶さが窺える。


「ついに皇帝は鎮圧を諦め、魔獣猟兵側の司令官であるソフィア・ベッテルハイムと交渉を始めた。帝国はソフィア・ベッテルハイムを一切の罪に問わないことと旧ロトフルス伯爵領を中心とする帝国領を割譲した」


「領土を与えたのですか?」


「表向きは皇帝がソフィア・ベッテルハイムに侯爵位を与え、爵位に応じた領地を与えたということになっている。だが、ソフィア・ベッテルハイム自身はその領地にアイゼンラント吸血鬼公国と称し、自身を女公王と名乗っているが」


 アレステアが尋ねるのにハインリヒが肩をすくめて返した。


「それが85年前の事件だ。帝国が魔獣猟兵の権利を認めず、魔獣猟兵が帝国の法律をないがしろにした結果、悲劇が起きた。それが今後も起きうる可能性は続いている。未だに帝国は彼らの権利に関する法を定めていない」


 そう、今も鉄血蜂起のような武力衝突が起きる可能性があるのだ。


「今回も魔獣猟兵が動いています。もう既に鉄血蜂起のような事件が侵攻しているのではないですか?」


「かもしれない。機密保持の観点から国家憲兵隊や帝国国防情報総局、帝国安全保障局が得た情報でも私には開示されないものが多い。皇帝は今では書類にサインするだけの存在だからな」


「そうでしたか。この疫病の感染拡大という事件だけでも大変なことなのに魔獣猟兵と戦争なんてことになったら……」


「ああ。対応できないかもしれない」


 アレステアの懸念をハインリヒは否定しなかった。


 そのようなときに会議室の外から軍靴が立てる足音が聞こえて来た。


「皇帝陛下。まさかお出でだったとは知りませんでした。お伝えいただければ準備を致したのですが」


「気にするな、スカルスキ中将。ちょっとした私的な用事だ」


 やってきのは近衛騎兵師団のスカルスキ中将だ。


「アレステア卿に連絡です。メクレンブルク宰相が明日開かれるリスター・マーラー病の蔓延に伴い設置された非常事態対策本部の会議に出席してほしいとのことです」


「え? 僕が会議に?」


 スカルスキ中将が告げるのにアレステアが困惑する。


「それはメクレンブルク宰相が求めたのか?」


「その通りです、陛下。メクレンブルク宰相から直接の連絡でした」


「そうか」


 スカルスキ中将が言うのにハインリヒが少し考え込む。


「えっと。僕が出席しても邪魔になるだけだと思うんですが……」


「メクレンブルク宰相は現場の意見を聞きたいとのことです。国家憲兵隊からもラムゼイ大佐が出席します」


 アレステアがおずおずと述べるとスカルスキ中将がそう言った。


「我が友。メクレンブルク宰相はお前を利用するつもりだ」


「利用、ですか?」


「ああ。今の政権与党である保守党は3年前に保守共闘を謳って右派政党が合併したものだ。事実上の連立政権になっている。そのためメクレンブルク宰相は政権運営に苦慮している。同じ右派では意見の違いはあるからな」


「それで僕を?」


「非常事態対策本部にも参列する閣僚の何名かは政党内人事の結果で、必ずしもメクレンブルク宰相を支持していない。それらの閣僚を説得するためにメクレンブルク宰相はお前という英雄の肩書を利用したいのだろう」


「なんだかとても難しそうな話ですね……。あの、陛下も出席されますか?」


「いや。非常事態対策本部は純粋に内閣の仕事だ。私が参加することは皇帝の政治への干渉ととられ帝国議会の民主派議員の反感を買う。そのようなことでメクレンブルク宰相の政権運営に支障を与えたくない」


「そうですか……」


 せめてハインリヒがいてくれればとアレステアは思ったが、ハインリヒは出席しないということをはっきりさせていた。


「シャーロットお姉さんとレオナルドさんは?」


「呼ばれてなければ出席はできないね。政府の会議は出席者も限定されるから」


「じゃあ、僕だけですか?」


「そうなっちゃうね」


 シャーロットは肩をすくめてスキットルからウィスキーを喉に流し込んだ。


「我が友。メクレンブルク宰相はお前の名を利用して、この非常事態における政権運営の円滑化を狙っているだろう。恐らくはお前に自分が目指す意見を言わせ、他の閣僚に同意を求めるということだ」


「じゃあ、どうすればいいんでしょうか? 政治なんて僕にはさっぱり分かりません」


「政治というものに悪というものはない。政治における正義の反対は別の正義だ。お前がメクレンブルク宰相に利用されたとしてもそれは悪いことではない。ただ、別の人間の反感を買うこともあるだろう」


 アレステアは政治のことなど全く分からない。彼は選挙権もなく、都合により初等教育を完全に受けられなかった12歳の少年に過ぎないのだ。


「ゲヘナ様の眷属というのは大きな立場だ。お前が思っている以上にお前の言葉には影響力がある。それを踏まえた上で、お前に尋ねよう。お前はどうありたい?」


「どうありたい、ですか?」


「武勲を立て英雄となったものには選択肢がある。ただ己の武勲だけを誇り、一線から退いて静かに過ごすか。あるいは英雄になった共に手に入れた名声によって権力を手にし、その権力を存分に振るうか」


 ハインリヒがそうアレステアに尋ねる。


「僕は……権力を望むつもりはありません。だって権力は無責任に振るっていいもではない。そうじゃないですか? 物事を動かして、人々に影響を与えるんですから、当然責任というものを考えなければならない。ですよね?」


「そうだな。権力はただの権利ではない。当然お前が言うように責任が伴う。責任なき権力は腐敗の原因だ。間違っても正されない絶対権力は必ず腐敗する」


「僕は無学で決断力もありません。ただゲヘナ様のために、そして死者たちのために戦うだけです。権力は求めません」


 アレステアははっきりとそう言った。


「うむ。お前の気持ちは分かった、我が友。であるならば、メクレンブルク宰相にはエドアルドを通じて私から少し話しておこう。あまり政治的に目立たせてくれるなと」


「いいのですか?」


「ああ。少しぐらいはな。お前が利用されようとしているのには私の行動も原因のひとつになっている。そのことには責任を感じているのだ」


 アレステアが帝国宰相にも名が知れるようになったのは、ハインリヒがアレステアに騎士の地位を与え、葬送旅団を結成したからだ。


「では、そのようにお願いします、陛下」


「うむ。だが、発言は慎重にな。政治家という人種は抜け目がない」


 アレステアが頭を下げ、ハインリヒがそうアドバイスした。


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