感染屍食鬼

……………………


 ──感染屍食鬼



 エスタシア帝国の生物医学の発展は著しい。


 教育省が支給する研究助成金や整備された教育及び研究体制はその発展に大きく寄与した。その魅力的な教育及び研究インフラは国外からの研究者の誘致にも成功しており、帝国には叡智が集まっている。


 高度な生物医学はこれまでは治療できないと思われてきた病気ですら治療する手段を確立し、わざわざ帝国の外から帝国での進んだ医療を望んでやってくる難病の患者もいるほどだ。


「──以上が感染症を扱ううえで留意すべき点です。予防のための装備は陸軍が支給するとのことですので、その取扱いについては陸軍から」


 厚生省の職員がアレステアたちを前にそう言った。


 厚生省はアレステアたち葬送旅団に現在流行しているリスター・マーラー病を扱う上での注意点を教えていた。アレステアも一生懸命メモを取って覚えようとしていた。


「ありがとうございます」


「リスター・マーラー病は今現在治療手段がありません。くれぐれも感染には注意してください。感染リスクは対策しても医療従事者がもっとも高いのです」


 厚生省は帝国感染症研究所の研究員が説明を終えて退室する。


「さて、これから国家憲兵隊と葬送旅団の協力について話し合いを」


 国家憲兵隊テロ・暴動対策室のラムゼイ大佐が告げる。


「基本的にはレオナルド氏が会議で仰ったように有事の際の国家憲兵隊と軍の協力に関して定められた法令に従うことになります」


「有事のカテゴリーとしては国内重大犯罪となりますね」


「ええ。ですので、指揮系統の主導権はあくまで国家憲兵隊が行います。あなた方にはこちらの指揮下に入っていただきますが、よろしいでしょうか?」


「異論ありません」


 ラムゼイ大佐が確認するのにこの手の規則に詳しいいレオナルドが同意する。


「テロ・暴動対策室としては疫学的な感染症対策ではなく、生物テロの容疑者の特定及びさらなる犯行の阻止を重視したいと思います」


「生物テロの容疑者。つまり死霊術師の逮捕ですね」


「ええ。あなた方は死霊術にお詳しい。ぜひ、我々の捜査にアドバイスと助力を」


「はい! まずは感染症に感染していた屍食鬼というものに会わせていただけませんか? 僕が死者の声を聞いてみて、どこで殺害されたのかを特定してみます」


 アレステアがラムゼイ大佐にそう提案した。


「現在、遺体は国家憲兵隊の施設に収容中です。国家憲兵隊嘱託の神聖契約教会の聖職者が見守っています。しかし、死者の話が聞けると? 確かにあなたはゲヘナ様の眷属であるとお聞きしていますが」


「ええ。正確にはゲヘナ様の眷属になったのは、この力があったからなのですが」


 ラムゼイ大佐がやや驚くのにアレステアがそう返す。


「しかし、それは頼もしいですね。未だに身元の特定もできていません。行方不明届けが出されている失踪者のリストと照合を進めていますが、一部遺体が腐敗及び欠損していて難しいところがあります」


 生物医学が進んだ帝国でもまだDNAによる身元の特定はできない。


「まずは屍食鬼にされた死者から話を聞いて、どこから来たのか、どういう状況で死亡したかを尋ねましょう。手がかりになるはずです」


「そこからは死者を辿るわけですね。感染経路は引き続き帝国感染症研究所が主体となって追跡するので、我々は犯行に使われた死者を追い、死霊術師を探し出す、と」


「はい。僕が思ったことですが死霊術師は攻撃的になっています。もしかすると、これはレオ・アームストロング司祭長が拘束されたことへの報復の可能性も……」


「死霊術師同士の繋がりがあるとお考えで?」


「レオ・アームストロング司祭長の願いは奥さんを生き返らせることでした。なのにどういうわけか無関係の死者を攫い、そして武装させていました。さらに未だに行方が分かっていない死者がいるという話です」


 アレステアはレオ・アームストロングの事件で気になった点を上げる。


 そう、レオ・アームストロングが死霊術に手を染めた理由は死んだ妻を生き返らせるためだった。それさえ秘匿できればよかったはずなのに無関係の死者を攫っている。


「国家憲兵隊としてもレオ・アームストロングの事件の後で帝都中央拘置所が襲撃された事件で別の死霊術師が関与している可能性を考えていました。しかし、死霊術師が何かしらの組織を……?」


「ゲヘナ様は地上に死霊術師が無視できないほど多くなっていることを危険視しておられます。死霊術師同士で手を結んでいる可能性も」


「となると、我々だけではなく、組織犯罪部門や公安部門にも頼る必要がありそうですね。情報を共有するようにしておきましょう」


 何かしらの結社を組織しているとなると国家憲兵隊でも組織犯罪を扱う部門や防諜活動や政治思想に由縁する犯罪を扱う公安部も関わることになる。


「まあ、裏を探りつつも実行犯を押さえよう。もう既に攻撃は行われている。放置すれば被害は増えるばかりで、混乱も起きる。敵の狙い通りにね」


「そうですね。まずは今起きている事件を阻止しないと」


 シャーロットが指摘し、アレステアも頷く。


「分かりました。では、早速ですが我々が確保した屍食鬼とされた死者を安置している施設に向かいましょう」


 ラムゼイ大佐がそう言って立ち上がり、アレステアたちが続く。


 アレステアたちは国家憲兵隊の軍用四輪駆動車で帝都本部から死体を安置している施設へと移動した。


 地方では検死解剖は自治省の嘱託である民間の医師が行う。だが、帝都などの都市部では国家憲兵隊所属の軍医が実施することになっている。そして、それらは内務省が運営する国営病院で行われる。


「ここです。まずは防護服を装備してください」


 国営病院は大規模災害や有事の際に大勢の患者を収容できるような巨大なもので、既にリスター・マーラー病の患者を収容する病院のひとつになっていた。


 院内感染を防止するために医療従事者は防護服を身に着け、かつ空調システムも感染症に対応できるようになっている。


「よし。準備できました」


「遺体はこちらです」


 アレステアたちが防護服を身に着けると地下にある死体安置所に入る。


 死体安置室には何体かの死体が安置され、国家憲兵隊嘱託の聖職者が死者に対する儀式を行っていた。聖職者は墓守も兼ねている。感染症の影響のために民間の業者では葬儀が行えないので、国が行っているのだ。


「ああ。大佐殿。問題の遺体はこちらです。どうぞ」


 ラムゼイ大佐が姿を見せると安置所にいた国家憲兵隊の兵士が案内した。


「この方ですね」


「ええ。お願いできますか、アレステア卿」


「はい」


 アレステアの前には顔の一部が腐敗して欠損し、身元の分からない遺体があった。この遺体がリスター・マーラー病を媒介していたと考えられている。


「聞こえますか? 名前を教えてください。僕はアレステア・ブラックドッグと言います。ゲヘナ様の化身でゲヘナ様のために戦っています」


 アレステアが死者に優しく話しかけた。


『苦しい……。助けてくれ……』


「もう大丈夫ですよ。ちゃんと冥界に渡れるようにお世話しますから」


『ありがとう……』


 死者はまだ死霊術師の魔術と疫病の苦しみを味わっていた。


「名前を。あなたの名前を教えてください」


『私はリカルド・グレコ。学校の教師をしている。帝都の初等学校だ』


「ありがとうございます。まだ記憶を辿ることはできますか?」


『恐らくは……。あまり自信がない……。ただ苦しくて……』


「では、ゆっくりでいいですから思い出してください。あなたが生きていたときに最後に覚えている記憶です。あなたが死霊術に呪われる前です」


 アレステアがゆっくりと死者に尋ねる。


『思い出せるのは暗くて、息苦しい部屋のこと。呼吸が苦しく、恐らく縛られていた。部屋には窓はなく、地下だと思う。狭い部屋に何人もの人間がいて、私と同じように苦しんでいたり、死んでいたりした』


「いつ、そこに連れていかれました? 具体的な時間でなくていいです。帰宅していた時とか家にいたときとか。そういうもので示してくれますか?」


『夕方、家に帰るときだ。地下鉄を降りて駅から出たとき。いきなり殴られたんだ。それは覚えている。だが、誰に殴られたかまでは……』


「大丈夫です。それだけ分かればあなたの身元も分かり、ご家族にも知らせることができます。ちゃんとした葬儀を上げてもらいましょう」


『ああ。私の家族。妻と子はどうなるんだ。妻は次の妊娠してるんだ……』


「……気の毒ですが、もうできることはありません」


『そうか……。ああ。伝えたいことがある』


 アレステアが申し訳なさそうに言うと死者がそう告げて来た。


『地下室に閉じ込められる前に見たものがある。看板だ。“ホフマン物流”という看板だ。手がかりになるだろうか?』


「役立てます。ありがとうございました。眠ってください」


『ああ』


 そして、アレステアは死者との会話を終える。


「分かりましたか?」


「この方はリカルド・グレコさんです。初等学校の教師で帰宅途中に拉致されています。この情報で身元を確認できますか?」


「それだけあれば出されている行方不明届けから探し出すことができます。他には?」


 アレステアがラムゼイ大佐の報告すると彼がさらに情報を求めて来た。


「この方はホフマン物流という看板のある建物を監禁される前に見ています。手がかりになると思うですが」


「すぐに該当する会社を調べましょう」


「はい。……それからこの方の遺族には慎重に伝えてください。この方には奥さんとお子さんがいて、奥さんは妊娠中らしいのです」


「ああ。分かりました。伝えておきます」


 アレステアが言い、ラムゼイ大佐が頷く。


 それから再び国家憲兵隊の帝都本部に戻り、国家憲兵隊がホフマン物流という会社について調査を始めた。もちろん、屍食鬼にされたリカルド・グレコの遺族にも彼の死は伝えられている。


「大佐殿。また屍食鬼が捕らえられたそうです。政府の非常事態対策本部はこれ以上の感染拡大の阻止のためにロックダウンも検討し始めていると」


「ロックダウンか。市民に大きな影響が出るな」


 政府はリスター・マーラー病の感染拡大を阻止するために帝都のロックダウンを視野に入れ始めていた。治療手段もなく、感染者の死亡率は6割近い。


 既に感染者は帝都を中心に10万人を超えた。


「調査の結果が出た」


 帝都本部の会議室でラムゼイ大佐がテロ・暴動対策室の部下たちとアレステアたちを前に報告する。


「結論から言えばホフマン物流はペーパーカンパニーだ。会社としての事業は設立から今まで全く存在しない。税務記録も調査したが、それは間違いない。この会社が払っているのは固定資産税ぐらいだ」


 ホフマン物流は早速怪しげな情報をもたらしていた。


「この会社は帝都郊外に倉庫を持っている。届け出では家具などを保管しているとのことだ。かなりの大きさの倉庫だが、言った通りこの会社は事業を行っていない。何が保管されているかは謎だ」


 帝都郊外の倉庫の位置が会議室の黒板に貼られた地図で示される。


「現在国家憲兵隊の兵士が倉庫を監視している。報告によれば武装した人間がいるとのころだ。よって、我々も十分な備えをして乗り込むこととする」


 ラムゼイ大佐の指揮下に入った国家憲兵隊の将校たちが頷く。


「動員されるのは帝都機動隊第1、第2大隊。そして、現地での感染症対策並びに検体回収を担当する第1衛生大隊だ」


 国家憲兵隊はテロや暴動に対抗するための小火器の取り扱いに長け、かつ重武装の機動隊を有している。


「我々の目的は感染屍食鬼の確保によるさらなるテロの阻止。そして、リスター・マーラー病の原因となる病原菌の確保。屍食鬼を使ってテロを起こした死霊術師の特定にある。現場は可能な限り保全するように」


「了解」


 ラムゼイ大佐の指示に将校たちが頷いた。


「いよいよですね」


「そだね。死霊術師も捕まえないといけないけど、病気にも気を付けなきゃ。全く、随分と大変なことになっちゃった」


 アレステアが密かに気合を入れるのにシャーロットは堂々とスキットルからウィスキーを喉に流し込んだのだった。


……………………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る