疫病

……………………


 ──疫病



 エスタシア帝国内務省管轄の国家憲兵隊から厚生省管轄の帝国感染症研究所に連絡があったのはアレステアたち葬送旅団が近衛騎兵師団駐屯地に司令部を設置してから9日後のことだった。


「これが問題の?」


「ええ。こちらで解剖した所見では未知の感染症による多臓器不全が死因と思われています。そちらの意見をお聞きしたい」


 帝国感染症研究所の職員が防護服とマスクをつけて尋ねるのに同様の装備の国家憲兵隊の軍医が金属製の解剖台の上に乗せられた死体を指さす。


「多臓器不全を発生させる感染症はいくつもありますが、感染症でなくとも多臓器不全は起こり得ます。感染症と断定した理由は?」


「この死者と同世帯の家族3名が同様の症状で入院中。また近所の住民や勤め先の同僚などにも初期症状が出ています」


「なるほど。それで感染症だと」


 帝国感染症研究所の職員が国家憲兵隊の軍医の言葉に頷き、解剖台の上の死者をよく観察する。検死解剖のために開かれた胸部や腹部を見て機能不全を起こした臓器を取り出し、その有様をよく見た。


「ふうむ。かなり深刻な炎症反応が見られます。敗血症の可能性が高い。まずは病原菌を特定するために培養を行いましょう。現時点での候補はいくつかありますが、特定するには培養が必要です」


「検体をそちらの研究所に。国家憲兵隊の施設では危険度の高い病原菌を安全に検査する設備がありません」


「分かりました。検体を持ち帰り、特定を急ぎましょう。そちらには患者の渡航歴や職業上接するものについて調査をお願いしたい」


「はい。分かりました」


 帝都で発生した謎の感染症による死者。


 最初の発生から7日後。感染者は急増し、帝国は疫病による危機を迎えた。


「メクレンブルク宰相は非常事態対策本部を設置しました。それにより感染の抑制と感染者の治療を目指すとのことです」


「分かった。私がやるべきことはあるのか?」


「今のところは内閣と帝国議会で対応できるとメクレンブルク宰相は言っております」


 ハインリヒもエドアルド侍従長から情報を聞かされていた。


「ならばいいが。メクレンブルク宰相には私にできることがあれば手を貸すと伝えておいてくれ。私としても疫病というものは危険視している」


「畏まりました、陛下」


 エドアルド侍従長はハインリヒにそう告げて退室した。


「疫病か。どうも嫌な感じだ」


 ハインリヒは執務室の窓から帝都の空を見て呟く。


 帝都でマスクをした人々が一斉に増え、映画館やスタジアムが臨時閉館となる中、アレステアたちも近衛騎兵師団駐屯地にて疫病の話を聞いていた。


「疫病が発生したから近衛騎兵師団が出動するんですか?」


「みたいだね。近衛騎兵師団隷下の衛生部隊が出動するって言ってたよ」


 アレステアたちが司令部に集まり、言葉を交わす。


「こういうときに軍隊は強いですからね。衣食住を自分たちで完結させることができ、かつ大規模で指揮系統のしっかりしたマンパワーを提供できる。戦争という過酷な環境に対応できる組織は災害にも強いものです」


「僕たちにできることはないでしょうか?」


「今のところはないでしょうね。衛生部隊は医療についての知識と技術がありますが、我々にはない。今の段階では我々の役割はないですね」


 アレステアも力になりたかったが、彼は感染症に対する基礎的な知識すらない。


「まあ、ことが進めば出番はあるかもね。今の病院で感染者が収容できなくなって、野戦病院が必要になれば動員されるかも。とにかくマンパワーが必要で必要で仕方ない状況になったら、ね」


「それから死者の葬儀です。感染症で死んだ死者は神聖契約教会でも専門の聖職者たちが取り扱います。死体から感染が広がる恐れもありますから」


「医神ケリュケイオンの祭儀を司る聖職者たちは医療従事者としての資格あるもんね。まあ、その分医神ケリュケイオンの聖職者になるのはすごっく大変なんだけど」


 神聖契約教会の聖職者には専門性のあるものもある。弁護士と同等の資格を有する聖職者や税理士、医療従事者の資格を有する聖職者などだ。


「アレステア」


「ゲヘナ様。どうなさいましたか?」


 アレステアたちが話し合っていたときにゲヘナの化身が現れた。


「また死霊術師たちが動いているようだ。死者たちがそう訴えている」


「この状況でですか?」


「ああ。帝都にも潜んでいると言っていた」


 アレステアが尋ねるのにゲヘナの化身が答える。


「葬送旅団の方々!」


 ゲヘナの化身が現れたと思えば次は近衛騎兵師団の下士官がやって来た。


「どうしました?」


「はっ。国家憲兵隊から応援の要請が出ております。車を準備しましたので、国家憲兵隊の帝都本部までお送りします」


「分かりました」


 近衛騎兵師団の下士官が告げ、アレステアたちが頷く。


 アレステアたちが近衛騎兵師団の所有する軍用四輪駆動車に乗り込むと国家憲兵隊の帝都本部を目指すした。


 国家憲兵隊の帝都本部はレオ・アームストロングが拘束されたのちに爆破テロを受け、国家憲兵隊の兵士9名が死傷していた。そのため帝都本部には爆弾を探知するよう訓練された軍用犬を連れた兵士が歩哨に当たっている。


 アレステアたちは検問を抜け、帝都本部の庁舎に入った。


「葬送旅団の方々ですね。こちらへどうぞ」


 庁舎に入って受付に向かうと国家憲兵隊の女性隊員の案内を受けてアレステアたちは帝都本部の大会議室に通された。


「葬送旅団のアレステア・ブラックドッグです」


「よく来てくれた。今回は専門家としてあなた方を招集した」


 会議室には複数の異なる所属の人間たちがいた。


 会議を仕切っているのは国家憲兵隊少将の階級章を付けた男性将官だ。それから複数の国家憲兵隊の将校たちが列席している。


 そして、一方にはスーツ姿の官僚たち。彼らは厚生省の職員だ。帝国感染症研究所の研究者も含めて列席している。


 また、他には神聖契約教会の祭服姿の男女。彼らは中央神殿の監査員と医神ケリュケイオン仕える聖職者だ。


「さて、まずどうしてこうして我々が集まったかを説明する。現在進行している疫病の流行に死霊術師が関与している可能性があるという情報がある」


 国家憲兵隊少将が説明を始めた。


「疫病は知っての通り発見者の名前を取って“リスター・マーラー病”と呼ばれている。感染症であるという事実は分かっているが、未だ症状を引き起こす病原菌の特定や発症メカニズムは分かっていない」


 疫病は国家憲兵隊の軍医と帝国感染症研究所の研究員が突き止めたことから、その名を冠した名前が付けられていた。


「帝国感染症研究所の調査結果では統計学的な観点から見てリスター・マーラー病の感染経路は飛沫感染と推定されている。空気感染ではないと断言はできないそうだが」


 帝国感染症研究所は感染者と接触した人物を追跡調査し、さらに大規模な感染スポットとなった場所の分析を行い、感染経路を特定しようとしていた。


 感染経路が分かれば防ぐ手段も判明する。


「しかし、奇妙なことが分かった。どの感染スポットでも最初の引き金を引いた人間が不明だったのだ。対応に当たっている国家憲兵隊、帝国感染症研究所、そして神聖契約教会の医神ケリュケイオンの聖職者たちが調べて結果だ」


 感染症の感染経路は完全に分析できるものではないが、それでもどの場面を見ても欠けているピースがあれば気づく。


「昨日、そのことに関する重要な事実が分かった。巡回中だった国家憲兵隊の兵士が帝都内にて屍食鬼を捉えた。その屍食鬼からはリスター・マーラー病の症状が見られた」


 国家憲兵隊少将の発言に列席者たちがざわめいた。


「これがこの場に集まってもらった理由だ。この疫病は自然発生したものではない。帝都を狙った生物テロだと国家憲兵隊は考えている」


 そう結論し、国家憲兵隊少将は列席者を見渡した。


「よって、国家憲兵隊は本件をテロ・暴動対策室が扱うものとする。私からは以上だ。これからテロ・暴動対策室室長のジェームズ・ラムゼイ大佐から説明がある」


 国家憲兵隊少将がそう言って席に付き、担当が変わった。


「ジェームズ・ラムゼイです。紹介がありました通り、本件を担当するテロ・暴動対策室室長を務めています」


 ジェームズ・ラムゼイ大佐は帝都ではやや珍しい南方出身者特有の健康的な黒い肌をした男性将校だった。


「生物テロが起きるとすればどのようなものかという研究はこれまで行われていました。病原菌を兵器にするというのは、そう新しい戦術ではありません。さかのぼれば旧神戦争時代にも行われていたことです」


 ラムゼイ大佐がそう説明を始める。


「世界協定によって非人道的兵器の禁止が各国間で約束されましたが、非国家的武装集団がテロを含めた犯罪に利用するという可能性は残っていました。本件に極めて類似する事件が6年前に未遂ですが、起きています」


 世界協定会議を結成するきっかけとなった世界協定は基本的人権の尊重や戦争の際の非人道的行為の禁止などを含めた条約となっている。これは秩序神テミスの名において締結された。


「民族主義的武装集団が帝国感染症研究所に不法侵入し、逮捕された事件です。この事件で逮捕された犯人たちは研究所から病原菌を盗み、自らに感染させて地下鉄などに乗ることで感染症を意図的に流行させることを計画していました」


 以前起きた事件も感染者を人口密集地に送り込み、感染を引き起こすものだった。


「ですが、今回は屍食鬼を利用したものです。我々も想定していなかったものとなります。そこで死霊術及び感染症の専門家である皆様のご意見をお聞きしたい」


 ラムゼイ大佐は列席者にそう呼びかける。


「帝国感染症研究所からよろしいでしょうか? 現在リスター・マーラー病の原因となっている病原菌については明らかになっていません。ですが、屍食鬼が症状を呈していたと言うことは特定の手がかりになります」


 スーツ姿の帝国感染症研究所の研究員が早速発言する。


「屍食鬼は死霊術によって操られる死体です。その生理的機能は停止している。つまり増殖を宿主の細胞に依存しているウィルスは除外されます」


「細菌が候補となるわけですね」


「はい。細菌は栄養素と適切な温度があれば増殖します。温度の観点からすると死後の体温低下を考慮すれば、細菌の中でも繁殖力の弱いものは除外できるでしょう」


 ラムゼイ大佐が頷くのに帝国感染症研究所の研究員が続けた。


「質問をよろしいでしょうか? リスター・マーラー病の症状を確認したと言うことですが、症状は死後に起きたものか、それとも症状が原因で死に至ったのか。その特定はできているのでしょうか?」


 神聖契約教会の聖職者が尋ねる。


「解剖を行った軍医によれば症状は生前に起き、死後も続いたと考えられています。病原菌は屍食鬼の体内で増殖し続け、そして外部に感染を広げたと」


「そうなりますと死体窃盗というわけではなく、生きた人間を誘拐するか、あるいは引き入れ、そして病原菌に感染させたということですね」


 神聖契約教会としてはまた教会の墓所から死者が攫われたということではないかと危惧していたようだ。レオ・アームストロングの事件は未だにマスコミに報道され続け、中央神殿の広報部はプレス対応に追われている。


「ええっと。いいでしょうか?」


「どうぞ、アレステア卿」


 ここでアレステアが手を上げる。


「屍食鬼がいるということは当然死霊術師がいるということですよね。僕は細菌とかそういうのは分からないのですが、ゲヘナ様は帝都で死霊術師が再び活動していると仰っています」


 アレステアが告げる。


「死霊術師が屍食鬼を生み出し、そして保管している場所はどこなのか。それを軍用犬などで突き止められないでしょうか?」


「ふむ。感染経路を追うことに拘り過ぎていましたね。死霊術師を追えば犯行に使用された病原菌も確保できる。そうなれば治療法や感染抑制も可能になりますね」


「ええ。屍食鬼とされた人たちの身元確認も急ぐべきです。もし、生きた人が殺されて屍食鬼になったのでなければ、死者を調べることもできます。死に化粧に使われる薬品は葬儀社によって違いますから」


「新しい視点からのご指摘、感謝します。国家憲兵隊として死霊術師を追いましょう」


「あの! その調査には僕たちも参加したいのですが、許可をいただけませんか?」


 そこでアレステアがそう申し出た。


「国家憲兵隊としては死霊術師対策を専門にしているあなた方の支援が受けられれば幸いです。ですが、他の関係する方々の意見を一応お聞きしたい」


 ラムゼイ大佐はアレステアの言葉に頷くと関係者たちを見渡す。


「厚生省として異論ありません。ですが、関係者が感染し、意図せずして感染を広めてしまうことがないように基礎的な消毒や感染防止手段について知識を共有しておきたいと思います」


 厚生省代表の職員がそう言って承諾。


「神聖契約教会としても異論はありません。ですが、葬送旅団の方々の中には当教会の聖職者が在籍しています。彼らの権限は帝国軍のそれに順ずるのか、それとも神聖契約教会のそれとなるのか、どちらなのでしょうか?」


「我々は帝国騎士として葬送旅団に所属しております。ですので、権限については帝国陸軍のものであり、有事の際に行われる軍と内務省管轄国家憲兵隊の協力に関する法令に従うことになります」


「分かりました。でしたら、我々から何もありません」


 レオナルドがそう説明し、神聖契約教会の聖職者が頷いた。


「では、これで会議を終了します。葬送旅団の方がと厚生省の方々は別室で感染症を扱う上での注意事項と対策についての知識の共有を。そののちに国家憲兵隊としてどのように協力していただくかについて話し合いを」


 そして、会議は終わった。


……………………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る