立て籠もり事件
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──立て籠もり事件
アームストロングが出資している交易会社の倉庫は帝都中心部の市場の傍にあった。交易会社は市場に商品を出荷することもあるが故だ。
「市民の避難誘導を開始せよ」
国家憲兵隊は民間人で溢れる市場を巻き込まないようにパトカーで壁を作り、民間人を避難させ始めていた。
上空には狙撃手が乗った小型飛行艇が飛行し、装甲化されたバスが倉庫の前に展開。完全武装の国家憲兵隊が倉庫を包囲した。
「レオ・アームストロング! お前のいる場所は完全に包囲している! 武装を解除し、投降せよ! 繰り返す──」
国家憲兵隊の指揮官が拡声器で倉庫に向けて降伏を勧告する。
「銃声だ!」
「遮蔽物、遮蔽物!」
倉庫から発砲があり、国家憲兵隊の兵士たちがパトカーや装甲車に隠れる。
「少佐殿。倉庫内に民間人がいるとのことです」
「人質か。面倒なことになったな」
国家憲兵隊はまだ突入することもできず、特殊作戦部隊の到着を待っていた。
「さあて、どうするかい、アレステア少年?」
「屍食鬼の気配がします」
シャーロットが尋ねるのにアレステアが告げる。
「ああ。間違いなく死霊術師と屍食鬼がいる。ここが拠点で間違いないだろう」
「では、いかなければなりませんね」
ゲヘナの化身の言葉にアレステアはアームストロングが立て籠もる倉庫を見た。
その頃、倉庫の中では死霊術師たるアームストロングが立て籠もっていた。
「クソ。何ということだ。どうしてこうなった!」
アームストロングは武装した屍食鬼を窓や入り口に配置し、陣地を構築して国家憲兵隊を迎撃しようとしていた。屍食鬼の数はこれまでの攻撃で減少したが、まだまだ魔道式短機関銃で武装した屍食鬼は存在する。
「グレース。ああ、グレース。私の妻よ。お前を逝かせたりはしない。ゲヘナなどクソくらえだ。何が穏やかな眠りだ。何が死者たちの安息の地、冥界だ。そんなものを私は認めるつもりはないぞ」
アームストロングはそう言ってひとりの女性を見た。
アームストロングと同じくらいの年齢の初老の女性。それは屍食鬼になっており、その虚ろな目は虚空を見つめている。
「決して、決してお前を手放さない。お前は私と一緒にいるんだ。何があろうと」
アームストロングが冷たい屍食鬼になった女性の手を握り、そう語る。
「ゲヘナ。そして、ゲヘナの眷属。奴らさえいなければ……! 奴らが私の幸福を破壊したのだ。奴らは世界の理、世界の秩序という名のエゴを押し付けている。そんなものを私は受け入れないぞ」
アームストロングが忌々し気にそう語る。
その間にも国家憲兵隊の部隊が倉庫の外に集結しつつあり、アームストロングは確実に追い詰められていく。もう彼が助かる望みはないように思われた。
「私が守る。お前のことは私が守る、グレース。だから、共にいてくれ」
アームストロングはそう言って倉庫内を見渡す。
倉庫内には屍食鬼の他に民間人がいた。屍食鬼によって縛り上げられ、人質にされている交易会社の倉庫番の男性職員だ。
「私にはお前しかいない。もう私にはお前しか……」
アームストロングは屍食鬼になった女性の手を握ったまま呟く。
そして、倉庫の外ではいよいよ突入作戦が開始されようとしていた。
ただし、それは国家憲兵隊によるものではなく、アレステアたちによるものだ。
「国家憲兵隊からの情報です。倉庫内には民間人の人質が1名。交易会社の職員です」
「人質、ですか。迂闊に踏み込めばその人が殺される可能性も?」
「ええ。アームストロングは追い詰められています。自棄になって人質を殺す可能性は否定できません」
アレステアたちは国家憲兵隊が設置した司令部にて倉庫の見取り図などを広げながら作戦会議を行っていた。レオナルドが国家憲兵隊から渡された情報を伝え、アレステアたちが突入を計画する。
「長期戦になればこちらが有利になるぞ。アームストロングは孤立している。食事や睡眠が制限される。人質の疲労も考えなければいけないが、立て籠もりが長期化すればアームストロングは音を上げるだろう」
「うん。でも、あまり長期化させたくない。人質の人が心配だから。追い詰められたらいよいよアームストロングは人質を殺してしまうかもしれない」
「そうだな」
アレステアがハインツの意見にそう返すのにハインツも同意した。
「おーい。国家憲兵隊から連絡だよ。アームストロングが要求を出して来た。帝国から出国するための飛行艇を要求している。1時間以内に用意されなければ人質を殺すって脅迫してきた。タイムリミットができちゃったね」
シャーロットが“グレンデル”を片手にそうアレステアたちに告げた。
「さて、困りましたね。これで長期戦に訴えるのは不可能になりました。国家憲兵隊の交渉班が時間稼ぎはするでしょうが、時間が経てば経つほど人質が危険です」
「ええ。ですので、僕が直接アームストロングと話してきます」
「何ですと?」
アレステアがはっきりと言ったのにレオナルドが困惑した。
「アームストロングは僕を何度も狙ってきました。彼にとって最大の脅威は僕なのでしょう。であるならば、僕との交渉には応じるはずです。国外に逃げても、ゲヘナ様からは逃げられないのですから」
「我が友。だが、それではお前が危険だ。アームストロングは武装している。屍食鬼たちを武装させて、立て籠もっているんだ」
「うん。だけど、大丈夫。僕はゲヘナ様の加護を受けてるから」
「しかし……」
「他の人じゃダメだ。僕が行かなくちゃ」
アレステアはハインツにそう断言する。
「……分かった。援護できるようにしておく」
「お願いするね」
アレステアはハインツにそう言い、レオナルドの方を向く。
「国家憲兵隊の方々に僕がアームストロングに会いに行くと伝えてもらっていいですか? 交渉が失敗しても人質は救助しますから」
「分かりました。連絡しましょう」
レオナルドを通じて事件を担当している国家憲兵隊に連絡がいく。
「何だと? 素人の少年を交渉に行かせろと言うのか?」
国家憲兵隊部隊の指揮官である国家憲兵隊少佐は露骨に不機嫌な態度を取った。
「我々国家憲兵隊はこのような人質事件についての高度な訓練を受けている。我々が担当すれば事件は解決するだろう。それなのに何の訓練も受けてない素人の少年を使えなどとは。人質に被害が出たら誰が責任を取る?」
「我々が取りましょう。我々神聖契約教会が事件の責任を取ります。元々教会の聖職者が引き起こした事件であり、死霊術の行使という犯罪です。武装異端審問官にも捜査の権限がある。そうでしょう?」
「ふうむ。確かに捜査権限はそちらにもある。だが、そちらが失敗するような気配を見せれば我々が担当を代わる。人質の安全が最優先だ。構わないな?」
「ええ。そうしましょう」
国家憲兵隊少佐の承諾を取り、レオナルドがアレステアの方を向く。
「アレステア君。任せましたよ」
「はい」
そして、倉庫周辺を包囲する国家憲兵隊の隊列を抜けてアレステアが倉庫に近づく。
「アームストロング司祭長! アレステアです! 交渉に来ました!」
アレステアが倉庫の前で叫ぶ。
窓にいる屍食鬼たちが魔道式短機関銃の銃口をアレステアに向ける中、アレステアはアームストロングが倉庫の扉を開けるのを待った。
そして、倉庫の扉が屍食鬼によって開かれた。
「入りますよ!」
アレステアがそう告げてから倉庫の中に入る。
倉庫に入ったと同時に武装した屍食鬼たちが一斉にアレステアに銃口を向ける。
「アレステア・ブラックドッグ。お前のせいだぞ」
そして、屍食鬼たちとともに倉庫に立て籠もっていたアームストロングがアレステアを睨んできた。憎悪を剥き出しにしてアレステアを見ている。
「アームストロング司祭長。どうして死霊術を? あなたに何があったのです?」
「ふん。孤児であり、まだ子供に過ぎないお前には分からないだろう。愛するものを失うということを」
アレステアがアームストロングにそう言われて倉庫を見ると、他の屍食鬼と違って武装しておらず、防弾ベストなども纏っていない屍食鬼になった女性を見つけた。
「奥さんですか?」
「そうだ。私が愛するもの。最愛の伴侶。彼女を失ってなるものか」
アームストロングが死霊術に手を染めたのは彼の妻が死んだことによる。
「妻は、グレースは私の全てだった。それなのに神は私からグレースを奪おうとしたのだ。そんなことを私は認めない。冥界など行かせてなるものか」
「アームストロング司祭長。死者にとって眠ることと冥界に行くことは安らぎです。確かに現世に残る人には辛い別れになりますが、死者にとってはそれが一番の安息なのです。奥さんは今苦しんでいますよ……」
「嘘を言うな! グレースは苦しんでなどいない!」
「本当です! あなただって聖職者だったならば分かるでしょう。死者がその眠りを妨げられ、この世の理に背いて地上に縛り付けられることの苦痛というものを。教えを忘れてしまったのですか?」
「嘘だ。そんなのは嘘だ。私は信じない」
「本当に奥さんのことを思っているなら彼女を解放してあげてください。眠りを与え、冥界に送り出してあげてください。奥さんを愛していたのでしょう?」
アレステアが必死にアームストロングを説得する。
「……本当にグレースは苦しんでいるのか?」
「本当です。声を聞くことができます」
「そうか……」
アームストロングがアレステアの言葉に力なく椅子に腰かけた。
「もういいでしょう? 投降しましょう、アームストロング司祭長。そして、奥さんを送り出してあげてください」
「分かった。武装解除する。すまない、グレース。私が間違っていた」
屍食鬼たちが一斉に死霊術から解放されて崩れ落ちる。
「さあ、一緒に行きましょう」
アレステアはアームストロングを連れて倉庫を出た。
「動くな! 両手を上げて膝を突け!」
国家憲兵隊が一斉に銃口をアームストロングに向け、アームストロングが国家憲兵隊の指示通りに両手を上げてその場に跪いた。
「人質を救出しろ。急げ! 医療班は対応準備だ!」
「了解」
国家憲兵隊が倉庫に突入していき、人質になっていた交易会社の男性職員を救出して医療班の場所に運んでいった。
「お手柄だな、少年」
「倉庫の中にいる死者たちのことをお願いします。彼らを墓所に」
「手配している」
国家憲兵隊少佐がアレステアに言い、アレステアはシャーロットたちの元に戻った。
「アレステア少年。やったね。解決したよ」
「ええ。シャーロットお姉さん。無事に終わりました」
シャーロットがサムズアップして言うのにアレステアが頷いた。
「アームストロングはどうして死霊術師になったのか分かりましたか?」
「奥さんの死が受け入れられなかった、と。それで死霊術に」
「ふむ。ですが、それはおかしいのではないですか?」
レオナルドが首を傾げる。
「妻を亡くしたなら妻だけを屍食鬼にすればいい。他の死者を攫う必要はないし、屍食鬼を増やす必要はない。どうしてここまでの騒ぎを引き起こしたのか……」
「裏があるぞ。死霊術師はあの聖職者ひとりではない」
レオナルドが考え込むのにゲヘナの化身はそう言った。
「この帝都だけではなく世界中で死霊術師が暗躍している。何かしらの繋がりがあるだろう。それを暴き、死霊術師どもを裁かなければならない。この世の理をこれ以上乱させてはならぬ」
「ええ。僕はこれからもゲヘナ様のために戦いますよ」
ゲヘナの化身の言葉にアレステアが頷く。
「ふむ。我が友。お前たちはまだ戦うのか」
「うん。ハインツ君、手伝ってくれてありがとう。それから国家憲兵隊に証言をしてくれると助かるよ」
「任せておけ。私はここで離れなければならないが、また今度会おう。必ず」
「うん!」
ハインツが親し気な笑みを浮かべるのにアレステアも微笑んだ。
「後処理がいろいろあるよ。面倒くさいけど。アレステア少年も当事者だからお姉さんたちを手伝ってねー」
「はい。では、行きましょう」
アレステアたちは事件の報告のために国家憲兵隊の庁舎に向かった。
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