37 リンちゃんは強い
「あー気持ちいい……」
首まですっぽりお湯につかるとリンちゃんは声をあげた。
「湯船に入るなんて、いつぶりだろう……」
「全然入れなかったの?」
「全然ですよ。浄化魔法で綺麗にできても、そうじゃないじゃないですか。やっぱりお風呂に入りたいんですよね」
「そうよねー」
私も最初のころはつらかったわ。
リンちゃんと並んで湯船につかっていると、ふと向こうの世界のことを思い出した。
「前にバイトの人たちとスーパー銭湯行ったよね」
「行きました! 私、銭湯も温泉も行ったことなかったんでとっても楽しかったです」
「温泉も?」
「旅行って修学旅行しか行ったことないので」
リンちゃんはふう、と息を吐いた。
「この世界に来て魔物討伐だってあちこち行かされて。最初の頃はゲームみたいだし色々なところに行けて楽しかったけど……もう、やめたいです」
「リンちゃん……」
「元の世界に戻りたいわけでもないんですけどね」
「……そっか」
「私もヒナノさんみたいに結婚して幸せに暮らしたいです!」
くるりとリンちゃんはこちらを見た。
「魔王様って、どんな人が好みですか?」
「え? さあ……」
「あんなにかっこいいのに、どうして結婚してないんですか」
「……番の人がいたんだけど、亡くなったって」
魔王さんが殺したというのは……言わなくていいよね。
「その亡くなった人のこと、まだ好きなんですかね」
「さあ……どうなんだろう」
番を亡くしたあとの喪失感は凄いと聞くけれど。
でも二百年以上も前だというし……時間がたてば癒やされるものなのか、そのあたりの事情はよく分からない。
「まあ、魔王様がその人のことを今でも好きで、私は二番目でもいいんですけどね」
「えっなんで?」
「一生愛し愛される保証なんてないんですから。私が好きでいる間さえ一緒にいられれば、それでいいんです」
「リンちゃん……」
まだ十代なのに、リンちゃんは時々とても冷めたことを言う。――たぶん、家庭環境がそうさせているんだろうけれど。
リンちゃんには幸せになってほしい。
そう願いながらお風呂から出た。
「カレーの匂いがする!?」
お風呂から上がると、食事の準備をするためにリンちゃんと台所へ向かった。
「市場で買ったスパイスを使って、近い味のものを作ったの」
瓶に詰めたスパイスをリンちゃんに示しながら答えた。
「これでご飯があればカレーライス作れるんだけどね……」
「あ、この間お米っぽいの食べましたよ」
「え?」
お米があるの?
「向こうの世界のお米より長くて味もちょっと違いましたけど、結構美味しかったです」
「それってタイ米じゃない!?」
「タイ米?」
「そういう種類のお米なの。確か炊くんじゃなくてゆでるんだよね」
昔家族でタイ料理屋さんに行った時に、お父さんが色々聞いていたんだよなあ。
って、この世界にお米があるの?
「どこで食べたの!?」
「西のほうにある国ですね。そこは変わった食材が多いらしいです」
「買いに行くわ!」
タイ米かあ。パエリアなんかも美味しそう!
「ヒナノさんって、ほんと料理が好きですよね」
わくわくしているとリンちゃんが言った。
「うん、料理するの楽しいよ。リンちゃんも一緒に作ろうか」
「はい! ……でも包丁持つの久しぶりすぎて緊張します……」
リンちゃんはアルバイトを始めるまで、料理は学校の調理実習でしかやったことがなかったそうだ。
母親も料理をしないため、食事はいつもコンビニやスーパーのお惣菜だと知ったバイト先の皆は、リンちゃんを心配して料理を覚えさせようとあれこれ教えていたっけ。
「大丈夫だよ、リンちゃんすぐ使えるようになったし」
バイト先のみんな、元気かなあ。
懐かしい顔を思い出しながら久しぶりにリンちゃんと料理を作った。
今日のメニューは昨日の魚と野菜を炒めたものに、香草を入れて焼いたパンとミルクスープだ。
ちなみにこの台所には「冷蔵庫」がある。
エーリックが魔法で溶けない氷を作れるというので、それを入れた箱に、さらに保護魔法をかけて中の食材が腐りにくくなるようにしている。
この冷蔵庫をリンちゃんに見せたらとても感動していた。
出来上がった料理を食堂に運んでいると、匂いが届いたのかエーリックたちがやってきた。
「あ、魔王様!」
「リンちゃん、先に食べようか」
最後に現れた魔王さんを見てリンちゃんがまた駆け寄ろうとしていたのを引き留めて、食事を始めることにした。
「で、元々勢力が分かれていたところに、ヒナノさんへの対応と行方不明になったことが世間にばれて、今、教会の権威がかなり落ちているんです」
食事をとりながら、リンちゃんは人間側の事情を色々教えてくれた。
そんなに話していいのか不安になるけど「私の知ったことではないんで」と当人は言い切っていた。
「王家はこの機会に教会の勢力をもっと削ぎたいらしくて。『早く討伐を終わらせろ』って圧がうるさいんです」
リンちゃんはため息をついた。
「魔物のことよりも自分たちが優位に立つことのほうが大事なんですよ」
「人間って、ほんとしょうもない生き物ね」
イルズさんが言った。
「数が多すぎるからそうやって権力争いが起きるのかしら」
「ですね。魔物じゃなくて人間同士で戦って数を減らせばいいのに」
「リンちゃん……それは過激な意見だよ」
「人間側の事情は分かった」
魔王さんが口を開いた。
「聖女、教えてくれたこと感謝する」
「魔王様のお役に立ててうれしいです!」
リンちゃんは笑顔で答えた。
「あと聖女じゃなくてリンって名前で呼んでください!」
「――人間たちは聖女リンを奪い返しにまた来るだろう」
魔王さんは一同を見渡した。
「対策を立てねばならないな」
「あんな罠じゃ手ぬるいと思います! もっと再起不能になるくらいじゃないと」
「リンちゃん!」
いちいち発言が危険なんだけど!
「聖女らしくなくて面白いわね」
イルズさんも笑ってるけど!
「人間に、魔王はどうやってもかなわない存在だとはっきり知らしめしたほうがいいんじゃないか」
エーリックが言った。
「前に勇者の剣を粉々にしただろう」
「えっそんなことがあったんですか?」
「ロイドから聞いてないの?」
首を振ったリンちゃんに、魔王さんと会ったときのことを説明した。
「へえ。そんなこと言わなかったですけど。というか直さなくてもよかったのに」
「泣いちゃってかわいそうだったからね」
「気が弱いんですよ、勇者なのに。――まあ、そうですね。勇者の剣と聖女の杖って唯一のものらしいですから。それを失えば諦めるかもしれませんね」
リンちゃんはそう言って自分の杖を取り出した。
「勇者の剣といえば、気になってることがあるんですよね」
「気になること?」
「この聖女の剣を鑑定すると『聖女に浄化と癒やしの力を授けるもの』って出てくるんですけど、勇者の剣は『太陽神ソルの呪いを与えるもの』ってあるんですよね」
「呪い?」
「神様なのに呪うとか、嫌だなーと思って」
太陽神の呪い……どこかできいたことのあるような。
「ヒナノ」
魔王さんが私を見た。
「前に、我ら魔物に回復魔法が効かないのは太陽神の呪いだと言ったな」
「あ、そうです! テルースにそう言われました。瘴気から生まれた魔物はいらないからって」
そうだ、女神から教えてもらったんだ。
「えー、太陽神ってやな奴じゃないですか」
リンちゃんが抗議の声をあげた。
「自分勝手ですね」
「……そうだね」
神様に自分勝手と言ってしまうリンちゃんはさすがだ。
「やっぱり勇者の剣を壊して、あ、あと太陽神の祠に行ったほうがいいかも」
リンちゃんが言った。
「太陽神の祠?」
「前に勇者の剣が使えなくなった時に行ったんです。そこで祝福を受けると剣の力が復活するっていうので」
「つまり勇者の剣を壊してもまた次がでてくるということか。確かに一度行ったほうがいいかもしれないな」
魔王さんはそう言った。
「あの聖女の子、なかなかいいわね」
あと片づけをしているとイルズさんが言った。
リンちゃんは魔王さんのところにいる。一緒に片づけをしようとしたら、イルズさんに「閣下と親睦を深めてらっしゃい」と言われて喜んで行ったのだ。
「そうですか?」
「最初は変わった子か面倒な子かと思ったけど。自分の意思をしっかり持っていて強い子なのね」
「はい」
そう、リンちゃんは強い。
どんなにつらい環境でも、それをあきらめるようなことはせず、その中で強く生きていける。――だから聖女に選ばれたのかな。
ふとそう思った。
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