第3話 真夜中の決意
ミエラがそっと扉を開けると、思った通り居間にいるのは一人だけだった。
針仕事をしていた男が唇だけでおかえりを告げてきたので、ただいまを投げキッスにして上着を脱ぐ。
「小さなディーネはもう寝ちゃった?」
わかりきっている質問を音にしたのは、男の隣の椅子に腰を下ろしてからだ。
一人娘の安眠は最優先事項だ。ちょっとした物音で夜泣きをする年ではなくなっても。
「いつまでも小さいとは言えないな」
彼が示したのは、ディーネの祖母から送られたフリルのたっぷりついた赤いワンピース。丈を直されるのはこれで3度目だ。
「器用なものよね」
針仕事に限らず、家事全般は彼、コットの仕事だった。ミエラは神殿内の出世争いに忙しく、腕を鍛える暇がなかった、ということにしている。
「やれば慣れるよ」
「ディーネに血染めのドレスを着せる気はないの。いくら元から赤くてもね」
「今回に限ってはアリかもね。それを相談したかったんだ」
コットは針を針山に刺すと、椅子をミエラの方に詰めて肩を抱く。
「仮装大会に出たいんだってさ。だから、このワンピースとうまく合う仮装がないかなーと考えてて」
要は仮装するのにいい魔物を思いつかなかったということだろう。帝都住まいでも、冒険者でない一般庶民にとって、魔物はおとぎ話か噂話の中の存在だ。司祭であるミエラの知恵を借りるのは妥当な選択である。
「仮装大会ってうちの町内も参加なんだっけ」
「むしろ主催です」
家事に限らず、町内会を含めたご近所付き合いもコットに任せっきりだ。というか厳密にはミエラはこの家の住人ではない。そんな厳密さを気にするのは、それこそ異端審問官しかいないだろうけれど。
「その辺の皮肉もあったのかな」
局長が、仮装大会をやろうとしている町内会を具体的に挙げなかったのは、ミエラがすでに知っていると思っていたからだろう。
「皮肉?」
「今日、局長に仮装大会をつぶせって言われてね」
コットは苦虫を噛みつぶしたような顔を作って見せる。
愚痴を何度も聞かせているので、コットの中の局長のイメージは悪魔一歩手前だ。
中身はそう間違っていない。見た目は30代後半の目立たない顔つきの男なのだが。
「局長って異端審問局長だよね? 仮装大会が目をつけられてるってこと?」
「大丈夫よ。彼らが本気で問題にする気なら、今頃町内会長は息してない」
ミエラは、厳密な意味では夫ではない男の肩に頭をのせる。
「言われたとおりにするかどうかちょっと悩んでいたのだけど、ディーネが出るなら決まりだわ」
神官のうちならともかく、司祭になってから結婚するのは「神にすべてを捧げていない」として推奨されない。しかし不可能ではないのだから、結婚しないことを選んだのは自分だ。その負い目が、ミエラの家族愛を強くする。
「でも、異端審問官が相手なんだよね」
「そうよ」
方向は定まった。異端審問局は強大だが、本気でないなら煙に巻くぐらいのことはできる。
不安げな夫を黙らせるために、ミエラは彼の口を唇でふさいだ。
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