第2話 執務室での攻防

 投げ出された紙束は、机の上でパサリと遠慮がちな音を立てた。


「たかが遊びでしょう?」

 そう言って、ミエラは紙束の題字をなぞってみせる。

 収穫祭。そう、収穫祭だ。

 石畳の敷き詰められたこの帝都で、本当の意味で『収穫』をする者はいない。それでも多くの民が祭りを楽しみにしている。

 他ならぬミエラ自身がそうだった。大神殿の司祭長というお堅い肩書がついていても、根っこのところは帝都っ子なのだ。


「遊びにも、一定の倫理は必要です」

 早くも秋が終わりかねないほど冷たい声で、男が反論する。

「この帝都で、異端の真似事をしようというのは遊びの範囲とは言えません」

 男の指が、題字の続きを指す。


 ――収穫祭における異端の仮装集会に関する調査報告書――


 毎週の祈りで朗読すれば、眠りの魔術と同じぐらい効果があるに違いない。そんな馬鹿な想像をさせるほどに堅苦しいタイトルだ。


「仮装集会の話は神官たちから何度か報告が上がっていますが、特に問題になるほどものではないと結論しています」

「我々から報告をするのは初めてのはずです」

「そうですね。異端審問局の報告をないがしろにするつもりはありません。報告を聞きましょう」


 異端審問局は最高司祭の直属。司祭長とはいえ無視をすることはできない。

 いや、しても良いが、それは「異端を庇おうとした」などと難癖をつける機会を与えることになる。そうしたうかつな言動をしなかったからこそ、ミエラは40代の若さで司祭長にまで上り詰めることができたのだ。


「最初に仮装集会が確認されたのは4年前。最初は本当に数人でしたが、徐々に規模を大きくしている、というところまでは一般神官から話が上がっているはずです。昨年からは帝都以外、ムルマク港や商都イリイチでも小規模の仮装集会が確認されていることはお聞き及びでしょう」


 異端審問局長は平板な口調で報告を始める。

 実は帝都以外への広がりは初耳であったが、さも知っているような顔でミエラはうなずいた。

 知らないということを、帝都大神殿の司祭長とはいえその程度の情報収集力しかないことをわざわざ教えてやる必要は無い。


「そして今年は、帝都のいくつかの町内会が合同で仮装大会の実施を画策しています。1年目にしては規模が大きい。誰かが糸を引いています」


 (町内会まで内偵してるの⁉︎)

 帝都はおよそ50の区画に分けられる。その区画の住民の互助組織が町内会。貴族街のように町内会がない区画も多いけれど、帝都全体で30以上の町内会があるはずだ。


(常時人手不足だって話なのに、どうやって聞きつけたのやら)

 そんな内心はおくびにも出さず、あり得そうな可能性を示す。

「仮装のための小物を売りたい商人たちの仕掛けじゃないの?」

 ミエラの反論を、局長はうなずいて受け入れる。

「表向きはそんなところでしょう。しかし、その裏に異端への忌避感を薄めようとする陰謀があることもありえる。そう考える方々もいないではない」


(つまり、そういう堅物なお偉方に言われたわけね)

「ずいぶん貴重な報告をありがとう」

 皮肉を混ぜた相槌で思考の時間を稼ぐ。

 局長も、本気で仮装大会が異端の陰謀だと思っている訳ではないのだろう。しかし上の、つまり最高神殿の司教たちの思惑をむげにはできない。

 そういうあたりはお互い様だ。ちょっと同情はするが、だからといって折れてやる理由もない。


「しかし、彼らは魔物に仮装しているのであって、異端に仮装している訳では無い。異端とは邪悪な信仰。信仰という形なきものに仮装することはできません」

「その通りです。さすがは司祭長猊下。しかし、異端と魔物は深く結びついています。知性ある魔物はしばしば異端信仰をしますし、異端者が強大な魔物をあがめたり、魔物を作り出したりすることもある。そして、帝都は魔物の危険地域だ」


 馬鹿馬鹿しい、と言いたいが否定はし切れない。

 帝都は地下にダンジョンを抱えている。迷宮伯によって管理されているが、過去に何度か魔物が溢れて街に現れてしまった事がある。

 最後に起こったのは50年前。ミエラにとっても生まれる前の事で、帝都が危険と言われても実感はない。

 だが帝国外の、特に老人にとってはそうでない事も分かっている。


 考え込むミエラに、局長はダメ押しの一言を追加する。

「一般信徒への教化は神殿の仕事であり、異端審問局の管轄ではない。八年前にそういう抗議を頂いたからこそ、こうしてご相談しているのですが」

 ミエラは心の中だけで盛大に顔をしかめた。八年前、帝都の占い師に異端が紛れていると言って、異端審問局が帝都の全ての占い師を、さらには占われた市民の一部まで拘束するという事件があった。

 そのことをわざわざ持ち出すというのはつまり、ミエラが対応を拒絶すれば、同じような事件を起こすという脅しに他ならない。


「対応は来週の会議で検討しましょう」

 正直、素直に従いたくはない。

 しかし、下手に逆らうのも良くない結果を招く。

 その判断を、先延ばしにするための返答だった。

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