第2巻発売まであと2日! ■ミロンとヨティスと船の旅

発売二日前の本日は、ヨティスが海賊市でスサーナと出会う、その少し前。鳥の民の二人が島にやってきた船の上での出来事を。


■ミロンとヨティスと船の旅


 ぎいい、と船がきしみ声を上げた。

 冬のさなかの鈍色の海の上を一隻の帆船が進んでいく。

 見るものがいれば、小型の外洋商船カラーカであると思っただろう。


 その船の甲板の上、前方のマストにほど近いあたり。黒髪の少年が一人、湿った海風に前髪をなぶらせながら立っている。年の頃は十か十一。やや長めの乱れた髪に切れ長の目。どこか年に似合わぬ刃の薄い刃物じみた雰囲気を漂わせた少年だった。


「よう、ヨティス、暇そうだな?」


 波の彼方を見つめる少年に、歩み寄った青年が親しげに声をかけた。

 こちらも黒髪黒目で、襟足ばかり少し長い髪を一つにくくり、少年とは対照的に目尻の下がった目元が人懐こげな雰囲気だ。


「ミロン。……暇なもんか。さっきから何度魔獣を散らしに駆り出されてると思ってるんだよ」


 うんざりしてみせたヨティスにミロンはあまり悪いとも思っていなさそうな顔で笑う。


「はっはっは、悪い悪い。お前が行くのが一番手っ取り早いからな。ま、運動不足の解消ぐらいにはなっただろ?」

「はぁ……、ま、いいけど」

「もうすぐ諸島の領域だ。あそこまで行けば魔獣は出ない。……そう船長が言ってたぜ」

「そんなことあると思う?」


 これまで数時間とおかず有象無象の魔獣に遭遇してきたというのに。そう肩をすくめたヨティスに、横手からええ、という同意の声。


 振り向いた二人に歩み寄るのは、初老と思われる男性だった。顔立ちや肌には年齢の年輪が刻まれているのに、髪は染めたようにただ一色黒い。


「この航路は何十度通ったか知れませんが、確かにもういくらか進んだ地点より先で魔獣に襲われたことはありませんよ。」


 彼は、この場にいる他の誰もがそうであるように、都市に住む民には漂泊民と呼ばれ、自らでは鳥の民と名乗るうちのひとり。アビと呼ばれる水運を能くする氏族の、旅隊のひとつを率いる氏長であった。

 この船は漂泊民――鳥の民が異民族に知られずに確保する航路を走る密輸船の一つ。乗り組むのはアビの氏族の旅隊と過酷なルートでの渡りを得意とするハチクイの氏族の旅隊がそれぞれ一つ。それと、おのが氏族より下命を拝したミロンとヨティスの二人組だ。


「そんなことが……いえ、嘴黒はしぐろの氏長の仰ることです、信じます」


 言いながら、なるほど、海流か、水温か、なにかややこしいことになっているに違いない、とヨティスは考える。魔術師どもの巣窟である塔の諸島はそのようなところでも一癖あるらしかった。


 確かに、その直後から、あれだけ絶えなかった魔獣の気配は綺麗さっぱりと消え失せた。

 一息つき、飲み物を貰って飲みながらヨティスはミロンにふと眼を向ける。


「そういえば、この仕事の手はずは全部ミロンに任せてあるけど、どうなってる?」

「んー、とりあえず本島に入ったら奴隷商と奴隷のふりをして非合法の市に潜り込む。適当な貴族に当たりをつけてお前を買うように仕向けるから、そしたらしばらく我慢して、ターゲットに接触しやすいところまで信頼を得る。んでま、そうなったら依頼人様の希望のタイミングと希望のやり方でサクッと始末してくれりゃいいそうだ」


 ひらひらと手を振っての相棒の大雑把な物言いに、ごくりとエールを飲み込んだ少年は半眼になった。


「聞いてると随分大雑把に思えるけど、大丈夫なの、それ。まずこの島に赴任した貴族連中は闇市なんかに顔を出すか?」

「多分、ほぼ確実に出すだろ。……集まってる噂からすると、後ろ暗いところで使える手駒がほしい御仁は多いはずだ。そのうえ諸島の市っていうならヴァリウサ本土より格段に足がつきづらいからな。本土で迂闊に振る舞って目をつけられるより、まともな警戒心があればそっちを選ぶ」

「じゃあ、次。そのお貴族様達は髪が黒いだけの奴隷など欲しがるか? 僕らのあり方など知らない奴らだ、そのうえ半分あっちがわのフリじゃあ、流民扱いで鼻も引っ掛けられず終わるのでは?」

「鳥じゃなくても黒髪なだけでハクはつく、ってな。ヨティスよお、お前は俺たちの価値をちっと低く見積もり過ぎだぞ。趣味の悪い常民の貴族様は『漂泊民だ』ってことにして、そういうやつを侍らせたがるんだぜ。虚仮威しの飾りなら俺たちそのものじゃない方が安心だってな。」


 ミロンは口元をひん曲げて皮肉げに微笑み、ヨティスははあっと呆れ返った息を吐く。剣の切れ味を恐れて見た目限りのレプリカをありがたがるなんて、なんと本末転倒なものだろう。


「理解しがたい趣味だな……」

「ま、売り込みの種は色々あるさ。お前はそのあたりの心配はせずどーんと構えとけ、俺が保証する」

「ミロンが言うから信用ならないんだけど……」


 酷いぞ、と騒ぎながら隙を見て襟足を引っ張ろうとする相棒の手をヨティスは肩をすくめながら避けた。うざいとは思うものの、本気で怒るほどではない。なにより、この仕事は長丁場になると予告されたものだったから、こうしてじゃれ合う機会はもう何年もないかもしれなかった。

 感傷に任せてそうぽろりと口に出した『秘蔵っ子』に、ミロンはまあな、と答えてわしわしと頭を撫でてやりつつ、すいと目を鋭くする。


「まあ……――最大五年か。だが、上の都合次第じゃあるが、もっと早く収める方がいいかもな」

「それは、その方が嬉しいけど……?」


 思案含みの言葉に応え、ふと十一の子供らしい表情をしたヨティスにミロンはにやりと笑ってみせた。


「お前、さっさと鍛錬に戻りたいんだろ。……そうじゃなくってな、多分、領主兄弟のゴタゴタと関わりなくても……いや、関係はあるのかも知らんが、この国は近々荒れるぞ。枝が折れる前に飛んでおくのも烏の嗜みだぜ 」

「どうしてそう思う?」


 そりゃ、と言いかけながらミロンは甲板の向こう側に見えた人影を全身で手招く。

 ややあって、二人が寄りかかって酒を飲んでいる船べりの側までやって来たのはつややかな黒髪を短く断ち、男物の服を着た意志の強そうな美しい女性だった。


「コノハズクの」

「ハチクイの長老殿。ご機嫌麗しゅう。いま、貴方様がお教えくださった話をしていたところだ」

「おい、ミロン……、呼びつけるなんて失礼だろう……」

「気にせずとも構わない。先程話した話だね? ……ん。いつもの客以外の払いが良くなった。いつもの客の払いも良くなったけれどね」

「払いが、良く?」

「ああ。私達は近隣数カ国を短い期間に渡るからね。周辺国でヴァリウサの動きが知りたい者達が増えているし、いつもの客……ヴァリウサのお偉い方などもね、私達の運んだ旅客について詳しく知りたい度合いが上がってもいる。エステラゴの内情の話も、きっとよく売れるだろう。流してくれればありがたいね」

「客が払いを渋らなくなる国はだいたい荒れるんだよなー」

「荒れた国より栄えた国の方が過ごしやすいから、程々のところで止まってくれればいいと思うけれどね」

「荒れればその分食い込みやすくなるけどな」

「この国は平和ボケしてくれているぐらいが丁度いいよ。私のかわいい末裔すえごは島の常民カエル達と仲がいい。荒れすぎれば諸島とはいえ被る波もあるだろう。戦争はごめんだね」

「おや、珍しい。随分入れ込んでらっしゃる」


 ハチクイの長老は機嫌良く笑うと、慣らした獣を諸島で引き離すぐらいならやってやっても いいと思っているよ、とうそぶいた。

 調教済みの大型獣はよく貴人殺しに使う。

 なるほど、そういうものを持ち込みたいやつらがいる、と。荒れる種が転がっていると示してくれたわけだ、とヨティスは納得する。


「ま、そんなわけ。そのまんまどっぷり食い込んだっていいんだけどな、お前は今回が初陣だし、それなりの安全策を取る手もあるなってこと」

「ミロン、流石に舐めすぎだ。過保護な母親みたいになってるぞ」


 二人がそうしてじゃれていると、食事の準備ができた、と、ヨティスより少しだけ年かさに見える娘がハチクイの長老を呼びに来る。


「長老様、ご飯ができました!」

「ああ、すまないね、エウメリア。すぐ行くよ」



 娘は頬をつまんで引っ張り合っていたミロンとヨティスを男の人っていつまでもこれだから、というようなしらじらとした目で眺めていったので、ヨティスは少しだけ気まずくなった。どうやら、意識していなかったが一人での初仕事にだいぶ浮かれていたらしい。

 こほんと一つ咳払いをして、また海の彼方を見る。


 暮れかけた海の向こうにいくつかの島の影がくすんで見えだしていた。

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