糸織り乙女カウントダウン

渡来みずね

第2巻発売まであと3日! ■魔術師と茄子料理

発売三日前の本日は、番外編に描いていただいた光景の後日談の一つを。


■魔術師と茄子料理



 空の高みを大鯨が泳ぐ。


 大鯨に似せた騎獣像はばくりと口を開くと、真白い塔の一角に渡された舷梯の上に魔術師を一人吐き出した。


「お届けものです」

「ご苦労」

「目録をご確認ください。こちらには珍しいご注文ですが、お間違えありませんか?」

「ああ、相違ない」


 大鯨を模した騎獣像は大規模な輸送に特化した特製のものだ。

 なにかと物入りな魔術師たちの要請に応え、一定基準以上の高度を持つ塔の間を回遊する。自前の使役体ほどの即時性はないが、塔同士の交易にはこの定期便はなかなかに便利なものだった。

 問題があるとすれば、常民などの視線を避けるように認識欺瞞は掛かってはいるのだが、カンの鋭い渡り鳥などはこの鯨を見つける群れもおり、ちょうどいい休み場所と見做されたりするせいで、渡りのルートが狂う可能性だとか、生態系に影響があるのではないかと研究者を悩ませることぐらい。それも、ここ二百年ほどの観察でまだ問題が出ていないのだから、そう気にしたものではない、というのが主流の結論である。


 配達員の魔術師はアーチ状に開かれた大窓の前のルーフバルコニーに大箱を一つ降ろすと、応対に出てきた塔の主に丁重な礼をとり、また大鯨の口の中に吸い込まれていった。

 ふわりと大鯨が舞い上がる。

 それを見送り、塔の主……第三塔の魔術師は一つ息を吐いた。

 手元の送付状を見直す。

 それに記されているのは、ことごとく、常民たちの記した料理本の名称であった。



 茄子。

 茄子というのは多く苦味を持つものだ。

 性質上、彼ら魔術師達は生食ができるに越したことはないために温和な味の品種改良を好みがちだが、常民達はそういうわけではない。


 謎の茄子を称える歌が高速飛来した後、しばらくくらくらする頭を抱えた第三塔の魔術師はそれでも律儀に一般に流通する品種の種を取り寄せ、品種改良に取り掛かるつもりでいた。

 ――小ねずみ茄子を大きくしたようなもの、でなければ従来の茄子の苦味を取る、と書いてあったな……

 どうするにせよ、まず選択する性質を確定しておかねばならぬ。

 ――苦味成分の薄い品種を、というなら目的は明確だが……


 だが、子供の言うことなのだ。この苦くなくす、という単語が意味するところは単純に認識すべきではない。どれほど流暢なようでも言語化しきれているとは限らない。

 例えば、ただ苦味だけを抜いてもそれは相手の求めたものではない、ということは十分あり得る。

 そう、子供の語彙だ。つまり美味なものを食べたい、と理解すべきだろう。


 ――常民の茄子の利用法を知っておくべきか。

 魔術師に茄子を情熱的に称える書状を送りつけるほどなのだ。期待とは違うものを納品された子供がどれだけ落胆するだろうと思えば、単純な処理はすべきではないように思われた。

 不本意な茄子への悲しみの歌でも送りつけられてはたまらない。


 そんなわけで、第三塔の魔術師は、常民の料理人達が書いた料理書なるものをひたすら読み漁る羽目になったのだった。


 茄子、と呼ばれる果実はこの土地ではそこそこに重用される食べ物と扱って間違いない。

 粉にしたチーズとクミンをたっぷりと衣に使いフリットに。棒状に仕立てて揚げ、蜂蜜を絡める。揚げた後に詰め物をし、チーズをたっぷり載せて炙る。擂った海老を挟み揚げて胡麻ソースを乗せる。揚げたものを葡萄酢に漬ける。

 あの子供が好むらしい調理法だけでもすぐに片手の指を超える数を数えることが出来た。


 チーズ、蜂蜜、それと油脂が多いナッツ、そしてオイルが多くの料理に利用される。

 風味の力強い獣肉や野禽に合わせることも多ければ、香草やスパイスをまとわせるのも好まれるようだ。

 その際にはわざわざ辛味と苦味の強い若いオリーブオイルを合わせたりもするので、やはり苦味のニュアンスこそが求められているのだろう。

 彼ら魔術師達としても、舌馴染みがまったくない食べ方というわけではない。比較的温和な調理法や生食を好む彼らではあるがそればかりというわけではないし、料理というものにおいては塔の諸島の常民たちとは相互に長く影響を与えあっているので、彼らの中で広まった食べ方ならば取り入れられることもままあるのだ。


 ――やはり、ある程度苦味は残さねば調理に耐えないか?

 常民の好む調理法であれば、苦味を完全に消してしまえば単調さばかりが際立つことになりかねない。毒性を伴う苦味は抜ききっても、人体に害のないものはある程度残すのも手段だろう。

 数日料理書を読み込み、それなりに読み取ったものを分析しつつ、ならばどの程度苦味を残すべきか、と風味のバランスを考えて、参考のためにもう一度謎の情熱で茄子を称える文面を読み直し、第三塔の魔術師ははたと眉をひそめた。

 散見される調理法が、一般的なのだろう料理書のものとは多少違うように判断できたのだ。

 とろとろに揚げたものにさっと塩を振り、生姜を添える。干した魚や海藻、茸のブロードを利用した調味液に漬け込む。爽やかな香りの香味野菜と合わせてあっさりしたスープの具にする。……生のものを塩で揉む。さっと蒸し焼きにする。輪切りにしてグリルし、サラダに入れる……

「普通」の調理法に近いものもあったが、あっさりとして苦味を紛らわせがたいだろうと読み取れるものがチラホラと混ざっている。

 ――成程。

 あの子供が何故そのような調理法に固執するのか。どこでその食べ方を知ったのか。それは多少の懸念も感じさせたが、それだけの具体性と熱意を持って口にしたいと望むのなら、食欲という欲求自体は悪いものではなく、まあ、与えないという選択肢はないように思われた。


 これはそれなりに微妙なバランスが求められそうだ。

 苦味が好まれる野菜の苦味を抜き、繊細な料理に供するのなら、例えば皮の厚さ、甘み、身の感触なども変えねば口に違和感を与えるばかりのものになることは想像に難くない。

 更に言うなら、味のバランスや種のサイズ、硬さ、そういうものを変えれば果実に多少の苦味は残っても、調理する上での処理の手段や有効性が変化し、口にするものにとっては味の複雑さだけは担保されたまま苦味の不快さを除いたのと同じ結果をもたらすかも知れぬ。

 幸い、調理法自体は単純だ。選抜する過程で検食しながら丁度良さそうなものを探っていくしかないだろう。

 幸いなこと、と言っていいのかはわからないが、常民の間でも栽培出来るよう、存在原基に触れるのではなく、交雑させて選抜するか、突然変異を誘って選抜するかだ。サンプルの数は多くなるはずなのだから、差異のバリエーションは取りやすい。


 そう決めてしまったのが、地味にじんわり苦い茄子地獄~シンプルなものだと逃げ場がない~の始まりだとは、このときの第三塔の魔術師には思いもよらぬことであった。


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