第6話 窮地
「これで終い―」
ドロップキックの姿勢になった井上が何も無いはずの空間を蹴ると、彼女の体が後方へと跳んでいき、火柱は寸前で当たらなかった。
「やるねぇ高橋茜。伊達にここまで生き残ってないってわけだ」
空中で華麗に回転し、またしても何も無い空間に着地した井上。彼女を素通りした茜は旋回して白いジャケットに刺繍された雄々しい獅子を憎たらしそうに睨む。
「けど、テメェの異能。分かったぜ?空間、てっきり動きを止める異能かと思ってたけどよぉそれじゃあ空に跳んだり、今みたいになんも無いとこ蹴って移動出来た説明がつかねぇ。分かりにくいけど、空間を固定する!それがお前の異能だ!」
勝ち誇り彼女に指を差す茜は、今までにない恍惚感に浸ってだらしのない顔になっていた。
「おぉー!で?」
だが、当の本人は振り返って踊るだけだった。
「で?でって、異能がバレたのに―」
「ずいぶん余裕ぶっこいてんな・・・って?」
短く息を呑む茜に、井上は見せびらかすように尾を広げる。
「・・・アレ?」
「気づかなかったのかい?それじゃあ白獅子隊には入れないなぁキミ」
(尻尾が、増えて・・る?)
そこには3本の尾をゆらゆらと揺らし、踊るのを止めた井上がいた。
「さっきエルフが言った通り、ケーフィは踊りや宴を司る精霊。しかも、憑依した状態であの子の力を存分に使うには、ボクもケーフィのようにテンションを上げて踊りを楽しまないといけないのさ」
腰に片手を当て、井上は空いた腕を振りかぶると指を3本上げた腕を茜に突き出す。
「全力は9本。だけどね?キミなら3本で充分、3本分の力だけで余裕で倒せる」
未知。アドニスの世界に存在するのは、自然的な力を使う魔法と人の知識で作り出した魔術だが、そこに加わる精霊の力。下級と中級、話では上級も存在する。
加えて異能。アドニスの神が外から来た人間に与えたギフト。もちろん剣術や槍術といった武術も脅威として存在しているが、井上円は戦闘中一度も腰から下げた剣を使っていない。ましてや、魔術の知識が詰まった本ですら。
「仲間は助けてくれ・・か。敵に懇願しないと叶えられない程度の実力なら、この先は無理。キミたちの冒険はここで終わるのさ」
ふわふわとした尻尾が艶めかしく揺れて紫色の炎を纏う。まるで飛行機が飛び立つ時のジェット噴射を思わせる炎に茜は息を呑むが、井上はさも当然のように扱っている。
「勝手言うなよ、今までだって格上ばっか相手してきたんだ・・!」
精霊の力を見せて来たマイタイに始まり、異能の知識に長けた斎藤舞。異能と精霊両方の力を操る藤堂明や中級精霊を扱う久米正治。白川莉子の理不尽な異能、エルフの隠れ里を襲ったパルチザン教団の圧倒的な武力はデネブの街で浮き彫りになった。
(アタシもマスカを、中級精霊を手に入れたんだ!これで対等って訳じゃねぇのかよ!)
狐の尾を後方に向けて束ねる様に一か所に向けた途端、彼女の体が物凄い勢いで茜の目の前まで一瞬で飛んできた。
驚く暇も無く鈍い痛みがみぞおちに加わり、衝撃の勢いで倒れた頭でようやく腹を殴られたのを理解したが、全身に走った痛みは両手足の動きを緩慢にさせる。
悔しまぎれに右翼で正面を薙ぎ払ったが、既に井上の姿は無く。どこに消えたのかと考える隙も無いまま頭頂部を軽く踏まれる。
「痛ってぇなコラッ!」
上にいる。
そう思って首を上に曲げて睨めば予想通り、井上が異能で足場を作ってこちらを見下ろしていた。彼女の異能は空間を固める能力なので、足場は透明。茜から彼女の姿は丸見えだった。
「余裕ぶっこきやが―」
瞬間、背中が火を吹いたように熱くなり茜の体が上に飛ばされた。
「精霊の力もね、異能と同じように人それぞれ異なる。経験が浅いねぇキミ」
呆れた様子で右手を上げて紫の火炎を出したかと思うと、火炎が6本のナイフに姿を変える。
「実はボクも得意なんだ、不意打ち」
井上の声が、後ろから聞こえた。
翼を翻して後ろに向きを変えると、尾を1本生やした井上円がそこにいた。気が付くと茜は、上にいる井上と下にいる井上に挟まれていた。
「ふっ、2人!?分身が精霊の能力!?」
「ブッブー、はーずれー」
茜が下を向いたのを良いことに、2本尾の井上はナイフを飛ばして茜の背中に向かわせた。
拳1個分の火傷し、服が燃えて露わになった背中にナイフが6本も上から向かう。
「茜、後ろだ」
マスカの助言で振り返った茜が間一髪、全てのナイフを異能で隠した。それと同時に下の井上が繰り出したミドルキックをもろに喰らってしまい、ケープとシャツが一部燃え蒸気を上げて肉が丸見えになった横っ腹が痛々しい。
(なん・・なんだよ・・!?なんで、こんな目に合わないといけないんだよッ!)
意識が乱れ、白炎の翼が徐々に勢いを失くしていくが茜は気づいてない。
(どうすりゃあいいんだよ・・・こんな奴・・・)
突如として現れた強敵に、茜の心が暗く冷たい闇に沈んでいく。
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