46 互いの疑問

「前に幼い頃のことを聞いたが、カミーユは過去の記憶があるんじゃないか?」

「ヒゥッ……ウェッ、ケホッ、ゲホッ、ゲホッ」


 フィンに記憶のことを聞かれ、カミーユは息を変に飲み込んだらしい。


「はあ、変なトコに。……すみません、あの、記憶って?」

「いや、カミーユの生家が調香術師の家系で、その秘伝のようなものを受け継いだのかと思ったんだが。うちにも薬術師として家に伝わるものがあるから」


 カミーユはフィンにわからないように、そっと息をこぼした。どうやら前世の記憶のことを言っているのではないらしい。


「流行り病の薬を作ったんでしたよね?」

「ああ。もともと薬草の産地にあってそれを生業としていた家なんだが、光の治癒を使う者も多く出たし、その術にもうちの特徴がある」

「……治癒は普通に治癒じゃないんですか?」

「いや、医術師や薬術師によって違う。解析が得意で、治癒自体は別の者が担当するとか。自分の身近に目を患う者がいて、それを研究していたら目の症状が専門になったとか、肌の乾燥に強いとか」

「へえ! ああ、でも調香術師もそこは一緒ですね。得意分野がそれぞれ違うから」


 フィンはそれを聞いて頷いた。


「うちは治癒の光を薬草や薬に使う特殊な方法を開発して、創薬で名を上げた。君の『創造』もそういったものかと思ったんだが……」

「いえ、そういったものは全く。私が拾われたのは、記憶もないぐらい小さかった時です。海辺で見つかって、流されてきたのかって大人が話してたのを覚えてた子がいたんですよ」


 カミーユが引き取られた時のことをクローヴァーが覚えていて、その時のことを教えてくれたのだ。

 

「流された?」

「木の箱みたいなのに寝かされてたらしいんですけど、それがうまいこと小舟みたいになって打ち上がったんじゃないかって。捨てられたのか、水の事故で流されたのかって、その辺はわからないんですけど」

「そうか。それなら受け継いだものはないか……。あるとしたら、容姿と魔力の属性が親族と似るぐらいか」


 フィンが目を細めてカミーユを見てくるが、こんな赤葡萄酒色の髪をしている人を見かけたことはない。カミーユの魔力量は多くないし、属性は火と水で特別目立つものでもない。

 カミーユは曖昧にほほ笑んだ。


「受け継いだものはあるんですよ」


 首元をごそごそとすると、カミーユはペンダントを引っ張りだした。


「これです」

「これは……。香水入れ、か?」


 カミーユと一緒におくるみにくるまっていたという小さなフラコンは銀製だ。

 蓋の部分は丸く、胴体は縦長で、下にいくほど細くなった優美な形をしている。フラコンに施された細工も愛らしい野花で女性らしいものだ。

 薄べったくて、フラコンの首に細い鎖が付いているのは、これが装飾品として身に着けるタイプの香水入れだったからだろう。いつの間にか鎖が途中で千切れてしまったが、革紐を結び付けて首から下げている。

 頭から抜いて渡せば、フィンはそれを表、裏とひっくり返して見分している。


「カミーユ。これはどう見ても……」


 フィンは顔を上げ、戸惑ったような目でカミーユを見た。


「細工も繊細で手が込んでいるし、貴族女性の持ち物のように思える。これが君と共にあったなら、君は貴族の生まれなのかもしれない」

「うーん、そうは言っても、名前や家紋が入ってるわけでもないから結局わからないし。あ、そんなことよりも、ここ、見てください」


 カミーユはフラコンに施された彫刻を指して見せた。


「こっち側はヴィオレッタスミレっぽいですけど、裏のこの花は何かわかります? 薬草や野草とかにありませんか?」

「……いや、見覚えはないな」

「アルタシルヴァでも?」


 フィンがフラコンからカミーユに視線を移した。


「アルタシルヴァ? 魔植物ということか?」

「ほら、森には外にはない変な植物がじゃないですか。溶けたり、唸ったり、動いたり。この花が喋っても、羽ばたいてもおかしくないですよ」


 カミーユはうんうんと頷いてるが、フィンはあきれ顔だ。


「おかしくはないが、貴族女性がそのように奇怪な植物をモチーフに使うと思うか?」

「まあ、そうか。無理があるかなあ。可能性の一つかなって思ってたんですよ。だって、テオドール先生もこの花を知らないって言うんですよ」

「先生も?」


 テオドール先生は北の学院で植物学を教えていた教師だ。その先生が知らないというのだ。


「魔の森産じゃなかったら、この国周辺では見かけない植物ってことですよね。香水入れってところはいかにもこの国らしいですけど、ローザが描かれてないし異国の花なのかなってのは思ってたんですよ。ヴィオレッタは北でも南でも咲くから手がかりになんないし。もしかして、香料となる花だからここに描かれたとか? 強香花? いや、でもそれならすでに知られてるか……。じゃあもし、見つかったら新香料?」


 ブツブツとこぼすカミーユに、フィンは目を瞬いた。


「開けて香りを確かめなかったのか? 君ならやっていそうだが」

「開かないんです、これ。蓋が少し歪んでるし、錆ちゃったのか完全に固まってて」


 外側は磨いてきたが、開けようと思った時にはすでに遅く、びくともしない。

 蓋を切り落とせば開くと言われたが、そこまではと思ってやっていない。


「はあ。……しかし、普通は花よりも自身の出自の方が気になるものだと思うんだが」


 それを「そんなことより」で片づけられてしまった。


「考えなかったわけではないですけど、でも、おくるみの中にこれしかなかったんですよ。名前も、手がかりになるようなものも一切なかったんです。身元がわからないようにしたのかな。それでも、これを入れてくれたんだなって。それって、こう、なにか捨てる覚悟みたいのを感じられるじゃないですか。じゃあ探さない方がいいのかな、なんて」

「……そうか」


 フラコンを見せてこの話をした人は多くないが、たいていフィンのようにどこかが痛むような顔をする。きっと痛んでいるのは心だろう。

 だからカミーユは、いつもそれを吹き飛ばすように明るく返している。


「あ、気にしないでください。この花がいつかどこかで見つかるかもしれませんし。それにアルタシルヴァは広いでしょう? 未開の森の奥の奥とか、アルタシルヴァの山のてっぺんとか、思ってもいなかったところに咲いてるかもしれないですからね。花の女神が与えてくれた花かもしれないじゃないですか。見つかるのをけっこう楽しみにしてるんですよ」

「……君は強いな」

「ふふっ。もちろん! ローザハウス育ちですからね。逞しいですよ」


 カミーユは両腕を身体の前でぐっと曲げて、こぶしを作って見せた。


「私たちは守られ愛されるローザの花ではないかもしれないけれど、誰かの手からこぼれ落ちて、踏まれてもそこで根を張る麦のように強くなりましょうって、皆で支え合ってきたんです」


 カミーユの目がまっすぐにフィンを見た。

 周囲をぼんやりと照らすほどしかないランプの明かりだが、その目はキラキラと輝いている。

 フィンはその輝きに、ふっと息を呑んだ。


「周囲は皆、似たような境遇でしたし。少しでもお腹いっぱい食べられるように、考えて、身体を動かして、出自を気にする暇なんてなかったですよ」


 カミーユは肩をすくめた。


「そうか」

「がんばった結果、なぜか高等学院まで通ってしまってるんですけどね。……あ、そうだ。さっきの話でだいたいわかった気がしましたけど、私からも質問、いいですか?」

「ああ。そういえば君も聞きたいことがあると言ってたな」


 カミーユはもぞりと動くと、フィンの方をうかがうように見た。


「ええと、フィンさん、は、平民じゃ、ない、ですよね……?」

「ん? ああ。違うが」

「やっぱり! 今日の剣さばきを見て、王城脇の鍛錬場で見た騎士の感じと似てるなって思って。探索者がこう、叩き殴る感じともちょっと違うし、正式に習得したのかなって。そしたら家系の話とか出て来たから……」


 トーステン辺境伯やサウゼンドのクリストフと既知のようだったから、ひょっとすると、と思っていたのだ。


「ああ、言っていなかったか?」

「ないです! 学院では大抵、どこどこ家のなになにっていう家紹介から始まったから、貴族はそういうものだと。北の学院はもっと大らかな雰囲気で、貴族以外にも開かれてるって先生から聞いてたから、貴族じゃないとばかり! ……あっ! 知らぬこととはいえ、今まで大変ご無礼を致しました。お許し下さい」


 カミーユはばっと立ち上がり、目の前のテーブルに頭がぶつかるまで下げた。


「いきなり何を! カミーユ、頭を上げてくれ。今までどおりでかまわない。ギルドでもそんな扱いされていないのを見ただろう? 今更だ」


 カミーユは身体は折ったまま、顔だけそろりと上げた。


「……あの、本当に? 今まで通りでいいんですか? 後で、『不敬だ!』とかなりませんか?」

「ならない。考えたこともない。さあ、座って」


 フィンがきっぱりと肯定すれば、カミーユは頭を上げ、一気に頬が緩んだ。


「良かったあ。隣が貴族家なんて、緊張しちゃいますからね」

「学院やテオドール先生で慣れているだろう?」


 カミーユがムッと眉を寄せた。


「だからですよ。学院は完全な身分社会というか、表だっては院内平等だとかいってましたけど、実際そんな感じじゃなかったですし。私なんか貴族の中で居場所がなくて、ほとんど無視に近かったし。それにテオドール先生は、ほら、テオドール先生ですから! ベツモノです!」


 普通の貴族だったら床の上が脱ぎ捨てた衣服や紙くずで一杯にならないと思う。いや、貴族だから常にだれか片づける人がいたのだろうか。いやいや、貴族なら土の上やベンチの下で寝ないし、髪に枯れ葉をくっつけて食卓に現れないし、服を土だらけにもしないし、カフェーだけで一日を過ごさないだろう、きっと。

 テオドール先生は、テオドール先生という括りなのだ。


「……まあ、わかったような気がする」


 カミーユがニヤッとした。


「同じテオドール先生係ですもんね! あ、ちなみにご出身は……? サウゼンド? それとも北の学院の近く?」

「いや、もっとずっと西だ」

「西……」

「小国がいくつも並んでいる辺りの地図を見たことがないか? あの辺りは高等教育を国外で受けることになるんだが、私は祖母がシャンブリー伯の出で、その縁で北の学院に」


 シャンブリー伯といえば、サウゼンドと並んで独立した南の一国だ。

 長靴のような形のこの半島で、サウゼンドが足の部分だとしたら、シャンブリーはちょうど足首の前部分、曲がる辺りにある小国だ。

 小国とはいえ、一国の元首の家系になる。


「は、伯爵家⁉」

「いや、うちは子爵になったばかりだ。シャンブリーもハーブの産地でね。その売買などで交流が昔からあったんだ。祖母は情熱的な人だったらしくて、その当時で男爵家で吊り合いも取れないというのに、祖父の元へ押しかけて嫁いできたらしい。近隣で噂になるぐらいの熱烈な恋愛結婚だったらしいよ」

「へえ!」

「その祖父母が力を合わせて流行病の薬を開発したんだけれど、それが子爵への昇叙に繋がったんだ」

「すごい!」

「ああ。尊敬している。ただ、その薬が効きにくい者もいて、私はそれをなんとかしたくてここにいる」


 フィンは前にも同じことを言っていたから、それほどの思いをかけているのだろう。


「カミーユが自分の出自を気にしないのと同じで、私も全く気にしたことがない。自ら選んでこの生活をしている。だから、テオドール先生と一緒だ。私は私。身分など気にしなくていいから」

「テオドール先生と……?」


 いや、フィンは自炊もしているようだし、髪が跳ねてもいないし、テオドール先生ほど生活が破綻していないだろう。そこは安心ポイントだろうか。

 カミーユは笑顔で頷いた。

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