47 秘密の依頼

 

 約束の時間を気にしながら、カミーユは大通りを速足で港へと向かっていた。

 ある曲がり角にくると、手に持ったメモを見直した。


「……一、二、ここであってるよね」


 港から数えて三つ目、金物屋の角を左とあるが、角を曲がった先の小道はどちらかというと寂れている。

 真昼間だし怖くはないのだが、人影もなく目的地があるように思えない。


「おや、お早いですね!」


 躊躇するカミーユの後ろから、今日の依頼相手の声がした。

 チェルナム商会のザカエルだ。


「時間になったらこの辺りまで迎えに出ようと思っていましたが、ちょうど良かった」

「あ、じゃあ、ここであってるんですね」


 カミーユはほっとした。チェルナム商会は港近くの大通り沿いにあって、ここから少し離れている。


「ええ、この奥です」


 ザカエルが手で促すようにして、小道へとカミーユを先導する。

 しばらくすると家もまばらとなり、やがて石畳の道から馬車の轍の間にピンクのレンゲ草やクローヴァーの白い花が見える土の道となった。

 カミーユはふと王都のクローヴァーを思い、朝食にスープも卵も付けなかったことを思い出した。


「父がこの国に来たばかりの頃は、港近くの繁華街には家も店も借りられなかったそうです。この先に廃業した牧場があって、牛舎を倉庫代わりにしたとか。最初はその片隅に住んで行商に出る生活だったようです。今はもうほとんど使ってないんですがね」


 そう言うとザカエルが声を落とした。 


「まあ、今回の件にはぴったりでしたが」


 周囲には誰もいないが、声をひそめたくなる気持ちはわかる。

 おおっぴらにできない秘密の依頼だ。


 調香術師として半人前のカミーユは、本来なら師の元で仕事を一から学んでいる時期だ。もし研修だったら、自分を指名した依頼などこないだろう。

 そういう意味では、新米調香術師でありながらすでに依頼のあるカミーユは恵まれている。

 まあ、虫除けだとか、魔獣寄せだとか、人間相手の香水じゃないところには首を傾げたくなることもある。香水が様々に使われるのはカミーユの目的に合致しているが、ちょっと偏りすぎなのが気になるところだ。

 今日の依頼は、その点、もう少し人間よりの依頼と言えだろう。


 ザカエルが道の突き当り、大きな納屋のような建物の前で足を止めた。

 古いが、がっしりとした作りで高さもある。これが昔の牛舎だったのだろう。荷馬車が入るぐらいに間口も大きくて、確かに倉庫として十分だ。


「ここです。……中の準備は整っています。私はこの脇の小さな物置に控えますので、何かございましたら」

「えっ? ザカエルさん?」

「ここから先は、私は見ない方がいいでしょうから。では」

 

 ザカエルはカミーユのために少し扉を開けると、そそくさと倉庫の脇へと歩いていく。

 確かに秘密の依頼だが、ポカンと彼を見送ったカミーユは、気を取り直して正面の大きな扉を横に引いた。


 上部に小窓が並んでいて、中は思ったより明るかった。

 それでも一瞬目がくらみ、それに慣れた頃、前方に男が立っているのが見えた。


「やあ、カミーユ。よく来てくれた。また会えて嬉しいよ」


 長身で黒髪。キリッとした眉で精悍な顔立ち。そんな鋭さはともすれば怖く思えるだろうが、それを打ち消す満面の笑みで、クリストフ・サウゼンドが立っていた。

 港にいる商人のような旅慣れた格好をしているが、隣国サウゼンドの次期トップだ。

 なぜザカエルが去ったのかよくわかった。あれはよい逃げ足だった。カミーユだってできることならそうしたい。


「ぅえぇっ」


 思わず棒立ちになり、そこから慌てて膝を曲げた。


「ク、クリストフ様。ご、ご尊顔を拝しまして、誠にありがたく恐悦しぃっ?」

「うえって」


 クスクスと笑いながら、クリストフがカミーユを引っ張りあげた。


「さあ、そんな挨拶はいいから立って。こちらこそ、カミーユ、今回は急な依頼で申し訳なかった」

「いえ、ご依頼は誠にありがたく。あの、でも、クリストフ様が直接お越しになるとは思ってもおりませんで……」


 今日の依頼、直接にはチェルナム商会からだが、大元はサウゼンドだ。トーステン辺境伯も経由して。

 前にカミーユが調整したベルガモータ紅茶の依頼だ。香料を納めただけでなく、最初の一回はぜひカミーユに作り、同時にできればサウゼンドの者に指導して欲しいとのことだった。


「うん。まだ秘匿したくてね。今のところは父か私が来るのがいいだろうなってね。まあ、また私がこちらに来る権利を勝ち取ったんだ」


 クリストフはニコニコと笑いながら言う。

 ここでその「父」と出会ったら、カミーユは間違いなく腰を抜かすだろう。顔を知っているクリストフで良かったのかもしれない。


「そうですか」

「ふふっ。父がカードで使うクセはもう見破っているからね」

「そ、そうですか。カードで……」


 クリストフはいたずらっぽく秘密を打ち明け、カミーユはそっと目を逸らした。

 毎回カード勝負なんだろうかと疑問に思うが、とても聞けるものではない。


「さて、カミーユ、紹介するよ。グレン、ギャブ、こちらへ。今日指導をしてくれるカミーユだ」


 クリストフが荷馬車を覆う布をはいでいた二人を呼んだ。

 こちらに近づいた二人はカミーユより少し年上だろうか。兄妹なのか、顔立ちが似ている。


「「よろしくお願いします」」

「あ、はい。こちらこそ」

「グレン、ギャブ、まず荷下ろしを。カミーユ、すまないが少し待ってくれるかい? テーブルを用意してもらってあるから」


 壁際にティーテーブルと絹張りの椅子が並んでいる。背景がくすんだ倉庫でなければ、貴族のティーサロンのようだ。


「あ、いえいえ、私も荷下ろしを手伝いますので」


 いらないと言うように両手を身体の前で振って荷馬車へ向かうカミーユに、クリストフは苦笑した。


「おや、残念。振られてしまったね」


 グレンが軽やかに荷馬車に飛び上がり、大きな包みを下にいるギャブに渡している。

 カミーユも手伝いの手を伸ばしたが、着香作業に使う畳んだ布を渡された。

 茶葉の袋もこの布もつるりとした手触りで、ペーパーツリーの樹液を塗ってあるように思える。

 倉庫の真ん中、ティーテーブルから離れた場所に布を広げた。今回はこの上に茶葉を広げて上から霧のようにフレーバーを振りかけるのだが、布は十分大きくて作業しやすいだろう。

 

「こちらに置いておきますね」


 ギャブがその側に一抱えはある茶葉の包みを置き、また荷馬車の方へと戻っていく。

 商人のような恰好をしているが、歩き方といい、身のこなしといい軽やかで探索者のような感じだ。クリストフと並ぶと商家の若旦那とそのお付きのようにも見えるので、クリストフに合わせて護衛が変装しているのかもしれない。

 着香を教えるのが護衛でいいのかと疑問に思って、カミーユは首を傾げた。

 ギャブが大袋を抱えてこちらに歩いてくる。その後方にグレンも続いた。

 二人とも艶のある栗毛の髪に、ヘイゼルの瞳。髪の長さは違うけれど、背の高さも同じぐらい。ギャブは薄っすらと化粧をしているので印象が違うが、カミーユを見て微笑んだ笑顔も似ていた。たとえ双子だとしてもここまで似るものだろうか。

 二人をチラチラと見るカミーユの視線は、不躾だっただろう。

 そしてそこまで考えて、カミーユの目が驚きに大きく開いた。

 兄妹じゃない。兄弟だ。

 ギャブが気づいて、クスッと笑った。


「ふふっ。あらやだ。もうなの? クリストフ様、カミーユちゃんに気づかれちゃったみたい」


 今度はカミーユの顎が落ち、口がパカリと開いた。


「もう?」

「えっ!」


 クリストフとグレンがこちらに近づいてくる。


「ええっ、うそ。ホントに? 全然わからない。声だって全然……」


 三人の反応からすると、ギャブが男性なのは確からしい。だが、クスクスと笑い続ける声も女性のものとしか思えない。


「早かったなあ。気づくとしても、もう少し後だと思ったんだが」

「ええと、ギャブさんのお化粧でわかりにくかったんですけど、男女の双子ならここまで似ないだろうと思うし、背の高さも同じだし。でもでも、立ち方も歩き方も、声も、今聞いても信じられません」


 カミーユはマジマジとギャブを見上げた。

 ほっそりした体型も変装に向くのだろうが、それにしても化けている。


「そう。さすがに二人並ぶとダメね」


 ギャブが肩をすくめた。


「カミーユ、改めて紹介する。グレンとガブリエルだ。私の直属で、まあ、こういったことにも慣れている」


 クリストフの言い方で、なんとなく諜報とかその手の類の担当者のように思えた。


「それで……」


 女装もするんですね、という言葉をカミーユは慌てて飲み込んだ。


「ジャスミナ茶の担当者を連れてこようと思ったんだが、今はまだ多くに知られたくないからね。この二人に任せたんだ」

「そうなんですね」


 カードに弱い侯爵様に、気軽に出没する次期様、女装も見事な諜報官と、サウゼンドはなかなか味わい深い国に思えた。


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