36 カフェーに香りを ②

 「チェルナム商会にお願いしたいのは、実はここからで」


 パン爺は目を見開き、ザカエルはパチパチと瞬き、プリムローズは口をポカンと開けている。

 その三人を前にカミーユは続けた。


「カフェーロワイヤルは燃える演出が目を引くので、これはこれで流行ると思うんですよ。でも、実際に蒸留酒を混ぜているので、香り付けって感じじゃあないですよね?」

「ふうむ。なるほど。確かにのう」

「私が試したいのは、香り付け。香りだけをカフェーにのせる。……まあ、香料や調香術を使わない手法なので厳密には違うかもですけど、まあ仕方ないですよね」


 カミーユは肩をすくめた。

 

「蒸留酒を入れずに、香りだけ……。ふうむ、香りだけ。蒸留酒は売れないが、結果として蒸留酒を買えない者にも勧められるか……? ふうむ……」


 パン爺は顎をさすりさすり考えていたが、そのうちニカリと笑って胸を叩いた。


「どんなに難しくとも、チェルナム商会が責任を持って引き受けよう。カミーユ嬢ちゃん」

「父さん、またそんな安請け合いを……。どんな作業があるとも知れないのに」


 ザカエルがその隣で頭を抱えた。


「何でえ。知りたくないのか? 新しいカフェーだぞ。売れれば、もっと生産者の支えとなるんだ。チェルナムがやらずにどうする」

「知りたいですよ。それはもちろん。でも、我々でできることか……」


 そんな二人にカミーユはイソイソと説明を始めた。


「あ、そんなに大変じゃないと思いますよ。ええと、フレーバーが決まるまでは面倒かもしれないですけど、作業自体は簡単です」

「そうなんですか?」

「ええ。焙煎前のカフェー豆を蒸留酒に漬けます。それで香りを移して、後は焙煎するだけです」


 カミーユの説明にそこにいた三人は目を瞬いた。

 ザカエルとプリムローズはメモを取ろうとしていたが、書くこともなくピタリと止まった。


「そ、それだけですか?」

「そうです」

「「なんと⁉」」


 性格が大分違うみたいだと思っていたチェルナム商会の二人だが、やっぱり親子。驚き方が一緒だ。


「そんなに簡単なのかい?」

「ですね。香り付けの方法は限られてますから。香りの中に物を入れないと、香りは移りませんもん」


 パン爺が顎をこすっている。


「ふうむ。確かにそうじゃのう」

「蒸留酒に漬けるだけ、ですか。あ、どのぐらい漬ければいいんでしょう?」

「知りません」

「「はい?」」


 二人の表情はこれも一緒だ。

 カミーユが申し訳なさそうに肩をすくめた。


「ええと、一晩なのか、もっと短いのか、そこを試していただきたいんです。長く漬ければ香りも強くなりますが、それが良いとは限りません。カフェーとの調和も大事ですし、焙煎の度合いでも風味は違ってくるでしょう。だから、いろいろ試して『これが一番うんめえ』ってところを探していただきたいんです」


 カミーユがパン爺をチラリと見た。

 パン爺が勧めてくるものはいつもおいしい。任せれば、きっとうまくいくだろう。


「うんうん。料理と一緒じゃな。その瞬間を見極めるのが肝心じゃ」

「……これは父さんが得意そうだね」

「なにを言っとる! お前も手伝うんじゃ」

「わかってるよ」


 親子のやり取りにカミーユはニコニコとした。


「今日いただいたカフェーと蒸留酒はおいしかったです。でも、カフェーロワイヤルじゃなくて漬け込んだらまた違うかもしれません。それに一番なものが、一番売れるとは限りませんし」

「そうだね。……今日の蒸留酒だと、原価的に難しいかもしれないね」


 ザカエルが顎に手を当てた。

 また一つ似ているところ発見だ。


「そこはお前の方が得意だな」


 チェルナム商会の二人が顔を見合わせた。


「チェルナム商会が責任を持って引き受けよう」

「チェルナム商会が責任を持って引き受けます」


 カミーユが大きく頷いた。




 詳細を詰めるにあたって、パン爺が笑顔で様々なカフェーと蒸留酒を応接室に運び入れた。

 打ち合わせをしながらカフェーロワイヤルをもう一度楽しみたかったらしい。

 それぞれが自分の好きなカフェーと蒸留酒を選び、そして自分の組み合わせが一番だと力説していた。

 カミーユはさすがに普通のカフェーにしたが、この様子だと間違いなくカフェーロワイヤルは話題になりそうな気がする。


 今はプリムローズとザカエルが話し合っている横で、パン爺がゴリゴリと追加のカフェーを挽いている。


「しかし、なんじゃなあ。調香術師ってのは奉納香と森の虫除けぐらいしか知らんかったが、いろいろやるんじゃのう」


 カミーユはぶっと吹き出した。


「虫除けが出てくるところが、このシルヴァンヴィルですよ。普通なら奉納香だけですもん。……そこも変えていきたいんですけどね」


 パン爺が手を止め、身を乗り出した。


「ほうほう。カフェーに茶。なら、嬢ちゃんは食に興味があるのかね。それならワシも手伝える……」

「あ、いえ。違う、というか、うんめえは大事ですから、食に興味がないわけでもないんですけど、どちらかというと、食だけではなく、もっと香りの可能性を広げたいというか」

「ふうむ?」

「奉納香や王侯貴族だけのローザの香りではなく、もっと広く、皆が自由に、好きな香りを纏えるようになればいいと思ってます」

「皆がのう……」


 わかりにくいのかもしれない。パン爺が目をパチパチとさせている。

 やっぱりそんな顔もザカエルとそっくりだ。


「ローザじゃなくてもいいんですよ。男性だったら海やアルタシルヴァの森の香りとかも、似合うと思うんですよね。身に纏うだけじゃなく、部屋に使ってもいいんです。夜、気分が落ち着く香りとか、朝、すっきり目覚める香りとか。ミンツやオランジェーナ、リモーナなんて爽やかじゃないですか」

「ふうむ……。香りを付けようなんて思ったことがないからのう」


 例を挙げたがピンとこないらしく、パン爺は首をひねっている。

 残念だが、これが普通の感覚だろう。


「……もし私が新しい香りを作ったら、ぜひ試してくださいね」



 パン爺と話している間に、ザカエルとプリムローズは新しいスプーンを検討していたらしい。


「よし、これでいこう。これでもっとカフェーロワイヤルが楽しめる」

「いいねえ。明日にでも細工師を紹介するよ。火魔石も手配をかけておいた方がいいね」

「えっ? 火魔石?」


 決まったというスプーンは、その形だけではなく、魔力で発火するというカフェーロワイヤルのための特別仕様だった。

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